iPad-70の手習い

思い立って、夫がiPadという機器を練習することになりました。

普段はパソコンで文章を書いたりしていますが、パソコンの前に座ると、なんかこう気軽に書くという
感じではなくなるので、椅子に座ってたり、病院で長く待ち時間があったりする時に、ポツポツと書ければ
いいんじゃないかなあ、と思い立ったものです。

でもパソコンと比べて、あの薄っぺらい、画面を撫でるとくるくるくるくるアイコンが動き回るiPadというのは
馴染みがなくてどうも取り付きにくい。

スマホというのも同じで、周りの人達が思い思いのお洒落なスマートホンをくるくる指で動かしながら
使っているのを横目に、未だに携帯を使ってますが、流石に近頃は携帯の画面が小さくて、変えたいなあ
と思うようになりました。でもやっぱり取り付きにくいのは同じです。

 

使い方の本を読んで理解できる自信もないので、いつもおパソコン関係ではお世話になっているKさんに
ご指導をお願いしました。
お世話になった翌日から、時間をみては、夫はiPadを手に、ポツポツキーを叩いています。

夫は大学卒業後に入社してから定年退職するまでコンピューター会社の社員でした。
入社してから数年、営業職に転ずるまではシステムエンジニアという職種で工業関係の会社のコンピューター
のプログラミングをしてました。

静かなオフィスでは何人ものSEたちが1日マニュアルを読み、ページを繰るる音だけが聞こえていたことを     思い出します。私もそこにいたので。

 

ところが、営業職になり、年をとって管理職になり、パソコン業務を若い方々に任せるようになると、
急速に自身のパソコンパワーは衰えたようで、町のパソコン教室に通ったりしてました。
忘れないのはキーを叩く指だけ。これは指が勝手に覚えているので忘れないです。

 

夫が会社にいた時代には大きなコンピューターしかなかったのに、今ではほんとに小さくて持ち運びができて
好きな所で文章書いたり、調べ物をしたりができるようになって、「ほんとに便利になったもんだね。こんな日が
来るなんて想像もしなかったよね」と二人で話します。

元を知っているだけに、ほんとにこの進化は凄いな、と思います。
iPadに熟練したら、facebookなんぞに登録して、もしかすると昔一緒に仕事をした同僚の方々と話が
できるようになったら楽しいだろうねえ、と期待しているのですが・・・。

ともあれ70の手習い、話ができるようになるまで、時間がかかりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

祭日

今朝、お餅の仕事をいつもどおり始めてからビックリ!

今日、20日って祭日じゃない?

いやぁ、びっくりしました。個人営業やってて、それもお彼岸の時に餅屋が祭日忘れるなんて。
新聞バッグ作りに一生懸命なのはいいけど、餅屋が餅つくの忘れっちゃったら最悪じゃないですか。

あわててもう一回餅米洗って、小豆を浸けこんで、間に合えば昼過ぎには不足分くらいのあんこ餅は
持って行けるようにしました。

そうだ、道の駅の直売所に行ったら、よっちゃん農場の筍ご飯がたくさん並んでました。
昨日は仙台で販売だったのに、こんなにたくさんのご飯作ってえらいね!ほんとに働きもんだなー、と
感心します。やっと春がきて、行楽シーズンの前哨戦みたいなもんですからね。今は。

 

祭日を忘れていた私はもう一度餅を搗く間に、昨日作った納品分の新聞バッグを持ってよっちゃんちへ。
しーんとしてます。ワンコのチョビだけやたら元気。よっちゃん、みっちゃんは加工場でお仕事中の
様子。みっちゃんが出てきて荷物を受け取ってくれました。

 

帰りながら、やっぱりモノを作って売るというのは、大変な仕事なんだな、なんとなく思いました。
給料貰う仕事は、その仕事のことだけ考えればいいんだけれど、個人でモノ作って販売するというのは
生産から販売、営業まで一人でやるので、身体も頭もふる回転にならざるを得ない。

まあ、何を思いついても作って売るという対象になるので、楽しいといえば楽しいけけれど。

戻ってお餅仕事をして、今度は孫連れで直売所へ。

直売所から戻ったら、再度新聞バッグを持ってよっちゃん宅へ行くという、冴えない祭日でした。

明日は暴風雪とか言ってるけど、ほんとかしら。また、外はビュービュー風の音がしています。
近くの工場のテント式の倉庫は屋根が飛んでビリビリに破れ、鉄骨は曲がり、中の荷物がむき出しに
置かれていました。いだましいこと!

 

 

 

 

 

高知銀行行き第2弾新聞バッグ発送完了

昨日とはうってかわって曇天。

午前中はお餅仕事をして、午後1時から町の社会福祉協議会のホールを借りて、東北新聞バッグプロジェクト第2弾
高知銀行さんへの2回目の新聞バッグの検品、発送。

第1回目が1000個だったので、今回は500個。後、残りを3月末までに送ることになってます。

新しく新聞バッグを折ってくれるようになった人たち、前からの実力派インストラクターが、それぞれに自分が
作った新聞バッグを持ち寄って、みんなで検品して、みんなで袋詰めして、2時間で作業終了。

500個の新聞バッグは無事高知に向けて出発しました。

 

このプロジェクトではたくさんの英字新聞紙が必要になって、大学やら図書館やらお役所やら外国人の方たちの宿泊が多いホテルやら、企業やら、それこそいろんなところからのご協力で、英字の新聞紙を送って頂きました。   新聞紙がなかったら、プロジェクト自体が成り立ちません。
でも皆様がたのおかげで、新聞紙が足りなくなることがなく、納品を完了することができました。

厚く御礼申し上げます。

一人一人の方に、そして企業さんにもホテルにも、送って頂いた新聞紙で、こんなに素敵な新聞バッグができましたよー、と新聞バッグをお送りしたい、といつもいつも思っているのですが、忙しくてなかなか実行に移せません。
この1連の多忙さが終わったら、是非お送りしたいと思っています。

 

夕方6時過ぎから第2回目の、今度は高知銀行に向けて始まった新聞バッグプロジェクトを内容とする仙台放送の
放映がありました。1回目の放送は仙台銀行さんでした。

四万十ドラマ((株))の畦地社長始め梅原デザイナーその他の方々から初めてお話しを頂いた時から、第1回目、
2回目、3回目とワークショップや養成講座を経て、そこには今はわかめの収穫作業で忙しい南三陸のけいこさんや
しんこさんが新聞バッグを折っている姿もあって、その結果、新聞バッグが高知銀行の窓口に飾られるまでも
ストーリーがよく表されていました。

「そうだったなあ!」と感慨深い思いで、テレビを見てました。

仙台放送のMさん。よく撮っていただいた、と感謝しています。
画面の中のけいこさんもしんこさんもむっちゃんもみんな楽しそうに笑っていて、嬉しかったです。

 

月末が最終です。

もうひと働き、みんなにがんばってもらって完了したいと思います。
みなさん、ありがとうございました。そして引き続きよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

新聞バッグ三昧

いつも書いてますが、毎朝道の駅の直売所にお餅と花の出荷に行きます。
毎朝のことですが、私の品出しが終わる頃、生産者でお豆腐屋のNさんがやってきて、「ハイよ」と
ペットボトル入りの絞り立て豆乳をくれます。

お豆腐屋のNさんとお餅屋の私は、野菜などのように季節である時とない時があるわけではないので
年中無休の道の駅では、1年中、毎朝「おはよー」と顔を合わせます。

この豆乳は夫のがんの食事療法の大切な食材です。全く買わないでいいいので、ほんと助かる。

それから毎日1000ミリリッター以上飲む人参ジュース。ハンパじゃない数の人参を使うのですが、これも      生産者のSさんから無農薬の人参を買っています。

 

ここではレモンは実らないので、レモンだけは通販で買って、人参ジュースに入れるりんごは生産者の
Yさんのリンゴ園から。早生から晩生まで品種多彩。冬場は岩手のりんごを使います。

それと大事なのがきのこで、椎茸はリンゴ園のYさんの。舞茸やヒラタケなどは山形から来るMさんの、
海藻類は南三陸からもらい、青菜や根菜は道の駅で毎朝必要分だけ買います。

味噌は生産者の減塩味噌、お米は農家にお願いした有機米を玄米で食べてます。

こうして考えると、夫の食材を食品スーパーで買うことは全くといっていいほどなくて、夫はこの2年ほど
こうした食材を塩や砂糖を極力減らした食事で食べてきました。

だから抗がん剤もあまりひどい副作用が出ないのかねえ、と言ったら
「さあ。悪いもの食べるよりいいんだろうけど、少なくとも油ものとか辛いものとか好きなものだけを食べて、自分でも成人病になるかもなあ、という後ろめたい気分がないだけでもいいな」ですと。

 

今日は快晴。まだ雪をまとった栗駒山、舟形山、鳴子や鬼首の山々がくっきりと、青空の中に浮かんでました。
春にはこんな日が多いです。田んぼの雪はほとんど消えました。

道の駅はお客様が多かった。

そして私は今日も新聞バッグ三昧でした。よっちゃん、あやさん、私。閉店間際のヤマトに集結して、プチプチプチ
ミーティング。明日は再び仙台放送で、こないだ撮っていただいた分の放映があるそうです。
ヤマトの人も写ったかもしれないと喜んでました。18時頃からだよー。

 

 

 

 

 

 

 

カルチャーセンターで新聞バッグ講座開催

もしかすると何かの役に立つ、ということもあるのかもしれないから書いておこうと思う。

夫が抗がん剤投与を受け始めてから2日目。今日はそろそろ気持ちが悪い、とかご飯が食べられないとか
お薬の副作用が出るのかなあ、と気になって、朝起きてきた夫に訊いてみると「いやあ、変わらんなあー。
薬が効いてないのかなあ」

実は夫が転移性の肝がんで抗がん剤投与を受けるのは、2度目です。1度目は1年くらい前。
手術できるようになるまで受けてましたが、ご飯が食べられなくなるのは、投与後3,4日後まで。
その後は徐々に普通に戻っていってました。手のしびれと、口内炎ができる、というのが主たる副作用で
抜けるだろう、と覚悟していた髪の毛には変化はありませんでした。

 

当の抗がん剤投与を受けている夫は、いつもと全然変わらず、お餅屋としての仕事を順次こなし、
間々で休憩をとり、孫の相手をし、3年前から娘に援けてもらって始めた食事療法をきっちり守り、がんのことに
付いて訊きたい病院などに電話をして予約をとったりして、マイペースで規則正しく暮らしています。

 

自分ががんになって、がんと付き合ってみて、これまで考えもしなかったがんについての科学的な意味での、    知りたいこと、先生に訊いてみたいことが山のように湧いてくる、のだそうです。そしてその知りたいことを知る
ために、他所の病院に行ってみたい、という夫の申し出を「いいよ、訊いてきなさい」とお忙しい中、紹介状を書いてくださる主治医の先生には深く感謝しています。

 

なんか、面白いなあ、と思って、夫の疑問に興味を持ってます。
何かわかったらここに書きます。

 

さて、新聞バッグですが、今日も1日新聞バッグ三昧。

今日は1月1度のほっかぶり隊のほっかぶり市の開催日なのですが、全然のぞく暇なし。
本日発送予定の新聞バッグを受け取りに鳴子温泉のあやさん宅へ昼過ぎに行きました。

 

話題は今月30日から始まる東京、自由ヶ丘のカルチャーセンターでの新聞バッグ講座。全3回の予定です。
これまで、東京のカルチャーセンターに自分が何かを学びたくて通った経験はあるけれど、まさか
福島から避難中の原発事故自主避難者であるあやさんと一緒に講師で行くなんて、まったく人生は
何が起こってくるやらほんとびっくり!です。

 

1回目にどういうものを生徒さんに渡して、何から最初に教えたら喜んでもらえるかしら。等々、徐々に迫ってくる講習日までに詰めなければなりません。

 

版画家の岡澤加代子さん、そして四万十の熟練新聞バッグインストラクターのJさんも来てくれるので
初めて新聞バッグを作られる講習生の方に楽しんでもらえる楽しい企画にしたいと思います。

 

お近くの方、是非産経学園カルチャーセンター自由が丘教室をのぞいてみてください。
新聞バッグ講座初回は3月30日です。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

宮城ー滋賀ー広島

yahoo!復興デパート、海山商店。開店してから数日ですが、たくさんのご注文を頂いてありがとうございます。

お陰様で新聞バッグの必要数がどーんと増えて、製作が忙しくなりました。

時間がある限り、せっせせっせ、と新聞バッグ作りに追われています。早く南三陸のワカメの仕事が終わる5月
が来てほしい。新聞バッグつくりは南三陸部隊なしでは成り立たん、とつくづく思います。

今日、広島在住の女性の方から「英字新聞が必要なんですか?」という問い合わせの電話がありました。
自然食品店にお買いものに行ったところ、品物が新聞バッグに入ってきて、中に「英字新聞探しています」という
海の手山の手のチラシが入っていたそうです。で、電話をしてみたと・・・。

少量では運賃のコストが高いので、というお話しをすると、「ではあちこち声をかけてみて集まったら送ります」と
言って頂きましたが、さて、なんで海山新聞バッグが広島の自然食品店に?

と考えていて、ハタと思い当たりました。
昨年の夏、津波被害で売り先がなくなった南三陸の菊作り名人O氏の大輪菊を大量に買ってくださった、滋賀県  の会社ウルズのTさんという女性社長と出会いました。その時以来Tさんは海の手山の手にとってはなくてはならぬ
大恩人で、仕事の面で精神面で多大にサポートして頂いています。

 

そのT社長が滋賀県で自分の会社の取引先とかお客様に海の手山の手の」活動を紹介してくださっています。
その中のお一人が広島の会社の社長さんでした。

広島の会社の社長さんにはびっくりするほど多量の新聞バッグを買っていただいたので、どんなことに利用される
のかな、とは思っていたのですが、自然食品店の紙バッグになるとは思わなかった。

こんなふうにして繋がるんだねえ! 宮城、滋賀、広島と。
少し長電話をして、広島の日常にはたぶん届かないだろう宮城の現状をお話ししました。

Tさん、ありがとうございました。今日の未知の女性からのお電話は嬉しかったですよ。
Tさんがまかれた種はこんなふうに広がっていることをご報告します。

 

さて、春がやってきました。強風とともに。

「フクジュショウだよ」とうちの4歳孫がハウス周りから引き抜いてきた福寿草。
知らない間にこんなに咲いてました。

 

 

 

3年目の始まり

大震災から2年経ちました。

振り返ってみると、この2年間、これまでやったこともないことばかり、ダメモト。でも諦めないで挑戦し続けてきた日々でした。

古川で地面が大揺れに揺れる地震が起こり、右に左に車輪が動く車にようやく乗りこんで、ブルブルブルブル
振るえる右手を左手で抑え込んで運転したこと、忘れません。とにかく家に帰りたい一心で。

でも道路がメチャメチャに壊れてて進めませんでした。新幹線の高架の柱がボキボキに折れて、水も噴き出して
商店街の中の道路がどっちが上だったのかかわからないくらい波打って、今思い返しても血の気が引きそう。

 

本当に昔の友達、友人、知人、親戚、たくさんの方たちに援けて頂きました。
よっちゃんも「びっくりした!」と言っていたけど、私も、誰からも、親からさえ貰ったことがないお金を人様から
頂いてびっくりしました。どうしようー、と思った。

このお金や品物や温かいお心遣いを頂いたこと、今もそれが続いていることは、言葉にできないほど感謝
しています。貰うから感謝ではなくて、こんなに心温い方々がいらっしゃるんだ、と自分が思えることが
大きいです。

うちは前の宮城内陸地震の時にもボーリング井戸のポンプが壊れ、今度もまた壊れ、加工場は斜面をずり落ち、  みたいなことにはなってたんですが、「このお金で直してほしい」と皆さんに勧めて頂いても、できなかった。

 

大切にしてきた築150年の家は土台から外れ、壁が大幅に剥がれ落ちたよっちゃんも同じ思いのようで、
「自分ちの壁直しました」と壁の写真を送るよりも、もっと違う写真送ったほうが喜ばれるでしょう」           とよっちゃんは言い、結果、沿岸部からの避難の方たちを梅農場にご招待しての「梅見の会」になりました。

大震災から間もない頃で、まさか津波で傷ついた方たちが花見に来てくれるなんて全く自信がなかった
のに、250人もの花見になって、海の人と山の人が出会えたのでした。
梅農場での出会いが、「何にもないけど残った手でみんなで一緒の仕事をつくろう」という海山ネットの始まり    でした。
津波が縁なんですが、「出会えてよかったねえ」とみんなで言ってます。ほんとに出会えてよかった。

 

少ない人数で海山ネットをやっていくには情報の共有というのが大事。でもパソコンワークが未熟な私は      四苦八苦しています。

南三陸に行くと、今ガレキはきれいになくなり、海に向かって茫漠たる更地が広がっています。
家があったはずなのに、建物があったはずなのに。もう暫らくすると夏草に覆われて、ここに住まいがあった人は、
自分が住んだ痕跡も見い出せないのでは?と思います。人生を途中で失くしたような気持ちになるのでは。

 

新しく始まったけいこさんちの海に近い作業場。
わかめのお仕事は、舟でワカメを収穫してから釜で茹で、冷やし、塩をまぶし、手作業で茎とわかめを分け、
脱水機にかけて、塩蔵ワカメになるという手間のかかる工程でした。

ストーブで温かい作業小屋の作業台を囲んで、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんのけいこさん、
が座って、みんなで作業をやっていました。犬のマック君もいるのだけれど、お兄ちゃんが散歩に連れて
行ってました。朝早くから船を出してワカメを獲って、お昼のご飯も作業場で食べて、こうして家族全員が       力を合わせてワカメという商品が出来上がっていく。

おじいさんもおばあさんも本当に優しいお顔をなさっています。
みんなで分けながらお仕事をなさる姿は家族の原点をみるようです。

 

都会で生まれ育って、都会で暮らし、お金を払えば自分の身の周りのことは何でも、自分が出したゴミでも
始末してもらえる生活をしてきた私は、ここに住んで、そして何度も大地震を経験して、ついには極めつけの    大震災まで経て、収入さえ得られれば一人でも生きられる、というのは幻想なんだ、と知りました。

たくさんのことを教えてもらった2年間でした。

復興は進んでいません。時が経てば経つほど難しさも複雑さも増していくと思います。
でもやっぱり希望を持って3年目を歩み始めましょう!

 

 

 

 

 

 

 

暴風

一昨日からもの凄ーい風でした。

隣町古川では最大瞬間風速37・数キロメーターの強風。福岡生まれで台風慣れしている私でも
この風はちょっとヤバイヨという気がするので、朝お餅を出荷しただけで1日家籠り状況で過ごしてました。

一昨日道の駅では風で体が浮いてまっすぐ歩けなかった。
工事で岩出山大橋の上で車を停められ、強風が吹く度に車がグラグラ揺れるので本気で怖かった。
こんな日にこんな河の橋の上で車を停まらせていいのか、と思った。

2、3日前まで西へ東へと空を飛び交っていた白鳥や雁が、数をぐんと減らして、田んぼの上にいるには
いるのだけれど、強風で進まないらしく同じ場所を上下にバタバタバタバタしていた。

昨日の朝は風が静かになって、もう終わったかなあと思っていたら、時間が経つにつれて、一昨日より
もっとひどく強くなって、白鳥もガンも全く見えなくなった。

ハンパじゃない強風!家の中にいても凄い風の唸る音。
隣りの家とジーチャン、バーチャンのいる私の家を1日中行ったり来たりしているうちの4歳が、単独で
外に出るのは禁止となった。飛ばされるからねえ。

夕方のよっちゃんからのメールでは「風で凄いことになっている。イグネの木が折れて屋根にめり込んでいる。
梅農場の先の自販機が倒れている。おっかなーい!」

 

そして今朝、近所のyumiちゃんが朝やってきました。
「うちのハウスねじれたよー!」yumiちゃんちだけではなく、うちのハウスの屋根は飛ばされたし、借りてる
ハウスの屋根ビニールはなくなりました。

あっちこっちの農家でハウスのフレームは曲がり、ビニールは破け、屋根は飛ばされ、えらい損害。
「うちの木は折れて曲がって地面に突き刺さってるよ」
極めつけは
「シンショージさん(この集落のお寺です)の屋根が飛ばされて、黒い屋根が下地の赤い屋根になっちゃった」

大震災から丸2年目の今日、テレビで追悼の記念式典を見ながら、ハウスの屋根を眺めてため息ついてます。
まだ、風は完璧には止まないんだよなー。

あまりの強風に渡り鳥たちは嫌になって、北帰行に旅立ったかと思っていたのですが、いました。
田んぼの上を白鳥もガンもひと群れ、ふた群れと行き交ってました。

 

 

 

 

 

 

「両方良くなる」

朝、お餅の出荷を終えて、よっちゃんちに書類を届けに行きました。
よっちゃん夫妻は(株)コンピューターシステム研究所からご注文頂いたレターバッグサイズの新聞バッグの梱包
作業中で、丁度よいところに行き合わせ、手伝って終了しました。

㈱コンピューターシステム研究所さんは先日の仙台銀行さんのビジネスクラブ講演、交流会で初めて御挨拶させて頂いた仙台銀行さんのお客様です。交流会後、光栄にも、この度同会社で受賞された「グッドカンパニー大賞」の記念式典のために新聞バッグを使って頂けることになったのです。

その他にもその時のお客様の数社から、お声をかけて頂いてますが、こうした東北地方の会社からのご注文には、何故か心が張り切ります。

いいものを作りたい、直接のお客様、そしてそのお客様のお客様。どちらにも喜んで頂けるものを作りたい、と素直に
思えます。

 

「何故普通より張り切るのかな」、と考える時、これは海の手山の手が以前お世話になっていたNPO大崎地域創造研究会の事務局Kさんがいつも言ってたことなんですが、「両方良くなる」「両方良くなりたい」という考えが持てるからなんだと思います。

先日、福島で復興のためにいろいろな活動をなさっている団体の活動発表会に出席しました。
東京の有識者の先生方をお呼びしての、復興活動を応援する活動の場をのぞいたこともあります。

でもなんだかしっくりこない。なんか海の手山の手とはどこかでかみ合わないような気がいつもする。
なぜなんだろうかなあ、と常々思ってました。

被災を受けない土地の方々が、被災を受けた土地のために工夫を凝らして応援の組織を作り、活動を続け
てくださっている。とても有難いことです。特に今、風化が問題になっている時なのですから。

 

海山代表のよっちゃんはいつも言います

「支援の枠を越えようー」って。

そう思って、海の手山の手は、海と山の仲間が一緒にモノ作りをして、これまでご協力頂いたたくさんの方々との
ご縁繋がりで、新聞バッグを広げて頂いています。

「支援しますよ」と買って頂くのも嬉しく有難いことですが、そこを越えて商品としてお客様のニーズに合う新聞バッグ
を作りたい。そして、新聞バッグに詰めた海山の商品を紹介、販売してゆきたい。と思ってますが、

この度yahoo復興デパートでも海の手山の手商店が開店しました。
是非ご利用になってください。

 

海の手山の手が始まってもうすぐ丸2年。 まあ、なんとか赤字ではないものの、台所はカツカツで、未だに新聞バッグの折り手さん以外は無報酬、手弁当でやってます。                                    運送代も印刷代も高いので出そうにも出せないのですが、何時の日か「両方良くなって」、東北の経済もよくなって海の手山の手で報酬がなんぼかでも出せるようになったら嬉しいなあ、と夢想してます。

やっぱり海の手山の手は最初から現在まで小さい小さい経済活動の道を歩んでいます!

 

 

 

 

 

1230枚、高知銀行さんと府中美術館へ発送完了

新聞バッグで1000枚というのはたいした数です。
特に今回の高知銀行さんへ送る新聞バッグは「もじゃくり新聞バッグ」という、新聞をグチャグチャに揉んで
皺加工のようにして作るバッグなので、普段作るものよりひと手間かかります。

 

それが全部で2700枚。                                                      その最初の締め切りの1000枚だけでも作れるのかなあと、想像がつかなかったのですが、南三陸のけいこさんやシンコさんの踏ん張りで、一昨日歌津に行ったらたくさんの新聞バッグができてました。

 

で、今日は私たちの地元、山の手新聞バッグインストラクターが折った新聞バッグの検品、袋詰め作業をやります。
そして合わせて、1000枚になってなきゃいけない、というのが今日の絶対的指令。新聞バッグを作り覚えた折り手の仲間たちが、仕事の合間に50個、100個と折った新聞バッグ。集めてみなければいくつあるのかわかりません。

 

スリル満点。そのうえにもうひとつのスリルがあって、府中美術館で使っていただく新聞バッグ200個。これも今日が
発送予定日です。

 

午後1時、町の社協のホールをお借りして、この先の新聞バッグ作りを見越した、新しい人達の新聞バッグ教室と
よっちゃんが先導する検品、発送作業を同時進行でスタート。

最初はインストラクターの数が揃わず、これでできるのかと心配したのですが、仕事だの、家の用事だのを済ませて
一人一人と作業に加わってくれて、大過なく作業を終了することができました。

新聞バッグを前から知っていた人も知らなかった人も、作業を見るとなんとなく手伝ってくれるのが不思議です。

 

府中美術館担当の私は家で大車輪。こっちも娘や、ふだんは新聞バッグに手を出さない家の者も、糊をつけたり
数えたりと1日手伝ってくれて、時間ギリギリにヤマトに滑り込んで発送終了。

 

よっちゃんから電話。「終わりましたよー、1030枚、ハーーーーッ」

私も終わったよー、あはははは・・・。

いやー、笑うしかないような怒涛の1日でした。疲れた!