道の駅に感謝

東日本大震災の後、海山を始めてから1年ほど一緒に活動した小玉さんの家が、大崎市の渋井川の堤防決壊で

冠水しました。

「何したらいいと思う?」

「手伝いに行きたいけどそれもねえ。お見舞い持ってくというのも違うし・・・」

朝の道の駅でばったり出会った栗ご飯弁当を持ってきたよっちゃんとの会話。

これ、大震災後の会話とそっくり。同じようなことを言っていたことを思い出します。

 

帰って小玉さんに電話をしてみると、今必要なのは水に浸かった家具から出したモノを入れるダンボール箱と

水を吸わせる新聞紙。ということで、なるほど聞いてみなきゃわからんもんです。

 

そういえば栗原の内陸地震の時に、何をしたらいいですか?と栗原市役所に聞いたら「支援金は要らないので

栗原の道の駅に直接聞いてくれ」と・

で、栗原の道の駅の店長さんに電話をしたら、「お金よりもお客さんが来ないので、ここで品物を売って賑わって

ほしい」と言われました。栗原の道の駅は山の崩落でその先全然進めないというどん詰まりの地理状況。

道の駅の近くでは自衛隊の人が近隣の人のためのお風呂を仕立ててましたっけ。

その要望を聞いて栗原から1番近いあ・ら・伊達な道の駅では生産者の生産物などを集めてワゴン車に積んで

栗原道の駅まで販売に行きました。直接販売に慣れたよっちゃんが大活躍で売りまくって2時間ほどで完売。

そのお金を栗原道の駅に置いておそばを頂いて帰ったことを思い出します。

 

さて、話は戻ってダンボール。最初海山ダンボールとかよっちゃんなんばんダンボールとかと考えたけど、ハタと

気づきました。道の駅には毎日入荷する商品の空きダンボール箱が山ほどあるじゃないの。早速S部長にお願いし

てみると社長の許可を頂いて間に合うくらいのたくさんのダンボール箱を用意してくれました。

ありがたい!道の駅は買い物をしたり、生産者が品物を売ってお金を稼ぐ場だけではなく、社会的な困難が

起こった時に援助してくれる場でもあります。大震災の時には決して休まない炊き出しでした。

道の駅から頂いたダンボール箱と新聞バッグ用英字新聞紙を山ほど積んで古川被災地の小玉さん宅へ。

 

もう水は引き、田んぼの黄金色の稲が倒れず立っているのを見て安堵。

だいぶ片付いたのよ、とはいうものの、道路や庭先に置かれた布団や畳などを見ると大変だなあと思います。

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大震災の後、あれほど沿岸部の方たちのために働いた小玉さんが今度は自分のうちが被災するなんて・・・。

「今、私って被災者?」と笑顔の小玉さん。

自分でも信じられないようなその逆転がなんだかおかしくて・・・。順繰り順繰りですね。何より家も人も無事で

よかった。沿岸部から越してきて新しく建てた家が冠水、という方もおられます。

 

夕方家に帰ってテレビをつけると、画面には熊本の阿蘇山の噴火。

大雨に地震に火山の噴火。次々に起こるこの自然の変化。お願いだから雨だけは降らないでほしい。今は。