さよなら、セブンイレブン

今日は父の命日。4年前の9月22日のお昼頃に91歳で父が亡くなりました。その前日21日の朝に母が。

父は1ヶ月ほど入院していたけれど、母はがんと解って3週間で、二人して24時間経たないうちに一緒に旅

立ちました。ちょうど稲の穂が今日のように黄金色に輝く時期でした。そのひと月後に父を親身に介護してくれて

いた夫のがんが判明。2年後のやはり9月半ば、稲田が濃い黄に変わる頃に亡くなりました。だから私もなんとなく

自分が死ぬ時は9月、稲田が黄金色の時じゃないかな、と思っています。

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シルバーウイーク4日目。お餅をつく量が急激に増えて、一人でやるのがへばりそうになり、朝は黒田さんに

助っ人を頼んで道の駅にも出荷に行ってもらいました。

おかげで少し楽になって、私はロイズの新聞バッグを回収に南三陸のけいこさん宅へ。

 

ここまでで半分。

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登米市中田町かな? この先すぐに北上川の堤防に出て、土手の道を走ります。それからふたつみっつ山越え

をしてトンネルを抜けると南三陸町に入ります。はっきりとは忘れたけれど、南三陸町に入ってすぐ「みなさんの

支えのお陰で今日もまたがんばれる」とかなんとかの標語が目につきました。面白い。

 

エジプト国の砂漠地帯のように土の山が連なりまくった元の志津川の町。今は町の面影はなく、とんでもない高さ

の土山が連なった上を道路が走っています。ということはこの土の山々は町を作っているのではなくて道路を作って

いるのね。「復興道路」と大書された大看板があるけど、「復興道路」ってなんだ?

意地悪で言うわけではないけど、この仕事やってればこの先ずーっと食いっぱぐれはないね、とどうしても思ってしまう。

 

10月1日よりまたもや道路の行方、走り方が変わるんだそうです。今もけいこさんのところに行くのに、自分で道を

選ぶというより作られた道路に乗っけられるがままに走っているようなもんだけど、次に来る時のは「私どこへ行っ

ちゃうの」みたいになるのかもしれない。

そしてその道路変更に伴って、大震災直後から訪れる人の灯台のようだった仮設のセブンイレブンがなくなるだろう

と聞きました。

標識も電柱も目印になるものが何もないすっからかんになった志津川に1軒だけあったセブンイレブン。

被災した人たちのために、訪れる人たちのために、大きな大きな役割を果たした忘れてはいけないセブンイレブン。

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忘れないように写真に残します。

 

早く来たのでおしゃべりして新聞バッグを積み込んでも2時くらいに終了。

時間があるので、菊の先生Oさんの新しいお住まいに寄るつもりだったのだけれど、本当に残念なことにOさんの

弟さんが亡くなられたばかりだと聞いて止めました。大震災時、流された0さんのお宅は道路を挟んで海側。弟さん

のお宅は山側で、私が初めて行った時山側にある弟さんのお宅の壁に自動車が半分くらいめり込んでました。

Oさんはもう船を降りられてしまったけれど、弟さんはまた船のお仕事に戻られたそう。新しいおうちもできたのに

急に亡くなられてOさんはどんなにかお力を落されていることでしょう。ご冥福をお祈りします。

 

家に戻ってけいこさんが持たせてくれた秋刀魚を蒲焼ふうに、小アジを南蛮漬けに。

久しぶりにまともに料理をしました。しないと秋刀魚と小アジに悪いから。

今年は栗が豊作のようで、栗山に家を建てたような我が家の庭は落ち栗だらけ。

食糧安定で、今年は仔熊が増えるかもしれないです。お腹空かしていないと思うと気はやすまるけれど・・。

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