昨夜の雨は嫌だった。 周りは大体そんな思いだったようで、大丈夫かなあ、と安心して眠れなかった。
気仙沼のほうでは浸水した家があったのかな?
午後は岩出山の支所で「屋根」公演のための実行委員会立ち上げ目前会議。ヘンな名前だけど、実行委員会
を立ち上げるためにどんな手続きが必要なのか市役所の担当者にうかがいました。
自分たちだけでやるサークル的お芝居公演ではなく、大崎市共催、道の駅協賛という形がある以上、避けては
通れない関門で、解らないことばかりですがとにかく教えてもらって前へ進みます。
9月初めの朝日新聞大阪版に、以前から前田記者に取材して頂いていた高知県四万十と東北海山の新聞バッグと
の取り組みを載せて頂きました。
その数日後に、大阪府南河内郡河南町のグランドゴルフ連盟世話役をなさっているM氏から、お電話がありました。
10年間と決めたゴルフコンペでの支援金を、朝日新聞で見た私たち海山に贈りたい、というお話で、支援金を贈って
頂くのならば、そのお金で新聞バッグを作ることにしました。新聞バッグの折り手にとっては大きなお仕事になります。
またべつの話で、私が卒業した高校の同窓生で、大震災直後から毎月1000円を支援金用口座に振り込んでくれる
友人がいます。この間通帳記入してみたら何時からか2000円になってました。10000円振り込んでくれるのも
ありがたいけれど、その後音信普通になるよりも、こうしてずーっと東北を忘れずにいてくれることに私は深く
感動します。私だったらできないかもしれない。このままずーっと続けてくれるのだろうと思います。私が「もういい
から」と辞退したとしても。2ヶ月に1度の年金支給月に年金の一部を3年間送り続けてくれた友人もいました。
最初の頃、海山に全然お金がない頃、この支援して頂いたお金でパソコンを買ったりしましたが、新聞バッグ
のお仕事だけで海山が継続できるようになってからは、東北子供の村に送ることにしました。東北子供の村は
親を失った子供を家庭のような形で育ててくれる村です。
10月11日に海の手山の手ネットワークは、あ・ら・伊達な道の駅のホールをお借りして、新聞バッグの感謝のお祭り
「海山マーケット」を開催することにしました。
4年以上にも亘って英字新聞、ドイツ語新聞を送り続けてくださっている大学や企業や団体、個人の方々。頂いた
新聞で作った新聞バッグを購入してくださる方々。
たくさんの方々に応援して頂いての今、感謝の気持ちをこめて、お世話になった方々の商品を新聞バッグに詰めて
販売します。
東北応援隊の手作り菜種油、納豆、うどん、ずいぶんお世話になた大津市ウルズさんの鰹出汁、富良野のガンピに
ラベンダー、四万十のお茶、その他その他。私たちはこんなにたくさんの方々にお世話になって今があるのだ、と
実感します。
河南町のグランドゴルフ連盟さま、福岡のKYさん、ありがとうございます。 遠いところでいらして頂くことは無理
ですが、お世話になった皆様に感謝をこめて「海山マーケット」の案内状をお送りします。