宮城の花事情

お盆になりました。

東北の各地から首都圏や県外に出て行った人たちが帰省して、いつも静かなこの町にも車が増え、
人が増え、短い期間だけど一気に賑やかになります。

私がこの町に住んで初めての夏、初めてのお盆にびっくりしたこと。
それはどこのお店にでももの凄いたくさんのお盆用の花束が並ぶことです。お盆前の11日、12日頃には
女の人も、男の人までも、買う時に指折数えながら、5束も6束も人によっては10束でも買って行く。
ということで、今、道の駅でも近所のスーパーマーケットでも盆花満載です。

これをほんとにみなさん、どんどん買って行く。凄い勢いで花が無くなり、私たち花を栽培する者は
畑で必死で花を切って補充する。

ここにもともと住んでいればびっくりするようなことではないのかもしれないけれど、長年東京近郊に
暮らしてそんな光景は見たことないので、一人の人があんなに花束買って何するのだろう、とびっくりしたし、
不思議でした。

東京のサラシーマンが、勤め帰りに花束を5つも6つも買うのなんて見たことないですもの。
まあ、電車でも困るしね。

以前から花を作っていた私は、花のお師匠さんから「宮城県は全国でも1、2といわれる花の消費地なんだよ」とは
聞いていたけど、実際に眼にして「ほんとなんだ」とは思ったけれど、何するのかわからなかった。

で、住むにつれてわかりました。
自分の家のお墓だけではなくて、親戚とか周りのお墓にもお花を供えるらしい。というのは今でも事情がほんとに
わかっている訳ではないので、自信を以っては言えないのですが、亡くなった夫の両親のお骨を預かって
頂いている納骨堂にも、どなたかが花を飾りトマトや果物などを供えてくださっているのです。

こんなところですから、納骨堂には夫の両親以外誰も入っていません。集落の人はみなさん檀家でお墓を持ち、
草刈りなどもしてお寺を護っておられます。
夫の両親のお墓は都会で自分たちで買った霊園にあったのですが、宮城からは遠く、長男である夫が故郷に戻る
気持ちがないので、どうしたものか、と集落の和尚様にご相談しました。

和尚様は先取の気風に富んだ方で、「いずれこういう時が来ると思っていた。先のことはわからないのだから
お墓のことは後で考えればよい。自分のほうで納骨堂を作って預かりましょう」と言っていただきました。
今我が家ではまだお墓は作っていないけど、お盆には納骨堂の観音様にお花を供えます。私が行く頃には
花入れはギュウギュウで入らないことが多いのですが。

13日の今夜のお寺は、道路からお寺まで上がる全部の階段にろうそくの灯りが灯されます。
何年か前の13日の夜、迎え火が炊かれたお寺の前を通りかかると、真っ暗な中で階段の上から下まで、
風でゆらゆら揺れるろうそくの灯りが続いているのを見て、胸の中が温かくなりました。

仏様が道に迷わないように。お参りの人たちの足元が危なくないように。

東北地方は、ご先祖様を大変大切にする土地柄なのだと思います。
周りの人に「みんながあんまりたくさんお花を買うからびっくりした」と言うと、びっくりする私に相手がびっくり、
というくらいに、ここでは当たり前のお盆迎えですが、もう盆茣蓙に供物を置き、帰省した家族との団欒が
始まっているのでしょう。

沿岸部でご家族を亡くされた方には、悲しみを新たにするお盆だと思います。
私たち海山ネットの活動も一歩一歩しか進めませんが、少しずつ進みながらみんなで元気になっていきたいですね。

 

 

 

 

田舎暮らしを支えてくれる人達たちーよっちゃんー

夕方、畑で花切りの真っ最中、近所のユミちゃんが、またその近所のヨッチャンを連れてやってきました。
花が大好きなヨッチャンは、うちの畑の花がどんだけ咲いているか見たいので、ユミちゃんに頼んで車で連れて
きてもらったそうです。

来てすぐ、ヨッチャンは花を見るより先にワサワサに大きくなった夏ミョウガを見つけました。
「なってるかちょっと見てみっから」
うちのミョウガは出ている範囲が広いのです。大きく育って葉がワサワサになってたくさんのミョウガが出てる
と思うけど、毎年採ったことありません。誰も食べないし、採って売るのも面倒だから。

ヨッチャンはそういうのが見逃せないんですね。
筍でも蓬でも採れるものは全てちゃんと採って保存する、というのがヨッチャンの信条のようで、それは自分の
うちのものでも人のうちのものでもミョウガはミョウガで放ってはおけない。

ということで、「見てみっから」が「採ってけっから」になり、ミョウガの叢の中に入って出ているミョウガを全て
採ってくれました。そして「おれは要らない」と置いていったのが、このミョウガです。

放っては置けないので、きれいに洗ってお客様に食べていただくことにして道の駅で販売。
今日は完売しました。
ありがとう、よっちゃん。よっちゃんのおかげでみょうがを無駄にしないで済みました。

蓬が出る時期にも、うちのお餅用のヨモギを摘んでくれます。

よっちゃんはご主人も子供さんも病気で亡くなったので、一人で暮らしています。一人だけれども近所の人
とか親戚の方の協力でたくさんの野菜を作って、梅干しや漬物など漬けます。そしてそれをわけてくれます。
勿論好きな花もたくさん植えていて、家は花に囲まれています。
2、3年前、突然動けなくなる病気になって、心配しましたが見事復帰しました。

退院してくる前も今も同じですが、一人暮らしで運転もできないのだけれど、買い物でも温泉通いでも、
お芝居を見に行ったりすることでも、よっちゃんは不自由がないように見えます。

近所の人たちや親戚の人たちが、何かをする時、どこかへ行く時、よっちゃんを誘って連れて行くからです。
温泉帰りでツルツルの顔で、道の駅でばったり会ったりする時、「なんだ、よっちゃん、私より優雅じゃん」と
言ったりするのですが、こうして一人で暮らしていても病気になっても周囲の人との連携で質素に暮らして
いけるというのが、こういう地方の小さい集落のすごいところだなあ、と都会者の私は感心します。

よっちゃんは人にどこかへ連れて行ってもらうのを、まったく悪びれません。
「連れてけー」と全く普通に言う。そして、周りの人が困っている時には留守番でも農作業の手伝いでも
「やってけっから」と気軽に手伝ってくれます。

うちの場合は、畑に苗を植えてもらったら、50メーターくらいの畑でも全然休まず中腰のまま植えてしまう。
くんたん焼きは素晴らしく上手です。よっちゃんは農業のプロなんだね、と思わせられます。

食べ物は、自分が食べないでも無駄にするのは気持ちよくないです。
今年はよっちゃんのおかげで、夏みょうがを無駄にしないで済みました。

さっき、お礼に畑の花をお墓に飾れるようによっちゃんちに持って行ってきました。
よっちゃんは小さい愛らしいような花はきれいだとは認めません。「ふーん、こんなちっちゃいの、きれいでない」と 言うので、間違って出てきたような大きい花ばかり集めて花束にして置いてきました。
きれいだなーと喜んでいた。