キャスナー先生への手紙

昨年の東北大震災後、2か月ほどの時、アメリカ人と結婚してカリフォルニアに住んでいる従妹を通じて
サンディエゴにあるマウントカーメル高校の先生方や生徒たちみんなで作った被災地を励ます動画が
送られてきました。校長先生はドーン・キャスナーという方です。

マウントカーメル高校の生徒たちほぼ全員が参加して作った動画のようで、大きな垂れ幕にガンバレガンバレ
と書いてありました。サンディエゴでも大きな山火事があった時に家が被害にあった生徒たちは仮住まい
を余儀なくされたそうです。

どこかに送って見てほしいとは思ったけれど、その頃はまだ学校が再開されていなくて、先生も生徒も
学校に戻っていませんでした。
で、知り合いに頼んで大崎タイムズを紹介してもらい、大きく新聞に載せていただきました。

その後に大崎タイムズの報道写真集にも掲載されたので、マウントカーメル高校のみなさんが送ってくれた
励ましの言葉は後々まで残ることになりました。

そのことをキャスナー先生にお知らせしたい。みなさんにお礼を言いたい。
と思い続けて1年。写真集を送りたい気持ちはあるのだけれど、英語で手紙というのがどうしよう。
グズグズグズグズして、遂に決心して日本語で手紙を書いて、新聞バッグや手拭いとともに送りました。

でも日本語の手紙をそのまま送るのはなんとも失礼な気がして、書きました。どなたか日本語が解かる方
に翻訳していただいてください、と英文で。
でもやっぱり丁寧な形では書けなかった。遂に諦めて娘に書いてもらって自分でタイピングしました。

そうしたら普段パソコンでローマ字変換ばかりしているものだから、英文書くのに間違ってばかり。
単語のスペルさえ出てこない。
きのう老化のことをここに書いたけど、やらなければこんなに忘れるものかと愕然としましたね。

 

若い頃、アメリカ空軍の戦闘隊のオフィスでコンピューターの仕事をしてました。上司はアイルランド系とか
ドイツ系アメリカ人とかチェロキーインディアンとか。同僚は日本人の女性数人と後は兵隊で普通の日本の
事務所のように普通に仕事をして普通に昼休みにおしゃべりしたりしてました。ベトナム戦争の前のことで
その頃のみんなとの思い出は私の胸の中にしまってます。
その後に入社した会社は外資で、その時代、まだ翻訳が間に合わず書類も英文でした。

そうやって働いて給料もらって暮らしてきたのに、ぜーんぶ忘れてしまっている。

 

この間東北村の会議でプロダクト活性のMさんから「戦後のことなど話してほしい」と言われて超ビックリ
しましたが(語り部は人がやるもののように思い込んでいました)、考えてみれば、私が幼かった頃の
戦後の暮らしや、基地内での仕事のことなど知っている人が少なくなっているということですね。

 

キャスナー先生に手紙を書いたことで、もうちょこっと英文を書いてみようかという気になってます。
書いてみたら楽しかったから。