南三陸タイムズ第1号発刊

 4月に催した佐藤農園での「梅見の会」で初めてお会いした

Oさんは、南三陸新聞の記者さんでした。津波で新聞社の社屋が流され、

今は読者がいないので、3年間は休刊。また新聞社が再開されたら戻られる、

というお話でした。91歳のお父様、80歳代後半で介護が必要なお母様、そして

介護をなさっている奥様と4人で鳴子温泉に避難なさっています。ご両親のために

家をバリアフリーにして、さあ、これからという時に家も流されたとのことです。

 仲間のKが0さんのためにパソコンを探しました。翌日には静岡の方から送られて

きました。プリンターは私が差し上げました。「梅見の会」の反省会の日に鳴子の

公民館の方が、仕事部屋の提供を申し出てくれました。

 さあ、南三陸新聞、O記者のお仕事再開です。

 鳴子温泉郷にはほぼ1000名弱の避難のかた々がおられます。そこから記事を

拾ってどんな新聞ができるのか、と楽しみにしていたら、「できました。届けます」と

元気な声でお電話がありました。鳴子避難の方々の全所帯に配られるそうです。

 「南三陸タイムズ」の第1号!うれしくてFAXしてコピーして、みんなで読みました。

 Oさんとお話すると、その目は記者の目であり、聴く姿も記者の姿勢を感じました。

 2号ももうすぐ発行とのこと。

 南三陸タイムズから復興へのどのような光が放たれるのか、心待ちにしています。

   

復興ってなんだろう

 南三陸志津川で菊栽培をなさっていた0さんご夫婦にお会いしました。

 0さんは船のお仕事を辞められた後菊栽培に携わって10年。

 311には津波で家と菊の畑と愛犬が流されてしまったそうです。

 奥様は出先の仙台から戻る途中に地震が起き、ご主人と6日間

 連絡がとれなかったとのこと。静かなご主人と元気でかわいらしい

奥様から直接お話をうかがっていると、本当にご主人が助かってよかった、

と心から思います。

 今年菊を作ってみたい私は、0さんにめぐり合えたこの機会に菊の栽培を

習うことにしました。0さんが菊のピンチをやってくださっている間、奥様と私は

おしゃべりが止まりません。

 0さんは66歳。20万円とかいう電器製品1セット付き仮設住宅を申し込まれて

いるそうです。でも当たったら、入るでしょうけど水が出ない。仮設住宅を期限の

2年で出ても元の場所には住みたくない。と奥様は言います。

 仮設住宅に被災者のみなさんが入居したら、それが復興のような気がするけど、

それは全然復興じゃない。復興市も復興イベントもそれはやっぱり復興じゃない。

 住宅に入居して、それからがほんとうの復興。自分の住まいを作って、畑を得て

 またお仕事の再開ができるまで、何段階ものご苦労です。

 ご夫妻にお会いできて今日は良い日でした。

 これから0先生、とお呼びします。