忘れないように。  3月11日からのこと(その1)

  3月11日、午後2時45分、私は古川のジャスコ駐車場に隣接する5階建てのビル

  1階のパソコン教室にいた。講座が終了して外へ出ようとした時にグラグラッと来た。

  忘れてはならないのはその3、4日前に同じ古川の知り合いの家にいた時に震度

  5の地震が起こったことだ。けっこう長い時間で家から外に出て様子を見たのだが、

  まさかこんな大きな地震が起こる前兆だとは、想像もしなかった。

  千葉県から移り住んで10年の間に大きな地震を4、5回経験した。音に慣れると

  いうか、揺れ方でわかるというのか、その揺れ方に尋常ではなさを感じたその瞬間、

  外に飛び出たが、その時にはもう歩けなかった。

  地面全体が横に大きく揺れる。世界が揺れる、身体から内臓まで振り回されるように

  揺れる。路面を這いながらできるだけ道路上に、ビルから離れたところまで進んだ。

  歩道と道路の境にある植え込みの木にしがみついて、後ろを振り返ると、ビル入り口

  階段のタイルにパリパリと亀裂が入り始め、ビルの土台と建物の間に横に亀裂が

  入ったかと思うと黒く口を開け始めたのが目に入った。

  ビルが崩れる、ビルが崩れる! 右へ左へと振り回されるような揺れは一向終わらず

  上を見上げると、3階、4階の人たちが通路に出て見下ろしていた。

  財布を中に置いてきたが、取りに入れない。どうにか入ってバッグとジャンパーを

  摑んで外に出、揺れが収まらない中をどうにか駐車場まで戻った。

  ピンポン玉のように弾む車に乗るのも一苦労だが、全身が震えて運転するどころ

  ではない。

  その頃になると広い駐車場の中に、近隣の住民が荷物を持って集まり始め、

  駐車している車も隣の車とできるだけ空間を空けて、ぶつからないように留め

  直した。家が気になる。電話をするが、固定電話も携帯電話も一瞬にして繋がら

  なくなった。

  歯の根が合わず、身体の震えが止まらない。生まれてこの方、こんなに震える

  ことは初めてだ。家に帰ろうと車を出したが、信号は止まり、車はぎっしり詰って

  身動きならない。信号がなくても危険が少ないであろう帰り道を必死で考える。

  広い道は信号なしで曲がれそうにないので、できるだけ狭い道を帰ることにする。

  余震での衝突を避けるため、できるだけ前後の車と車間をとりたいが、ゆっくり

  進むと、ガラスが割れたり、傾いたりしている家々が倒れかかりそうで怖い。

  それにしても家々の壊れ方がはんぱではない。

  ふと思いついてラジオをつけると、仙台の被災の様子が伝えられていた。そこで

  私は初めて、この地震がこれまでのように限定された狭い地域の地震ではない

  と気付かされたのだった。