未来予想図

私は親が給料取りで(教師)、結婚してからも給料取り(会社勤め)の妻だったので、モノを作るという人が
周りにいたことがないのです。

昔若かった頃、腎臓を悪くして長期に入院生活をしていたことがありますが、同年齢の入院仲間の女の子が「私はヘルメットを被る職業の男の人と結婚したい」というのを聞いて、「ヘエー、そんな選択があるのか!」と驚いたことがあります。

ヘルメットを被る、というのはどうい職業なのか、よくわかりませんが、私も中年になってから電話工事会社で電話設置の図面描きというパート仕事をしていたことがあり、その時に周りにいたのは全員ヘルメットを被る男性たちでした。

運転はできる。特殊な車は運転するし、車が壊れたら自分で直すし、私の車が壊れて連絡すればすぐ来て
引っ張ってくれるし、流し台が壊れようが、どこが壊れようが、他所に頼むということはほとんどなくて、なんでも自分たちで造ったり直したりするので、超カッコいい、と思いました。

でも現実の自分の生活の中には、「何でも自分でやるよー」という人たちはいなかったわけですが、縁あってここに住むようになってからは、周り、「何でも自分でするよー」という人ばかりになりました。

何でも自分で作る、というのは下手でも上手でも自分の作品なんですね。

東京の版画家岡澤加代子さんとお話しするようになって、そのことをしみじみ思います。
岡澤さんの手から生まれるものは、それが料理であれ、本職の版画であれ、版画を巡る布や紙や糸や、
生活の中の雑貨でさえも、岡澤さんが向き合った結果の作品なんだな、と思わせられる生真面目さと
芸術的センスと面白がって作ったのだろうなあ、というユーモアが感じられます。

今度の大震災があってから、被災者という立場になった方々とご縁ができてから(私も被災者ですが)、
これまでモノを作って暮らしをたててきた人と、モノを作らないで暮らしを立ててきた人との間には違いがあるなあ、と思います。

モノを作ってきた人はどうしても、迷いながらも、いち早くモノを作り始める。

南三陸の菊の師匠、小野寺氏もそうです。小野寺さんは菊作りのプロフェッショナル。昨年は津波後の
ドサクサに紛れて菊作りを習ったけれど、今年になって菊作りを再開した小野寺さんの手にかかった菊
の育ち方をみれば、うちの菊など足元にも及ばないのがよくわかります。なんか自分が菊作っているのが
間違っているんじゃないの、というくらいに違う。

手でモノを作り出すということは凄いことですね。

20日に今回海山教室で最初の講師役を務めていただく岡澤さんを南三陸にご案内します。
たまたまのことですが、今日三本木のパン工房青い虹さんにお電話したら、長年パンを作っておられる女性、Iさんも時間がとれたらご一緒できるとのことでした。

楽しみです。
菊を作る小野寺さんと、縫製工場勤めで布に詳しく縫製上手な奥様ムッチャン、それに紙でも布でも糸でも
作品にしてしまう版画家の岡澤さん、独学でパンを作って地域を元気づけられてきたIさん、それに長いのは花栽培経歴だけで後は俄か農家の私。出会ったらどんな話に花が咲くのか。

もしかしたら、1、2年後にはプレハブ仕立ての南三陸手作りのんびり村のようなものができて、みんなで
建物は粗末だけど、食べるものもみんなでの手作りだけれど、でも作り出すものはすばらしい、というような
モノ作りの場所ができていたらいいなあ。

車で未来予想図というCDを聞きながら、海教室の未来予想図を想い描いてみました。

 

未来予想図” への2件のコメント

  1. いろいろなジャンルの物づくり名人が集まったら今度はどんな「もの」が生まれるのでしょう。「もの」は目に見える物だけではないしね。

  2. 未来予報ではないなあ、、、
    なんだか、気がついたら出来ている気がします。
    東北の力、土地の力ですね。
    私は、微力です(苦笑)

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