野田さんの発言と価値の問題

大飯原発再稼働についての野田首相の言葉にひっかかりました。
「精神論だけではやれぬ」とは?

精神論って何?

どこで誰が精神論だけ語ってる?

私たち海山ネットが3月12日の夜、原発が爆発したのも知らず、言われるがままにバスに乗って
自宅を離れて以来1年3か月も家族ばらばらのままに必死で働いて暮らしをたてているkさんを
心から大切な仲間として一緒に活動しているのは、原発事故の後遺症だよ。

ちっとも先が見えない。Kさんがほんとに安心して故郷へ帰れるのか帰れないのか。「きっと何時か
帰れるよ」なんて無責任な言葉は仮にも言えない現状は、現実の姿なの。精神論ではないの。

この野田さんという人はどういう神経で言葉を選ぶのか。

セシウムの問題だって同じです。

昨年の秋頃だったか、福島の人との接点ができて初めて福島の内情を聞いた時、自分たちがこれまで
聞いてきたこととのあまりの違いに愕然としました。何でこんなに近くにいながら私たちはそんな話を知らないのか。どこで隠されたのか。誰かがウソついてる、隠してるとどこを誰を疑ったらいいのか解からないけど
疑いました。

でも言えないんですよ。他所に向けては。

福島の人たちは真実を語れば語るほど福島に人が来なくなり物も売れなくなり、ということを恐れるからだんだんほんとのことが言えなくなったと思う。
私たちだって同じです。数字ははっきり出しましょう。そのほうがいい、と言われることは正しいと了解しても
自分だけの了解が周りにどういう影響を及ぼすかと考えれば、解からないからマイナスに影響するよりはいいと黙ってしまう。数字がわかったってガレキの受け入れにあれほど必死になって反対する人たちがいるんだもの。

現実に自分の身に起こってない時は言えるの。でも起こったら、周りへの影響を想像したら言えなくなる。
これは精神論ではなくて現実なの。

大飯原発は幸せなことにまだ何も起こってない。

地震、津波が来ても安全を確保できるなんて言ってるけど、あり得ない。だって私たちは疑いの日々の中に
いて全然安全なんて守られてないから。どうなっていくのかさっぱり解からないけど、選択のしようがないから、解からないままに被災してない人たちと同じように普通の日々の暮らしを送っているだけなの。宮城の私たちでさえそうなのに、ましてや福島で未だ希望の見えない日々を送っている人々が安全に守られているか?

ただ動かしたいだけじゃないですか。野田氏が自分の政治生命や進退をかけて不退転の決意で臨む日本の経済と豊かな国民の生活を守るために。

私は原発の再稼働には反対です。原発の問題が身近に来て、いっぱい話を聞いてわかったのだけれど、原発は使うだけ使っても、その始末も何にも解決していないもの。もし何かが起こったら、起こらなくとも原発がそこにあるだけでも大きな地震が起こったら、その被害は想定できないです。電気が足りない場合の被害は想定できるけどね。解決する道は苦しいけれど見つけられると思う。

精神論ではない、原発被害が身近にある生活を現実に送っていると、原発は要らない、あってはいけないと思います。あっちでもこっちでも私たちのように沈黙したい人々が増えたら、それこそ風通しの悪い、将来を生きる子供たちに詫びても詫びきれない世界を作ってしまうことになりますから。

これはやっぱり価値の問題なんだと思うんですよねえ。

 

 

 

野田さんの発言と価値の問題” への1件のコメント

  1. 便利だけど放射能飛散の危険と隣り合わせの生活に価値を見出すか、不便だけど安心な生活に価値を見出すか・・・答えは決まっていると思うのだけど。

    原子力を取り巻く利権は国にとって一番大切なはずの国民の安全よりも重大なこと?国家って一体何なんでしょう。

    楽天的な私でさえ、こんな怖い国にいたくなくなってきたよー。

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