川渡温泉で講習&贅沢な祭りー万葉祭ー

夫がいなくなって手薄なんですが、お彼岸ということもあって作ったお餅はよく売れます。

5時に起きてお餅仕事をして、終わるとすぐに川渡温泉へ。

今日は以前からお申込み頂いていた三本木のパン工房「青い虹」さんの学校時代の方が集まる
恒例の会とのことで、お仲間の方10人に新聞バッグを作って頂くことになっています。

場所は川渡温泉の二宮荘。

これがほんとうに分からないところにあって探すのに苦労しました。小さな川渡の温泉街を探す
こと20分。これはもう「ダメだ」と思って、町の中の東京屋という小さい雑貨屋のようなお店で
聞きました。老婦人が二人出て来られて丁寧に「川がふたつあるから向こうの川。信号左に曲がって
森林組合の裏」と教えてもらって、そのとおりに行ったつもりが、稲刈りの車と鉢合せ。また教えて
もらってその通りに行ったつもりだけど、ギブアップで先に行ったよっちゃんに国道まで迎えに出て
もらってやっと到着しました。川はふたつじゃなかったよ。もっとあったけど、よくこんなに分かりにくい
ところを教えてくれたものだと思います。

これはもう川渡温泉とはいえないね。ほぼ東鳴子温泉との中間。でもうろうろうろうろしたおかげで
200円で深夜まで温泉に入れる藤島旅館しかしらなかった川渡温泉がこんなに広くて奥深く、いろいろ
素敵な場所があるのだと初めて知りました。
前から一度行きたいと思っていた石割桜も見つけました。

やっぱり、迷うもんですねー。いいこといっぱいだけど遅れに遅れました。

今日の講習担当はクロダさん。
クロダさんのインストラクションでみなさんそれぞれに、イギリスのフィナンシャルタイムズで素敵な大
バッグを作成されてました。遠くにお住まいの方もいらっしゃるけれど、みなさん全員東北出身の方
ばかりだとのことでした。

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以前は初めてだから、ということで小のバッグを教えていたのですが、この頃は考えを替えてちょっと骨が折れますが、まず大バッグに挑戦してもらうことにしました。そのほうが物が入るので、作った方も張り合い
が出るようです。

作り終って解散の前に、ここで目玉が・・・。
お仲間の一人が東京から新幹線で運んで来られた韓国太鼓を実演披露してくれました。

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今は日本でも稲の収穫の時。このチャングはやはり豊年の時などに演奏されるそうで、張りのある
音が美しい動きが激しい太鼓でした、初めて見たけど素晴らしい!!!

さっそくよっちゃん奥さんみっちゃんが挑戦。

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みっちゃんは座ってますが、足は踊って両手の動きは違うんだから難しそうー。
この太鼓でみんなで阿波踊りのように踊るんだそうです。

 

いったん帰宅して、クロダさんと孫を乗せて、隣町一迫町の森の中の風の沢ミュージアムで催される「火と土の祭-万葉祭」へ。

風の沢ミュージアムといっても公のミュージアムではなくて、どこかの都会の方が、総面積の半分を森林が
占めるという隣町一迫町の古い農家を購入して、周囲を丁寧に整備されて彫刻の展示などのイベントを
年間を通じて催されているところです。

うちから20分もかからず行けるのですが、なにせ山と田んぼだけあって標識がないところなので、1回は行ったことあるのだけど、場所が全然思い出せない。ついでに「火と土の祭」というのもなんのことだか
わかりません。が、行きたい理由はただひとつ。夕方6時から始まる津軽三味線を三味線好きの孫に
見せたい。

明るいうちに着いたので、久しぶりの風の沢を散策することができました。

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素敵な襖絵。

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ギャラリー。有名な方の作だと思うけどわからない。

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これってトイレの部屋にあるんですよねえ。
陸前高田の松原の松で作られた像。

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野焼きなどが行われるイベント会場へ。

2年前に来た時にはなかった広大な広場が建物の奥の森の中にできてました。
広場の周りにはいくついくつものテントが張られていて、焼きそばだのトン汁だのの出店がたくさん並んで
ます。テーブルもたくさん、椅子もたくさん。都会では考えられない実に贅沢な空間。

この純農村の奥まった場所にしては相当数の人が集まっています。
火が凄い。周り中、松明が赤々と燃されていて、森林が多いからだかなんだかびっくりするほどふんだんに
薪が燃されています。

だんだん私は驚いてきました。凄い規模だよ。これは・・・。よっぽどお金がなきゃできない。

私たちが見るのは七頭舞からです。勉強不足でどこの地方の伝統芸能が解からないのですが、衣装の
舞も美しい。

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次のプログラムは小松豊年獅子踊り。

だんだん暗くなってきましたが、この火の輪の中を一頭の獅子がくぐり抜けます。

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イベント場所をステージに移していよいよ津軽三味線です。
ステージの上には何十枚もの畳が敷いてあります。

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三味線の演奏者は秋田出身、白石在住の小野さんと言う方でした。アンコールもあったし、観客からのプレゼントもあった。プレゼントのビニール袋の中味はじゃがいもとみょうがだった。

次は太鼓演奏。

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この時、原発事故の前は南相馬で太鼓を叩いていたというあやさんがアカリちゃんと一緒に駆けつけて
きました。クロダさんもあやさんも私もいて、いないのはよっちゃん夫婦なのですが、今日はよっちゃんちは
稲刈り。農家にとっては秋の最も大事な仕事なので、よっちゃんのぶんまで拍手喝采。

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次のプログラム、八鹿踊りまで見て私はお餅搗きのため帰宅。

この後、盆踊りと南部神楽があったそうですが、あやさん、アカリちゃん、クロダさん、孫だけ最後まで見物して帰ってきました。

 

感想。
なんと贅沢なお祭りなんでしょうか。驚きました。
来年も必ず見ます。

 

 

 

 

 

 

 

私の場所

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稲田が黄金色に替わりました。ぼつぼつ稲刈りが始まっています。鳴子の山々を望んで・・・・。

 

仕事再開2日目。

きのう行かなかったもう一つのスーパーマーケットにも今日は行きました。

昨日行ったスーパーマーケットの担当者の方には、夫の病状が悪くなってから、これこれの事情で販売用の籠がほったらかしになってますが、しばらく行けません。よろしく、と電話でお願いしておいたのですが、 こっちのほうは電話もせずほっぽらかしたまんま。

 

売り場に毎日空っぽの籠を置きっぱなすというのは、生産者としてはあるまじき態度。             だから連絡しておいたのですが、昨日行ってみたら私のお餅入れの籠には、ちゃんと他の方のお菓子を 申し訳のように、からっぽにはしてないよー、というくらいに入れてありました。有難かった。
私が持って行ったら、その方のを戻して、品物を置きなさい、ということです。

 

でも今日のほうは全然連絡していない。ほんとのほったらかし。                           ないよねー。私の籠はもう片付けてあるよねー。でもせっかく持って来たんだからどうやって置こう、と考えながらお菓子売り場に行くと、盛りだくさんのお菓子の中に空っぽの私のお餅の籠が中に手拭いまできちんと敷いて私の名札付きで置いてありました。

 

ずーっと10日間も混んでるお菓子の中で空っぽの籠を置いておいてくれたんです。

狭い町だから、従業員の方が「あれ、なんで来ないんだろう」と思い、他の従業員に訊いたかもしれない。そして誰かが国道にたくさん出てるうちの通夜、葬式の看板見て「だんなさん、亡くなったみたいよ」と言ってくれたのかもしれない。

私は感動しました。これが都会なら、いや都会じゃなくても都市近郊の小さい町の直売所やスーパーマーケットなら、他の人にとって替わられます。

この町にはそういうことが少ないです。でも10日だから。それもうんともすんともなく黙って休んだのだから、
退けられても当たり前なのに。

我が家の手作りのお餅は毎日米を磨いで、豆を煮て、小豆のあんこを作ってという手作業なので、たくさん
はできません。だから注文を頂いても多量の時はお断りするし、我が家の販売は道の駅の直売所が
本拠地なので、他のところには少ししか出していません。

 

それでもこうして私の場所がちゃんととってありました。
嬉しいことです。

これまで二人で作ってきたお餅の仕事が突然私一人になりました、まあ、夏頃からはオトーサン一人では
苦しいだろうから私がメインになろう、と習い覚えてはきましたが、それでも亡くなる8日前までは夕方は
完全に一人で搗いていました。

相当進んでいると思われるガンも、飲み薬の痛みどめで済むくらいだからと、合間合間にベッドに戻って  休んではまた餅つき現場に戻って全部搗いてました。「えー!、もう搗いちゃったの、というくらい手品の
ように早かった。

いなくなってこうして一人で搗いてみると疲れます。2日作ったら1日休もうかしらと思うくらいだけど、
でも私の場所が用意してあるのだから、やっぱり疲れない程度にはがんばらないとね。

おもちの出荷が終わってから、鳴子の玉子屋さんのところまで、店主のご夫婦とあやさんに会いに行き
ました。
あやさんは通夜も葬儀も大車輪で手伝ってくれたけれども、夫を見舞いに来てくれた時、まさに夫の
命が尽きようとする時だったので、「えらいところに来ちゃった」と大慌てに慌てていたのを覚えています。

玉子屋の武さんと奥さんとあやさんとしゃべっていたら、元気回復してきました。
明日から2連休。別口の注文もあるので、午後いっぱい、一人でお餅を作ります。

 

食事の支度の心配はありません。
今日も貰った!!!

すごいたくさんのアスパラガス。

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そしてみょうが。
そして今年のひよこが育って生んだ卵をたくさんもらいました。
「ぼくは卵から生まれたの?」と凄い質問をする孫の所望で鉄板焼きなど作って全部食べます。

家の周りに今たくさんあるホップ。

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昔、この集落の人たちはホップで一儲けしようとみんなで挑戦したのだけれど、失敗したそうで、その名残
りの花です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お餅屋仕事再開

初七日が終わって、もうお彼岸なのでお餅屋のお仕事今日から再開。

道の駅の直売所に10日ぶりくらいに行くと、「お客様がまってたよー」と従業員から言われました。

毎土曜日にわざわざ仙台から来て「冷凍しとくんだ」と2個入りパックのお餅を4個も5個も

買ってくださるお客様がいます。だから私も週末が近くなると「行かなきゃなあ」と落ち着かなく

なります。

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10日も休んで買ってくださるお客様がいるのかしらと思ってたけど、9時から始めて11時にはほぼ売れ

ちゃいました。やっぱりオトーサンの餡子の味は強いです。

 

オトーサンのガンは前立腺がんの手術から始まって、大腸がんで手術、転移して肝臓がんで手術。

その間にもちっちゃい手術などで、お餅仕事ができないことがあったから、その都度紙に材料目方など書い

てもらって冷蔵庫に貼り付けて私が替わりに作りました。

その材料の量の細かいこと!さすが、元システムエンジニア。後に営業に転じましたが、一緒に働いて

いた人なら、「ああ、彼らしい」と納得するのでしょう。

砂糖343グラム、小豆521グラムなどなど、どうしてもこの1グラムはなんなんだ。豆1粒、砂糖ひとつまみ

になんか意味あるの?なんて面倒くさがり屋の私は思ってしまう。でもそうやって、今お客様から「餡子が

おいしい」と言っていただく夫手作りの餡子ができあがっていったのだと思います。

毎日毎晩3時間くらいかけて翌日の餡子を煮てました。

 

道の駅を終わってもうひとつの出荷場所のスーパーマーケットに行ったら、少ししか出していないのに

従業員の方からお客様が「待っていたよー」 と。
もう一人の男性従業員が「あの餡子は美味しい。おれ、餡子フェチなんですよ」と言ってくれました。

 

もともとはコンピューター会社の社員です。退職してお餅を作って餡子を作って直売所で販売して

お客様から「おいしいよ」と言ってもらえるなんて本当に幸せなこと。

 

しかし、本日は苦労しました。

午前中用事で外出して、3時頃に帰り、家の前の直売所に明日のお餅のための餅米を買いに行ったら

閉まってました。あわてていつもお米をお願いしている農家さんに電話をしたら、稲刈りの最中とかで

ダメ。思いつく限りのお米のあるところに全部電話をかけてみたけど、9月の終わりのこの時期に昨年

刈り取ったお米が残っているということはほぼありません。

万事休す、明日はお餅は作れない、と諦めかけたところに、農家さんから電話が入って残りのお米5袋

を用意してくださるとのこと。大急ぎでとりに行きました。

 

この辺りの女性はみなさん、ほんとに力持ちで、30㎏入りのお米の袋をみな持ち運ぶんですよねえ。

私の力では押しても引いてもびくともしない。

ちょうど居合わせた黒田さんと二人、家の前の直売所のコイン精米所まで運んだはいいけど、

お米の入れ場所は間違うわ、なかなか動かせないわで二人で四苦八苦したあげく、めでたく精米して

持ち帰りお米を洗いました。

オトーサンがいないから、えらい大変!

でも明日もがんばります。

 

畠に敬老会用の花を切りに行ったら、まだ枯れないで背丈を伸ばして咲いてました。

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たくさん切って、誰もいない由美ちゃんちの勝手口の前に置いてきた。

 

 

 

 

 

 

なぜなぜ問答

これも忘れないように書いておこう。

亡くなった夫がよく言っていた言葉があります。

「なぜなぜ問答をしたほうがいいよ。そしたらホントの答えが出て来る」

夫がそう言うのは、物事が自分が思ったように進んでいなくて、「なんでこうなっちゃうのー」と

愚痴る時。考えるんだけど答えが出ない時。物事の経過を分析しきれなくて、うまくいかなかった

原因を自分以外のせいにしようとしている時。

そんな時に「なぜだー?」「なぜだー?」を積み重ねて繰り返せ。そした理由が探せる、と言って

ました。理由が探せたら冷静に動けるって。

現実に、私が夫に誰かのことを愚痴って「何故そう思うんだ?」

「あの人のその行動が嫌だったから」と答えて「なぜその行動が嫌なんだ」と訊かれ続けていったら

頭に来て「もういい!もう言わないッ」と怒っっちゃうのが常なんですが、夫は上司の方からいつも

「なぜだー、なぜだー」と言われ続けていたのだそうです。

 

この話を書いていたら、今郵便屋さんがきて、当の上司の方からのお手紙を運んできてくれました。

本当に偶然です。普通はお年賀状の行き来しかありません。会社の何方かがご連絡してくださった

のだと思います。

お手紙にはこう書いてありました。

 

IBM・JSC時代、特約店新事業が無事スタートできましたのは、彼の企画力、努力の賜物と思っています。

彼には感謝しています。と・・・。

 

夫が亡くなって寂しいでしょうと、よく言われますが正直あんまりよくわからない。

周りに人の出入りが多いのと、自分の友人たちが連れ添った伴侶を失くしても雄々しく生きているのを

見ているし、何より宮城という震災被害の大きい土地に住んで、南三陸、石巻、女川と大きな被害を

受けた方々と常々の交流がある日常では、自分の寂しい悲しいは我慢できる範囲だと思う感情

があります。

 

でも思いがけずこういうお手紙が舞い込んでくると、しみじみと、「よかったねえ、オトーサン、山田

さんが誉めてくださっているよ」とほんとうに嬉しい。

 

山田さま、お教えいただいた「なぜなぜ」は、夫から受け継いで私が問答してまいります。

長年のご親切心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人として忘れてはいけないことー初七日にー

先週終わった夫の葬儀では、いえ、葬儀だけではなくて夫の死の前後に起ったさまざまな事柄には

人として忘れてはいけないことがたくさん詰まっていたように思います。

人が死ぬという生の終わりの凝縮された時間だから、磨ぎ澄まされたようにその人の生きた証がその短い

時間に滲み出てくるのかもしれません。

 

もう今日は初七日です。

72歳の私のボケかけた頭では、ここ10日ほどの間に起った、私が「人として忘れてはいけない」と思う

大切なことをあっという間に忘れそう。

ここでオトーサンが生きているなら、いつものように、「今度のお葬式でさァ、私思ったんだけど」と夫の記憶

装置と分析力を利用させてもらうんですが、いかんせん居ないもので、自分なりの努力をして忘れないよう

にしておこうと思います。

 

このブログは海の手山の手の私のつぶやきでもあるけれど、都会で生まれて都会でしか暮らしたことのな

い都市型人間の夫婦が、退職後の人生を、まったく見ず知らずの東北の田舎に移住して、どう生きて

どう終わろうとしているかが行間に詰まった記録のようなものでもあります。そしてその都会からきた田舎で

の暮らし方を全く知らない私たちを、集落の人たちがどのように受け止めてくれたか。

 

今書かなかったら忘れそう。

 

今日は初七日でした。

お盆に御参りするお墓にも家の中の仏壇にも全く縁なく育った私は、初七日とか法事とかには参列した

ことがなく、今日の夫の初七日も何をするのか、どういう意味があるのかわからない。

 

夫が亡くなっていく間も亡くなってからも、常に我が家に気を回してくれている近所の由美ちゃんが、

朝早く「仕事が入っちゃったよー」と駆け込んできました。由美ちゃんは10何頭の牛を飼っていて、広く

米も作っていて、トマトも作る専業農家の奥さんでいながらヘルパーさんです。

夕べからいろんな準備をしてくれていたらしく、重箱その他に御馳走を詰め込んできました。うちには

ないたくさんの座布団も持ってきた。

これが由美ちゃんが朝作った法事用の御馳走です。おいしそー!!

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ご飯はきのう拾った栗で炊いた初もの栗ごはん。

「えー、うちまだ落ちてないよ」と言ったら、由美ちゃんちのは彼岸になる栗なんだそう。
へー、そんなのあるんだ。

お約束の時間は9時ですが、その15分も前に、由美ちゃんちの近くにある真昌寺の和尚様が、自分で車を

運転してみえました。

みんなが揃うまでにちょっと時間があるので、和尚様のお話しを訊きました。

「ガンを患った私の友達が40代の半ばに仏門に入り尼さんになったのですが、修行が大変だったというのです。お坊様の修業とはどんなことをなさるのですか」という私の質問に対して

「ご飯を作って食べて片付けて掃除をしてご飯を作って食べて掃除をする普通の生活が修行です」

300人分の食事を1週間作り続けることもあるけれど、その生活をしていて解かってくることがあります。
病は口から。口から出るものは災い。

「病は気から、ではないんですか?」

「病は口から。口から入るもので病になる。良薬は口に苦しというでしょう。気はひとつの要素です」

ちなみに和尚様は曹洞州のお寺のお住職で作法は禅宗、とうかがいました。

以前に私の両親が二人一緒に亡くなって和尚様に送っていただいた時にも、「50年間に初めてみたいなできごとだ」と仰って、集落のやり方を押し付けず、「どうしたいか、やりたい形をいいなさい」と何度も訊ねて
くださいました。今度も同じでやりたい形でいいのだからと、ここの集落では火葬が先なのですが、告別式
の後に火葬という私たちのやり方を集落の皆さんに説明してくださいました。

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畳のない洋風の家に座布団や応接台を持ち込んできての初七日です。DSCF1076

たまたま今日が休みだったということで、参列してくれた道の駅のオープン当時からのお友達。
鳴子の奥の中山平でブルーベリー園をなさっているお母さんが、この辺りの女性たちがそれぞれの家の味
で作る「紫蘇巻」と作ってくれました。

夜に電話をしてきてもらったすぐ上の別荘地の仲間であるNさん。最初の頃は時に話をする程度だったの
ですが、今ではみんなご近所が大事になって、参加してくれています。

背中を見せている千葉君は、南三陸戸倉まで夫と一緒に最後の釣りをした時には、二人で車に乗って
ほぼ1日二人で話をして、つききり付いて夫の釣りの世話をしてくれました。釣れたのはたった1匹だったけど、夫は以前のように自分でさばいて、自分で煮つけてきれいに食べてしまいました。千葉君が1日中、
ほんとに真剣に真剣に夫の体調に気配りしていた様子を私は忘れないと思います。

 

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こんなふうな初七日でしたが、夫はとても嬉しいと思う。

 

東京にいたらたぶん、こんなお葬式はしなかったし初七日もお葬式と一緒に済ませたり、という形を

とったと思います。でもここにいたから思いもかけず、普段の日々を一緒に過ごすみんなと一緒に

初七日を終わらせることができました。

 

私が楽しいというのもなんだけど、49日は子供たちも帰ってくるというから、夫が喜ぶような楽しい

49日にしようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六次産業化の仕事

台風一過で、今朝から真っ青な空が広がっています。

当地に台風が来るまでの雨や風が強かったので、どれほど木や花が倒れることかと覚悟していましたが

背の高い鶏頭とやたらに枝が伸びたスモークツリーが折れたくらいで終わりました。でもあちこちでたくさん

の犠牲が出て心痛みます。

 

葬儀の時のことを少し書きたいと思います。

私が住む集落に新栄建設という建設会社を営む三浦さんという社長がおられます。

この地に移住してきた12年前、毎年正月2日に集落の集会所で行われる新年会に家族全員お招き

頂き、部落の皆様に紹介してくださったのが最初の出会いです。

その時みえていた集落の方々から「よーくこんな田舎に来てくれましたね」と言っていただいたことが

鮮やかに記憶に残っています。

 

3年ほど経って、福岡に住んでいた私の父親と母親が私を頼って宮城に来ることになり、敷地の一部

を削って両親が住む離れを建てました。その時に山が崩れるようなことがあってはいけないからと、

法面工事をお願いし、それはそれは丁寧なお仕事をやって頂きました。

 

当地では12月の終わり頃から雪が降ります。だいたい20センチくらい。車で出入りするにはさほど

困ることはないのですが、時々それ以上降ることがあって、そんな時には別荘地の少ない住民で

力を合わせて雪かきをしていたのですが、みんな歳をとって自力雪かきができなくなってきました。

その頃から市の仕事で県道の除雪をなさっている三浦社長が、仕事の合間に別荘地の私道にまで

上がってきて除雪をしてくださるようになりました。

 

3年くらい前には、いよいよ除雪が苦しくなって、「ここにはもう住めないんじゃないかなあ」と思っている

ところに、市のほうから15センチ以上の積雪の場合には除雪車が入ります、と三浦社長からお話しが

ありました。

せっかく住んでくれたのだから、住み続けられるようにと三浦社長自ら、そして当時の区長さんが

市のほうに陳情してくださっていたのだそうです。

三浦社長や区長さんや近隣の方々の助力があって初めて、私たちのような都会の人間がここで

不安もなく暮らさせてもらっているのだ、と常に感謝しています。

 

亡くなった夫は三浦さんのことが好きで、何かあるとお話しをしに行ってました。個人としての自分よりも

社会人としての自分を優先させたい夫は、ここで何をすれば集落がよくなるのかなど、三浦さんとお話し

するのが楽しかったのだと思います。

 

葬儀の前日、三浦社長から実は「葬送の言葉を読みます」ということで、お話しする時間がありました。

その時に知ったのですが、なんと三浦氏は昨年秋に仙台メトロポリタンホテルで行われた仙台銀行

ビジネスクラブの講演会に仙台銀行のお客様として来られていたとのこと。

仙台銀行さんからは新聞バッグをたくさんご注文頂いて、そのうえ、ホールの入り口前にはここぞ

とばかり、たくさんの新聞バッグを展示した中で、ウロチョロする私を見かけられて、こういうことに

関係していたのかと大変驚かれたとのことでした。

 

「葬送の言葉」の中には私とともに海の手山の手ネットワークの最大の理解者であった夫のことが

入っていて、「俺は見ているだけで何もしていないのに」とこそばゆかったと思います。でも夫が1日も

休まず続けたお餅を作る仕事を「ここではなかった六次産業化としての仕事」と仰って頂いたことは

「値段が安いお米をできるだけ買って、加工、販売を工夫しなければお米は売れない」と言っていた

夫の言葉と一致して、大変光栄に嬉しく思いました。ありがとうございました。

 

もう明日は初七日です。早いものです。

穏やかな明るい陽射しの中にいて、「痛い?」「苦しい?」とドキドキしていた日が嘘のようです。

オトーサンのために買う食材はないけれど、お花をたくさん買いに行ってきます。

 

 

 

 

 

9月ー旅立ちの時ー

9月半ばも間近。田んぼが黄金色になりかかっています。

稲刈りにはまだちょっと早いみたいだけれど、昨日は刈取りが終わった田をひとつ見ました。

 

5年前の9月の初めに母が入院して僅か3週間で命尽き、翌朝には隣の部屋で入院中だった

父が母の後を追うように旅立ちました。

翌年の9月、都会での暮らしを逃れて連れてきた黒ラブラドールのセツが15歳近くまで生きて

穏やかに亡くなり、しばらくして妹分の黒ラブラドールの春チャンが、赤とんぼが群れ飛ぶ中

14歳を前にして亡くなりました。

 

そして私の夫も、9月2日に入院して、12日の午後、あッという間もなく旅立ってしまいました。

1番超スピード。驚いてしまいます。

8月31日の朝までは、病気前ほどの勢いはないとはいえ、必ず朝6時半に起きてあん餅の

あんこ玉を丸めていました。朝の一仕事を終えた後はベッドに横になってテレビを見、I-Padで文章を綴り、

午後も半ばを過ぎると翌日の餅用の米を磨ぎ、餡子を煮始まるという日々の仕事をしてました。

 

夕方夫所望の長崎皿うどんを作って食べかけた途中で「気持ちが悪くなった」と箸を置き、その夜は

「お腹が張る」と寝づらいようでしたが、翌土曜日には小康状態。もう1日我慢して定期診察日に当たる

月曜日に入院して、点滴、投薬等の治療をして頂きました。亡くなる前日の午前中くらいまでは体は

動かなくても意志的で、あれこれ注文をする夫に先生方も看護師さん方も大変よくしてくださり、

感謝しています。

 

今、膨らんだ薬袋などを整理しながら、ほんとうに何でもかでも自分のことは自分で面倒みた人なんだな、

と感心します。市の検診で見つかった前立腺ガンから始まって大腸ガン、転移して肝ガン、1年半置きくらい

の再発という4年ほどのガンとの闘病でしたが、「ガン細胞も正常細胞も自分の細胞。どっちが勝つか負け

るかの問題なんだ」と言い、嘆く言葉も悔やむ言葉も全く言いませんでした。

いつも淡々としてお餅の仕事を休まず続け、孫が4歳になるまでは孫の成長と合わせて常に一緒にいて

遊び相手を務め、5歳になった今アウトドアが苦手な夫は役目を終えました。

 

昨夜は自室の自分のベッドから「ジーチャンにやってもらいなさい」と叫んだ私に、孫が諭すような顔をして

「ジーチャンは今天国で座ってるんだよ」と。

ジーチャンの小さいお財布に数枚の硬貨を見つけた孫に「ジーチャンのお金だから訊きなさい」と言ったら

写真の前で暫らく黙考した後振り返って「ジーチャンはもう死んじゃったから要らないと言ってるよ」と、

ちゃっかりお財布ごともらいました。

 

そーなんだよね。孫に何度も念を押されてます。慣れねば慣れねば。

 

これから夫の闘病のことも少しづつ書いて行こうと思います。

お餅の仕事は来週までまでできそうにないけど、海山ネットの仕事は動いているので少しづつでも

始めます。

 

夫が亡くなっても涙は出ませんでしたが、葬儀場に南三陸からけいこさんや沙織ちゃんやしんこさんが

来てくれているのにはほんとに驚きました。2時間もかかるのに。びっくりして初めて泣けてきた。                                                                           海山の仲間や四万十ドラマの畦地さんからもお悔みを頂いて、初めて仏具を揃えました。

そして大津の㈱ウルズの角川社長からはたくさんのお花を届けて頂き、東京の版画家の岡澤さん、

夫の元の職場である日本IBMの方にもお手紙を頂き、心から感謝をしております。

ありがとうございました。

 

台風が近づいて、庭の立ち木がざわめいています。被害が少ないことを祈ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

エコクラフト

今日は用事があって仙台まで新幹線に乗りました。

古川から仙台まで15分。ひと駅だからちょっとだけ端っこの席に座ったら前の壁に

・・・・・独自のモノづくりの技術と・・・・真摯なお客様への対応で・・・・・・

「資源」から「価値あるモノ」を生み出す企業を目指します。

DENKA 電気化学工業、と書いたポスターが貼ってありました。

ちょっと、ちょっと。

このポスターは企業さんだけど、言ってることは海山と同じじゃないですか。

企業と海山ネットを同列に並べるのは気がひけるのですが・・・。

捨てられる新聞「資源」に糊と折り紙手仕事をプラスして「ラーメンいっぱい食べられる」価値に変える

というのが「素晴らしい!」と言ったのは夫ですが、大企業と海山のようにちっぽけな任意団体が

目指していることの中味が一緒というのが凄くないですか。

 

道の駅で販売するようになった新聞バッグがよく売れてます。

ドイツ語の新聞バッグはもうなくなりました。英字新聞バッグも残りすくない。

これからこの2年半、新聞紙をにらんであーでもないこーでもないと折り方の工夫をしてきた折り手の

インストラクターがオリジナルバッグも作って出します。

USED新聞紙に糊と人の手の技が加えられてエコクラフトに変身。

東北旅行であ・ら・伊達な道の駅に来られることがあったら、是非新聞バッグコーナーにお越しください。

素敵な新聞バッグを作ってお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

 

女3人東京駅ミーティング

お餅の出荷を黒田さんに頼み、雨がバシャバシャ降る中を新幹線古川駅へ。
しかしまあ、なんて雨なんでしょう。駅舎の屋根を打つ音で携帯電話の相手の声が聞き取れない
ほどの雨です。

おまけに地震もあったみたいで、東京駅に着いたら何かの事態を告げる放送が何度もあっていた
けど、聞き取れないのでさほど気にしませんでした。後で聞いたら地震だって。

台風、とんでもない大雨、洪水、竜巻、地震。日本列島、大変なことになってます。

夫の入院でゆっくりしている時間もないので、たまたま大津のウルズの角川社長が東京に
出張なさるという日に合わせて、版画家の岡澤さんと3人で東京でミーテイングをすることになり
ました。

雨も降っていることだし、終わればすぐに帰るのでミーティング場所は大丸デパートの喫茶店。

先日の東北新聞バッグプロジェクトの内容を説明し、来年春の新聞バッグコンクールには
是非参加していただくようにお願いしました。

大津の角川社長と東京が仕事の本拠地である岡澤さんには是非お友達になってほしい。
ということでこれからはお二人は連絡をとりあって、海山ネットの応援団になってくださると
思います。今までは一人一人だったけど、二人一緒ですからもっと心強い。

岡澤さんはこれからご自分の版画とある作家の詩を合わせて、詩画集を作る仕事を進められる
とのこと。出版が楽しみです。

 

1時に着いて4時半の新幹線に乗って戻り、病院に寄って帰ってきました。
慌ただしかったけど、楽しい、貴重な3時間でした。ほんとに会えてよかった。

またいつか東京駅ミーティングやります。

そうだ、私だって、私だって。よっちゃんが本のことをブログで書いていたので私も真似して・・・。

久しぶりに新幹線の中で週刊誌読んだけど、「稲盛哲学」を辿る、という読み物が面白かった。
京セラ名誉会長の稲森和夫氏のインタビュー記事。稲森氏の言葉はほんとに納得できたし、
心が洗われました。

この記事読んで、「稲盛ライブラリー」に行きたくなりました。9月4日発売の稲森和夫著『燃える闘魂』
を買って読みます。読んだらよっちゃんに貸してあげよう。

そしてもうひとつ読んだのは、アメリカ探偵作家クラブ最優秀長編受賞作、ロス・トーマスの『女刑事の死』
古いけど、まだ途中だけど面白い!

 

 

 

 

 

東北新聞バッグプロジェクト2013in大崎

この頃私はお餅屋として「ずんだ餡」に凝っています。ずんだ餡とは枝豆を茹でて豆の薄皮を剥いて、
粒が残るくらいに潰して砂糖、塩を入れて作る枝豆の餡子。その餡子をまぶしつけたのが「ずんだ餅」。
西の地方では見たことがないですが、東北地方、特に山形、宮城では昔からある大人気のずんだ。
このお餅を作ってみたいのですが、ずんだはその性質上、短時間で酸化し、色変わりがします。
添加物なしで、このずんだを色よく保つにはどうするかが、目下のところの私の課題なんですが、

昨日の会議の後の四万十チームとの夜の懇親会でこの難問を持ち出してみました。

すると返ってきたのは、お餅にずんだをまぶすのではなくて、普段私が作っているあんころ餅の中味
にずんだを入れる。そうすると中に入っていて色が変わらないんじゃないか?と。

ウッソー、変わるんじゃない?と疑いながらも、今朝は枝豆あんころ餅を作ってみました。

梅原さんが仰るようにパカッとお餅を半分に割ったら緑餡子のヤツを。
そして今朝も9時半から始まった会議に届けました。
そしたら「おいしー!」と言われたんだけどホントかね。半信半疑です。

さて東北新聞バッグプロジェクトの第2弾in大崎。                                     昨日の会議には出られず、説明をうけました。そして今日の会議も昨日に引き続き濃密で、四万十チームのシャープな頭脳に導かれるように海山ネットでも自分たちの思うところを発言して、少しづつ形になってゆきます。

せっかくのプロジェクト。いい形にしてゆきたいと思います。

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ほんとうにたかだか新聞バッグ。横から見ても縦から見ても貰ったused新聞紙で作ったバッグ
なのですが、やはりとても魅力的です。

道の駅に展示した新聞バッグ。

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関係ないけどついでの写真。
白い茄子。私も初めて見てびっくりしました。
まだ食べてないので味の方はわかりません。

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