嵐のような2日間  1日目(見えないー迷いの日)

新聞バッグプロジェクト第2弾2013の会議の2回目。

東北新聞バッグプロジェクト第2弾2013の第1回目の会議会場は陸前高田、気仙沼だったので、     2回目の今回は大崎で会議ということに決まってます。

早朝に出て遥々高知県四万十からお出で頂いたのは、いつも通り四万十ドラマの畦地社長、そして
デザイナーの梅原真先生他5名。こちらからは海山メンバーが揃って出席しました。

論ずるのは、前回から引き続いて、今回のプロジェクトの目的である、「ジモトツツムシゴト」をテーマ
とする「東北新聞バッグコンクール開催について」

もうひとつはこれまでは四万十だけで行なっていた新聞バッグインストラクターの「養成講座を東北
で開くことについて」

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その前に、

よっちゃんは埼玉県日高市のたねの森さんイベント(東北応援も含まれます)から帰ってフラフラの様子。
初めて埼玉でワークショップを開くことになり、南三陸のさおちゃんに来てもらうことになりました。そのため、
南三陸周りの埼玉行きで、片道9時間。さすがのよっちゃんも音を上げる遠さだったと思います。

でもそこで行われたことは、言葉にできないほど尊い紙英三郎さんを中心とする仲間の方々の東北応援の姿でした。「一生忘れられるものではない、ご恩の返しようもないほどの東北を応援してくださる皆さんのお心尽くしだった」とよっちゃんは言ってました。

たねの森さま、みなさま、雨の降る中を、本当に本当にありがとうございました。

 

まず、「東北新聞バッグコンクール」をどこで開催するかについて。
これまで新聞バッグコンクールは毎年四万十で行なわれていたのですが、大震災を機に四万十から
バッグの作り方を教えていただいて、東北でも作れるようになりました。作り始めて3年経つ今、東北でも
新聞バッグコンクールをやろうじゃないか、というプロジェクトです。

でも、うーん。正直なところやりたくない。

私たちが新聞バッグを作っているのは、趣味で作るのではなく、製作費は折り手さんたちの生活費の足し
になり、お客様からたくさん買って頂いてたくさん折って技術を上げ、完成度の高いクラフトとしての新聞
バッグを作りたい。大量生産大量消費ではない、人の手による産業をもう一度取り戻したいという目標が  あります。そして、その新聞バッグには自分たちが自身で作った生産物を入れて販売したい。

と思っています。新聞バッグの出来栄えやアイデアを競うのも楽しいことかもしれませんが、私たちは   モノを作る企業、モノを作らない企業に関わらず協賛してもらって、秋刀魚を入れる新聞バッグ、米を入れる新聞バッグ、わかめを入れる新聞バッグなど、生産物を入れる新聞バッグを作って商談まで繋げられるようなコンクールを開催したい。

わがままを省みず、前回そうお話ししてみたら、梅原先生が「やりたい形でやっていい」とゴーサインを
出してくださったのです。
あの時から、どんな企業にお話ししたらいいのか、と頭がいっぱいでした。

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秋刀魚を入れる新聞バッグ。英字では映えないので、日本語の新聞で作りなおすことになりました。
でもこの新聞バッグに入った秋刀魚を思い浮かべるだけで、ユーモラスでしょう!

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あやさんが作った、これは何を入れる新聞バッグなんだろう。興味津々です。
みんながどんな想像力で作ってくるのか。                                         ほんとにびっくりするような」新聞バッグが出てきたりするので楽しみです。

 

で、この東北新聞バッグコンクールをどこでやるのか。

これが最初の難問。
四万十チームの方々はどこでもいいよ、と言ってくださるのですが、東北以外の土地の名が出て来ると、
うーん、と立ち止まってしまうのが海山チーム。じゃあ、東北で?と問われてもうーん・・・。
胸の奥底ではいろんな思いがあるのですが、整理しきれないで場所も決められない、というのが本音
のところ。

じゃあ、東京か? 六本木?
六本木?、というあたりで、ポーンと何かが弾けました。

じゃあ、六本木もすっ飛ばして、外国?アメリカ?ロスか、ニューヨークか?

 

ニューヨーク!!

いいんじゃないですか。
新聞バッグコンクールだもの。お客様にたくさん来て頂いて楽しんで頂くためには楽しくやりたい。
でも大震災後のこの3年、ほとんどなーんにも変わっていない東北の現状に気持ちが戻ると楽しく
やりたいとは思うけど、はしゃげないです。

でもアメリカなら、そんだけ遠くに行っちゃったら思いっきり楽しいコンクールやって、もし成功だったら、
喜び勇んで「成功したよー!」って、張り切って東北に戻ってきたい。いいこと持って帰りたい。

四万十の川を汚さないエコの心から始まった新聞バッグ。大震災を機に新聞バッグは東北にきて、東北
では残った手を活かす手仕事としての役割を担う新聞バッグになりました。
そして今、四万十と東北と手を繋いで、梅原先生が仰るように「日本人の美意識」「日本人の手仕事」を
世界の人に見て貰えるコンクールを開けるならばこんな嬉しいことはない。

そんな思いで、みんなそろって「アメリカに行こう!!!」
で今日の会議は締めくくられました。 次、どうなっていくんだろう。

 

夜はほっかぶりの面々も加わっての恒例懇親会。
肉離れで整骨院通院中のあかりちゃんもお母さんと一緒に参加。せっかく料理屋に来ているのに「お握り」食べてる。

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そしてまたもや偶然去年と同じで今日はよっちゃんの誕生日。2年連続で四万十チーム、海山チームから
「おめでとう!!」
41歳になりました。

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明日は朝から会議続行です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がんの話

新聞をゆっくり読むという時間はあまりないのだけれど、読まない新聞でも開いて新聞バッグに良い、と思う
紙面を選ぶ作業は必ずします。

その時にパラパラと気を引かれる記事は読みますが、今日は下の広告にえーッと思わず見直す本の広告
があった。

「抗がん剤のやめどき」というのですけど、副題に「あなたの治療は延命ですか。縮命ですか」と書いて
ある。あなたの治療というからには抗がん剤のことでしょう。

こんなのどんな人が読むんだろうか。
思いがけずがんを患って、一生懸命の思いで、呑んでも注射で入れても気持ちの悪い、身体に大きな
打撃を与える抗がん剤治療をしてもらっている人達が読んで、自分が受けてる治療が延命になっている
んだろうか、もしかして縮命になっているんだろうか、と自分の治療を見直すために読む本?

だとしたら、ずいぶん乱暴な酷な題名の付け方じゃない?

実際抗がん剤治療の現場に行ってみれば、いくつもあるベッドの空きがないくらいたくさんの患者さん
たちが入れ替わり立ち替わり抗がん剤治療を受けています。ほんとに抗がん剤の患者さんは多い。
ということはそれだけがんに罹っている人が多いということでもありますが。

こないだ亡くなったうちの夫も、最後までもうちょっと体重が増えれば抗がん剤が受けられると
楽しみにじゃないものの、抗がん剤を受けることに希望をつないでいました。
抗がん剤で治るなんてまったく思っていない。抗がん剤が肝細胞に効かないということも承知している。  でも抗がん剤によって抑えられる細胞があれば、その分でも長く生きられる、と思っていたのかも
しれません。

私たち家族はあまり賛成ではなかった。抗がん剤を受けると副作用が出るからです。
髪の毛は抜けないけれど、口内炎、味覚障害、倦怠感、免疫力が下がる、などいろいろ出ます。本人もしんどいでしょうが、見ている家族もつらい。でも本人がそうしたいならフォローするしかない、と思い決めて
いました。

亡くなる3か月ほど前に黄疸が出て、その処置を受けました。内視鏡手術だったので、その予後のために
抗がん剤治療を受けられない期間があり、その間に少し体重が増えました。夫は喜んでもう少ししたら
抗がん剤を受けられるなあ、と言っていたのですが、先生からもう少し待ちましょう。もうちょっと体力    をつけましょう、と止められた。

それから2週間もしないで亡くなってしまったわけですが、この期間のどこで「やめ時」なんて見極められる
のか、と思います。ただでも死ぬことは怖いのに。

「延命ですか、縮命ですか」なんてまったく他人ごとの言葉。
以前夫に、本屋の店頭に積んであった「余命3年のうそ」という本を買ってきて、「読んでみる」と見せたら
「そういうものを書いて金を儲けるという神経がいやだ」と目もくれなかった。

私は若い頃からがんの闘病記の類の本はたくさん読みました。なんでかわからないけど、興味深かった。

でも実際に、友達が大腸がんになり、ご主人が大腸がんからの肺転移で亡くなり、別の友達のご主人は
肺がんで亡くなり、夫の父親は胃がん、私の父は膀胱がん、母はずーとなんともなく91歳まで生きて
死ぬ20日前に肺、肝臓、胃ががんであるとわかりましたが、自分の夫ががんになってから全然何にも
読んでません。がんは千差万別。読んだって何もわからない。

 

私の夫は二人同時に91歳でなくなった私の両親の、父のほうの介護を引き受けてくれました。ご飯を
作っておむつを替えて付き添って、それは細かく気を配って気難しい父の世話をしてくれました。
私はがんにはならないけど(ほんとはなってた)、骨折を繰り返す母担当で母の世話をしてました。

二人が12時間違いで亡くなった、その翌月に夫の前立腺がんが判明しました。
手術を受けて前立腺がんは再発はなかったのですが、1年半ほどして、大腸ガン。手術をしてまた
1年半ほどで肝転移。手術をしてまた1年半くらいで再発という経過でした。

これだけたくさんのガンの本。
誰だって生きたいもの。

あなたの治療は延命ですか、縮命ですか、なんて、そんなのわかんないですよ。本読んだって
決められないです。
その時の患者の状態に合わせて、先生とよく相談をしながら、抗がん剤を受ける受けないを決める
というのが、延命にしろ縮命にしろ、安心できる治療だと思うのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がんばれーッ、がんばれーッ!

あーッ、また忘れちゃった。

せっかく用意しといたのに。忘れると思って最初から用意して、わざわざ別に置いといたのに。

お餅を搗き終わって、「あー、やっと終わった!」とホッとしたところで、目の前に準備しておいた塩が・・・。

うちのお餅は搗きたて柔らか餅なので、すぐにお客様が車の中で食べられるようにと味付きなのです。

豆入りは塩味。ごまは砂糖味。

ということでお客様には知って頂いているのに、入れ忘れたよ、塩を。

どーしよう!!

お米だからね。お餅だから捨てるわけにはゆきません。どーしよう、と悩みに悩んで先日は紙に「塩が

入っていません。よって塩なし値段で」と書き出して、少しお安く販売しました。

オトーサンはこんなことなかったんです。私がやるからこんなことがあるんです。

オトーサンがいる時には船頭が二人で、ちょっとしたことでぶつかってはお互い「黙れ、黙れ」と怒鳴り

合ったりしてましたが、こうして一人でお餅を作るようになってみれば、船頭が一人でスイスイスイと

うまくいくみたいなもんですが、実際は緊張し過ぎて準備し過ぎて何をどこに置いたかわからなく

なったりする。

搗き終わってそこに忽然と塩入お皿が残っているのを見た時には、ほんとに自分の頭を呪いたくなります。

 

今日も致し方なく、無塩お餅の注釈入りでお餅を販売することにしました。                                                                                         枝豆入りではなくて黒豆入りです。

と、寄ってきたお客様の旦那さまのほうが、「オレ、黒豆がいい」

 

ええー、よりによって黒豆?

「あのー、 この黒豆塩入ってないんですけど」(歯切れが悪い)

「いいよ、いいよ、醤油つけて食べるから」

と、奥様が「あ、ここのお餅は味がついてるんだよね」

 

「あのー、味ないの。忘れちゃいました。塩入れるの」

「えッ、忘れたの!」

お客様ご夫婦のびっくりした顔。 恥ずかしい。穴があったら入りたい。

「あのー、夫と二人でやってたんですけど、この間亡くなったので一人で続けてますけど、忘れる、忘れる

なんでも忘れるんです。すみません」

 

「いいよー、いいよー。塩なんかいいよ。続けてね。がんばってね。」とだんな様。

と奥様さまが

「いつもお客さんが待ってるもんね。がんばれーッ、がんばれーッ、フレーッ、フレーッ」

 

はあーーッ、肝が縮んだけど、励まして頂いて涙でそう。 ありがたいです。

塩なしお餅はすぐに売り切れになってしまいました。

お客様、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

みんな大変!

3、4日前からくしゃみの連発、鼻むずむず。
顔の真ん中あたりが気持ちが悪ーい。なんでだろう、と思っていたら娘から「それは花粉症だよ」との指摘。

えーッ、秋にも花粉症ってなるの。何の花粉ですかね。ブタ草?

70年生きて花粉症になるのは初めてです。家中で花粉症、花粉症と病院に行ったり、マスクかけたり
帽子被ったり、窓を開けるのも嫌うのを「大変だねえ」と、夫と私二人だけどこ吹く風と見てたのが、
夫が亡くなったかと思うとなっちゃった。

なってみると花粉症というのは気持ち悪いもんです。初めて花粉症の人の気持ちがわかった。

ついでに5歳の孫が突然喘息発作を起こした。連日点滴したりたくさんお薬飲んだり、外でも遊べず
かわいそうですが、喘息という病気が何の前触れもなく突如として起こるとはびっくりしました。
なり始めが大事だから、今は大事をとっておとなしくおとなしく。
花粉症ももしかすると喘息も環境が変わったり、疲れて体が弱ったりする時になり易いのよ、と聞きました
が、まあー、疲れているのかもしれません。

 

疲れているといえば海山ネットはみんな今は大変です。

よっちゃんはここんとこ全然お休みなくぶっ続けで動いてます。3日間連続で仙台の勾当台公園で
販売。今朝は頭が痛いと言ってましたが、今日の夜から夜討ち朝駆けで埼玉のたねの森さんの
お祭りに参加させていただくことになっています。今頃眠い目を無理やり見張って東北自動車道を
ひた走っていることでしょう。気を付けてね。

とんぼ帰りで帰ってくるとすぐに2日連続で新聞バッグプロジェクト2013の会議です。

黒田さんは今から11月の終わり近くまでのほぼ2か月間、パソコンの上級者のお勉強に行きはじめ
ました。毎日朝9時から4時まで講義を受けて、戻って新聞バッグの検品などすることになりますが
いかになんでも大変なので、今日はあやさんとアカリちゃんと私で、検品、箱詰め、発送。

 

今日の空は薄い空色でとてもきれいです。

よっちゃんちによっちゃんなんばんを取りに行って、ついでによっちゃんちがある谷をぐるーっと回って
帰りました。稲刈りが終わって広々とした暖かい農村風景。

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墓地がありました。彼岸花が咲いてました。
明るいお墓ですねえー。怖くないお墓。

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梅農場のソーイチさんからお父さんにとソーイチさん大自慢の枝豆「三代目」を頂きました。

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由実さんからは新米が届きました。早速炊いてお父さんにあげました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

支え合って

1年365日毎朝顔を合わせる岩出山の中森豆腐店の中森社長。

道の駅は年中無休なのです。野菜出荷の人は野菜がない時には持ってこないけど、中森さんも私も
豆腐とお餅なので、よほどの用事がある時以外は休むこともなく、毎日顔を見てしゃべります。

中森さんの前にあるのは真山のサトーさんご夫婦が持ってきたコルチカム。一昨日持ってきた分は
1ケース全部売れてました。

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サトーさんご夫婦は高齢なので、値札を出す機械が苦手。
大抵の時は同じ時間帯に行き合わせる中森さんが、なんとなんとなに持ってきたのー?とサトーさんの奥さんに訊ねながら値札を作ってあげます。

今その作業中。

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写真をとってもらったからと、赤いカブとインゲンマメを「食べなさい」とくれました。
「一人だから食べないから要らない」と断ったら「一人でも食べなかったら死んでしまうんだよ」と
叱られました。

中森さんは岩出山の昔からの名物である凍み豆腐を作っているお豆腐やさん。10年近くも毎日顔を見て、
役員研修旅行などにも何度も一緒に行っているうちに、食べ物の好き嫌いも、好きなことも苦手なことも
何でも解かるようになっちゃいました。

夫は抗がん剤で味覚が変わってしまってからは、中森さんのお豆腐だけを食べてました。たまたまなくて
よそのお豆腐を買っても、味が違う、と食べませんでした。最後の最後の食事はずいぶん中森さんの
お豆腐に助けてもらいました。

最上のキノコ屋さんのマッシュさんからは、東京の柘榴という料理屋さんで、舞茸の根っこがガンにきくと
いう話をきいたのよ、と舞茸を採った後の根っこをずいぶんたくさん持ってきてくれました。

こうしてみなさんに支えられていた3年だったと思います。

 

早くもパンジーが咲きました。

まだたくさん咲くのはこれからです。しっかり株ができるのもこれからです。

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もうすぐ紅葉シーズン。忙しくなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約束

朝、道の駅に向かって出ようとしているところに、ユミちゃんがやってきました。

「用事はないんだけどね。どうしてるかなあーと思って」

稲刈りで1日忙しいのに、私を心配して寄ってくれたのでした。ありがたいなあ。

なんだか忙しくって、いろいろ考えている暇がないのですが、でもガシャガシャ動いていても、心ここに

あらずのような茫然とした感じはあります。

終わって、今いろんな書類を書いたり見たりしながら思うのですが、夫のガン発病は22年の初夏の頃。

亡くなったのが25年の9月だから、 わずか3年半。ガンになって10年も生きる人がいるのに、3年とは

なんと早かったんだろう、と今にして思います。

ユミちゃん曰く

「若い人は進行が速いけど、70代になったらもっと遅いかと思っていたんだけど。病気のことを

詳しく知ってたの?」

いや、知りませんでした。

ガンになってから死ぬまで「ガンは自分の細胞の問題だ。悪い細胞が勝つか、良い細胞が勝つかだな。今

は悪いほうが勝っている。悪いほうが勝つのは自分が悪かったんだ」と言ってました。

ずーっとそんなこと言っているんだもの。病気のことなんて全然話さなかった。普通のことを話してました。

でも良い細胞を勝たせるために、人参ジュース飲んだり、甘いもの食べなかったり、辛抱強く努力してました。

そして約束は3つ。

年の順序に死ねるのは有難いこと。

二人で始めた二人の世帯を二人の力で終わらせられそうなこと。

そして私の両親が二人一緒に91歳で何もかもそのままにして亡くなってえらい大変だったから、必ず

早くに生きた始末をしておくこと。

「その3つを何時も話していたけれど、なんとかなりそうだ」

 

もうすぐ49日。ユミちゃんの力で、お墓の土地も和尚様のところでなんとか分けて頂けそう。

みんなでご飯を食べて、夫に喜んでもらえる楽しい1日にしようと思います。

 

 

梅農場の3代目であるソーイチさんが3代目という甘ーい枝豆を毎年作っています。

作る前は、今年は美味しい枝豆作れるか、と考えて寝られなくなるそうです。

その枝豆をたくさんソーイチさんから頂きました。

私はこの枝豆をお餅に入れて枝豆餅を作ります。

 

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もらったはいいけど、茹でるのも薄皮までむくのも大変。

時間さえあれば枝豆を茹でてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

KIITOデザイン・クリエイティブセンター神戸で新聞バッグを販売します。

今日は記念すべき日というのもヘンだけど、海の手山の手ネットワークとしては、これまでなかったことが

初めて為される日です。

東北新聞バッグプロジェクト第2弾、2013年版は、海山ネットが関わっているのは変わりませんが、

去年とは一緒にやる仲間が違って陸前高田と気仙沼の皆さんと一緒に新聞バッグを作ります。

今日はその陸前高田で催す新聞バッグインストラクター養成講座の第1回目です。明日は会場を気仙沼

に移します。

 

本来ならプロジェクトの主催者である四万十チームから1名、東北新聞バッグを作っている海山ネットから

1名のインストラクターが出て、新聞バッグと初めて接する陸前高田の皆さんに新聞バッグの作り方を

講習することになっているのですが、生憎海山ネットのインストラクターである、クロダさんもあやさんも

時間がとれません。

そこで初めてですが、南三陸歌津のけいこさんに陸前高田と気仙沼での先生役をお願いしたところ、

行ってくれることになりました。

 

今日はその当日です。

初めてで9時から5時まで、新聞バッグを作ったことのない人に大、中、小と3種類の新聞バッグを教える

のは大変なことなので、どうだろうか、と気になって仕方ありません。

私たちが2011年の大震災の後の7月に、四万十から来てくださったクロダさんやジョウトクさんから

鳴子の公民館で1日かけて新聞バッグを習った時には、頭の中がめくるめきました。一応修了証は頂いた

けど、まー、全然覚えられなかった。

こんだけ覚えられないものを、たった1日で教えてくれるんですもの。教えるほうも大変だと思います。

 

仮設住宅の中で新聞バッグを作るだけではなくて、その技術を仕事として、けいこさん達が他の皆さんに

教えるという仕組みを作れたらいいな、と思っています。

 

そして新しいニュース。

神戸は目ぬきの三宮にある元神戸製糸検査所。

そして現在は平成24年の夏に誕生したKIITOデザイン・クリエイティブセンター神戸で海の手山の手の

新聞バッグを販売していただけることになりました。

どんなところかな?

と調べてみたら、デザイン都市、神戸のシンボルであり、創造と交流の拠点として誕生したデザイン・

クリエイティブセンター神戸、とありました。

KIITOがシンボルマーク。

コンセプトはみんながクリエイティブになる。そんな時代の中心になる。とありました。

同じく被災した都市、神戸で、東北で作った新聞バッグがどのような形で見てもらえるか楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の体操、ボケ防止

もう週末です。あッという間に1週間が過ぎてしまう。

夫はいないのですが、いないからと、しみじみいない状況を考えている間もなく時が過ぎます。

週末は出荷するお餅がウイークデイよりぐんと増えます。

これまで二人でやっていた仕事を一人でやるには、早く起きるか工夫をするか。

クロダさんも「手伝いますよー」と言ってくれるし、娘もうちにいる花担当もお餅を手伝ってくれて

います。

でも夫からは「手伝ってもらってはいけない。手伝いには責任が伴わない。お金を払って仕事

としてやってもらわなければいけない」と常々言われてました。

 

朝、5時半には起きて、限られた部分だけ手伝ってもらって、後は全部自分でやりますが、これが

だんだん深みにはまる、というか前にはやらなかったことまでやってしまう。

 

夫が生きている時には今作っているよりもっと少ない数を、もっと遅い時間までかかって作って

「ダメだ。明日からはもっと早くやろう」とか毎日のように後悔していたのが、今は「えッ、まだこんな時間」

というくらい早くに出来あがってしまう。

 

その替わり、朝から頭の中は、あれしてこれしてと段取り考えて、「頭の体操」状態。これまで1時間で2個

やっていたことを3個も4個も一度にやってしまって、早く仕事を終えようとがんばります。

 

いいんだか悪いんだか。

なんのためにがんばっているのかよく解からないんですが、これが頭の老化防止、ボケ防止になっている

だろうことは実感しています。

 

もし私が前に住んでいたような都会の住宅地で暮らしていたら。                                                                                               誰かと話したいなあ、と思って友人に電話をして、相手に用事があったりしたら、もう電話をかけにくく

なって、一人でお線香ばかりあげているかもしれません。子供のところには行きたくないし、町に買い物

に出ても、楽しくもなんともないと思う。

だから忙しく日が過ぎていくことは、ありがたいことです。

 

明日は日曜日。今日土曜日よりももっと忙しい。

休んでも減らしてもいいんだけどなあ、とは思うものの、直売所に行って、お客さんとお話ししたりすると

休むのも減らすのもタイミングが難しい。

 

夫が生きている時、抗がん剤治療をした後のしんどそうな様子を見ながら、「やらなくてもいいんだよ。

私がやってもいいんだよ。休めば?」とよく言っていたけれど、、その都度、ちょっと気を引かれる様子を

見せながらも、結局「休まなくていいよ。ちょっとの時間だから。オレが搗くわけじゃないんだから」

とお餅つきを休まなかったことを思い出します。

 

 

身体の動きを留めることもそうだけど、まあ、頭のほうも体操しないよりもしたほうがいい。

なにせ、物忘れが激しいので。

さて、まだ午後も早いけど、今から餡子をふた鍋煮ます。それから餅を搗きます。

なんかわからんけれど、がんばろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落花生

朝起きたら、夫の仏前に何か見慣れぬものが皿に入れて置いてありました。

なんだろう。小っちゃい茶色のじゃがいもみたいな物体。傍の小さいお皿にはかぼちゃと里イモの
煮付けも。枝豆も置いてある。

あー、わかった。夜のうちに隣りから娘の婿さんが来て置いていったのだと。茶色の見慣れぬ物体は
落花生の煮たのでした。落花生の生とか煮たのは、この辺ではほとんど見かけぬ食材なので、
見た時は一瞬わからなかった。

彼は野菜作りが好きで、おまけに研究熱心なので、うちの敷地のあちこちで何やらかにやら作っている
ようだけど、私は何を作っているか知りません。だから突然落花生が出てくるとびっくりする。

 

その朝、直売所のバックヤードで落花生の話で盛り上がりました。

落花生はタネを蒔いて普通に苗は上に向かって育つけど、途中で下に向かって伸びてゆき、地中で
実をならせる不思議な植物。
「地面の下でなっているから台風が来たって心配ないよね」
「転作にいいんじゃない。大豆みたいに採った後豆にする大変さがないもの。全部ひきぬいてくるくる
輪にして畑に棒立てて、ここの棒掛けの稲のように干しとくの。時々引っくり返してよく乾燥させてから
ゆでるとかするの。殻ごと炒るのは機械がなかったら大変」

田舎暮らしを目指して、千葉県船橋市の近くの元牧場の貸し農園で畑仲間と落花生を作ったことが
ある私は、ちょっとだけ落花生のことを知っています。タネ蒔いて育てて採って、干して炒るまでやったこと
あるけど、人間だけいぶされて真っ黒けになって、落花生はなかなか。パリっとして「美味しい!」という  具合にはいきませんでした。もう1回やる?と言われたらNO。

でもここでみんなで作るにはいいかもしれない。

 

家に帰って、今度は隣町の幼稚園まで孫のお迎えに。

今日の空と雲のきれいなこと。いくら見ても見飽きません。

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孫が通う幼稚園。

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右側が小学校。幼稚園と組み合わさっています。プールも一緒。

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この裏は広大な運動場になっています。素敵な小学校。

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幼稚園の後はピアノのレッスンに古川へ。孫はピアノが大好きなのです。

 

夕方家に戻るとなんとまあ、夫のかぼちゃも里いもも枝豆も、家族の中で一番夫がかわいがっていた
老犬チビが食い散らかしてました。
落花生は、美味しくなかったらしく、吐き出してそのまま残ってた。

チビは国道4号線で車に撥ねられて片目が出てしまっていたホームレスの雑種の犬です。娘が助けて  動物病院に運んだのだけれど目は助からなかった。奇跡的に、身体に損傷がなかったので、行く先に  困って我が家に来ました。

既に我が家には黒いラブラドールが2頭もいて、遠慮がちなチビを夫が自分専用の犬のように可愛がり、
チビも一番夫になついていました。今何歳かはわからないけれど、残った片方の目も見えなくなり、耳も
聞こえない人間でいうなら要介護のようなおばあさん犬です。
夫が亡くなったからがっかりして、ちょっとは」弱るのかと思っていたら全然弱らない。

食欲旺盛で食べることだけが1日の仕事のチビは、夫の仏壇周りから離れません。仲良しだからいいよね、
と食べたんだろうけど、犬が吐きだすんじゃ、落花生もなんだかねえ。
私も食べてみたけどまずかった。若過ぎるんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

秋刀魚

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今が真っ盛りの西洋朝顔、ヘブンリーブルー。

西洋朝顔は日本の朝顔とは違って昼間も咲くので、日中華やかです。茎が何メートルにも伸びて
長い間咲いています。

今日は、長男の嫁さんから「早く行ってくださいよ」と、行く場所を番号順に並べて書いてくれた紙を持って
自分が世帯主になる手続き、つまりは未亡人になる手続きに行きました。

けっこう時間かかった。

町の役場に行って、年金事務所に行って、病院に支払いに行って、とあちこち行ったら夕方までかかり
ました。
生まれて初めて世帯主になりました。世帯主といっても一人だけど。世帯に私は一人なんだけど、
世帯主全部の住民票が必要だとのことで、へーえ、そういうもんなのか、となんだか、よくわからんことが
多い。

嫁さんが書いてくれた紙頼りで、そのとおりに動いていたら、役場の係長さんが覗き込んで「凄いですねえ」

「凄いでしょう。係長さんと同業なので、実に詳しく忘れもののないように書いてくれてます。有難いことで」

年金をもらう前に一度行ったことがある年金事務所。あれから5年以上は経っているわけですが、
変わった。雰囲気がフレンドリーというか、職員さんがにこやか。変わる原因はいろいろあったと思うけど 廊下ですれ違っても「こんにちわ」という具合で、雰囲気は無愛想よりもフレンドリーのほうがよいので、よかったです。

これが都会なら人の数が多くて、順番待つのも大変なんだけれども、ここが田舎のいいところで、
混んでません。あまり待たずに手続きが終わりました。

診断書をあまり見たことなかったけど、今日よく見てみたら夫の病気は転移性の多発性肝臓がんだった。
多発性だったのかと、初めて分かります。
死ぬ、生きるという話は二人でよくしていましたが、70歳過ぎたら「どうやって死ぬかをよく考えるけど」
と言ったら、「うまく死ぬというより、人間はこうやって生きているのかという実感のほうが強いよ」と言って
ましたっけ。

平成22年の発病。市の検診で見つかりました。
がんになっても手術を受けても、全然悔やむこともなく病気の話もせず、普通に暮らしていましたが、
がんになってからのこの4年は、どのときよりも具体的に体が生きる、人が生きる、という事実に向き合った時間だったのかもしれない、と今思います。

 

 

道の駅の直売所に行くと生産者の仲間がいます。
「あなたにあげるんじゃないよ。だんなさんにあげて」とサトーさんがいんげん豆をくれました。

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二人で野菜を作って二人で収穫して、ご主人が軽トラを運転して、奥さんが助手席に乗って、いつも二人
一緒のサトーさんご夫婦。85歳くらいになられると思います。直売所に来ると、足が悪い奥さんは椅子に
座って私たちとおしゃべり。だんなさんは野菜をずらーっと空いているところに並べて値札貼り。

私はいつもなんだかんだと売り物野菜をもらってばかりいます。せっかく作ったんだから「売って」と言うと、必ず「そんなことは言うもんじゃない。黙ってもらうもんだ。真山の人間は」と言われます。真山というのはサトーさんや私が住む集落。

いつまでも元気で長生きしてほしいご夫婦です。

 

南三陸では漁ができないので、北海道で秋刀魚船に乗っているショーエイさんから送られてきた初物の  秋刀魚。

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奥さんのたかちゃんが届けてくれました。

青いウロコがピカピカしています。
マグロを獲っていたショーエイさんがどんなに張り切って秋刀魚船に乗っているんだろう、とショーエイさんのいかにも海の男らしい風貌が目に浮かびます。

 

オトーサンがいないので、自分で3枚におろして骨もとって、5歳孫にも食べさせました。
仏前にもあげました。                                                     「オトーサン、ショーエイさんの秋刀魚だよ」