9月半ばも間近。田んぼが黄金色になりかかっています。
稲刈りにはまだちょっと早いみたいだけれど、昨日は刈取りが終わった田をひとつ見ました。
5年前の9月の初めに母が入院して僅か3週間で命尽き、翌朝には隣の部屋で入院中だった
父が母の後を追うように旅立ちました。
翌年の9月、都会での暮らしを逃れて連れてきた黒ラブラドールのセツが15歳近くまで生きて
穏やかに亡くなり、しばらくして妹分の黒ラブラドールの春チャンが、赤とんぼが群れ飛ぶ中
14歳を前にして亡くなりました。
そして私の夫も、9月2日に入院して、12日の午後、あッという間もなく旅立ってしまいました。
1番超スピード。驚いてしまいます。
8月31日の朝までは、病気前ほどの勢いはないとはいえ、必ず朝6時半に起きてあん餅の
あんこ玉を丸めていました。朝の一仕事を終えた後はベッドに横になってテレビを見、I-Padで文章を綴り、
午後も半ばを過ぎると翌日の餅用の米を磨ぎ、餡子を煮始まるという日々の仕事をしてました。
夕方夫所望の長崎皿うどんを作って食べかけた途中で「気持ちが悪くなった」と箸を置き、その夜は
「お腹が張る」と寝づらいようでしたが、翌土曜日には小康状態。もう1日我慢して定期診察日に当たる
月曜日に入院して、点滴、投薬等の治療をして頂きました。亡くなる前日の午前中くらいまでは体は
動かなくても意志的で、あれこれ注文をする夫に先生方も看護師さん方も大変よくしてくださり、
感謝しています。
今、膨らんだ薬袋などを整理しながら、ほんとうに何でもかでも自分のことは自分で面倒みた人なんだな、
と感心します。市の検診で見つかった前立腺ガンから始まって大腸ガン、転移して肝ガン、1年半置きくらい
の再発という4年ほどのガンとの闘病でしたが、「ガン細胞も正常細胞も自分の細胞。どっちが勝つか負け
るかの問題なんだ」と言い、嘆く言葉も悔やむ言葉も全く言いませんでした。
いつも淡々としてお餅の仕事を休まず続け、孫が4歳になるまでは孫の成長と合わせて常に一緒にいて
遊び相手を務め、5歳になった今アウトドアが苦手な夫は役目を終えました。
昨夜は自室の自分のベッドから「ジーチャンにやってもらいなさい」と叫んだ私に、孫が諭すような顔をして
「ジーチャンは今天国で座ってるんだよ」と。
ジーチャンの小さいお財布に数枚の硬貨を見つけた孫に「ジーチャンのお金だから訊きなさい」と言ったら
写真の前で暫らく黙考した後振り返って「ジーチャンはもう死んじゃったから要らないと言ってるよ」と、
ちゃっかりお財布ごともらいました。
そーなんだよね。孫に何度も念を押されてます。慣れねば慣れねば。
これから夫の闘病のことも少しづつ書いて行こうと思います。
お餅の仕事は来週までまでできそうにないけど、海山ネットの仕事は動いているので少しづつでも
始めます。
夫が亡くなっても涙は出ませんでしたが、葬儀場に南三陸からけいこさんや沙織ちゃんやしんこさんが
来てくれているのにはほんとに驚きました。2時間もかかるのに。びっくりして初めて泣けてきた。 海山の仲間や四万十ドラマの畦地さんからもお悔みを頂いて、初めて仏具を揃えました。
そして大津の㈱ウルズの角川社長からはたくさんのお花を届けて頂き、東京の版画家の岡澤さん、
夫の元の職場である日本IBMの方にもお手紙を頂き、心から感謝をしております。
ありがとうございました。
台風が近づいて、庭の立ち木がざわめいています。被害が少ないことを祈ります。
私がご主人の訃報を知り、友人に尋ねたのは葬儀が始まろうとしていたときでした。何もできないままに、ブログを次々に見ていって、その間もすごく活動していることことに驚き。そして今日のメッセージ。曽木さん、ご主人、そしてお二人の夫婦としての繋がりを想い、パソコンの前で泣きました。どうぞご無理をなさいませんように。
お言葉を頂きましてありがとうございます。ガンは相当深く進行していたのだと思いますが、本人の外見にも
動きにもその気配が薄かったので、こんなに早く逝こうとは思っていませんでした。
これから痛みが出たならば、穂波の郷クリニックの三浦先生にお願いして自宅での緩和ケアに切り替えようなどと
家族で相談していました。でも何にもしないまま本人がさっさと終わらせてしまいました。痛い、苦しいという
時間が少なくて良かったと思っています。
穏やかで誠実な感じがよく表れている普段着の遺影でしたね。ご主人とはお会いしたのが1回そしてお電話でお話したのも1回だけだったのですが、同じ企業文化で過ごしたこともありとても親近感をもたせていただいておりました。
お宅に伺った時、ご主人がomochiさんのご両親のお世話をよくされていたのが印象的でした。私の帰り際、ご主人は2頭の犬の散歩に出かけられるところでしたね。
ご主人もomochiさんと一緒に過ごされた人生、きっと楽しかったに違いありません。
これからご主人のこと沢山教えてください。
葬儀にはわざわざご参列頂きまして有難うございました。何が何だか解からないような速さで事象は起こり、
通り過ぎてゆきますが、そこには時間の経過があるということだけは深く心に迫ります。
毎日喋っていたので、後悔のような気持ちはないのですが、自分の本音を言う相手がいなくなりました。
私を最も理解した人でした。気持ちの優しい人で、個人としての自分よりも社会の1員としての自分を
優先しました。楽観的な性分は癌になっても変わらず、最後まで諦めませんでした。
惜しい人を失くした、と妻の私が思っています。