新聞バッグ回収、南三陸へ

今日見た花。

山の木々に覆いかぶさって咲く山藤。薄紫の桐の花。白い朴の花。今真っ盛りの白い花水木。白花のエゴ。

木に絡まって咲く紫のテッセン。ピンクのクレマチスモンタナ。ピンクやシロの屋敷つつじに赤い山つつじ。

赤いウツギ、枝に団子になって咲くピンクのウツギ(空木)。イワガラミ、ニセアカシア、ヤマボウシ。

ベニカナメに花(が咲くんだ!)、初めて見た。紅いハニーサックル(突き抜き忍冬)を時々見かける。

真っ黄っ黄のレンギョウ、 白いコデマリに大デマリ。雪柳。薄紫のライラック。道端にはどこでもここでも白い除虫

菊。  紫、白、黄色のあやめ、菖蒲にアイリス。半ば野生化しているピンクや赤の撫子類。芝桜。沼地に白いカラー

の群生。芍薬。畑で野生化した真っ赤な芥子の花。南三陸に入ってからのエニシダには驚いた。崩れ易い山肌の

法面に植栽した種が飛んだのか、あっちでもこっちでも黄色のエニシダが・・。エニシダが勝手に増えるとは知らなんだ。

 

 

早いものでもう1ヶ月が経って、南三陸にロイズ新聞バッグの回収に行ってきました。道中1時間半から2時間。

呆然と運転すると眠くなるので、目をしっかり見開いて花見物をしながら行きました。

目に入る風景はまっすぐに伸びる道以外は右も左も田植えが終わった水田。

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先月は発送日の大雨で、段ボール箱を倉庫から出すにも新聞バッグを車に入れるにも雨が強すぎて発送を断念。

前日に出した2箱のみだったので、今月は気合で先月分をプラスして発送するつもり。

 

ひと月に一度の南三陸行きはなかなかスリリングです。復興という名の町づくり(宅地造成とは全然違う、視界に

入る全てが土の山とブルドーザーとクレーンとという超大規模な造成現場)が、このひと月でどんなふうに

変わったんだろうという興味と、また道が解らなくなってるんじゃないかという不安で、怖いもの見たさの心境。

前回は迷子になってUターンして戻ったから、今回はそんな無駄をやりたくない。

 

志津川に入るとやっぱり凄いです。なんかほんと凄い。どう形容していいか解らないけれど、エジプト?ブラジリア?

ただ来る度に、地形(地形なんてない今は土の山がそのままある形)を標識の文字やらその他いろんなもので

仕切ったり移動させたりして、人や車の流れを必要な形に動かしてしまう実力は凄いなあ、と唸らせられます。

土の山に囲まれてしまった防災庁舎は近づけなくなっていて、45号線を挟んだ防災庁舎が見える囲いの中で

観光客の方なのか、数人が手を合わせて説明を聞かれている様子が見えました。

 

ようやくわかめ収穫がひと段落した模様のけい子さん宅。今日はけいこさんは病院に行って不在で、お留守番は

おばあさん。

しかし、海のすぐ近くだけれど、作業小屋のある浜からうねうねと道路を登って緑濃い山の中にあったけい子さん宅

は、辺りの高台住宅整備ですっかり変わって、緑濃いという雰囲気ではなくなりまるで都会の住宅団地に来たよう。

仮設住宅の時とは違って、人の姿は見えずしーんとして静か。

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「なんだか静かだねえ」

私の感想におばあさんは、

「裏の仮設も残っているのは2軒。みんな新しいうちに移って寂しくなった。通る人もいないししゃべる人もいない。

新しいうちではみんなカーテン閉めて玄関の鍵をかけるようになったから、訪ねてもピンポーンを押して出て来るまで

またなきゃならない。待つのもしんどいのでだんだん行かなくなる。仮設にいた時よりもうんと寂しいよ」

 

うーーん、なんとも言いようのない心境。

仮設住宅を訪ねていた頃は狭い駐車場はいっぱいで、車を停めるのも遠慮したし、大体いつも外に人の姿がありま

した。集会所では編み物したり新聞バッグ折ったりお茶飲んだり、人が集まってわいわいやってました。訪ねる人

も多くて生活再建への苦労は多かったけれど、賑やかで活気があった。念願だった高台移転が叶うのは素晴らしい

ことなのに、その裏で人と人が触れ合わなくなるのはなんとも寂しい変化です。

そういう都会の住宅地から私は去ってここに来たのだから。

 

目に入る花々を記憶に留めながら我が集落まで戻ってきたら、由美さんちの畑で由美さんを発見。

昨日由美さんはあの暑い中、田植えの合間を縫って一人で畑の畝立てをして、一人でラベンダー100本あまりも

植えてくれました。株間70センチだよ、と言ったらメージャーまで持ってきてた。

昨日はロイズ新聞バッグの検品デイ。ラベンダー植えは手伝えないので、違う日か違う時間にと言ったら、いいから

いいから、と一人で植えちゃった。

育ったら差し穂をとって増やすつもり。なんですが、他の花ならともかくラベンダーは素人なので、6月末の富良野

訪問でしっかり勉強してきます。

素人ながら、昨年由美さんが畑に植えたラベンダーはしっかり育っていた。新芽が青々と育って今年の夏には

相当数の花が見られそうで楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新住民を迎えて

午前中、外国から戻ってきたMちゃんを連れて、鳴子、岩出山を一巡。

本来はここ出身だけれど、長く日本を離れていたから、今はちょっと新しい住民として私の知り合いに紹介&

仕事探し。

久しぶりに鳴子の山に入ってみました。

今年の冬は雪が少なかったから、早めに融けて、早めにお店開けた?と聞いたら「開けなかった。何時もどおり」

と答えた森の中の喫茶「ライム」のオーナーママさん。12月から3月の冬休み期間を無事に越して、今年もお互い

元気で会えました。こういうのは年をとると大事なのです。久しぶりに会いに行って「病気で休んでます」なんて聞く

と、ほんと、がっかりする。明日はわが身の心境。

新緑の中の「ライム」はちょっと古びてきたような。木の家だから仕方がないんだけれども。

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お店の中はこんなふうになってます。可愛らしい小物がいっぱい。

ママさん手作りの家庭的なランチは量はたっぷり、ゴクウマです。

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秋の紅葉時とは全く色合いが違う潟沼。

誰もいない。しーんと静かな新緑の潟沼。

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数日前に、待望の新住民、長澤さんご夫妻が滋賀県から越して来てくれました。

お二人とも学校の先生で、退職されてからの新しい生活をここ岩出山で始められます。

FBで見るとお引越し後の忙しい時間の合間に鳴子に行ったり、感覚ミュージアムに行ったり、新生活の町を

楽しまれているようで、15年前「ここはどんなところだろう」と恐る恐る引っ越してきた頃の自分を思い出します。

ご主人は山や森で木を伐る仕事に、元々薬草を研究されてる奥様は、新しく就く予定のお仕事の傍らで

食べられる植物のことやアロマについてなど教えてもらえることになっていますが、それよりなにより第2の

人生をこの町で元気で楽しんで頂きたいと心から願います。

 

私が住み始めた頃は、町のどん詰まりのような里山に囲まれた私の集落でも、まだ子供の姿が見えてました。

集落の女性たちの活動も盛んで、新参者の私も度々声をかけてもらって竹細工をやったりワラビの蔓を取って籠

編みなどして、オープン間もない道の駅のガラ空きの棚を埋めたりしてました。私が年をとってしまった今は、女性た

ちの活動がどの程度のものだか解らないけれども、昔に較べるとすっかり人の数が減ってしまっているのは確か。

見渡すあの家もこの家も人が住んでいないか、住んでいても一人だとかそんな家が多くなってしまいました。

 

別荘地住民の私は集落については詳しくはないけれども、正直、住んで15年後にこんなに人が少なくなるだろう、

とは想像しませんでした。徐々に人が増えて、多少は変化があるんだろうな、と思っていた。

ところが全然。見込みは大外れで人は減る一方、増える兆候は全く見えない。

この先、どうなるんだろう。学校や郵便局はすぐ近く、町に出るのもコンビににも新幹線や高速道路に乗るにも全然

不自由がなく、山や野や田畑の恵みも豊かな美しいこんな土地が、徐々に限界集落や消滅都市になって消えてゆ

くのかと心配していたら、ここ2、3年、人が少しづつ増えるような新たな兆しが見えてきた気配がします。

 

先日一人暮しだったご主人が亡くなられたIさん。ああ、またひとつ空き屋が増えるなあ、と思っていたら、連休には

首都圏から弟さんが見えるようになりました。長く都会に住んでいたから農業は何もわからないけれども、一から勉

強して農業をやってみるつもりです、とこの間ご挨拶した時にうかがいました。

 

それから同じ集落のTさん宅。毎春大きな八重桜が咲く住む人が亡くなった大きな家に、時折り東京在住の息子さ

んが戻ってみえるようになりました。将来会社をたたんでこちらに戻るつもりと伺って、ああ、こういう形で戻って

来られる方がいるんだなあ、と思いがけない住民の増え方に心強くなりました。

そういえば、先日道の駅でばったり出会ってびっくりしたのは東京在住のはずのKさん。

もご両親が年を取られたので東京と岩出山を行ったり来たりされるようになったとのこと。

 

年配者ばかりで若い人がいないのがちょっと寂しいところだけれど、それはこれからの課題。

長澤さん、落ち着いたら道の駅の生産者にもなったくださるようで、どんなものを生産されるのか楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えええッ!

今年は雨が多いせいか、やたらに草が伸びるのが早い気がして、1昨日から1時間の草刈り開始。

車の運転もそうだけど、こんなこと何時までできるのかなあ、と思いつつ燃料が無くなるまでがんばりました。

結果、虎刈り。 身体バキバキ。

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ブルーベリーにはたくさん実がついて、モッコウバラは満開。

 

赤毛のアンで読んで憧れたクラブアップルの木。実は美味しくないけれど花がきれいと聞いて植えたのだれど、

花の時期には気がつかなくて今日見たら全部散って残り2輪。

この花が実になるんだろうけれど、見場はよくても味は期待していない。

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先日の朝、テレビのインタビユー番組でニュースキャスターの安藤優子氏を見ました。テレビを見ないので毎日どの

番組に出ているかは知らないけれど、50歳代というその年齢からして名前くらいは知っています。

落ち着いていて賢そう。ニュースの取材で世界中の紛争地など見て歩いて、見て感じたことを自分の言葉で言う。

いい仕事だな。生まれ変わったらそんな仕事をやりたいな、などと自分の頭の程度はさて置いてそんなことを思い

ながら見ていてふと思ったのが「この人私と似てる!」

 

有能そうなところではなくて、好奇心が強いところと、安藤さん、すぐに「えええッ!」となるんですって。

インタビュアーが「どういう時に?」と聞いたらどんな時でも、すぐに「えええッ!」となってびっくりばかりしてる、と。

そしてそのびっくりしたことを人に言いたい、と。

 

そっくりだ! 私もだ。びっくりばかりしてて人に言うのも憚られるのです。実は。

私が好きなアメリカの小説家ジェイムス・ミッチェナーの「人生は驚きの連続だ」の言葉どおり、後期高齢者直前の

今になっても見るもの聞くもの驚いてばかり。

 

今日も草刈りをしながら、急激に大きくなった胡桃の木を見て考えこんでいるのです。

東京から苗木を持ってきて2本並べて植えた姫胡桃の木。天をも突くように遠慮なく大きくなって(こんなに大きくなる

木とは知らなんだ)、今年はまだ葉っぱも小さいのに、左右3メートルくらいに伸びた枝いっぱいに花房が下がっています。

えええッ? こんなに実が生るの!、という感じ。

生ったところでリスが持っていくのでなかなか拾えないのだけれど、隣に並んだもう一本は、木の大きさは劣らない

のに葉っぱが大きくて花は全然見えない。

 

なぜ??

胡桃という木は雌雄があるんですか? 誰か教えてください。

気になって、気になって・・・。

そしてやっぱり来た、シロ。 用もないのに。

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何が豊かなことなのか?

10年ちょっと前、オープンして1、2年経った頃の道の駅の出荷組合で、青森の津軽に1泊2日の研修旅行に

行ったことがあります。近隣県の道の駅や直売所を見て廻って組合員の生産力向上をはかり、かつ慰労も兼ねる

という旅です。

都会もので「田舎」に憧れていた私は、津軽と聞いて津軽=りんごの里は、どれほどの美しい農村地帯であろうか

と期待に胸膨らませて参加しました。でもね、行けども行けども目に入るのは小さい町で、バスで自分の町まで

戻った時に、はあー、私が住む集落がこの2日見た中で最も田舎なんだ、と得心しました。

 

ついこの間のように思える「屋根」公演。公演が終わった後の深夜の打ち上げの会で、参加してくれている役者さん

たちによっちゃんが「今度の公演で田舎度一番はどこでした?」と訊ねたら、「種子島を除いてここ」と返ってきて

大笑い。全国26箇所公演で、その中には福岡の朝倉とか大分の日田とか入っているのにやっぱり!

富良野GROUP劇団員にとって初めての公演地、岩出山はダントツトップで田舎の町という印象に違いありません。

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田舎度1番の町でこれだけの大きな公演を成し遂げるというのは、それなりの苦労もあり特徴もあるのですが、

言葉にしようとするとうまくまとまらなかった。

 

田舎度1番ってなんなんだ?

その答えが昨日鳴子温泉のたまごや喫茶店で、オーナーのタケシさんと鳴子温泉長期逗留のお客様N社長と

お話しているときに薄らぼんやりと浮かびあがってきました。N社長は千葉の方で季節のいい時、約1ヶ月東鳴子

温泉に滞在してその期間中、毎日決まった時間に鳴子温泉までウォーキングを楽しまれています。

その他決まった休憩場所でのおしゃべりも。

 

そのおしゃべり最中に私が住む「田舎」の特徴を聞かれて、

農家が多い。というよりほとんど全部農家。それも専業が多い。

「今どき専業?」と聞き返されて、ハタと思い当たりました。そうだ、田舎移住を志して大分、新潟、熊本へと引っ越し

ていった友人たち。そのどこを訪ねても周りは専業農家だらけ、というのはなかったなあ、と。

「専業で食べられるということなの。自給率が高くて豊かということなの。東北はもともとそういう土地なんだから」

タケシさんのその言葉で、はっきりしなかったもやもやが晴れてきた。

 

自給率。大事なことです。自給率が高い。そのとおりで、私の周りの人たちは米、味噌、野菜、食べるに必要な

ものは1年困らないくらいあるのではないかしら。あの大震災の時でさえ、ガソリンには困ったけれど、食べ物には

平気でした。農業を営んでいくためには高価な農業機械の借金を負うことも多いのだけれど、それはまた別の話で。

「豊か」ということの定義を「お金がある」ということに置いてしまうと、この町はそこには当てはまらない。

 

「屋根」公演の時の劇団員食事費用についても、劇団から提示された食事経費は市場で売っている上等の牛肉、

豚肉などの購入に当て、他の部分はお手伝いの農家のお母さんたちからの手持ち、手出しの供出食品で賄いまし

た。由美さんは全員分の米、私はお汁粉と味噌、よっちゃんはせり他野菜、その他各人各様で。

週末蕎麦屋のハガさんが道の駅での販売に凝っている蕎麦プリンを「みんなに食べさせたい」と6キロも持ち込んで

きたのにはびっくりでしたが、蕎麦プリンは大人気でした。

 

田舎度1番は何か?という答えはまだまとまらないけれども、自給率が高くなかったら、「屋根」公演時の各自食品

提供なんてできなかったし、今私が食品スーパーへ行っても買うものがないのは確か。

米はもらい、野菜はもらい、お餅はあげる、の物々交換で日々は賄われること多く、なんとなく、なんとなくですが

お金に目くじらをたてなくとも、お金がある人はあるなりに稼ぎが少ない人は少ないなりに格差なく生きていけるのが

田舎度1番の特徴でもあるような気がします。

物価が高い都会の町で長年消費専門で暮していた私が、いつの間にか3度のご飯は家で作り、その他なんでも

作れるものは自分で作ってしまおうという暮らし方に変貌したのは、そこに材料があり、作る人を身近に見ている

からだと思います。なにせ田舎度1番のこの町の農家のお母さんたちは、作ることにかけてはプロですから。

 

 

四万十の梅原さんが提唱される「ナニガユタカナコトナノカ」の答えもここらへんにあるような気がするのですが、

これから周囲を観察しながら、答えを探しましょう。

大震災以降、海の産物までもらって食べている私は、もしかすると豊か度1番で暮しているかもしれないので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犬猫談義

明日日曜日でゴールデンウイークは終わり。

なんてったって雨の多い連休でした。

山桜が咲いている時期に始まって散って、木々の新芽が膨らんで、八重桜が咲いて、今は薄ピンクがかった緑、

灰色がかった緑、淡緑色に山は覆われて新緑の最中。

本職のお餅仕事が忙しくて、新聞バッグのオーダーに応えられませんでした。あまりにも疲れて発送仕事まで

体力がもたなかった。ご注文のお客様、お待たせしてすみません。連休が終わったら袋詰め、発送仕事に励みます。

 

雨が多いものだから、今年の道の駅直売所の筍の凄いこと。

よっちゃんちの筍や筍ご飯はとぶように売れてます。この雨の中、竹林での筍掘りはどれほど大変だろう、と

想像するのも恐ろしいようだし、収穫後の地獄の釜炊きのような筍茹で。その前に採ってきた筍の皮も剝かなく

ちゃだし。それだけの重労働にもかかわらずたくさんの筍ご飯が早朝から並んでいるのだからどれだけ働いて

いるのかと感心します。

 

私は年なので休憩ばかり。うちの筍も出てるんだろうけれど見る気もない。

それより雨の度に雑草が伸びるのが気になって気になって。今日から1日1時間休憩後に鎌で草払いをすること

にしました。30分でも可。20分でもよし。

まずはびっしり実をつけているブルーベリーの根っこ周りの草払いと辺りの蓬摘みから。

と、こういう庭仕事を始めると必ずどこからか現われて近場でじーっと動かずうずくまっている猫のシロ。

終わるまで絶対どこにも行かない。終わって「帰るよ!」と言ったら飛ぶようについてくる。

 

ここで話は脱線しますが、私は猫を飼ったことがありません。うちにいるのはどこからか現われて居ついた猫。

シロで4匹目。

ちゃんと鈴つきの首輪もしてるうちの猫だけれど、時々家に入ってくるくらいで普段は外にいます。

それなのに家族が外にいると、必ず100パーセントといっていいくらい必ず近場にいるから私は不思議です。

 

猫派犬派でいうなら私はパーフェクト犬派。飼った犬はこれまで4匹。

スタンダードダックフンドのナナ。次が黒ラブラドールのセツと春、そして私が初めて家で最後を看取った

片目のチビ。どの犬も14、5歳まで生きて一緒にいてくれました。特にラブラドール2匹は番犬にも遊び相手にも

なるけれど、どっしりと落ち着いて頼りになる大切な存在でした。犬はいつも家の中にいて一緒に暮らしているから

大抵のことは解るけれど、猫は馴染みがないのでさっぱりわからない。

 

当然ながら犬は私が外に出ると付いて来ます。でも好き勝手にそこらで遊んでほっとくといなくなっちゃったりします。

が、猫はどこにも行かない。終わるまでほとんど同じ場所で動かずに待ってる? というのか、いる。

不思議だなあ。そのくせ呼んでも来やしないのに。どこからか返事だけが聞こえてくるというのも度々なのに。

 

ともあれ、ゴールデンウイークもあと1日で終わり。

まずはラベンダーの定植をして、あと10日もするとまたロイズ新聞バッグの検品の時期。

この何日かで田んぼに水が入り、入ったその日から蛙の大合唱が始まりました。

 

この連休の間に以前に新聞バッグを数千枚注文していただきお世話になったTさんから、新しいご縁が始まるかも

しれないオーダーを頂きました。

そして今年の夏も、明治大学付属中、高等学校の生徒諸君が新聞バッグつくり体験をしに来てくれるそうです。

覚えていてくださってとても嬉しい。準備を整えてより楽しい体験講習にしようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体力温存

今年の長きに亘るゴールデンウイーク。

休日と休日の間に挟まるウイークデイも入れたらほぼ10日間の長丁場。

今朝は5時起き。昨夜たくさん搗いたお餅を持って、アルバイト役の小2孫も連れて道の駅へ。

頭をひねってひねって混まない山道を行くのだけれど、道の駅の入り口を入ったところで車充満。なかなか動けず

ようやっと中へ。ゴールデンウイーク中は車を停めるのも道の駅から出るのもひと苦労。毎朝の頭痛の種です。

若い時はまあ我慢できたんだけれども、年とったらこの車充満状態がなかなかつらくなってきた。

 

特にこのゴールデンウイーク期間中は、朝は早いし夜も遅いしで日が経つにつれだんだん疲労困憊してくるので、

今は道の駅から帰ったらまず休憩。なーんにもしないで、体力温存のためまずは横になって寝ます。

休憩が終わったら片付けて、その後は孫と蓬摘みをしました。

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この蓬で蓬餅をつきます。

蓬を摘んだらまた休憩。その後に明日の餅用の米を研いだり、豆や餡子を煮た後、夕方からかねてからの懸案

だった空手道場を見学に孫と一緒に古川へ。

先週のピアノのレッスンの時に、来合わせたレッスン生のユミちゃん姉弟に見せてもらった空手の型があまりに

可愛くてかっこうよかったものだから、それと1年くらい道場に通っているユミちゃんがとても楽しそうだったから、

そこに行ってみるわ、と見学することにしたのでした。

 

ちょっと見て帰るつもりが、夜7時から9時。帰ったら9時半。それからお餅仕事はけっこうきつかった。

体力温存しといてよかった!孫は楽しそうだった。

 

息子とお嫁さんから今年も母の日のカーネーション到着。

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毎年毎年欠かさず送ってくれてます。ありがとね。

来年ももらえるように、体力温存しながらお餅に新聞バッグにラベンダーにがんばっていきまっしょい!

動いて休憩して動いて休憩しての日々が後数日続きます。

 

 

 

 

 

 

 

初めの一歩

 

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去年の夏、富良野に行った時に喫茶くるみ割りのみやこさんからご紹介頂いた福島さんのラベンダーが届きました。

このラベンダーは富良野そのもの。

色が鮮やかな香りが強い早咲きの濃紫3号。そして花穂が長い遅咲きのオカムラサキ。

富良野というとなんといってもラベンダーが有名だけれど、いくつもいくつもあるラベンダー園のラベンダーは、種類は

豊富、色もいろいろだと長い間思い込んでいました。ところが違った。

美瑛のラベンダーはまた違った種類もあるのかもしれないけれども、富良野を代表する富田ファームやその他の

ラベンダー園で私が見たラベンダーは早咲きとオカムラサキと名前は忘れたけれどもブルーの色が白っぽく薄い種

類。ほぼその3種類で構成されているのだと、去年知りました。

 

勤めていたラベンダー園を退職して、これから奥様とお二人でのラベンダーの仕事を計画されている福島さんにお願

いして今年の挿し穂苗を300本できたら送ってくださるようにお願いしました。

北海道の春は遅くて、もしかしたら忘れられたかなあ、と思う頃「送ります」と連絡がきました。

 

送られてきた段ボール箱を開けてみたら、立派なラベンダー苗が出てきてびっくり!

私が挿したって絶対にこんなふうにはできません。2年前に買った200本よりもずっとずっと立派。

挿し方が悪いのか。挿し穂の採り方が悪いのか。挿し床が違うのか、それとも温度の違い?

この立派な苗を育てて売ったら無くなってしまうので、先日の「屋根」公演の時に劇団員のご飯を作って大活躍した

岩出山ゴールデン食堂のお母さんたち(特に花生産者)と一緒に、育てることにしました。

苗を育てて大きくなったら挿し木で株を増やし、岩出山花ロードを作る、というのが共通の夢。

 

春暖かくなったら、梅農場の梅が咲いて、至るところに水仙の花が咲き、次に桜、菜の花、山桜。

そういえばうちの山桜年々大きく立派になってきました。

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そして次には梅の実が実り、そこここにラベンダーが咲く。

そんな道路が岩出山の町を巡り、鳴子温泉郷まで続いていったらいいなあ、という夢を叶えられるかどうか、

まずは第一歩を初めたいね、ということで。

 

大雨が降るので由美さん、よっちゃん、黒田さんのお母さんまでひっぱり出して、苗をポットに上げました。

お天気が良い日を見計らって畑に定植します。がんばろうー!

ありがとうございました。福島さん。大切に育てます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地震と水脈

海山のメンバー黒田さんが故郷熊本まで出向き、お母様と猫を連れて戻ってきました。

想像したこともない大地震、長年熊本に住まわれて経験したことがない避難場所での宿泊、始まってから毎日地面

が揺れ続ける1000回以上にも及ぶ異常な余震。

福岡育ちの私と同様、来たこともない東北の地に突然来られて、まだまだお疲れと戸惑いとご心配の最中だとは

思うけれど、ご挨拶かたがたお母様のお見舞いに伺いました。

新聞やテレビのニュースを見るたびに驚かされるのは、熊本、大分の地震後の異変。

震度6強や7で家が倒壊したり、お城の石垣が崩れ落ちるなどは、強い地震では驚かないけれど、普段湧水で満た

された水前寺公園の池の水が干上がって底が見えているのには驚きました。

もともと熊本は湧水の町。これまで何度か旅して、湧水が湧き出るところに行っては「いいな、いいな、こういうところ

住みたいな」と憧れてました。

 

それが干上がったり、出なくなったり、温泉も温度が上がったり下がったり出なくなったり。地下で何が起こっている

のかと末恐ろしくなりますが、お母様が言われるには「熊本の下には岩盤があり、その下に地下水が流れている。

その岩盤が割れて地面が水によって動かされているのでは、と熊本の人は言ってます」とのこと。

見えないってことはほんとに怖い。それに昼日中も夜ものべつまくなしに地面が揺れるなんて、おちおち家事も

仕事もできなくて、地震地域のみなさんはほんとにお疲れだろうとお気の毒でなりません。

 

大規模地すべりが起こった南阿蘇の産山村。

16,7年前、ここには私が岩出山に住む前に土地を求めて行きました。雄大な阿蘇外輪山の麓を巡る緑豊かな

丘陵のそこここに赤牛が草を食む実に美しい景観の土地でした。外部からの移住の人が入り始めた頃で、

垢抜けた土産物屋やレストランなどがぽつぽつと見られ、この先都会の観光客を惹き付ける観光スポットに

なるだろう、と予測される雰囲気がありました。

福岡在住の両親と一緒に住むための土地探しでしたが、残念ながら山の中の未開発の土地としては宮城の

地価と較べて倍から倍以上も高かった。地価が高いということは生活全般のお金も高い。それと冬はそれなり

に気温が下がって雪が降るらしいけれど、町までの道のりが遠すぎる、という理由で美しい産山村に惹かれつつ、

購入は止めました。

そのほか安心院や熊本市内も見ましたが、市内は盆地で暑すぎて寒すぎると、既に土地を持っていた見知らぬ

東北の地、岩出山に行くことを決めました。

 

あそこに住んでいたら、と思うと、なんと言ったらいいのか。住まなくてよかった、とは言いたくないけど、ご縁が

なかったのでしょう。山は崩れ、美しい丘はずたずたに壊れて痛々しい。

でも私は産山村には住まなかったけれど、岩出山でさんざん地震に揺さぶられています。 まだ壊滅状態にはなっ

ていないけど。

 

岩出山に住んで大きい地震には3度遭遇しました。

最初は福岡から来た父が腸閉塞になり、岩出山の病院に入院している時で、大きな揺れが来たかと思うと

病室を仕切っている扉がダンダーンと大きな音を立てて右に左にと勝手に開き、枕頭台が床を走り、テレビが台の

上から転がり落ちそうになりました。

屋上からは水が噴き出し、洗面所の顔を洗うコンクリートの流し台が全部崩れ落ちて壁に水道の蛇口だけが

並んでくっついているのをみて愕然。小学校の山が崩れて教室に土砂が雪崩れ込んだのもその地震の時で、

「えらいところに来たもんだ」と不安というより驚かされました。

 

その次は栗原の内陸地震でたしか震度6強。栗駒山の一部が崩落して無くなり、栗原や一迫の住宅は大きな

被害を受けました。

丁度山菜や山の竹の子を採るシーズンで、山に入っていた道の駅直売所の生産者も車を山に置いて歩いて下山

した、という人が幾人もいました。栗駒山を越えて秋田に向かう道路は山の崩落で全て閉鎖され、開通するまで

2、3年かかったように覚えています。山奥の温泉旅館が崩れた土砂に埋まって亡くなった方も出ましたが、難航

する捜索作業で泥だらけになった自衛隊の車輌や自衛隊員を車輌の集結場所である道の駅の駐車場で

「ご苦労さまです、ご苦労さまです」と思いながら毎朝見てました。

家屋は無事だった我が家の損害は井戸のポンプ。水を汲み上げられなくなってポンプ代うん十万円の大損害。

鳴子温泉のお湯の温度が高くなったり、花山の温泉が使えなくなったりしたにも関わらず、ポンプが壊れたことに

気をとられて水脈のことなど、考えなかった。

 

次が311。これはいろいろと損害を蒙りました。

地面に亀裂が入って恐ろしかったし、またもやポンプが泥を噛んで動かなくなった。再度のポンプ代うん十万円

よりも今回は初めて水脈が大丈夫なのか、それが心配で2週間もかかって、九州から新しいポンプが運ばれて

きてポンプを動かしてみて泥色の水があがってきた時には、実にバンザーイというような気持ちになりました。

 

井戸を掘り直すなんて大変だもの。それも大震災後の沿岸部もどこもかしこもメチャメチャな時に、7、80メートル

もの深さの井戸を掘ってくれる職人さん探すだけでも絶望的でした。

その時から私は水脈に敏感になりました。

私が一番欲しいものは発電機と水がいっぱい蓄えられるタンク。そう公言して憚らなかったのだけれど、近頃は

順調に水が出るものだから気が緩んでいるのを、熊本の地震で気づかされました。

 

黒田さんのところにお邪魔して摘んできた花はこんなにきれい。

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地震が少し沈静化するまで、岩出山でゆっくり過ごして頂きたいと思います。

明後日は富良野からラベンダー300本がやってきます。由美さんとかよっちゃんとか集落のお母さんと一緒に

ラベンダーの作業などやっていただいたら楽しいかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春です!

お餅を出して道の駅から戻ってくるお昼頃、路上で珍しいものを発見。

赤茶色の小さい生きもののようなのが、道路の端でごろごろコロコロ、ころころゴロゴロ。

何やってるんだか生きものなんだかゴミみたいなものなんだかさっぱり判らないけれど、でももしかして、小さい赤茶

色の生きものが車に撥ねられてもだえてる?

急停車して窓を開けのぞいたら、なんと2匹のテンが壮絶に取っ組み合って喧嘩してました。

ふあふあの毛色が赤茶の夏色に変わってもの凄くきれい。このままじゃ団子になったまんま車に轢かれるだろう

から仲裁しょうと外に出たらパーーッと離れて田んぼの中に走っていっちゃった。。追いつ追われつ2匹になったら

立派なテンでした。

 

春なんだなあー!

猫も忙しそうだけれど、オスのテンも大変だ。

今年は孫の小学校での熊出没情報ももう3度目か4度目。まだ暖かくなって間もないのに。2、3日前は由美さん

ちのほうに出たそうです。

これから竹の子シーズン。熊は竹の子大好きなので、竹の子が出る間は離れないよ、その辺で寝てるよ、と隣家の

ご主人から聞きました。竹の子と一口に言っても、孟宗、カラタケ、破竹と3種類が終わったら、次にはかぼちゃだの

トウモロコシだの果物だのと畑の作物が実るので、熊は他所に行く理由がないんだね、きっと。

子供たちはランドセルに熊鈴をつけ、ふだんなら子供だけで行く学童通いも車だったり大人が付き添ったりで

通います。昨年はドングリの豊作で冬の間に産まれた仔熊が多いとか。お母さん熊は怖いから出会わないように

気をつけなくては。

 

孫のランドセルの熊鈴。

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あんまり効き目がありそうには見えないんだけど・・・・。

 

 

川渡温泉の菜の花フェスタに行くために菊作りの小野師匠が南三陸から出てきてくれました。

大震災の年の4月に梅農場で初めて会って以来小野寺夫妻とはもう5年のおつきあい。ご主人は元外国航路の

船員さんで今のお仕事は菊の花栽培。出会った時は小野寺さんのお宅も菊栽培をしていた畑も奥さんが仕事を

していた工場も全部津波で流されてしまった状況だったけれども、今は新しいおうちに住んで(まだ行ってない)、

菊の栽培も順調に回復して奥さんも再建された工場でお仕事をされています。当時は必死で一緒にお仕事を

して支え合った海山仲間だけれども、今ではこうして1年に2、3度海の恵みのお土産を持って、よっちゃん、梅農場

の宗一さん、そして私と1箇所、1箇所を訪ねてきてくれます。

会いに来てくれてとても嬉しいし、二人の元気なお顔を見るとほんとによかったな、と思えます。

 

夕方少し陽が翳ってから蓬を摘みに外に出てみると、まあー、ちょっと見ない間に庭は一面のワラビ&土筆が原。

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私は福岡産まれなので土筆は袴をとって卵とじにして食べます。この辺りの人は食べない。

勧めても絶対にというくらいに食べません。

蓬はお餅用。

1時間採ってこの収穫。

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都会もんなので、わらびの灰汁抜きとか漬物とか私はほんとにど下手くそ。全然上達しないのだけれど、見れば

採りたくなる山菜の不思議。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

支援について

今朝の便で黒田さんは福岡に向けて出発しました。

今頃はレンタカーで九州の大幹線道路の3号線を熊本に向けてひた走っていると思います。

災害派遣の車や支援品を運ぶ車で国道は混みあっていると思うけど、もう熊本に着いたかな。でも一昨日大分を

出て今日我が家に到着予定の荷物も未だきません。だから、そう簡単なもんじゃないのかもしれない。

 

こんなことは書きたくないし、言葉にするのもためらわれるけれど、義捐金について思うことがあります。

東北に対してもたくさんの義捐金を頂いて本当に助かったし、心から感謝しています。

でも義捐金は、義捐金を出してくれた人に対して、ある程度行き先とか使い道とかを示せないものでしょうか。

言い方を変えると逆に義捐金を出した人は、ある程度お金の行く先とか遣い道とかを確かめられないもので

しょうか。

 

大震災からだいぶ時間が経った頃、たくさんの方々にお会いする機会が多い新聞バッグ作りチームの私たち

は、東北以外の土地で、「私たちが出した義捐金はどこに行ったの? たくさん払ったのよ」と質問されることが

多くありました。

時間が経って、保険金だの災害にまつわる保証金だのお金が支払われるようになると、「私たちは義捐金を

出したのに被災者はなんでパチンコなんかで遊んでるの?」などという批判も何度も受けました。

私たちがやっていることはたかだか新聞バッグ作りなので、たいそうな金額の義捐金の行方なんぞは知りません。

市の金庫か県の金庫に眠っているのかなあーと。市だの県だのが「公平」という安全を手にするまで。

 

新聞紙バッグを作るためにたくさんの企業や学校や個人の方から新聞紙を、送料負担とか送料は負担しないとか

で送って頂けるようになりましたが、それでも時には送ってくださった古新聞に対してのお礼が遅い。そんなに

いい加減な団体なのか、と強いお叱りを受けたこともあります。

 

新聞バッグづくりを専門にしている団体なら、担当者を置いて失礼のない対応ができるかもしれないけれども

自分たちも被災者で仕事をおろそかにできない立場での新聞バッグつくりでは、なかなか充分な対応に至らず、

古川のNPOに事務方をお願いした時期もありました。それもお金が続かずに止めて、以来失礼を承知で不義理

を重ねてきています。

 

義捐金を出してくださる方々にこちらの事情を理解して頂くのはとても難しい。

災害後、すぐにでも動いくださるお気持ちはとても尊いし、有難いのだけれども、せめてもお金がどこにいくのか、

それは知ってて頂きたい。もしくは行く先も遣い道も分からなくてよい、と思い定めていただくとか。

勝手な言い分だと思われるでしょうが、東北の時のあのお金はどこに行ったんだ?と不信感を持たれるのはとても

心苦しい。東北への義捐金の不透明さで熊本に迷惑をかける気がします。

 

せっかくのお気持ちが台無しにならないように、お金の行く先を示すか、確かめるか、時間が経ってからでも

いいので情報の開示を求めてほしい。

大震災から5年たっての反省として、そんなことを思うのです。