宿題

夜、外は雨。

熊本も降っているのかなあ。

明日、海山女子部の黒田さんは、お母さんと猫を迎えに熊本に向かいます。とりあえず、飛行機で福岡まで飛んで

それからレンタカーを借りて熊本まで。ご心配くださったみなさまへのご報告です。

とんでもない事態になりませんように。とにかくこのまま静まってほしい。

 

60歳でここ岩出山に来るまで、東京の企業で働くサラリーマンの妻業をしてました。そのため名刺など全く縁が

なかった。それが大震災後海山が始まってから、名刺を持つようになり、頂いた名刺は膨大な数。

震災が起こってから後、それだけ多くの方にお会いし、お世話になったということです。

 

新聞バッグ作りは、最初は「仕事がしたい」との沿岸の方々の声に応えようと、小さな仕事を作り出す手段として

始めたものですが、夫から「古新聞を加工してラーメン一杯食べられるなんて凄いことだぞ」と言われて、そうか、

そういうことかと納得しました。が、実際に作り始めてみると、ラーメン一杯の価値だけではなく、仮設暮らしの

生活のリズムができるとか、人と出会い話しをするきっかけになるとか、お金だけではない価値があることに

気づいてきました。

 

今回熊本に大地震が起こってから、自分たちがどれほどの方々お世話になったのかを振り返っています。

最初に東京で新聞バッグの販売を(新聞バッグだけではなくて急遽作り出した竹盆栽だの、南三陸のわかめだの

売れるものは片端から売りました〉受け入れてくださったよっちゃんの盟友、自然食品のガイヤさん。

初めから現在まで新聞バッグとよっちゃんなんばんを注文し続けてくださっている東京、恵比寿のギャラリー

「まぁる」さん。大震災の翌々年、津波被災をした南三陸のおのでら菊作りの師匠が、ようやく作った数千本の菊

を市場をなくして売りあぐねている時に、全てを買ってくださった滋賀県の化粧品会社、ウルズの角川社長。

その後もご自分の会社や提携会社に紹介してくださって膨大な数の新聞バッグを作りました。今でも毎年クリスマス

用の新聞バッグを注文していただいています。

四万十ドラマも高知銀行さんもUFJ銀行の企業グループ緑会さんも私の母校、福岡の筑紫女学園の同窓生たちも

仙台銀行さんも・・・・。こんなふうにお名前をあげるときりがないほどたくさんの方にお世話になっています。

 

今私が考えるのは、ご恩返し、じゃないんだなあ。

「支援」言い換えると「一過性ではない応援」というのはこんなふうにするのですよ、と教えられ学ばせてもらったのだ

、と思うのです。

この5年間で私たちが見てきた東北の復興の姿は、そこに住むものが望んだかたちではなく、いろいろな意味での

外からの力で作用された姿のような気がして違和感を覚えることが多くあります。

 

鳴子温泉に住むあやさんから教えられて、今日は川渡温泉で開店した食事の店、キッチン菜の花でお昼を食べました。

キッチン菜の花は川渡温泉の共同浴場のすぐ近く、荒尾川の橋を渡ってすぐのところ。今荒尾川の堤防は桜

満開、河川敷の菜の花も満開でピンクと黄色に染まっています。週末には菜の花祭りが催されます。

キッチン菜の花で、あやさんと「私たちがしてもらったことを九州にも伝えよう」と話し合いました。

おかしいのはさすが海山。応援、支援となると頭に浮かぶのは新聞紙とか新聞紙で作るものだとか。経験から

照らし合わせて他のものが思い浮かびません。

あやさん曰「新聞紙を送ろうか?」

 

新聞紙はあらゆる面で役には立つと思うけれど、送られたほうも困惑するかもしれないので却下。

これから数ヶ月かけて、自分たちがしてもらったことをどのように九州に伝えていくのか考えます。

大きな宿題です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊本、東北

昨年から北海道の㈱ロイズコンフェクトから新聞バッグ10000枚の注文を頂いた。

10000万枚という数量は短期間でできる数ではないので、月に500枚くらいの数にわけて、1年数ヶ月かけて

納品させて頂くようにお願いした。以来、毎月20日を過ぎると時間を調整して、月末には石巻や南三陸で作って

もらったロイズバッグを回収、検品して送るという作業を続けている。

ロイズバッグを作り始めたら、普通の新聞バッグを作る時間が足りなくなって、注文があったら大慌てで作るという

ことをこのところ繰り返している。道の駅で販売している新聞バッグも常に不足気味で、供給が間に合っていない。

 

その不足気味の新聞バッグを何日か前には、東京で結婚式を挙げられたお客様の引き出物用に相当数送り、

昨日、今日は福岡の津屋崎千軒で毎年4月に催される「よっちゃん祭」で販売して頂く新聞バッグの準備をしている。

これも数にすれば百数十枚というけっこうな数。

新聞バッグを袋に入れたり、チラシを入れたりしながら考える。

東北を助けるためにと、津屋崎千軒の山口さんから新聞バッグの注文を頂いて今年で6年目。注文して頂いた

数は有に1000枚は越える。けれども、来年もし注文を頂いたら、このまま東北でお受けしてもいいのだろうか。

 

最初に注文を頂いた時に「10年は続けます」と仰った山口さんの確かな口調に、凄い人がいるもんだ、と思った

記憶があります。その言葉どおり、今年はあまりの忙しさに身体を壊してしまった、と仰りながらもお約束どおり

注文をくださった。その他にもたくさんの東北を応援する活動を続けてくださっています。

今年は福島と宮城の子供たちを福岡によんでくださるとのこと。

でもこれからは、と考えると困惑する。これから熊本や大分にも支えたい子供たちが出てくるだろうし、今熊本や大

分に新聞バッグを作る人たちはいないのだけれど、でも地元福岡の近くの人を応援するほうが重要ではないかしら。

 

これまで地震に縁がなかったところに起こった連続する地震。自分の経験に照らし合わせても、何時くるか解らない

地面や家が揺れる地震に怯える恐怖は想像するにあまりあります。その苦難の中の疲労も悲しみも驚愕も。

 

今はまだなんにもできない。ただ待つだけ。耐えるだけ。

でも必ず必ず終わるときがくるので、それまで国は被災地の人たちの暮らしの安泰、安全を最優先にして対応して

ほしい。経済なんかいいから、後でいいから。原発は心の底から止めて欲しい。宮城にいてもまだ私たちは後遺症を

引きずっているし、この先何時終わるか解らないのだから。

 

東北大震災の年の4月末。

よっちゃん農場のよっちゃんが、梅農場で梅見の会を催した際に、鳴子避難中の沿岸部の方たちに訊きました。

「何がしてほしいですか」と。

返ってきた答えは、「仕事がしたい」でした。

それから私たちは一緒に仕事づくりを始めました。

 

いつか必ず壊れた瓦礫を片付けて、被害を受けた方が立ち上がるときが来ると思う。それまで時間をかけて

私たちに何ができるのか、どんな応援をすればいいのか考えたいと思います。

急ぐと応援しようとする側のペースになってしまうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊本の地震

熊本の地震。

最初の震度7を知って、局地的でよかったなあ、(よくはないけど、東北みたいに広範囲よりはいいし、3月よりも

暖かいから)と思っていたのだけれど、相次ぐ余震であちらもこちらも潰れたり、壊れたり、生き埋めになったり、

無残な様相が現れるにつれて、これはえらいことになってきた、というのが今の心境。

 

思い返せば大震災より5年、何もかも無くなってしまった被災地での、とりあえずの出来得る仕事として新聞バッグ

を作り続けてきたけれど、そのやってきたことから振り返れば、新たに起こった大災害の何を見ても聞いても即断が

出来ないというか、すぐの判断ができずに考え込んでしまう。

知らなかったら決められた。この5年で復興にまつわるいろんなことを知ってしまったら、逆に即断ができなくなった。

 

海山を始めた頃は、前に進むためには様々なことを考えざるを得ず、一歩進んでは「私たちは震災で賢くなった。

次にどこかで災害が起こったら役に立とう。前例になろう」なんて話し合ったりしていたけれど、こうして起こってみれ

ば、「また起こるだろう」とは頭のどこかには残っていても、本当には起こる覚悟はできていなかったんだなあ、と今

思う。

 

考える何の用意もできてない。5年前に同じ経験をして5年間這い上がる努力をしてきているのに・・。

義捐金、募金。否。

お金を集めてただ贈る、というのは、「ちょっと待て」という気持ちがある。理由はある。

体験に即してある。今はとにかく目いっぱい国にやってもらいたい。

 

救援物資。送らなければいけない。今暮らすことに絶対に必要になものを充分に、直ぐに。

赤ちゃん、病人、老人、子供、女性、みんなのが不自由しないように。気持ちが安心するために。

 

その他の物資。否、これも考えなければならない。

いつの間にか自分が救援物資の中継地になってしまっていた、あの苦しかった日々を振り返れば。

 

いろんなことを考えるのです。

報道もヘンだ。報道の仕方がヘン。テレビのコメンテーターの人たちは評論家みたい。仕方がないことだけれども。

実際に体験するということ、しないことの間には大きな距離があるんだ、と・・・。

 

今物凄く考え込んでいます。5年間、復興への活動をやってきました。

私たちは新しい大災害のためにで出来ることがあるはずなのです。やってきたのだから。たくさんの人と知り合って

きたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっちゃん祭」&結婚式&誕生日の新聞バッグ

我が家の春。

プラムの花が咲きました。もうちゃんと実もなるのだけれど、色付くと鳥が食べるので、まだ1個も食べたことなし。

今年は1個くらいは味見してみたい、と思うけど自信なし。鳥のほうが賢い。下に咲くのは水仙。

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大震災以降「10年は続けます」と言って、春の催事「よっちゃん祭」の度にたくさんの新聞バッグを注文してくださる

福岡の山口さんからの連絡が今年はありませんでした。今年は「よっちゃん祭」ないのかな。新聞バッグの販売を

やめられたのかな」

もう4月も半ば近く。連絡がないということは今年はもうないんだ、と思い決めていたら、昨日、余りにも繁忙で身体

を壊していました。が、今年も「よっちゃん祭」をやります。時間がぎりぎりになってしまったけれども、今年も新聞

バッグを是非販売したいので、出きる分だけでもいいので送ってください。とメールがきました。

山口さんが新聞バッグを注文してくださるのはもう6度目。

新聞バッグを注文してくださることよりも、忘れないでいてくださることが、とても嬉しいです。必死で間に合わせます。

 

ひと月ほど前、仙台の田舎群東北村を通じて、大、中、小バッグ合わせて100枚以上になる注文を東京の方から

頂きました。

折りしも「屋根」公演が間近に迫っていることと、ロイズ新聞バッグの検品、発送、おまけに毎月一度はオーダーが

くる恵比寿のギャラリー「まある」さんの小バッグが重なって、なかなかシビアな時間配分になってしまい、一部のみ

を先に発送。残りを折り手さんに作ってもらって、ようやく期限ぎりぎりで昨日発送することができました。

 

昨日の朝になって急に変更になった送り先は、最初にお聞きした個人ではなく東京代官山のブライダールホール。

不安な予感が・・。えー、もしかして結婚式用の新聞バッグだった?

結婚式の引き出物用だとかお誕生日にプレゼント用だとか前もって聞いていれば、そこに相応しい絵柄を選んで

新聞バッグを作るのですが、今回は聞いてないのでそこまでの気遣いはしなかった。

 

今朝、東北村から注文した方からのメールを知らせてきました。

今日はその方の結婚式であること。その方は震災後東北に来られていたこと。東北で見た新聞バッグを結婚式

の引き出物用に使えば少しは東北のお役に立てるかもしれないと考えられたこと。

やっぱり。ああ、早く気づくんだった、と後悔しても返らず、ほんの気持ちだけですがお祝いに卵バッグをお送り

することにしました。

どうでしょう。これ、ちゃんと可愛らしいリボンをかけ、おめでとうメッセージも付けました。DSCF2106

 

そして、先日には突然関西から社員全員の誕生日プレゼントに新聞バッグを贈りたい、とのオーダーを頂きました。

社員の誕生日にプレゼントを贈る、というのも滅多に聞かない素敵なお話ですが、そのプレゼントに新聞バッグを

選んでくださるお気持ちがとても嬉しい。

 

新聞バッグ、何時まで続くのかな、といつも心のどこかでは思っているのですが、こうして日本中の知っている方、

未知の方からのお気持ちを頂いて新聞バッグは続いています。

 

こうしてブログを書いている途中で熊本での大きな地震のニュース。

いろいろ壊れてこれから大変なことがいっぱいあって、良くはないんですが、4月で暖かくてよかった。震度7が

局地的でよかった。などなど思います。

こっちがまだまだ地震の恐怖が無くなった訳ではないので、どうもなんとも言葉が出ません。

余震が続く中、お疲れが出ないようにご不自由が少ないように、被災された方に気を配って頂きたいと願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イスラエルの刺繍

新しい新聞バッグです。

卵入れバッグ。中も外もふあふあ! たまご屋さんとパン屋さんにサンプル送ります。

気に入っていただければいいのですが・・・。

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東京に行って来ました。

強烈に濃い2日間でした。

1日目宿泊は叔母の家。私にとってはたった一人残った叔母で92歳。母の妹で92歳の叔父と二人、千葉県

我孫子で暮しています。

お餅仕事を終えて家を出る時には大雨。新幹線に乗って首都圏に近づくに連れて雨は小ぶりに。

普段だったら上野まで行って常磐線で我孫子というルートで行くのだけれど、今叔母のうちにはアメリカから

帰省中の従妹がいるので気が大きくなって、以前から気になっていた大宮経由で東武電車に乗るというルート

をとってみました。

使えるか、大宮。もし使えたらこれからは東京まで出ないで大宮経由で東京まで行こう、と張り切って大宮駅

に降りたのでしたが、東武電車は長かった。乗るまでも距離があるし、乗ってから1時間以上は長すぎた。

柏で降りてJRに乗り換えたら、上野経由よりも時間オーバー。これからは時間がある時のみ大宮で下ります。

すっかり耳が遠くなってにこにこ笑顔の叔母と一方通行の四方山話に興じて1日目は終了。

 

2日目は、「是非どうぞ。お昼を一緒に」と誘ってくださった渋谷区恵比寿のギャラリーまぁるのオーナー、木川

さんのお言葉に甘えてまぁるへ。本当は誘って頂くような立場ではなく、大震災以来5年間、月に一度は新聞

バッグとよっちゃんなんばんを注文し続けてくださる稀有なお客様なのです。

「まぁる」、フランス語で「Malle」は「めぐる」という意味があるんですよ、と今回初めて伺いました。

「まぁる」さんでは年間お休みがあるの?というくらいにスケジュールをいっぱいにして、多彩な絵画や原画や

工芸品を展示されている画廊で、年に2度は東北支援のチャリテイーを開催して、震災遺児のためのあしなが

基金に協力してくださっています。

今はアフガニスタンや近辺の国で出土する古代石で作られたアクセサリーが展示されています。

 

お昼過ぎ、「屋根」大崎公演にやってきて公演を手伝ってくれた吉田さんが来てくれて合流。

「屋根」を巡る反省やこれからの話をみっちり2時間。新聞バッグに関してのたくさんの提案ももらいました。

 

夕方、フリー刺繍家の天野寛子先生と待ち合わせて、3人でFA2画廊へ。

ここではイスラエルからみえた刺繍家Batiaさんの刺繍の展示とオープニングセレモニーに参加の予定です。

何故私と天野先生がここへ来ているのかは謎。

2年前の宮城来訪時、海山で新聞バッグを習い覚えたノアさんが、イスラエルに帰国する前にイスラエル

大使館の文化担当と会った結果の成り行きで今日のこの日この時間がある、としか説明のしようがないのだ

けれど、初めて見るBatiaさんの刺繍は衝撃的でした。

天野先生の刺繍画を初めて見た時も、こんな刺繍画があるのかと、その美しい強烈さに言葉をなくしましたが、

額の装丁もなく布のまま壁に貼られたBatiaさんの刺繍画もまた強烈に胸をうちます。

 

Batiaさんのご両親はホロコーストを生き延びられた方で、自分はホロコースト2世だ、と仰ったけれども

ホロコースト2世という言葉を私は初めて知りました。

刺繍はホロコースト2世そのもの。

お仕事は刺繍家でありファミリーセラピスト。

イスラエルでは女性も義務付けられている兵役を8年間務めたトラウマを、針と糸を持つことで治していった

等々のお話を聴かせて頂きましたが、やはりBatiaさん本人から聞くお話は、本で読むのとも映画で見るのとも

違う感じがしました。

 

「人生は驚きの連続である」とは何かの本で読んだことがある言葉だけれど、正に然り。

私の人生も驚きの連続には違いなく、頭の中がしっかり疲れた2日間でした。

帰ってその報告をメールでイスラエルに送ったら、間なしにノアさんから「5月」に日本に戻って会いに行きます、

と返事がきました。イスラエルだよ。やっぱり驚きます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梅農場で野点

今日は暖かい。と書いたところで、タイヤを替えていないことを今思い出した。

バタバタバタバタしている間に、暖かかったり寒かったりを繰り返して、気づけばすっかり春。

昨年の秋には葉っぱがわさわさしていたタイリントキソウが愛らしいピンクの花を咲かせました。

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2月の初め頃からフリースクールの若者たちに手伝ってもらって分けたポット入りの球根にも花がつきました。

分けて分けてものすごくたくさんになってしまったこの球根、今年はなんとか捌くのが課題。

 

佐藤梅農場で鳴子の女将さんたちの野点が行われるというので出かけてみました。

今梅の林は紅梅も白梅も開花真っ盛り。

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なだらかな丘陵いっぱいに広がるこの梅林は、よく手入れをされた梅の巨木の開花時の見事さ、梅の木の数では

たぶん個人所有では日本一だと思うのですが、宣伝がされていないので知らない人も多いのです。

これほど美しい梅林は滅多にあるものではないので、是非梅の開花の間に見に来てほしいと思います。

実がなる頃もそれはそれで美しいのですが、梅もぎ作業が忙しいので今のようにのんびりと目の保養という具合に

いかなくなります。

 

先日から倉本先生の宿泊でお世話になった鳴子観光ホテルの女将さんにお会いすることができました。

公演に付き添って旅をされる先生のお疲れが気になって、女将さんには細かいお願いなどしてお世話

をかけましたが、暖かくご対応くださってありがたいことでした。

梅の花の下で、鳴子温泉を代表する旅館、ホテルの女将さんたちがお茶を立てて、振舞ってくださいます。

私も緋毛氈に座って花の香りとともに一服頂戴しました。

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春休みで暇? を心配してくれたのか、由美さんがあと2日で2年生になる孫を連れ出しに来てくれました。

どこに行ったのか。たぶんゲーム? &由美さんの買い物?

帰ってきて夕方、今度は古川までスイミング。

帰りに孫の母親から頼まれた重要物品を買いに食品スーパーへ。その重要物品がなかなかなくてスーパーを巡ること

4店舗。ママのためなら一人でレジまで「ありませんか?」と聞きに行くこの春2年生になる孫の成長が感慨深い。

明日はピアノ。こんな田舎にいても子供の日常はなかなか忙しいのですが、世界は広い。音楽は世界共通語。

続けろ、止めるな。継続は力なり。才能も金もないばーちゃんが言ってやれるのはこの言葉くらい。

目標は5年生でトルコ行進曲。無理か!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「屋根」こぼれ話”会場作り”

3月18日の「屋根」大崎公演の前に、富良野、仙台、福岡の3箇所で、「屋根」の舞台を観ました。

びっくりしたのは、観る度にお芝居が変化していっていること。

芝居というのは、よく解らないけれども台本があって、その台本どおりに何日続く公演でも同じ言葉、同じ動き

で俳優さんたちがお芝居をする、というふうに勝手に思い込んでいたのですが、実際には違った。

たぶん日々違っていっているのだと思います。だから富良野から何公演か後の仙台で観た時には、「あれ?」

「えっ?あんなセリフ聞いたっけ?」という具合で狐につままれたようでした。

芝居は生き物なんだなあ、と納得すると同時に、その進化か変化に魅かれて、ひとつ観るとまた次を観たくなる、

という心境になりました。

 

それともうひとつ3箇所の公演を観て感じたのは、その公演を華やがせるのも、地味にするのも公演を受ける側

のやり方にある、ということ。

主催が大きな興業主というところは決まった形での興業だろうけれど、、岩出山公演のように普段はよっちゃんな

んばん作ったり、餅を作ったりが仕事の俄か仕立ての実行委員が主催する場合には、私たちのやり方次第で、公演

が地味にも派手にもなるんだなあ、と納得。ならば観に来てくださるお客様にも、巡業を重ねて疲労が積み重

なっているだろう劇団員たちにも思いっきり楽しんでもらえるような会場作りをしたい。

 

先立つお金は少ないもので、今の岩出山では最高のおもてなしの梅の花。

玄関ロビーには大甕に生けた梅農場の紅梅白梅。

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例年ならもっと遅く咲くのですが、今年は公演に合わせたように咲いてくれました。

 

劇団員その他の食事を賄うニューフェイス食堂「岩出山ゴールデン食堂」の前にも小ぶりの梅。

ほんとうは食堂ではなくて公民館のただの和室です。

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玄関ロビーの台の上には籠いっぱいの南三陸から「劇団員のみなさんへ」と送られてきた新わかめ。

今ワカメの刈り獲り作業中で、舞台を観に来れないからとけいこさんが送ってくれました。

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倉本先生への大きな花束。、主役二人へ贈る南郷ハニーローズさんで作ってもらったバラの花束。

富良野塾の林のガンピ(白樺の皮)。舞台の中にも出てきますがお客様に観てもらうために。

そして、中央に飾ったのが、倉本先生にお願いした直筆の色紙。この色紙のミニサイズはお客様全員に

届くように用意した新聞バッグに入れます。

北海道のロイズ社から道の駅の15周年記念事業「屋根」へと贈って頂いた大きな盛花が華やかに

会場を盛り立ててくれます。

開場前には昨日ワークショップに参加してくれた高校生たちが今日は制服姿で出入り口に並びました。

チケットもぎり、座席案内、 お客様に新聞バッグをお渡しする役目などをやってくれます。

おかげで、私たち実行委員も舞台を観ることができました。

私はこれで観ること4回目。

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ここまでがホールの外の会場作り。

 

そして中の会場作りは。

開演2時間前くらいに、突然劇団から前の座席を外すようにとの指示が。恐れていたように傾斜が緩いので、前の

ほうのお客さまが舞台上の座った動きの手元が見えない、との理由から急遽座布団を敷くことになりました。

見えづらい心配はしていたけれど、座布団を敷くことになろうとは、まさかの展開。

近くの集会所や公民館からありったけの座布団を運んできましたが、まだ足りず、それまでゴールデン食堂で

俳優さんたちのご飯を作っていた由美さんが家に飛んで帰って座布団30枚を調達。時計を見ながらの大急ぎ、

なので、由美さんどっと疲れた、と思います。

でもそれでもまだ不十分とのことで、次には台。丁度いいくらいの台。誰かが「野菜の集荷籠」と言うのが聞こえて、

そうだ、梅農場の山芋籠だと思いつき、急遽梅農場から30個の山芋集荷籠をトラックで運んでもらうことに。

並べた山芋籠に座布団を乗せて、ホールの会場作りが完了しました。ホールの座席をご覧になった倉本先生の、

お客様全員が見え易いようにとの指示ですが、入ってきたお客様は舞台下の座布団席を見て驚かれたことで

しょう。私も驚いたけれど、思いがけない座布団席は、和らいだいい雰囲気に思えました。

 

会場は満席と満場の拍手で公演終了。

「感動しました」、というたくさんのアンケートを頂きました。

 

岩出山終了後は、秋田、北秋田、札幌を廻って、最後は元に戻って富良野演劇工場での凱旋公演。

お芝居がどんなに変化したんだろう、と思うと富良野へ行って観たい気持ちはやまやまですが、そうもならず、

当地で花束を渡せなかった、お芝居の中の一平兄ちゃん、鉄平兄ちゃん、そして制作スタッフにもお顔を思い

浮かべながら岩出山から花束を贈りました。

花屋さんから送られてきた写真には、演劇工場のロビーの台の上に、時間早めに贈ってもらった可愛らしい

花のブーケが5個並んでました。

公演前に見て、喜んでもらえたらという斉藤事務局の気持ちです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロイズ新聞バッグ発送/機織り工房へ

「屋根」公演という大事業がどうにか終わってひと安心したら、次はロイズ新聞バッグの発送日。

いつもどおり、あやさん、うちのアヤさん、東京から一時帰省中の美和ちゃんにも参加してもらって、

検品、袋詰めを終わらせ、昨日発送終了しました。

もうどれだけ送ったんだろう。お約束の半分くらいは送ったんじゃないかなあと思いますが、一番確かなことは

新聞バッグを折ってくれている石巻の折り手さんが元気になられたこと。

生活の足しになるお金がいくらかにでもなれば、と注文を頂いた当初は考えましたが、折る人が月を重ねるごとに

元気になられる、とは想像していませんでしたから、その思いがけない結果について、ロイズの社長に深く感謝して

います。

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発送を終えた後、道の駅近くの料理屋で、「屋根」実行委員会反省会兼打ち上げ会。

「屋根」公演を協賛いただいた道の駅社長以下、公演成功に向けてこの半年支え合ってがんばってきた委員

一同が食事を頂きながら歓談しました。さまざまな感想を述べ合った後で、これで終わらせるのではなく、

ここを始まりとして、さらに心に感動を残してもらえる舞台公演の誘致や、コミュニケーションプログラムを

活用する話し合いを時間をかけながらやっていきましょう、と約束。その前にみんなで富良野へ行こうー!

という話で盛り上がりました。

 

そして今日はこの1年近くいろいろお世話になった「屋根」に関わる方々へのお礼の品を調達に、娘と、

春休み中の孫も一緒に石巻へ。

久しぶりにお邪魔する織り屋さんは、5年前の工房ができた時よりも、紡いだ糸も織った布も、縫い上げた

服もますます作品が充実してきて目を楽しませてくれます。優しくてさっぱりとした気性の織り屋の主人、

加納さんの人柄に魅かれてのことでしょう。ずいぶん遠くから織りを習いに来る人もいるのだそうです。

娘は次々に見せてもらえる種類の違う羊やアルパカや駱駝の毛の感触に魅せられ、私は縦糸、横糸の

配置でいかようにも色が変わる布に魅せられ、次に来る時には自分のマフラー用のホームスパンを、

とにかく一枚でも作ってみる相談をしましたが、実現しよう。

生徒さんが製作中の布の鮮やかな青。

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まずは糸紡ぎから。

織物は7割が縦糸と横糸の配置で、3割が機織り仕事なのですって。

ご主人が作られるずっしり重い天然酵母のパンをいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノアさん/南三陸へ

イスラエル国籍のノアさんから、食糧学院を卒業したと電話がありました。

イスラエル人とはいっても、元は日本人のノアさん。イスラエル人のご主人が亡くなった後、イスラエルでの食の

改善という職業を目指して日本に帰国し、食糧学院に入って2年。勉強に勉強を重ねて目出度く精勤賞、校長

特別賞、栄養士資格も授与されて卒業。月末にはイスラエルに帰るそうです。

今後はオリンピック選手団の団長アシスタントとして選手団の栄養面のアシストをする道に就かれますが、ノア

さんのもうひとつの目標はイスラエルで、そしてリオや東京オリンピックで新聞バッグを広めること。

最初聞いた時は、ほんとにそんなことをやるの?と思っていたけれど、きのうの電話でイスラエル大使館に行って

説明してきた、と聞いて俄かに現実的になりました。

特別上等の新聞バッグを作って(とは言っても新聞紙に変わりはないけれど)、セキュリティ厳しいイスラエル

大使館に新聞バッグが初見参することになりました。

ノアさんは2年前の夏によっちゃんちに農業研修にきました。我が家に泊って新聞バッグ体験をしたことがこんな

形につながって、ほんとうに不思議なめぐり合わせだと思います。

ノアさんは50代半ば。こんな立派な日本人女性がいることが誇らしい。

元気でイスラエルで活躍し、東京オリンピックの時には必ず日本に戻って新聞バッグを選手団と一緒に作って

くれることを願います。

 

そして今日は1ヶ月ぶりにロイズ新聞バッグをとりに南三陸に行ってきました。

どれほど道が変わったかなあ、ますます訳がわからん道になっただろう、と思いつつ行ったら、解らないのは

相変わらずだけど、基本に戻った45号線を走らせられてヘンな感じ。じゃあ、先月はどこ走ったの?と周囲の

赤土ピラミッドを見上げ、見回したけれど、あの道がどこに行ったのかわかりませんでした。セブンイレブンや

ファミリーマートが突然思いもしないところに出現するので、もう1か月毎の道路の変化を考えるのは止めました。

先月下界に見下ろしていた防災庁舎が平面に見えるようになっていた。

 

さて久しぶりに見るけいこさんちの海辺の作業所。

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これは海方向。 津波に洗われた跡はやはり変わらないまま。

今はワカメ収穫最盛期。作業場においで、と言われて来ましたが、作業小屋の前でまずは、初めて見る

ヒジキのドラム缶煮にひっかかりました。

私たちが油揚げや人参などと一緒に煮て健康食だと食べるヒジキは、こんなふうに海から収穫してDSCF2054

こんなふうにドラム缶で5時間も煮て、真水でさらして仕上げるのだそうです。DSCF2052

手がかかってる。これからは徒や疎かには食べられない。ましてや残すなんてもってのほか、と自らに言い

聞かせて。

小屋の中では家族総出でワカメの作業中でした。

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80歳を過ぎたおばあさんも大事な手の一人。おじいさんがいないのがとても残念。

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ここに来る度に日本の海の豊穣さを思います。

失ってまた得る。えいえいとして人はこうして暮しを続けていくことの実感が胸に迫ります。

またワカメやヒジキをどっさりお土産に頂きました。

この獲れたてワカメを全員に富良野に持ち帰ってもらった富良野GROUP「屋根」は今夜、富良野演劇工場で

凱旋公演です。花束を5個、大崎から送りました。今頃は打ち上げ真っ最中でしょう。

 

 

今夜は大きなお月さまが煌々と庭を照らしています。梅は満開ですが、朝晩の冷えること冷えること。

明日は「屋根」こぼればなしに戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「屋根」大崎公演こぼればなしースコーレハウスー

岩出山スコーレハウスは、大崎市岩出山にある文化会館です。

客席数は430弱。席数からするとあまり値段の高い劇団をよべる会館ではありません。チケット代、6、7千円で

販売できるならべつですが、普段の生活からみれば3千円でも「高い」と言われそうな文化的環境なので、ここで

興業を成立させるにはなかなか難しいものがあります。

 

最初は古川市民会館(座席数1000)が第1候補でした。でも「屋根」を公演するには高さが足りないとの理由で

美里の文化会館(座席数800)へ行きます、というところを無理にお願いして、小ぶりの会館、スコーレハウスを

見に来て頂きました。可も無く不可もなく、帯に短し襷に流し、というのがその時来られたコーディネーター新堂さん

の感想。 不可じゃないならここでできるんじゃない?という希望がムクムクと・・。

 

ひとつだけ心配なのが、ホールの傾斜。特に富良野ですりばち状のような舞台を観て来たもので、なんでこんなに

緩いの?これでお客様全員見えるかしらと不安になるほど傾斜がゆるやか。後で吉田さんに「そんなこと全然ない。

立派なホールよ」と言われて安心しましたが、最初の頃は「座席から舞台も近くてアングラ風でいいけれど、背の順

序で座ってもらいたい気持ちでした。

 

場所が決まれば次はお金。文化庁の助成金を申請し、会場代は大崎市にお願いし、さらにはあ・ら・伊達な道の駅

にも援助をお願いし、後は何が何でもチケットを完売する覚悟で、「屋根」大崎公演への第一歩が始まりました。

 

そのスコーレハウス(スコーレはスクールの語源のギリシャ語で学ぶという意味があります)、での舞台上演前日の

催しはコミュニケーションワークショップ。

富良野GUROUPが主催するコミュニケーションプログラムで、人と人とのコミュニケーションや表現、演技などを体験

できる子供向け、企業向け、学生向けなどのプログラムがありますが、ここ岩出山では大崎管内の演劇部の高校生

にワークショップのご紹介をしました。

集まってくれたのは地元の岩出山高校、古川工業高校、小牛田農林高校の生徒たち、20人余り。

参加者には「屋根」上演当日のチケットもぎりや座席案内などのボランティアをお願いすることになっています。

ワークショップの講師は劇団員の久保さん。お芝居にも出演されています。

ワークショップ始まりのの時の子供たちの顔は緊張と当惑でガチガチ。

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それが時間が経過するにつれて、動きがよくなり表情にも変化が・・・。

最後は見物の大人も含めて大笑い。子供たちも快活に笑い話すようになりました。

コミュニケーションワークショップ、凄い力です。ここではあまり知られていないけれど、富良野では進んでいて

全部の高校が参加してワークショップが行われています。

 

ワークショップが終了後の劇団員の夕食は、よっちゃん農場手づくりのよっちゃん弁当です。

みっちゃん大奮闘のお弁当、劇団のみなさん、喜んでくださったようですよ!

 

暗くなって、岩出山の梅農場の3代目宗一さんが梅の枝を持って登場。

選びに選んだ枝ぶりの良い長い梅の枝を引き立てる大きな甕と一緒に飾る青竹を運んで来たのはよっちゃん。

玄関ロビーで、「屋根」実行委員会の男たちの生け花が始まりました。

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近づいてみたり遠ざかってみたり、なかなか決まりません。

男4人がかりで、今満開の紅梅、白梅がロビーに飾られました。

いよいよ明日は舞台上演です。