完成! 東北復興手拭い

本日、手拭いが出来上がってきました!

とっても素敵です!!やっぱり思い続けるもんですねえ。東北の産物を描いた手拭いを作りたいなあと
思い初めてからほぼ五か月。なかなか実現は大変でした。

だいたい手拭いというもの、どうやって出来上がっているのかわからない。デザインってどうするんだろう。
自分では全く自信がないから、専門家に頼んだらいいのか。そう思って手拭い屋さんに電話したら、即
断られました。今その手拭い屋さんは忙しいから駄目だって。2軒目電話して、はかばかしくなくて、そうだ!!
東北の手拭い屋さんがいい、と思ってようやく見つけたら、津波で亡くなられていて、そのあたりから
本気になってきました。絶対作るよ、東北福幸手拭いを、と。「福幸」というのは、手拭い作りをとても喜んだ
病床にある友人が、復興ではなく「福幸」という文字がいい、と言ったから。
そうだ、彼女はとても大切なことを言いました。「被災地を理由に買うことを無理強いしないでね。誰でも
欲しい!と思うような、うーんと素敵な手拭いを作ってね」
青森から福島まで考えてみて、
遠くの希望の産物はよくわからないので、最初は宮城から。 続きを表示

『みず』22号

また雪ですよ。ちっちゃい米粒のような雪。雨みたいな雪だとなめて外に出たら、思いがけない積雪で
除雪がされてないので、ハンドルとられて苦労しました。

今日は私の冊子ができるというので、午後約束の時間に町へ。雪の日に細い小道の奥の事務所には行きたくない
ので、申し訳ないけど、表通りまで出て来てもらって初見参の自分の冊子をもらって、うーん!、ボリュームが・・・。
仕方ないよね。自分一人で、ひとつのテーマだけで書いた文章だから。 続きを表示

ありがとう 啓子さん

何からどう書いていいのかわからない。

 

「 聞いでけさいん 新聞バッグのはなし

それはリサイクル、包装紙、持ち運びに便利

宮城の今を伝えます。

山に避難した『海の手』から生まれました。

私たちは、

山間からヨノナカを変えていくメッセーシを小さな新聞紙に詰めて送りたいのです」

 

新聞バッグを作り始めた時、
「バッグに何かメッセージをつけたいんですけど、何か考えてくれません?」
と啓子さんのアトリエ兼レストランの『風のアトリエ』まで頼みに行った時、いいよ、と即座に承諾してくれて
その翌日だかに受け取ったのが、薄いベージュ色のタグに書かれた『新聞バッグのはなし』だった。 続きを表示

ヘトヘト!

朝起きたら雪。それもけっこう本降り。積もる雪。きのう、ああ、溶けた、溶けた、ほとんど全部溶けちゃったと
喜んで、畑の家も坂道の途中まで車で登れるようになって喜んでいたのに、またァ、面倒くさいなあ、と思って
いたら8時頃になったら雨。それも本気で降ってる。これじゃあダウンじゃ濡れると思ってレインコート着て行ったら
寒いのなんの、風邪ひきそうな一日でした。午後からは凄い霧でした。

止めてほしいですねえ、こういう天気は。
と朝の道の駅で天気をぼやいていたら、「広告に写真でてたね」と出荷者から声をかけられ?!
「なんのこと?」と尋ねたら、なんと私の写真がとあるお店のチラシに出ていたとか。 続きを表示

素朴な疑問

空全体が鉛色に覆われ小雪が舞う朝、道の駅出荷のお餅を持って、車で家から道路に出る坂道を降りて行くと、
県道の向こうのほうから、一輪車に(野良仕事ではネコぐるまともいいます)何か大きな丸い形の物を乗せて
運んでくる女性が見えました。少し腰が曲がられていて、少し歩いては停まって、うーんと背と腰をのばしてから、
またエッチラオッチラ。少し歩いてまた停まってうーんと背と腰を伸ばして、なかなか進行が捗らない。 続きを表示

青年部会エボ・ラボ誕生

昨日は私が出荷している道の駅の出荷者組合の総会でした。年一回だけの総会です。大切な項目はここで
決めなければなりません。毎年決めなければならないことはいろいろあるけど、今回の目玉は、これまで野菜だの
加工だのの専門部会しかなかった組合組織の中に次世代を担う青年部会が生まれたこと。

これは大きな転機になるだろうと期待します。
私が当地に越して来てから10年余り経ちますが、初めから「なんでだろう」と訝しんでいたのは、出荷者は
たくさんいるのですが、若者の活動がおとなしいこと。全然いないかというと、そんなことはなくて、立派な
野菜を作って出荷する若者が何人もいるんです。 続きを表示

河北新報

河北新報という新聞を初めて見たのは、10年前首都圏から当地に越して来た時です。
転勤が多い暮らしをしてきたので、初めて住む土地ではそこの地方紙と、地方紙だけでは頼りない感じがして
読売とか朝日とか、全国共通のような新聞も合わせて読むようなことをしてきたのですが、宮城に来てからは
自分を囲む生活環境があまりにも違うので、河北新報と大崎タイムズという地方紙2紙を取りはじめました。 続きを表示

楽しい朝のバーコード室

毎朝9時を過ぎてから、出荷物のお餅を持って(時々は花も持って)道の駅に行きます。
今年の冬は例年になく厳しい寒さが続いて、私の花のハウスも凍りついて開かなかったりしますが、
野菜を作る人たちはもっと大変で、勿論路地の野菜は凍みて採れませんが、秋に種を蒔いたハウスの
冬野菜も育たない(この地方ではオガらねえ、と言うみたい)、と困ってます。 続きを表示

嬉しいこと、二つ

ミラノのKMさんから連絡が来ました。
送った震災時の河北新報を読んで涙が止まらないって。私など、もう既によんだはずの新聞をミラノへ送る
ために選んでいて、また泣いたりしてました。やっぱり、この大震災と原発事故は、よほどの巡り合わせでしか
巡り会わない悲しい出来事なのだと思います。

だからこそ後がないから前進しかないと思えるのかもしれない。 続きを表示

新聞バッグ、ミラノに到着

今日の夕方、イタリアはミラノのKMさんから、「荷物着きました」と連絡がありました。

早ッ!
送り出したのが先週の金曜日の夜ですよ。それも宮城県北部のこんな片田舎の町から。
ヤマトさん、凄いですねえ。
座席の狭さが苦痛で、国際線に乗れず、従って海外旅行をしない私にとって、イタリアは
とても遠い遥かな国に思えるのですが、そうでもないんですねえ。 続きを表示