”みず”でアップアップ

実は私は同人誌”みず”のメンバーでもあります。作家の高田宏先生の教室の生徒で、年に1度同人誌を出しています。もう今度で21号だか22号だか。ということは同人誌を22年間続けてきたということですが、この紅葉シーズンでまっこと忙しい10月末が締め切り。全く書けず、四万十まで原稿用紙を携えて行ったのですが、さらに全く書けず、今日に至っています。

ということで、仕事の合間にはパソコンの前に座り続けです。新聞バッグのことを書きたい! 続きを表示

支援について

                被災地支援に北海道から牛が贈られたとテレビのニュースで見ました。そして

       今日は船が贈られた気仙沼で、漁師さんの笑顔を見ました。こんなニュースを

       見るとき、「いいなあ、良い支援だなあ」と思うんです。

       その牛で、その船で、漁師さんも牛を送られた人も仕事ができるのですから。

       問題ある発言かもしれないけれど、やっぱり私は支援というのは、働けない人

       以外はそれがあったら仕事ができる、というものがいいと思うんですよ。

       私が住む町の隣町、鳴子温泉は一時期千人の津波被災の方々が避難して

       きたところなので、私や仲間の海山ネットメンバーは数多くの沿岸部の友人

       ができました。沿岸部に戻って仮設住宅に入った人が大半ですが、そのまま残

       った人もいます。今日もお餅の仕事や花の仕事を手伝ってくれたのは、子供

       が鳴子の中学校と小学校に入ったので、今もこちらで暮らさざるを得ない南相

       馬のKさん。子供もいて、両親の介護をするために近くの農家を借りて住んだ

       Tさん。今日はちょっと離れた所に住んでいる元鳴子に避難していたOさんから、

       お仕事がないか、と相談が来ました。でもね。こうして必死で働こう、としている

       人がいる反面、仮設入居の人の中には「仮設に入ったほうがいいよ。いろいろ

       貰えるから」という人もいます。

       誰も悪くないんです。

       でもいつまでも貰えるものではなし、やっぱりみんなでがんばらなきゃあ。

       みんなと一緒に何の仕事ができるんだろう、と考えてますが、とりあえずは 

       これまで自力対応ができなくて放っておいた木の実や花やタケノコやワラビ、

       に栗、その他をきちんと採って加工して販売してみたいと考えています。

       みなさん。よい知恵があったら貸してうださいね。

       

       

       

       

大多忙の一日

              今日は文化の日。相変わらず暖かいというより、畑にいると暑いくらいの温度で

       晴れてお天気もよいので、道の駅の前の国道47号線は鳴子温泉、山形方面

       に向う車も戻る車もビッシリの渋滞です。

       今日一日だけで道の駅には片道15分の道のりを3度往復して、混み合うお客

       さまの間を「すみません、すみません」とかき分けて進んで出荷して、さすがに

       夕方にはヘトヘトに疲れました。

       群馬のお客様、埼玉のお客様、遠いところからみえた何組かのお客さまとお

       話したけれど、東北まで来ていただいただけで、ほんとに有難うです。

       道の駅まで行ったついでにちょっと足を延ばして潟沼の紅葉を見に行ってきま

       した。潟沼というのは鳴子温泉の山の中にある周囲を紅葉の山に囲まれた

       酸性の沼で(観光客にはあまり知られてないみたい。沼の畔にあるラーメン屋

       のおばさんが、町がちっとも宣伝してくれないとボヤいてました)、私は紅葉

       時期は鳴子峡へは行かずに、この沼の小屋で周りの山の紅葉を見ながら

       ラーメンを食べて紅葉狩りを終わらせます。

       今年の紅葉は残念ながら気温が高すぎて、黄色だったり赤だったり緑だったり

       枯れて葉が落ちていたりノゴチャゴチャで贔屓目に見てもきれいじゃない。

       明日も明後日も混雑は続きそうです。今日は祭日で娘のAちゃんと新聞バッグ

       制作に励んだ南相馬のKさんと明日はクリスマスローズの植え替えをやります。

       明日もあったかそうですよー。

       

       

     

    

高知

                  毎日暖かい。高知では暑いくらいだったけど、ここでもあったかい。

        天気も良いおかげで、道の駅の仕事がめいっぱい忙しい。

        お餅。土佐で見てきたお餅の真似をして売ってみました。売れるかなあー。

        売れました!

        今日は白いお餅だったけど、高知の朝市では蓬、砂糖、黒砂糖、豆、きび、サツ

        マツモ、その他いろんなものをお餅に搗きこんで、搗いてすぐにポリ袋に入れて

        売ってました。私もやってみたい。

        私の今の販売品のパンジー、ハボタンも日曜市で売ってたけど、パンジーの

        売値は高知が高い。温度が下がらないので、高知のハボタンは緑色でした。

        やっぱり、百聞は一見にしかず。

        見ることからしか新しい発想は生まれて来ない。

        高知は何回でも訪れたい、見たいものがいっぱいある魅力的な街です。

        

帰ってきました

       高知四万十新聞バッグコンクールから帰ってきました。

       高知県は初めて訪れましたが、暖かくて(夏みたいだった)、ほんとうに素晴らしい

       ところでした。高松城と桂浜に行きましたよ。

       桂浜の波の荒さにはびっくりしました。ここから坂本竜馬は海の向こうを見て、

       「新しい日本を作ろうと思ったんだなあ」と感激して、桂浜のきれいな石を拾って

       お土産に持って帰りました。私たちにずっと動向してくれた高知のスーパーウー

       マンとも子姉さんの話によれば五色砂というんだそうです。

      さて、新聞バッグ。受賞させていただきました。

      それはとてもとても嬉しいことだったけど、審査後の交流会で、参加者からかけら

      れた「声」がまあ、ショックといえばショックでした。

      たくさんの新聞バッグが会場の今は廃校になっている元広井小学校の教室に

      展示されているのですが、わが東北新聞バッグはひとつの教室に、他の震災

      に関連した新聞バッグと共に展示されていました。

      その教室に入って、南三陸の、女川の、南相馬のみんなが真剣に311以降の

      新聞の紙面を選んで作った新聞バッグが目に入った途端になんということか

      涙がこぼれてきてしまいました。よっちゃん農場おくさんのミッチャンも同じ想い

      らしく、泣けるー、と言ってます。たぶんよっちゃんも泣きそうになったと思います。

      でも、周りの人は私たちがなぜ泣くのかけげんに思ったことでしょう。

      交流会の会場で一人の年配の女性から

      「私はあの教室には入ることができませんでした。とても見れなくて」

      ええーッ、どうして? せっかくみんな一生懸命作ったのに。

      見てほしかったなあ。

      次の男性

      「あの展示を見たとたん、鳥肌がたちました」

      別の男性

      「泣きそうになった」

     それでようやくわかりました。津波や被災や苦しみや悲しみや希望の記事は

     私たちにとっては日常でも、東北以外の人々にとっては非日常なのだと。

     311以来の新聞に被災者や復旧、復興の記事が載らない日はありません。

     なかったら忘れ物をしたような気がしてしまう。

     そのへんでこれは新聞バッグといっても受け止め方が違ったんだねえ、と

     受賞を諦めたのですが、でも選んでいただきました。

     タイトルは「信じて前へ」

     みんな喜ぶと思います。副賞をお土産に持って帰ります。

     四万十の旅は本当に素晴らしい旅でした。四万十ドラマの関係者の方々に

     大変よくしていただきました。山ほどの新しい発見がありました。

     これからも新聞バッグを作り続けて来年は再度挑戦します。東北の新聞で

     東北の気持ちで作って、でも「見ませんでした」なんて言われないように。

     

      

      

四万十

      28日、29日、30日は四国、高知県の四万十に行ってきます。

      新聞バッグコンクールです。

      四万十は新幹線に乗って東京まで行き、羽田空港から飛行機に乗って

      高知竜馬空港まで行き、降りて車で3時間走って到着します。

     あまりの遠さにどうしょうか、と行くのを躊躇いましたが、やっぱり行って

     新聞バッグを見届けます。

     帰ったらご報告します。

約束

       紅葉シーズンの大多忙の中で、パナソニックさんのイベントが終了しました。

       片付けの時、パナソニックさんが作ってくださった海山ネットの直売用の大きい

       看板を見て感激しました。海山ネットの山の手メンバー4人だけでは予算的に

       もなかなか物品販売の形を整えるまでにいかないのですが、こうしたご支援

       のお心遣いによって私たちの活動は成り立たせていただいているのだな、と

       実感します。

       終わりかけにはパナソニックさんの方々が何人も買い物に来てくださり、志津川

       のSさんが販売している海産物がたくさん売れました。

       Sさんは元自動車会社勤務。津波で家とお仕事場を失くされ、今は仮設住宅の

       支援員というお仕事をされています。支援員というのは来年の3月までの国の

       補助事業で仮設住宅を一軒一軒回って入居者の状況を知ったり、お話を聞い

       たりするお仕事です。

       海山ネットの海の手メンバーとして、今回のパナソニックさんのイベントでS

       さんは、海産物を自分で仕入れて販売するという試みを始めました。さすがに

       元営業マン。自動車であれ、海産物であれ、売るということは基本的には

       変わらないらしく、販売の姿勢にSさんの長年の経験に裏打ちされた無駄の

       なさを感じました。

       Sさんが突然「冷蔵庫が欲しいねえ」と言い出しました。6回の販売を経て

       海産物屋さんがSさんの名前を付けて売ってもいい、と言ってくれたそうで

       すが、完売できなかった時に保管する場所がありません。

       置き場所、それからSさんが志津川まで帰れない時(1時間半くらいかかる)、

       の寝場所くらいは私の家を利用してもらっていいけれど、冷蔵庫を買うとな

       るとねえ。うーーーん。二人で唸り声しか出てきません。

       でも私は思うのですが、自立とか自活とかというのはこういうこと、今Sさんが

       がんばろうとしているようなことではないのかと。

       働くことができない人に支援をすることは重要だけど、どうにか被災の打撃か

       ら立ち上がろう、脱却しよう、まずは自力で進もうとしているSさんのような方

       には支援というよりも、自立自活の応援をしなければならないと、一緒にいて

       思います。

       来年の3月にSさんの仕事がなくなったら、一緒にお店でも始めようというのが

       Sさんと私の約束です。

       

       

       

      

       

紅葉シーズン

        ここ1週間ほどで栗駒山の紅葉も下界まで降りてきて、鬼首、中山平、鳴

       子峡などの紅葉の名所もいよいよ見頃のようです。  道の駅も紅葉見物の

       お客様で連日にぎわっています。

       それにしても暖かい。さきほどたまには外ご飯をと10キロほど離れた隣町

       のファミリーレストランまで山道を走って出かけたのですが、 この東北で10

       月下旬の夜なのに20度。暖かいからか外は20メーター先も見えないくらいに

       真っ白い靄が立ち込め、ヘッドライトの先に子狐の姿が浮かび上がりました。

       轢かれなきゃいいけど、と思っていたら、今度は丸まったグレーの生き物が、

       尻尾を引きずるような歩き方で右の田んぼから左の藪へとヒョコヒョコと横

       切ります。ウサギ? 狸の子供? のような感じでした。

       人は歩いてないから人を轢く心配はなく、車とぶつかる心配もないけれど、夜

       の運転は動物を轢かないようにととても神経を使います。

        つい2、3日前までたくさん見えていた山栗が落ちつくしたのかどの木にも

       見えなくなりました。越してきた年に植えて10年たって今年初めて実をつけた

       姫クルミ。「やっとなった!」と喜んでいたら、全部リスに持っていかれて

       全く採れませんでした。このように山里の暮らしは動物たちと共にあります。

        いるんです! 熊も。

       今年は山の実りが豊かなようで、熊出没が大変少ない。こういう年は本当に

       ホッとします。人が怪我することもないし、熊が殺されることもないから。

       でも私は夕方の畑でガサガサッと音がすると緊張して逃げ腰になります。

       昨年は気合を入れて作ったトウモロコシを3回に渡って全部熊の親子に食べ

       られました。1本も採れなくて、熊の食べ残しのトウモロコシを拾って食べま    

       した。悔しいので今年は作らなかったけれど、でもやっぱり秋になって冬眠

       の前に食べ物がないのはかわいそうで、木の実が豊作の年にはたくさん

       採って保管して置いて、 不作の年には山に撒いてこようかしら、などと

       思ったりします。

       今日は私の身の周りの動物の話ばかりでした。

       明日はパナソニックさんのイベントの最終日です。海の手山の手ネットワーク

       は仙台、石巻、多賀城と3週に渡って週末には出店させていただきました。

       パナソニックさんのご支援のお気持ちに感謝いたします。

       ありがとうございました。

   

       

    

なんか違うなあ

      大震災から7か月が経ったが、沿岸被災地では避難所にいた方々が仮設住宅

      に入ったくらいが主だった変化で、後は取り立ててどこかで格別の復興が進んだ

      という話は聞かない。

      たまに仮設住宅に行くと、住んでいる人で住まいの外観に違いというか、差が出

      てきたことを感じる。つまりはゆとりのある人は暮らし易いように外観を整え、ゆと

      りのない人は仮設住宅そのまんまと具合で、当たり前といえば当たり前のことだ

      が、たまに行って外側から見ると胸が詰まる気持ちになる。

      私は市街地育ちの都市生活者で、もともと団地育ち。結婚して子育てをしている

      間も団地、マンション、郊外の住宅地と、見知らぬ者が寄り集まる住環境で暮らし

      てきたが、ここの人たちは違う。

      もともとの在所で生まれて育って、顔見知りの住民同士が同じ土地で暮らして

      きたのが、ある日突然たった1日で家も仕事も何もかもなくなって、あっちやこっち

      で散らばって避難生活をした後、抽選で当たってこの仮設住宅に入った、という

      ことなのだ。

      その心を想像しようたってできない。

      毎日テレビでは国会討論の中継や、復興についての討論などが取り上げられ

      ている。取り上げられないより取り上げられたほうが良いに決まっているが、

      でも聞いていて、違うなあ、と思ってばかりだ。町の復興は取り上げられるが、

      人々の復興が取り上げられていない。

      なんか違うなあ、と思うことをこれから書いてゆきたい。

      

    

 

      

道路がなおった

               ようやく道路がなおった。

       道路といっても家の下にある県道から我が家までの勾配のきつい進入路で、

       舗装が剥がれて荒れに荒れた私道を直してもらえないか、とずいぶん以前に    

       知り合いの土木工事会社の社長にお願いした修理だった。

       大震災の影響で、土木工事とか、家をなおすとか、そういう類の工事は、まず

       直してもらえない、というのが、東北在住の私たちの今の常識なんだけど、でも

       実際には非常に困る。

       先日保健所に行ったら「どこか壊れませんでしたか」と訊かれたけれど、家は

       壊れていないが、地盤に亀裂が入り、少々傾いている。ほっとけないので直したい

       のだけれど、修理を頼めるところがない。

      「そうなんですよねえ。家とか作業場とか壊れた人はみんな待ってるんですよねえ。

       材料も揃えて待ってる。でも全然来てもらえない、と言ってますよ」

       担当の人はそう言って笑っているが、屋根の修理など2年待ち、3年待ちという話

       も聞いた。

       何時まで待つのかというのが分かれば有難いが、数週間なのか、数か月なのか

       さっぱりわからないので困ってしまう。が、状況が状況なので、「何時来ても

       らえますか」とはとても聞けない。我が家の進入路については一回だけ「何時

       頃?」と電話をしたが、返事が来ないので2度は聞けなかった。

       でも寒さが来る。12月になったら道が凍る。雪が降ったら、こんなにデコボコで

       雪が掻けるのか。心配になって、来てもらえない間は自力で少しづつ修理をする

       ことに決めた。

       とりあえずホームセンターの砂利をトラックで一杯運んでもらおうと、頼みに

       行ったら、なんと来てくれるのが1ヵ月先とのこと。運んでもらうだけで。

       後できることはバケツ1杯とか土嚢袋1袋とかの単位で少しずつ買って運んで

       来ては亀裂や穴を埋めるしか方法がない。

       今日買ってくるか、明日にするか(畑の側溝で脱輪して車が上がらなかった)

       と迷っていたら、今日、日曜日に来てくれると連絡があった。

       応急処置ながら亀裂が埋まってきれいになった道にほっと一安心。感謝してい

       ます。

       でも、この土木や家周りの修理の工事など、これからどうしたものかと実に困惑

       する。家の周辺でも3月11日の大地震の時に大きく壊れたままの道路が何か所

       もあるし、一回修理をしても車が走ればまた壊れ、その上に被せてまた直すの

       でだんだん道路はデコボコになり、最初は15㎝くらいだった段差がこの7か月

       の間に20㎝くらいの段差になった道路などあって油断ができない。

       きのうは海山ネットの石巻での出店で、石巻まで行ったが混雑する幹線道路を

       避けて田舎道の県道を行ったら、ひっきりなしの損壊応急処置道路で、気疲れ

       した。これだけたくさん壊れているんだもの。トラックも重機も人夫さんも余って

       るわけないし、やっぱり私たちは待つしかないのですねえ。