12月29日
今日こそは鰤をと朝から意気込んでいたけれど、結局は1日お餅つきとお餅切りに追われて、古川の
ちょっといいもの食材スーパー[pibotto」まで出かけていったのは夜。ここの魚は生きがいいので
わざわざ来たんですが、なんと鰤が半額になってた。よかった!トクした!!
ついでにおせちの材料も買いました。簡単に簡単にとは思うものの、世帯をもって以来50年、お正月
がくると作り続けてきた習慣からはなかなか抜け出せません。
仕事のやり方考える、とは言ったものの、結局のところは追われてる。掃除もまともにできてない。
1週間寝たのが痛かった~。
昨日老人の仕事のことを書いたのは、自分が年をとってみて周りを見回してみれば、友人、知人、
年をとって好い生活ができているかというと、決してそうではない現実が多いことに気づかされるのです。
市場調査などで、「老後の生活」について問われると「不安だ」という答えが多いことにうなずかされます。
50代くらいのまだ力があるうちは「なんとかなるだろう」と思うことができるのですが、とどのつまりは
全然「なんともならない」。
「なんともならないんだねえ」というのが、私たち老人友だちづきあいの合言葉のようなもんです。
なんとかなるのは、大企業の社員とか公務員とか大きな商売してる人だとか資産家だとか。
というようなことを、自分が年をとってきて、改めて自分の交友関係の中で考える時に、これは(老後につい
ては)10年くらいかけてしっかり考えるべき重要課題ではないのなあ、と近頃思います。
集落の中にある別荘地という立地で暮らしている我が家の新聞受けは、下の県道に面した私道入り口に
設置しています。家は何軒もあるのだけれど、住んでいないので新聞をとってるのは2軒だけ。一番高いと
ころにあるIさん宅は毎朝犬の散歩をするので、その時に新聞をとります。
坂道を歩かず、車で通過する私は新聞をとるのが面倒で、ついついほったらかし。どうかすると溜まりに
溜まって箱に入りきらないという事態も発生します。
それでも放置していたら、区長さんから電話がかかってきました。
「どうかしましたか?新聞屋さんから新聞が溜まっているんだけど、大丈夫だろうか、と電話があったの
ですが、具合でも悪いですか?」
一人暮らしの私は、新聞受けに新聞を溜めて、大丈夫か?生きてるか?と新聞配達さんを心配させた
ようです。恥ずかしい。
この間テレビで裏日本の大雪を押し分けて郵便を配達する郵便配達の方を映していましたが、「どうして
それほどまでにして行くのですか」という問いに、家の中のお年寄りが「生きてるかな。死んでないか」と
思うので行くと答えてました。
私の友達の由美さんも、雪が降ろうが凍りつこうが、倒れている竹はノコギリで挽いてでも行くという
くらいにヘルパーさんの仕事を全うする人ですが、こういう方たちに私たちは見守ってもらっている
ことを感じます。
残すはあと1日。きのう8人の人にお餅を送ったら、一緒に入れようと思っていたお汁粉用の餡子を
外の冷蔵庫を気取って発砲スチロールの箱に入れて戸外においたら、送るの全部忘れてしまった、。
寒ーい時に食べるおいしいお汁粉を味わってもらおうと思ったのに。ああ~~ばかな私。