小樽のさんま

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ショーエイさんの奥さん、たかちゃんが北海道で獲れたさんまを持ってきてくれました。

もう、そんな季節になったんだねえ、と感慨深い。

ショーエイさんは南三陸は志津川港の漁師さん。今は志津川は津波で流されてないので

ショーエイさんは遠く北海道でさんま船に乗ってる、ということです。

震災後2年経った去年からショーエイさんが船に乗ると、秋刀魚を頂けるようになりました。

たかちゃんから「お父さんに」という伝言なので、まずは夫の遺影の前に。

「そうか、そんな季節か」と喜ぶ夫の笑顔が見えるようです。

 

大震災の夏、沿岸部の方々が、2次避難場所である鳴子温泉から仮設住宅に入って行く時に

戻ろうか、ここに住もうかと迷うショーエイさんご夫婦は、まずはしばらくの間ということでしょうが

避難で住んだこの土地を選んで家を借り私たちの町の住民になってくれました。

あれから3年。お孫さんが生まれ、ショーエイさんはさんまが獲れる時期には北海道で船に乗り、

たかちゃんは家の周りにたくさん花を植えて、よっちゃんちの南蛮の栽培をし、重要な労働力として

農作業の手伝いをしてくれたりしています。

御礼の電話をした時に、「ショーエイさん、何時帰ってくるの?」と聞いたら、まだまだ。こっちにきてから

(さんまがこっちまでくる、ということ?)だから11月くらいかね」と。

 

ということは、さんまってヤツは北海道からずーっと下って宮城で獲れるようになるってことですか?

やっぱり私は海のことは何にもわからんのだな、と反省。と同時にもうちょっと海について、わかるように

なりたいもんだ、とも思います。

 

田んぼの稲が濃い黄色に色づいてきました。もうじきに稲刈りが始まります。

少ーし涼しくなって、道の駅のお客様も増えたのか、私が作るお餅が売れるようになってきました。

毎日お餅をついて、毎晩餡子を煮て、毎朝搗いたお餅を包丁で切って道の駅直売所に持って行って

ますが、暑い間のお餅の残ること残ること。でも今は残らなくなりました。

近頃以前とは違って、売り上げた額よりも、お客様がお餅を買ってくださることに、しみじみ有難いなあ

と思います。

50代の終わりまで、モノを買うのも移動するのも人の手のサービスまでお金で買う都会での消費者

専門だった私ですが、ここに住んで生まれて初めて生産者になって、10年お餅を作り続けてやっと

少しは生産者らしくなってきたのかなあ、と自分では思っているんですが・・・・。