いつ、解体されるんだろう。
南三陸では防災庁舎は震災遺構として遺されないと決まったようです。
南三陸に行ってきました。
孫5歳とうちの婿さんの妹のミッチャンとそのだんなさまと一緒に行きました。
ミッチャンのだんなさまは、ヨーロッパの地中海に浮かぶマルタ島のマルタ共和国のおまわりさん。
世界遺産があるマルタ島は小型犬マルチーズの発祥の地だそうで、ミッチャンちにはマルチーズではなく
チワワとブルテリアがいるそうです。国語はマルタ語と英語。家ではマルタ語、外では英語を話すそうで
必然的に今日は日本語と英語のゴチャゴチャ語で推移します。
孫は日本もマルタも関係なくトーマスおじちゃん、と呼んでますが・・・。
ミッチャンにとってもトム君にとっても初めて見る防災庁舎。今日はお線香を立ててお参りしました。
さんさん商店街でお昼を食べた後、歌津のけいこさん宅へ。
ミッチャン、トム君に手伝ってもらって持参した河北新報を倉庫に運びいれ、出来上がった新聞バッグ
を車に積み込んだ後、お宅にお邪魔してお茶を頂きました。
この時期に来るといつも出してもらって嬉しいのがワカメの茎やメカブや昆布などの海草のお惣菜。
どれを食べても実に美味しいです。魚は食べるけれど海草を食べる習慣がないトーマス君も、「そんなに
一度に食べたら胸焼けするよ」とけいこさんに止められるくらいの勢いで「おいしい」と食べてました。
帰る前に、海の近くの作業小屋に案内して頂きました。作業小屋は津波で全て流されたけいこさん宅の
跡地に建てられています。ここで海から運んできたワカメを湯通しして塩をまぶし、茎とワカメに分け、という
ような一連の作業をするわけですが、船から機械から諸道具に至るまで、、わかめ養殖に必要な全てを
失ってまた最初から揃えていくというのは、経済の面でも精神的な意味合いに於いても大変なことだなあ、
とつくづく思わされます。
断片的な会話の中ででも、津波の後、鳴子温泉に避難して、その後に仮設住宅に移り、また諸事情で
今のご親戚の家に移って、作業小屋を作り舟を買い、というこの3年の奮闘を理解したらしいトム君が
「彼らは強いなあ。自分だったら元の場所でまたもう一度なんてやれないかもしれない」と言っていました。
私にもミッチャン夫妻にもたくさんのワカメと茎を頂きました。
ミッチャンはマルタにワカメや茎を持って帰るそうです。
今マルタには60人ほどの日本人がいるそうで、気候と治安がよいことから増える傾向にある。とのこと。
新聞バッグが気に入ったミッチャンは新聞バッグの作り方を覚えて帰ってマルタでやってみると
言いだしました。マルタで初インストラクター出現ということになるかもしれない。楽しみです。