震災教育

今日は、ほんとに珍しく暖かーい初夏らしい1日でした。
強風は吹かず、曇ることもなく、鳴子や栗駒の山々は青空の下、くっきりと白い頂を見せ、吹き渡る柔らかい
風は爽やかで、布団干そうか、倉庫片付ける?、いや、庭の草取りだ、と欲張ってウロウロしました。

動いた順序で写真を撮りました。

朝、うちの前の田んぼに水が入りましたよ。まだ全部じゃないけどね。
12年前、私が来た頃に較べると、ずいぶん田植えが遅くなりました。

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いよいよ1年の始まりー、という気がします。

道の駅直売所の前のいつものつばめの巣。
つばめの父さん、母さん今は大変いそがしそうですが、今はご夫婦お留守です。

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毎日直売所の外に出して販売する花の苗です。

あ・ら・伊達な道の駅直売所には産直には珍しく市場出荷をする花生産者が3人います。市場には出さない
花の生産者もいて、そろぞれに独自の花を作るので、花の種類が多い直売所と思います。

ちなみにこれはうちの花です。

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ニゲラ、アルメリア、アッツザクラ、セラスチウム、カリフォルニアポピー、パンジーは50円です。

店内にはマーガレット、多肉、サボテン、宿根サルビア、ナデシコなど、他には白いシラネアオイ、ニリンソウ、
カタクリ、エビネ、その他の山野草、野菜の苗も少し出てます。水仙はいろいろあります。
毎日出したり入れたりしているうちに、今何があるのか覚えてしまいました。

道の駅の帰りに通りかかったIさんの桃畑。真っ黄黄の菜の花と桃の花のコントラストが最高にきれいです。

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で、べつの話。

ある学校関係のお客様からお電話を頂きました。関東圏在住の海山ネットのお客様です。

いろいろお話しをしていて、中で耳に止まったのが「震災教育」という言葉。今、東北地方以外の首都圏やその他の
学校で「震災教育」ということで、震災に関する何かを子供たちに伝えようという動きがあるらしいです。

それはとてもいいことだとは思うけど、「震災教育ねえ」
うーーむ、と唸ってしまいました。
何を以って震災教育とするか。

大震災があったことを教訓に何かを知る、学ぶということは山のようにあります。                     防災も地震や津波の時の逃げ方も人々の助け合いも、漁業や養殖などの海の仕事のことも、震災で一人ぼっちになった方々のことも、仕事がないことも、観光客が激減したことも、風評被害も、原発事故も、今でも避難中の方々が30万人以上もいることも。

そして、その状況を抱えながら希望を失わず未来を切り拓かなければならない、ということも。

 

うーん、難しいです。
海山ネットの活動や新聞バッグが関連しているので、真面目に向き合わざるを得ません。

 

東京に91歳になる叔母がいます。
若い人が少なくなった住宅地に90歳の叔父と二人で暮らしています。あまり元気ではない叔父の世話を
しながら独力で暮らす叔母の気力に、よくできるもんだなあ、と私は常々感心しています。

その叔母が、外国で暮らす従妹が実家に戻ってしばらく居るので、来週、一人でこちらに来たいと言ってきました。一人でなんてとんでもない。「迎えに行くから」と慌てて止めました。
温泉にでも連れて行こうか、と思っていたら、沿岸被災地を「この目で見たい」のだそうです。

南三陸にしても石巻にしても車で1時間半はかかります。足腰弱っているのに、とは思いますが本人のたっての
希望なので花束とお線香を用意して連れていこうと思ってます。

 

目で見てもこの「大震災がどういうことであるか」はまず伝わって来ないと思う。
私など初めて行った時、津波の前の町の姿を知らないので、最初から何にもない広場かと思ったりしました。

でもその何にもない草の生えた広場の背後に大切なことがいっぱいあるのだと、解かりました。

学校の子供たちにも91歳の叔母にも、難しいことは今は何も言えないけれども、ただ一つだけ
「自分以外の人とコミュニケーションをとる」ことはとても重要だということと、「助け合う」ことの大切さは伝えたい
と思います。

都会育ちで、「一人でだって生きられる」と思っていた私が、震災を経て「一人では本当になーんにも出来ないんだ」ということが骨身に沁みて解かりましたから。

 

おいおい答えを見つけてゆこうと思っています。