別れ

              鳴子温泉S旅館に避難滞在中のさおちゃん、けいこさん、しんこさんとお別れに

      行きました。丁度夕食時で、けいこさん、しんこさん2家族の全員が揃ってのお食

      事が始まりました。おばあさん、お父さんが2人、お母さんが2人、全員がひと家

      族のようにお世話をし合って和やかです。これまで核家族で生きてきた私には、

      縁がなかった多人数の和気藹々とした家族の風景でした。津波の前までこうし

      て毎日みんなでわかめのお仕事をして来られたのでしょう。心の中にはたくさん

      の不安があると思いますが、みんなとても元気で朗らかです。

      さおちゃん、けいこさん、しんこさんとは、海の手山の手ネットワークを立ち上げ

      て最初に催した梅農場での梅見の会で初めて会いました。津波被災からまだ日

      が浅い時期だったので、どのように接したらいいのか、腫れ物に触るような気持

      ちだったことを思い出します。

      梅の実がなる頃からみんな梅農場でお仕事をし始めました。だんだん暑くなって

      きて、7月から8月にかけての日照り続きの時には、日焼けして汗をだらだら流

      しながら梅の実採りに励んでました。梅が終わったら新聞バッグ。3人とも四万

      十系新聞バッグのインストラクターです。梅の実が終わってからの短い時間に大

      中、小の新聞バッグを各自たくさん作ってくれてました。

      明日からは南三陸の仮設住宅で作ってくれます。「おんなの人がたはいいなあ。

      その仕事があって」仮設ではガレキの仕事に行くお父さんがそう言うと、「だから

      あなたも作ればいい」とお母さんにハッパをかけられてました。

      南三陸には車以外に交通手段がないので、これからは私たちが南三陸まで

      新聞バッグを届けに行きます。ご用ききもして、食料も届けます。さおちゃんが

      花嫁さんになってお母さんになるくらいまで、長ーいお付き合いをしたいと思いま

      す。

      

 

     

      

           

      

英字新聞をお譲りください

              さっき英字の新聞バッグをumiyamanet代表よっちゃんに渡したら、もうブログ

      に立派な写真が載っていてびっくり。そうなのです。来月英字の新聞バッグがど

      っさり必要なので、お持ちの方、是非お譲りください。折るのは南三陸歌津の新

      聞バッグつくりのエース、さおちゃんとお母さんです、そして避難所の仲間です。

      南相馬の人、女川の仮設に入った方も作ってくれています。

      さおちゃん一家と仲間の方は明後日の19日(8月19日に全部の避難所が閉鎖

      されるということです)に4ヶ月余り過ごした鳴子温泉S旅館を離れて、南三陸町

      歌津の仮設住宅に入ります。さおちゃん一家は大人ばかりの6人家族ですが、

      4畳半の2DKがふたつという生活空間になるので、行ってみたけど「狭かった

      た!」とさおちゃんは苦笑していました。抽選に外れた人のために建てられたた

      った9世帯の仮設住宅だそうです。飲み水はまだ出ません。

      南三陸町歌津には先日私も初めて行ってきましたが、まだ復旧は始まっていな

      いというか、どこを見てもどこに復興の兆しがあるのというくらい、たぶん震災後

      からほとんど何も変わっていないんだろう、というような情景でした。仮設店舗

      のコンビニ以外まったくお店がない。電車は復旧の見込みが立たず、バスが

      あるはずもなく、車以外の交通手段がないなかで、さおちゃんやこれまで親しん

      だ被災者の方々がこれからどうやって暮らしていかれるのだろう、と心配です。

      さおちゃんは仮設住宅に入ってもこれまでどおり、新聞バッグを作り、イベント

      にもumiyamanetメンバーとして参加してくれる、ということですが、どうやって

      さおりちゃんを石巻とか仙台とかに連れ出したらいいのか、これからの課題

      です。被災者の自立支援、そして使い捨ての生活をちょっと見直しましょう、

      という気持ちで新聞バッグを作っています。英字新聞をお持ちでしたら是非

      お譲りください。お願い致します。