仮設住宅に入られた小野寺さんを訪ねて南三陸町へ行った。震災後、沿岸部
へは一度も行ったことがない。行かなければ、直接自分の目で見なければ、と
思いながら、これまでその機会を作らなかった。
我が家から車で2時間弱。大体はわかるから、後は地図を見るつもりだったが、
南三陸町に入ってすぐに迷子になってしまった。遮るものなく、正面に海が明る
い。塩水に浸かったからだろう。杉木立が茶色に変色している、。津波の爪痕に
目を奪われながら道を探すが、信号も道路標識も目印になる建物も商店も何も
ないので自分がどこを、何号線を走っているのかさえ解らなくなる。仮設住宅も
行けばわかるだろうと思ってきたが、全く甘い考えだった。小野寺さんに迎えに
来ていただくことにした。が、目印がないので場所の特定ができず、30分も探し
ていただくことになってしまった。何にもなくなったら国道もただの道になり、標識
も建物もないただの道は、方向さえ判らなくなるのだと、と初めて知った。
小野寺さんの車の後に付いて、歌津の仮設住宅へ。志津川の町はは海を正面
にして野原のように何もなく、歌津はまだたくさんの壊れた形が5ヶ月経ってもそ
のまま残っている。商いをするお店は一軒もなく、仮設店舗のコンビニがある。
郵便局は移動車、銀行も移動車。元菊栽培者だった小野寺氏は、週何回かガレ
キの仕事をなさっているとか。こうしてお仕事をしている方は少なく、大体おうち
におられる方が多いそうだ。飲み水はまだ使用できない。
8月19日で全ての避難所が閉鎖され、南三陸の方々はみな仮設住宅に入ら
れることになるが、5ヶ月経った今この状況で、個人の自立とか復興とかがどう
やったらできるのか。
仮設住宅は静かで音もしない。志津川はもう少し賑やかなのかもしれない。
標識も信号もない海沿いのただの道を石巻まで走りたい思いに駆られた。