及川さんと再会しました

      山の手メンバーよっちゃん農場こと高橋代表より、「9月、マルシェで使う新聞

      バッグ、外国の新聞で」と言われて「えーッ?」

      ただ普通に外国の新聞だったら、従姉妹とか知人とかに送ってもらうこともできる

      だろうけど、日本の震災時の報道が載った外国の新聞となると、込み入ってくる

      のでアプローチが難しい。どうしようか、と考えた時、思い浮かんだのが元南三陸

      新聞記者の及川さん。及川さんは若い時分の外国放浪で鍛えた外国語堪能者 

      だし、自らも津波で被災されているので、お願いしてみようと電話をしたら、歌津

      の仮設入居後、少し元気をなくされていた及川さんは、しっかり元気を回復され

      て、古川七夕祭りでご自分が撮られた津波の写真展を開かれているとのことだ

      った。高橋代表に電話をしてさっそく古川の写真展へ急行。

      博多の人間の私から見ると及川さんはいかにも東北人で物静かで奥ゆかしい。

      でもその写真は新聞記者らしく、本当に迫力ある津波に押し流され壊滅してゆく

      南三陸町の写真の数々だった。

      新聞のことをうかがってみると、311以来の河北新報の全て、英字新聞の全て

      を保管している、ということでさすが及川さんと感心しました。

      将来ライブラリーを作りたいという夢を持っていた及川さんは、津波で家ごと5

      000冊の蔵書と300枚のCDを流失。残念で残念で仕方がないと仰っていたのに

      もう新聞は保管し、写真はパネルに入れていつでも展示できるように用意されて

      いるとのこと。やっぱり私たち山の手は及川さんの夢を応援し続けたいと思いま

      す。ツイッターで流したいという高橋代表の要望に応えて日本語の翻訳を引き受

      けていただきました。

      夜は、道の駅で放射能の勉強会。

      借金と弱者救済金ばかりが膨らんで固定資産税も所得税も入らなくなり、国民

      の税金に頼らざるを得ない今の東北の実状をしっかり認識するように、そして

      その現状を発信できるのは東北人しかいないということ、放射能汚染は怯えず

      正面から引き受けて検査し、安心できる米や野菜を提供するように、という

      取締役からのお話でした。