地震の時のトイレ

           朝早く、検査のため夫を車に乗せて病院へ。

     下ろして検査が終わるのを待つ間、古川の町に用足しに行く。

     まず久しぶりに古川で最も大きいショピングセンタージャスコへ。地震から3ヶ月

     半は経っているのだけど、まだ爪痕は深い。その上に節電で暗くて暑い。

     2階は相変わらず使えず、1階のみの営業だけど、ガランとして品物が少ない。

     食品のみ買って、地震以来行かずじまいになっている隣りのビル1階のパソコン

     教室へ行く。すぐには直しようがないのか、入り口階段の上、ビルの土台と建物

     の間の横7、80cmくらいにかけて、縦15㎝くらいの穴がパックリ開いたままに

     なっている。その他の部分が繋がっているから大丈夫なのかもしれないが、地震

     当日、這ってビルよりできるだけ遠くに逃げながら、振り返るとメリメリバキバキ

     と音がしてタイルがパラパラと弾け、みるみるコンクリートに裂け目が入っていくの

     を目の当たりにして、その少し前に起こったクライストチャーチの地震のように

     このビルは崩壊すると必死に逃げたことを思い出した。以来、もう再開しました。

     来てください、と何度電話をもらっても来る気をなくしていたのだが、教室は相変

     わらず盛況で空いている席がないくらい満杯状態。退会手続きをするはずがや

     っぱりやりたいなあ、と気が変わった。「続けてもいいですか」先生にお願いして

     みるとOKが出て、以前のように週1ではなく2週に1度、フリーで来てもよろしいと

     許可をいただいた。

     これも小さな復旧というところか。地震当日、ガタガタガタガタと止まらない震えを

     押さえつけながら家まで帰った途上で最も困ったのはトイレだった。トイレどころ

     かどこかの建物にさえ入れない。早く早くと家に帰る道のりの、あっちが壊れ、

     こっちが壊れしている道路を行き詰ったり、どうにか迂回したり、行きも戻りもでき

     なくなったりしながら家に辿りついた時の泣きそうな思いは今も忘れない。

     でも巨大地震が起きたらトイレに行けないというのは大発見だった。ここは田舎

     だからどうにかなっても都会の大地震だったらどうなるのだろう、と想像もつかな

     い。                            山の手S記