手紙

お中元の季節はもう過ぎてしましましたが、日頃からお世話になっている方々に気持ちだけですが、
何か品物とお手紙を送ることにしました。

ほんとはね、海山ネットメンバーである梅農場の3代目、S0さんが作る枝豆ができていたら送り
たいのですが、まだ豆はできてません。畑で育ってるとこなので、山形のだだちゃ豆せんべいを用意しました。

SOさんが作る枝豆。その名を自分と重ね合わせてサンダイメと言います。食べた者が誰でも「うまい!、甘い!」と感動するほどおいしい枝豆です。でもできてないんじゃ仕方ないものね。

普段海山ネット関係はパソコンで書いてしまうことが多いのですが、お礼の気持ちをまっすぐ伝えたい
ので、便箋にお手紙を書いて送りました。

いつもイギリスの経済紙、フィナンシャルタイムズを送ってくださる大和総研調査本部の方々。
そして、先日小野寺さんの菊を大量に買ってくださった滋賀県の方。

に最初にお手紙書きました。
そしたら今日お返事が返ってきた。

大和総研調査本部の方からは気にしなくていいから、これから新聞バッグを海の手さんが作ってる現場
写真など見せて頂いたら嬉しいと。送ります。海の手のみんなが新聞バッグ作っているところの写真を。
そして滋賀県の方。
そしたらなんと、南三陸の私の菊の師匠、小野寺氏の彼岸菊をご注文いただけることになりました。
嬉しいですねえ。
小野寺さんは菊作りを1年休んだ後、一大決心で畑を借りて自分で耕しお盆の菊作りを再開したものの、津波の前とは勝手が違って、奥様ともどもだいぶ農作業や販売に苦労なさってました。

海山代表よっちゃんは、私が南三陸に出向いて預かってきた見本の菊を持って、仙台まで未経験の
菊の営業に出向いたりしましたが、何人かのお客様に「買うよ」と言っていただいて完売しました。

ほんとによかった。
で、その時に一番たくさん買ってくださった滋賀県のお客様が「素晴らしい菊だ!」と誉めてくださり、これから最盛期を迎える彼岸菊も買って頂くことになったのです。小野寺さん、張り切ってます。誉めて注文いただければ、作る方も嬉しくてお客様の期待に応えようと楽しい気持ちでがんばっちゃいますから。

本当の商いってそういうもんなんですね。どっちも嬉しいもの。

お手紙には小野寺さんの菊栽培再開後、販売に苦心なさっている様子。そして何故買い手を探さなきゃ
ならなかったか。その理由なども書いておきました。

被災した一人一人が少しづつでも生活を再建させようと踏ん張ったり、落ち込んだりする物語を
お手紙に託して送りたいと思ってます。

そしたらそのひとつひとつの物語の中から新しい人と人との繋がりと、新しい未来ある展開が生まれるかも
しれません。今度の小野寺さんと滋賀県の方のようにね。

 

 

タノシムチカラで

朝5時、いつものように熊さん除けのラジオをしっかり抱えて、畑に向かいます。私一人ではありません。
熊が怖いから必ずうちの者と二人で行きます。

珍しく雲行きが怪しい。花を切り始めてしばらくしてドーッと雨が降ってきました。久しぶりの恵みの雨。
ドーッだけれどやめたくないので、ドップリと濡れねずみになって帰って来ました。

7時頃にはカーッと日が照りつけて、さっきのは何だったのだろうか、というような天気に。

そして夕方5時。1日の仕事を終えて、またもやラジオを大音響で鳴らしながら畑へ。花を切り始めたと同時にまたも雨!ドーッ!ほとんど豪雨。 またもや濡れねずみに。
雨は嬉しいけど、一日に2度も濡れるのはやっぱり嫌ですねえ。
でもこの雨は畑の土や木や苗にとっては恵みの雨。まだまだ足りないくらいだけど、ちょっとひと安心。

この日照り続きでは野菜の値段が高騰するでしょう。葉ものは虫との攻防戦が嫌だからあまり作り
たくはないんだけど、贅沢は言ってられないので、キャベツ、白菜、なんでもタネを蒔きます。

 

きのう、東京の木口版画家オカザワさんに野菜を送りました。
茄子、米茄子、ピーマン、赤い唐辛子(もの凄く鮮やかな赤色)、それと緑と黄色と濃い紫色のインゲンマメ。
畑で採ったのを片端から袋に入れてそのまま送りました。

この3色インゲンマメのタネはひとつの袋に入ってました。

初夏、「まだ蒔けるものないかなあ」と思いながら、埼玉県のタネの森さんに頼んだインゲン豆のタネです。タネの森さんでは農薬、化学肥料を使わないオーガニックの自家採種可能な固定種エアルーム種が販売されていますが、
こんな色のインゲン豆は初めて見たのでびっくりしたし楽しいです。

岡澤さんもびっくりしたらしく、「初めて見たー。楽しいー」と電話がありました。
煮るともっとびっくりするから。濃い紫色のインゲン豆はとても色がきれいなんですよ。ところが煮ると・・・・・。
煮ないで見ていたほうがいいわ。

きのうのよっちゃんのブログには共感しました。

私が生きた人生の50年以上を都会で暮らした後、ほんとの田舎のこの地に住んでみると、今までまったく
知らなかった地方の価値が見えてきました。資源は豊饒です。汲んでも汲んでもつきないほどの豊饒。
昔々はここと同じように緑の大地だったはずなのに、人間が途方もない時間をかけて東京や大阪の         あれほどのコンクリートジャングルにしてしまったかと思うと茫然とします。

あそこで地震などの災害が起こったら、と思うと心底恐ろしい。

私もあの中で暮らしていたんだから偉そうなことは言えないけれど、でもここで暮らしてみると、
都会暮らしの便利さや贅沢さと引き換えに、ずいぶんいろんなものなくしちゃったんだなあ、と思えます。

 

よっちゃん市、始まったら私も餅と花の腕を鍛えて参加します。
そしてお客さんの顔を見て、人と人の気持ちが通った商いをしたらきっと楽しいと思う。
四万十の梅原さんがおっしゃるタノシムチカラで実現できたらいいな。

 

 

 

TOさん、ありがとう

今日はちょっとだけ、アメとも言えないアというくらいの雨が降りました。
だから出て来たのかな。近頃めっきり見かけなくなった蛙が出てきて、うちの4歳が喜び勇んで捕まえて
います。なぜか名前がついていて、一番小さな緑色の雨蛙は三郎、中くらいのは二郎、大きい殿様蛙はフロッグ。
一日中三郎が逃げちゃった、二郎がどうした、「早く三郎を逃がしなさい」などと言っているので、知らない人が聞いたらまさか蛙とは思わないよね。

その蛙をお風呂で泳がせるというのが、最も楽しいらしいけど、今日は捕まえてきたトカゲを泳がせるというので
断固として断りました。何かいるんじゃないかと、安心してお風呂に入れません。

 

5年間うちでアルバイトをしてくれていたTOさんが今日「辞める」と挨拶に来ました。
大きなサーティワンアイスの箱持って。
夏の暑い間も水を被りながら汗みどろで花作りを手伝ってくれてたのですが、真剣さが過ぎていつも小走りで
歩く足がひっかかって転び、足は大がかりに擦りむき、手首の骨が折れました。
だから「歩いて!」といつも言っているのに。
朝はべつの仕事、午後からうちというふたつの仕事を大真面目に長いこと続けてきてくたびれたんだね。

 

T0さんがうちに来たのは5年前の9月頃。懇意にしている隣町でフリースクールを開いているTA氏のところから
「草取りをさせてもらえませんか」と訪ねてきてくれたのが最初です。ちょうどそのころそれ以前に2年間くらいを
アルバイトしてくれていたサトウ君が辞めて就職することになっていたので、ちょうど入れ替わりになりました。

 

サトウ君は13年間、TOさんは16年間ひきこもりさんでした。
長年ひきこもっていた、という過去の事実よりも、今外に出て来てうちで草を採ってくれるという彼の心境が嬉しくて
喜んで来てもらうことにしました。

畑は広いんです。(この郷では全然広いうちに入りませんが)。山や斜面を除いても約2000坪、隅から隅まで草取りをしていると、終わる頃には最初に取った草が伸びてます。畑の隅々でしゃがんで黙々と草取りをしている彼の背中を見ていると、最初の頃は胸が詰まるようでした。

時間が経って私たち家族にも馴染んでくれた頃から、花の仕事をやってくれるようになりました。
基本真面目。だから何をするのも一生懸命。一生懸命過ぎて、足元を見忘れるようなことも多々あります。
私たち歳をとった夫婦のことを生活に支障がないようにいつも気にかけてくれてました。地震の時も大雪の時も
いつの間にか様子を見に来てくれているのがわかりました。雪の中にタイヤの跡や足跡が残っているからすぐにわかっちゃう。

こうしていくつもの場面を思い返してみると、彼の心優しさは稀有なのだと感じさせられます。
彼が「辞める」ということを聞いて、ええッ?と驚いた娘が「寂しくなるわー」と感に堪えたように言いましたが、
私も彼の姿が見えない畑はやっぱり寂しい。

 

TOさんがこのブログを見る機会はたぶんないかもしれない。
でも100%ではないので、ここに贈る言葉を書いておきます。

TOさん、5年間もうちに来てくれてありがとう。みんなに優しくしてくれてありがとう。
これからどうするかは自分でも決まってないようだけど、これだけは気をつけて。

今しばらくはTAさんのフリースクールでの仕事を離れないでしょうけれど、離れざるを得ない時、
あなた自身を変えなきゃならない仕事には就かないで。長年ひきこもっていたから持っているモノサシが世間と
違ってしまったとあなたは言っているけど、それは違う。あなたが持っているモノサシがあなた自身なの。
変えなくていいんです。変えようとするとあなたが壊れる。

世の中にはあなたのモノサシを理解する人が必ずいます。その人のところで仕事をしてほしい。
元気になったらまた顔を見せてください。電話するよ。手紙も書くよ。
私は歳をとりましたが、それでももっとお給料が払えるようになったら、声をかけます。

いつもどんな時も一生懸命に緊張してお仕事しているから、疲れて熱が下がらなくなったりするんだね。走らないで歩いて、怪我をしないように、冬熱を出さないように、大事にしてください。

また会いましょう。ほんとにほんとにありがとう。感謝しています。

 

 

 

TOHOKU SHINBUNBAG PROJECT

朝からのJTBさん新聞バッグワークショプが終わると、古川駅へ。
はるばる四国高知の四万十から、復興庁支援プログラムとしてTOHOKUSHINBUNBAGPROJECTのワークショプ
のために大崎までやってきてくださった四万十チームの方々と再会しました。

昨年10月こちらから出向いた新聞バッグコンクール以来です。

メンバーはPUROJECTリーダーの畦地履正氏。四万十川にある道の駅とおわ社長。
日本のトップデザイナー、梅原真氏
歌手のうーみさん
ファシリテーターのスペシャリスト畠中智子氏。よさこい踊り日本一。
ファンドレイジング担当、智子さんのご主人の畠中洋行氏
昨年の7月畦地さんと一緒に鳴子温泉まで来て新聞バッグの講習をしてくださったインストラクターの黒田さん。

東北村のメンバーも合流して南三陸に向かいました。

海山ネットで新聞バッグを作ろうと決めて、初めて四万十の新聞バッグを見、その新聞バッグが販売されて
いるという道の駅とおわのパンフレットを見た時、「四万十の中流から考え方を売る」と言うフレーズにしびれました。
なんという斬新な、思い切った言葉の選び方かと。考え方を売る、なんて聞いたことない。

その言葉を書いたデザイナーが梅原さん。だと思う。

今日はその梅原真氏の地域にあるものを見直し、考え方をデザインするプレゼンテーションを受けられるのです。
海山ネットをやっていてよかった!!

会場は歌津の平成の森。南三陸で一番大きな仮設住宅があるところです。
TOHOKUSHINBUNBAGPUROJECTは、新聞バッグの生みの親である四万十チームに協力していただいて、
海山ネットと南三陸で立ち上げた被災者によるNPO、県南の企業さん、が3者で協力して新聞バッグ
活動の市場を拡大しましょうというプログラム。

プレゼンテーションは素晴らしかった。恰好よかった!
そして畑中智子さんのファシリテーションは大変手馴れていて解かり易く、取りこぼしがなく素晴らしかった。
日本中飛び回っての地域興し、町興しのエキスパートならではです。                           昨年高知に行った時、四万十までの道のりにある小さな古い町にも町興しの手が入って、住民の気持ちが入っていることが読み取れて感心しました。

 

3時間のワークショップが終わったら、建物の外に菊の師匠の奥様ムッチャンが寄ってくれてました。
南三陸でこうしてみんなで顔を合わせるのは楽しいです。

帰途、海山ネットの新聞バッグインストラクターケイコさんシンコさんの仮設住宅に寄りました。
四万十の方々に教えていただいた新聞バッグが作成されているところをお見せ。できるチャンスです。

ケイコさんたちが作った新聞バッグにサインもしていただきましたよ。

 

夜は古川に戻って歓迎、交流会です。
昨年は気難しい方に見えた梅原氏が、食事もお酒も会話も楽しまれる気さくな方と解かってほッとしました。
これからいろいろ教えを乞いながら、新聞バッグを広げてゆけたらいいな、と思います。そして是非とも
東北に行った甲斐があった、と言っていただけるような活動にしたいです。

それにしても暑いねえ。
畑の白菊もピンク菊も立ったまま日に炙られて焼けてきました。
野菜も花も危機的状況になりつつあります。
雨がほしいーーッ

 

 

 

 

 

JTB関東の皆さまと新聞バッグワークショップ

朝からの新聞バッグワークショップに備え、早起きしてお餅の仕事を終わらせて、鳴子の公民館へ。
何回かやって少しは慣れたとはいえ、やっぱり多人数に新聞バッグの作り方を教えるのは、代表よっちゃん、
事務局KJ、先生のあやさん、私、オールメンバーで緊張しまくります。

「新聞バッグの作り方を知ってもらって、それがどう展開するのか?」
「新聞バッグの中味が大事なのよ」
「だから、だから、みんなよくなるのがいいんでしょ。JTBさんも私たちも、お客さんも東北も」

道具を持って机の間を動き回りながら、普段話しとけばいいような話をあーだ、こーだと言いながら準備
をします。

8時半開講。

みなさん男の方ばかりで、折り紙みたいなことはあまりなさったことないと思うのですが、それでも
がんばっていただきましたよ。

社員の研修も、外に出てこういう形でやっていただくのは嬉しいです。
東北に来て、復興商店街でお買いものして、宿泊してだけよりも、新聞バッグでもなんでもいいので
地元の人と交流しながら研修をする。
そしてその体験がその後のお仕事に活きるというようになればうれしいのですが。

 

中国の方の時は時間がなくて、作り方を端折らざるをえませんでしたが、今回は1時間の時間いっぱい
新聞紙から作っていただきました。本体が出来上がったら次は取っ手まで作ります。

思わぬ時に災害が起こって、家や仕事をなくすようなことがあったら、何にもなくったって手と体が残ったら
こうやってモノを作って生きてけますよー、と私たちは新聞バッグを作ってます。
新聞バッグが出来上がると、みなさん、バッグは何かを入れるもんだと思ってしまいますが、そんなことない。
本体だけを作ってじゃがいも入れたり、壁にピンで留めてハガキや手紙を入れたり。
バレンタインの時には外国の色のきれいな雑誌を使ってチョコレートを入れる小さなかわいいバッグを作り
ましたよ。
子供さんのいらっしゃる方は、子供さんのカードや文房具を入れるお洒落な新聞バッグを作ってください。

JTBのみなさま。大崎を訪ねて下さってありがとうございました。

 

 

 

 

 

JTB関東社員研修事業の皆さま大崎来訪

いつだったかだいぶ前、大崎観光公社の早川氏がJEB東京の方を事務所に連れてみえたことがあります。
教育事業、(つまりは修学旅行)を担当されている方々でした。                               その時に来られた3人の方と短い時間でしたがお話したのでしたが、帰り際「この次は社員研修で来たい
と思う」と言って帰られました。

3人の方はみなさんそれぞれに大変熱心に私たち海の手山の手ネットの話を聞いてくださり、JTBといったら
旅行のことしか知らない私にも、今たくさんの問題を抱えながら再生しようとする東北の姿を何かのかたちで
担当する関東の子供たちに見せたい、関わらせたいと感じていらっしゃるのが伝わりました。

でも半信半疑。ほんとにそうなるとは思ってなかった。

朝東京を発って、お昼を南三陸のホテル観洋でとり、さんさん復興商店街、被災地現場をみて4時半、
大型観光バスで御一行様50人が到着。そのままバスに乗り込んで鳴子温泉へ。

海山ネット代表よっちゃんと私とでバスの中で海の手山の手ネットワークの活動と新聞バッグの話をしました。

よっちゃんも私もお話ししたいことは同じです。
新聞バッグは新聞で作ったモノを入れられる袋です。でもただ袋だけではなくて中身がたくさん詰まってる。
「それは新聞バッグの作り手である海の手さんたちの思い。仮設暮らしの生活のリズム。新聞バッグを作って
得られる報酬。新聞バッグを通じて作られる人と人との繋がり。心の繋がり。新聞バッグに入れて販売する
地域の物産。地域の再生。東北の再生.etc」
新聞バッグに詰まった物語に耳を傾けてください、と。

そしてここで出会ったご縁を一回きりではなく、どう繋いでいくか、どうぞ一緒に考えてください、と。
ただ研修に来て視察にきて、お買いものをしていただいて、それで終わり、というのはつまらないもの。

明日は早朝からワークショップです。
良い出会いにしてゆきたいです。

 

猫も昼寝に困る日中の暑さですが、うちの居候シロリンは涼しげな場所を見つけて「涼しいニャー」とゴロン。

いいなあ・・・。うらやましいこって。何度言っても言い足りないくらいアッツーーーイ!

 

 

 

手拭いの一生、花の一生

連日の猛暑、酷暑はあと1、2週間続くそうです。

毎朝毎夕切っている畑の花々も土の乾燥で、畑に植わったままぐったりしています。
切ってすぐに水切りしなきゃいけない過酷な状況にあります。かわいそうに。

畑に水をやればいいようなもんですが、広いし、土が乾き過ぎて湿りにくいし、花を切って売ってしまえば
終わるんだからと思うと水をいれるのも躊躇します。
それにお盆の花を売る時期のピークはもう過ぎているので、売るのも楽ではないのです。
他の花と組み合わせるとか、量を多くするとか、お客様に買って頂くには工夫が必要です。

他の切り花を作る人は、だいたい次の作物のタネをまくので(白菜とか、ブロッコリーとかの秋蒔き野菜)
売れない花を長々と置くのはやめて抜いたり、水をやらずに枯らしたり、耕して土に漉き込んだりします。

ところが私はそれができない。
抜くのも枯らすのもできなくて、花が咲いている限り咲き過ぎた花をとったり、短い花は花束にしたりして
粘りに粘る。そしてもうこれ以上はできないというところで、ようやく諦めて処分します。

疲れるんだけれどやめられない。                                                売りたい、というんじゃないんだけど、タネから蒔いて育てた花だから、花は花として終わらせたいというか
そんな気持ちがあるみたい。私は農家ではなくて花の栽培者だからかしら。

 

イタリアのミラノで手作り雑貨のお店を経営している日本人女性今さんは、お店で時々モノに関わるお教室を
開くそうです。今人気があるのは風呂敷講座。もともとは買っていただいたアフターサービスで始めた
ということですが、なかなか人気があるそうです。それで手拭い講座も開きたいと。

頭に巻くのも数パターンあるし、ペットボトルを包んだり、あずま袋に縫ったり、子供の服を作ったり。
最後は雑巾、はたきにまで形を変えながら長いこと使ってあげる「手拭いの一生」を尊重すること。
そんな日本文化を知ってもらおうと思っているけど、日本にいる時には意識したこともなかったので
お母様が笑ってる、とメールを頂いたことがあります。

「手拭いの一生」

いい言葉だなあ。

私も「花の一生」を尊重したいのかもしれないです。
そのおかげで、毎日暑い暑いといいながら汗ダラダラで畑で花切りをやっているわけですが。

 

今日の初挑戦。
海山ネット事務局KJの次男さんは明日結婚式。引菓子用アラレの注文を頂いて、心をこめて作りました。

このアラレは毎日搗くお餅の残りを薄く切って乾燥させて、乾いたら揚げて仕上げます。
うちのお餅は、青豆塩味、黒豆塩味、ごま砂糖味、に季節限定でよもぎのお餅に枝豆のお餅。なので
アラレの中味はそのお餅のミックスです。

先日からよっちゃんなんばんを入れて餅を搗くという新製品開発をやりまして、そのよっちゃんなんばんコラボ餅
も薄く切ってアラレに入れました。これは好評です。
また新たにカレー味というのも作ったので、これはカレーだけのアラレでいこうかと考えてます。

おめでとうございます。寿マークも入れましたよ。
末長くお幸せにネ!

 

 

 

 

連日猛暑

花を切るのは朝と夕方。
朝はすっきりとして気持ちがよいのだけれど、夕方は暑い。

アッツーーーイ!!

この雑木林でぐるりと囲まれた畑だから、夕方4時ごろここいいると、風が通らなくてすごく暑い!
この花々を毎日毎日切ってますが、減ったような気がしません。

千日紅は10月終わりに霜が降りるまで咲いてますが、ことしはたくさん作ったのでドライフラワーにして
新聞バッグのお供にすることになっています。

長いこと雨が降らないので畑はカラカラ。 雨がほしい。
花が終わったところから耕して野菜のタネをまく時期なんだけれども、遅れてます。

猛威を振るった雑草も刈ったら後が伸びなくなってきました。暑いけど夏も終わりももうすぐです。

田んぼの稲が黄色くなってきました。

今年のお米の収穫は早そうですよ。

暑いけど、明日も花切りがんばります

 

 

 

 

アウシュビッツ強制収容所の番組を見て

毎日暑いです!
眠たくても必ず5時に起きてすぐ畑に花を切りに行きますが、その時だけは涼しい、というか起きたばっかりだから
身体も楽、空気も爽やかで「やっぱ仕事は朝がいいね!」と思うのですが、だんだんトーンダウン。
また日が陰り始める4時から畑に行って菊やアスターを切り始めますが、昼間の暑さが残っていて、終わって帰ると
ヘロヘロです。あーーーー、雨、降って欲しい! 全然雨が降らない。

 

この頃戦後67年で、戦後とか戦時中とかのテレビ番組が多いですが、ドイツのアウシュビッツ強制収容所を
日本人のガイドが案内してくれるという番組を見ました。

奥の奥まで案内してくれて、すごいなあ、人間ここまでやれるのかと思う。私はまだ行ったことないけれど、これは
行った方がいいなあ、見るべきだなあ、と思う。私もうちの4歳も、大きくなったら。

 

髪の毛ばっかりの部屋。金髪が目立つ。あまりにもたくさんの髪の毛に衝撃を受けているところに髪の毛で作った
何層にも重なった絨毯が出て来て見るだけで言葉を失くす。次、子供のおもちゃの部屋。一人一人の子供が大切に
していただろうおもちゃやお人形の山。そして子供の靴の山。大きな大きな山。この靴の向こうには一人一人の子供がいるんだよなあ、と思ったとたん、ダメだ、涙する。

そこでふっとふたつのことが思い浮かんだというか考えたのです。

昨年、高知県の四万十ドラマから「新聞バッグコンクール」のお誘いがあった時、私たち海山ネットのメンバーは、
7月から新聞バッグを作り始めて10月ではさほどの自信はないのですが、置かれたシチュエイションがあまりにも
特異であることから、歴史的な新聞バッグを作って賞を貰うんだ、と張り切りました。

この機会に支援していただいた全国の皆様に感謝の心を表したいと、新聞バッグに詰めるメッセージは「感謝」として海の手メンバーの一人一人が自分で選んだ新聞を使って新聞バッグを作り、四万十に送りました。

 

そしてコンクールの日にはよっちゃん、奥さんのみっちゃん、そして私の3人で飛行機に乗って四万十に出向いたのです。コンクールは廃校になった美しい学校で行なわれていて、たくさんの新聞バッグが展示されてました。
震災関係の新聞バッグはひとつの部屋に集めて展示されていました。それができるまでの日々のことは、短いようでもいろいろな出来事を越えてのことだったので、ズラリと並んだ新聞バッグを見た時には「おう、やっとここまできましたね。みんながんばったねー」と思わず涙が出ました。

 

ところが、その後の懇親会で隣に座った人、後ろの人などから「あの教室に入れなかった」「見れなかった」「私たちを忘れないでと叫んでいるようだった」との声が。
びっくりしましたねえ。なんで? みんなで一生懸命作ったのだから見てくださいよ。教室に入ってくださいよ、と
思ったのですが、そこではたと被災地の中にいて、それが当たり前だと暮らしている私たちは被災地の悲惨が日常になってしまって麻痺しているんだ、と気づかされました。

アウシュビッツを見ていて、そうなんだ。悲惨の度合いは違うが同じようなことなんだなと思いました。

何かの技術者だったために、アウシュビッツで殺されずに生き残った人に「どんどん人が殺されていくことにどう思ったか」と尋ねたら、その答えは「慣れた」ということでした。

福島のこともそうです。自分たちに何の落ち度もないのに、、飯館村のように自分の家に帰るのに鉄条網で帰れないというような悲惨の中に取り残されて、それが生活だと慣れるしかなくて暮らしている人たちを、そうでない人達はどう理解するのか。逆に悲惨の中で暮らしている人たちも、悲惨がない暮らしがどんなものだったか想像が及ばなくなる。お互い自分の生活の範囲しか見えていないから。

東北に住む私たちが福島の向こうには国境線のように線がある、と感じてそんな話をよくしますが、そういうことなんだな。

 

それともうひとつ感じたこと。

いじめの問題は深刻だけど、日本の学校の修学旅行で韓国など連れて行かなくて、アウシュビッツとか原爆ドームとかに連れて行けばいい、と思いました。人が我を失くして行きすぎれば、こんなことまでやるんだ、と。
あの靴の山を見ればおもちゃの山を見れば、「人をいじめてはいけないよ」と百万言言うよりも、よほど感じるところが
あるでしょう。

平和はありがたいことだけど、長年の平和は、人を平和に慣れさせてしまう。
アウシュビッツの番組を見て、そんなことを考えた夜でした。

 

 

 

東北村&日高くるくるネット&海の山の手ネットワーク、海山教室の夕べ

田舎郡東北村と埼玉県の日高くるくるネットの催しに、海の山の手ネットワークのメンバーも加えてもらって第2回目の海山教室開催。鳴子温泉の旅館で晩御飯を食べながらお話しをしました。

左から埼玉県の「たねの森」代表の紙さん、海山ネット代表&田舎郡東北村村長のよっちゃん、
東北村事務局マッチャンです。

「たねの森」代表の紙さんは、昨年の311の大震災以降、東北応援隊を結成され、沿岸部の各地を
何度も何度も訪ねてはいろいろな形での被災地応援をしてこられました。その何度めかの時、
岩出山に寄ってくださって、梅農場でお会いしてからのご縁です。

また紙さんは、エネルギー自給やライフスタイルの見直しを考える集まり、日高くるくるネットの代表でもあります。

今回は1日目は福島、2日目は南三陸を見て、その後に鳴子温泉に到着されました。

日高くるくるネットのメンバーの方たちはみなさん逞しくて赤ちゃんも小さい子供さんも一緒でした。
赤ちゃんがはいはいして行ったりきたり、ちっちゃいお姉ちゃんは駆けて行ったりきたりする
今回の海山教室は、初めての体験ですが、みなさんの福島や南三陸を見て体験しての感想は意見は、
聞いてよかったです。

この子供たちすごいなあ。
埼玉県から東北自動車道で福島まで、長時間を車の中で過ごして福島で一泊して、翌日は
南三陸まで行って夕方鳴子に到着という大人でもうんざりするくらいの長時間ドライブなのに
1歳2人もちっちゃいお姉ちゃんもお兄ちゃんたち3人も全員、疲れなどものともしないくらい
機嫌がよく元気なのには驚きました。

きっとお父さんお母さんがしっかりしていらっしゃるんだね。

長時間ドライブに備えて車の中には紐を張って洗濯物が吊るしてありました。
移動の時はおんぶ紐でお父さんやお母さんの背中におぶわれてました。                         こうやって機会あるごとに大人も子供も一緒になって旅をしたり、勉強会をしたりしていたら
子供たちはきっと自然を大切にする、世界は広いと理解する大人になっていくでしょう。

10時までいろいろなお話しをして散会。
みなさんは温泉に入って長時間トライブの疲れを癒し、私たち近所組は帰宅です。

大震災から1年半以上が経って、町の被災そのものはなーんにも変わらないねえ、という実感があります。

でも被災した人たちの内面は、仮設住宅に入って、何らかの仕事に就けたとしても、入った時とは違う重さ厳しさが、じわじわと増してきていることを感じます。