報道写真家、渡辺菊次郎氏の言葉

毎朝5時から花切ってます。切っても切っても咲いてきます。もう花に溺れそうです。

うちの4歳のTaiのミニミニ菜園。
一応本人が好きな野菜は、かぼちゃ、枝豆、トマトなど揃っています。タネまきの時から見てるので、このかぼちゃは
自分ので、タネを蒔いたからできたんだ、とわかってます。畑にはTaiのスイカが転がっています。
美味しそうに見えないので、大人は採りたがりません。タネを蒔いて野菜を育てて、食べ物は自分で作れると
体感してくれたらいいと思ってます。

そういえばガサガサ探検隊の隊長の中本賢氏は、獲れたザリガニやタニシの説明をする時、「ザリガニは食えるんだぞ。覚えとけよ。何かあった時には食えるからな。タニシも食えるが、夏は病気になるから食べてはダメ。冬は食べられる。覚えとけよ」と子供たちに説明してましたっけ。

 

今日はこれまで知らなかった報道写真家を知って大変感動しました。
反骨の報道写真家として知られる福島菊次郎氏。
広島の原爆の被災者の写真を長く撮り続けられたほか、一貫して政治や公害や福祉などの社会的問題をライフワークとして写真を撮りり続け、ジャーナリストとして文章を書いてこられた方。

その方を今朝のテレビで見ました。

お歳が91歳で、40キロにも満たない痩身、13歳の愛犬のロクと共に、月10万円ほどの原稿料収入で
暮らしておられるのだそうです。
国の悪口言って、年金はもらいたくない、と。

菊次郎氏の仰る一言一言に感銘を受けました。

「戦後67年。原爆を落とされて約70年経って、今度は福島で事故が起きた。70年経っても日本は何も
変わっていない。変わっていないことの恐ろしさ。1枚の写真くらいでは何も変わらない。これからも変わらないだろう。

でも変わらないだろうけれど、知ってもらいたい。真実を知ってもらうために自分は写真を撮り、1枚でも
見てほしい。」
「自分はまだ現役である。余命1年。1年生きたらまた余命1年」

私はこういうことを言う方を今まで知りませんでした。
これまで何も知らずにいた人を、ある日突然知ることになる。その生き方を、その思想を。
時間がなくてほとんどテレビを見ないのですが、朝のニュースと夜の報道番組は見ます。そのおかげで
こういう方を知ることができるのだから、テレビってありがたい!と珍しく思いました。

 

明日は埼玉のくるくるネットさんとのワークショップ。このところお盆で海山ネットはちょっとだけ静か
だったのですが、明日からやることが盛りたくさんになります。がんばります。

 

 

 

 

 

第1回ガサガサ探検隊in岩出山

俳優のアパッチけんこと中本賢さんが岩出山で企画してくださった第1回目「ガサガサ探検隊」に参加しました。
海山ネット代表よっちゃんがテレビの番組で中本氏とお知り合いになったことから、はじまった「ガサガサ探検隊」

何をするのかというと、田んぼの用水路の中に入って、昔私が子供の頃川の中でやったように足でガサガサ
として魚を追い出すんだそうです。
今回の獲物はザリガニ。スルメで釣るそうだけど、私は昔もっと違うもので釣った覚えがある。

参加するのはうちの4歳tのTaiです。私は保護者として参加。
朝9時、岩出山の町中を流れる江合川に集合。その後現場に向かいます。

どこでザリガニ釣るのかと思ったら、47号線沿いの田んぼの水路だった。こんなところにザリガニいるの?と
思ったらいましたよ。たっくさん!

最初は子供がいない、と言っていたのが、なんと24、5人もの子供が。
久しぶりにこんなにまとまった数の子供たちを見ました。私がこの地に住み始めた頃は私の集落の小学校の生徒数は50人くらいだったのに、今は全校生徒数35人ですって。この町には同じくらいの生徒数の小学校が4校あります。その他に分校もあったけど閉鎖されました。

ザリガニが釣れました!

Taiは蛙は捕まえられるけど、ザリガニを触るのは初めてです。

はじめは裸足になるのも嫌がりましたが、ザリガニを見ると裸足も忘れておっかなびっくりザリガニを掴みました。
一回持ったら後は強気です。

たくさんのザリガニ、どじょう、タニシ、タモロコ、蛙3種類などなど収穫多量で、今度は川遊びのため江合川に
移動します。

まずはみんなライフジャケットをつけて川に入る準備をします。
次に全員そろって中本さんの指示どおり川の中に入ります。

Taiも生まれて初めて入る川の中にけっこう物怖じせずに入ってゆきます。
小さいTaiのお世話をしてくれているのは、岩出山のひよっこ隊長、タマゴ屋さんのユージ君。
ありがとう、ユージ君。「俺は川には入らないよ」と言っていたのに、志を変えて、Taiと一緒に川の中へ。

みんな川で泳いでます。泳げる子も泳げない子もライフジャケットつけて。

町に川はあるけど、鮎を放流する水がきれいな川だけど、子供たちが江合川で泳ぐのは初めてだと思う。
みんな楽しそう!
私は黒ラブラドール2頭を連れてきて、この川で泳がせていました。懐かしい思い出です。

超人見知りだけど、事象にはけっこう物怖じしないTaiもさすがに泳げず、水の中で棒立ちになっているところを
中本氏が抱いて水の中に。いい体験だね!

Taiにはお姉さんのお友達ができました。KHBのマリちゃん。
Taiはマリちゃんが大好きで離れたくありません。マリちゃんも石でダム作りをしてつきあってくれました。

バーベキューで昼ごはん。ザリガニ焼いて食べてる子もいましたよ。
昼ごはんが終わると中本賢さんが今日のガサガサの成果と関連するお話しをしてくれました。

今日捕まえたのは107匹。ここにいる生き物の生き物の種類の0.3パーセントくらいだって。

こんなにたくさんの生き物がいるこの自然があることを、「皆さん、誇りに思ってください」と中本氏。
ほんとに私もそう思います。
中本さんもよそ者、私もよそ者。他所からくるとこの土地の価値がわかります。
でもよそ者の私たちが解かるだけではなくて、この土地の人にこの土地の価値を知ってほしい。
失くしてしまってはほんとにもったいない豊かな自然に恵まれた土地です。

私が住み始めてから10年余り。人はどんどん少なくなり、休耕田も増えました。
どうしたら人が増え子供が増え生産力のある町を取り戻せるか。
こうやってガサガサ探検隊に参加して、中本賢さんのお話しを聞いていたらヒントが見つかるかもしれません。

楽しい1日でした。Taiにとっては最高の1日だったと思います。

さて、この次2回目は秋。今度は魚ではなくて何かを捕まえるみたいですよー。
Taiも、もう少し大きくなって参加します。

 

 

 

 

 

 

 

 

宮城の花事情

お盆になりました。

東北の各地から首都圏や県外に出て行った人たちが帰省して、いつも静かなこの町にも車が増え、
人が増え、短い期間だけど一気に賑やかになります。

私がこの町に住んで初めての夏、初めてのお盆にびっくりしたこと。
それはどこのお店にでももの凄いたくさんのお盆用の花束が並ぶことです。お盆前の11日、12日頃には
女の人も、男の人までも、買う時に指折数えながら、5束も6束も人によっては10束でも買って行く。
ということで、今、道の駅でも近所のスーパーマーケットでも盆花満載です。

これをほんとにみなさん、どんどん買って行く。凄い勢いで花が無くなり、私たち花を栽培する者は
畑で必死で花を切って補充する。

ここにもともと住んでいればびっくりするようなことではないのかもしれないけれど、長年東京近郊に
暮らしてそんな光景は見たことないので、一人の人があんなに花束買って何するのだろう、とびっくりしたし、
不思議でした。

東京のサラシーマンが、勤め帰りに花束を5つも6つも買うのなんて見たことないですもの。
まあ、電車でも困るしね。

以前から花を作っていた私は、花のお師匠さんから「宮城県は全国でも1、2といわれる花の消費地なんだよ」とは
聞いていたけど、実際に眼にして「ほんとなんだ」とは思ったけれど、何するのかわからなかった。

で、住むにつれてわかりました。
自分の家のお墓だけではなくて、親戚とか周りのお墓にもお花を供えるらしい。というのは今でも事情がほんとに
わかっている訳ではないので、自信を以っては言えないのですが、亡くなった夫の両親のお骨を預かって
頂いている納骨堂にも、どなたかが花を飾りトマトや果物などを供えてくださっているのです。

こんなところですから、納骨堂には夫の両親以外誰も入っていません。集落の人はみなさん檀家でお墓を持ち、
草刈りなどもしてお寺を護っておられます。
夫の両親のお墓は都会で自分たちで買った霊園にあったのですが、宮城からは遠く、長男である夫が故郷に戻る
気持ちがないので、どうしたものか、と集落の和尚様にご相談しました。

和尚様は先取の気風に富んだ方で、「いずれこういう時が来ると思っていた。先のことはわからないのだから
お墓のことは後で考えればよい。自分のほうで納骨堂を作って預かりましょう」と言っていただきました。
今我が家ではまだお墓は作っていないけど、お盆には納骨堂の観音様にお花を供えます。私が行く頃には
花入れはギュウギュウで入らないことが多いのですが。

13日の今夜のお寺は、道路からお寺まで上がる全部の階段にろうそくの灯りが灯されます。
何年か前の13日の夜、迎え火が炊かれたお寺の前を通りかかると、真っ暗な中で階段の上から下まで、
風でゆらゆら揺れるろうそくの灯りが続いているのを見て、胸の中が温かくなりました。

仏様が道に迷わないように。お参りの人たちの足元が危なくないように。

東北地方は、ご先祖様を大変大切にする土地柄なのだと思います。
周りの人に「みんながあんまりたくさんお花を買うからびっくりした」と言うと、びっくりする私に相手がびっくり、
というくらいに、ここでは当たり前のお盆迎えですが、もう盆茣蓙に供物を置き、帰省した家族との団欒が
始まっているのでしょう。

沿岸部でご家族を亡くされた方には、悲しみを新たにするお盆だと思います。
私たち海山ネットの活動も一歩一歩しか進めませんが、少しずつ進みながらみんなで元気になっていきたいですね。

 

 

 

 

田舎暮らしを支えてくれる人達たちーよっちゃんー

夕方、畑で花切りの真っ最中、近所のユミちゃんが、またその近所のヨッチャンを連れてやってきました。
花が大好きなヨッチャンは、うちの畑の花がどんだけ咲いているか見たいので、ユミちゃんに頼んで車で連れて
きてもらったそうです。

来てすぐ、ヨッチャンは花を見るより先にワサワサに大きくなった夏ミョウガを見つけました。
「なってるかちょっと見てみっから」
うちのミョウガは出ている範囲が広いのです。大きく育って葉がワサワサになってたくさんのミョウガが出てる
と思うけど、毎年採ったことありません。誰も食べないし、採って売るのも面倒だから。

ヨッチャンはそういうのが見逃せないんですね。
筍でも蓬でも採れるものは全てちゃんと採って保存する、というのがヨッチャンの信条のようで、それは自分の
うちのものでも人のうちのものでもミョウガはミョウガで放ってはおけない。

ということで、「見てみっから」が「採ってけっから」になり、ミョウガの叢の中に入って出ているミョウガを全て
採ってくれました。そして「おれは要らない」と置いていったのが、このミョウガです。

放っては置けないので、きれいに洗ってお客様に食べていただくことにして道の駅で販売。
今日は完売しました。
ありがとう、よっちゃん。よっちゃんのおかげでみょうがを無駄にしないで済みました。

蓬が出る時期にも、うちのお餅用のヨモギを摘んでくれます。

よっちゃんはご主人も子供さんも病気で亡くなったので、一人で暮らしています。一人だけれども近所の人
とか親戚の方の協力でたくさんの野菜を作って、梅干しや漬物など漬けます。そしてそれをわけてくれます。
勿論好きな花もたくさん植えていて、家は花に囲まれています。
2、3年前、突然動けなくなる病気になって、心配しましたが見事復帰しました。

退院してくる前も今も同じですが、一人暮らしで運転もできないのだけれど、買い物でも温泉通いでも、
お芝居を見に行ったりすることでも、よっちゃんは不自由がないように見えます。

近所の人たちや親戚の人たちが、何かをする時、どこかへ行く時、よっちゃんを誘って連れて行くからです。
温泉帰りでツルツルの顔で、道の駅でばったり会ったりする時、「なんだ、よっちゃん、私より優雅じゃん」と
言ったりするのですが、こうして一人で暮らしていても病気になっても周囲の人との連携で質素に暮らして
いけるというのが、こういう地方の小さい集落のすごいところだなあ、と都会者の私は感心します。

よっちゃんは人にどこかへ連れて行ってもらうのを、まったく悪びれません。
「連れてけー」と全く普通に言う。そして、周りの人が困っている時には留守番でも農作業の手伝いでも
「やってけっから」と気軽に手伝ってくれます。

うちの場合は、畑に苗を植えてもらったら、50メーターくらいの畑でも全然休まず中腰のまま植えてしまう。
くんたん焼きは素晴らしく上手です。よっちゃんは農業のプロなんだね、と思わせられます。

食べ物は、自分が食べないでも無駄にするのは気持ちよくないです。
今年はよっちゃんのおかげで、夏みょうがを無駄にしないで済みました。

さっき、お礼に畑の花をお墓に飾れるようによっちゃんちに持って行ってきました。
よっちゃんは小さい愛らしいような花はきれいだとは認めません。「ふーん、こんなちっちゃいの、きれいでない」と 言うので、間違って出てきたような大きい花ばかり集めて花束にして置いてきました。
きれいだなーと喜んでいた。

 

 

 

 

 

伊豆沼で蓮の舟に乗りました。

お盆です。

忙しい花切りの合間を縫って、絶対見たい蓮沼に行ってきました。見たいだけではなくて蓮の舟に乗りたい。
あの不思議な感覚は、他では体験できない、蓮の花に覆われた広大な沼を舟で周らなければ得られないと
思うので。

極楽浄土でございます。

どこまでもどこまでも続いています。今年は例年より花が多いそうで、東京ドームの約10倍あるという伊豆沼の
8割から9割蓮の花で覆われているそうです。
この蓮の沼がここには、3つもあります。伊豆沼、内沼、長沼といいます。
冬は白鳥や雁の越冬地であり、ラムサール条約の指定地であるので、蓮を持ち出すことはできません。

すごいなあ! すごい、すごい、今年はすごいわ! が止まらない。

こうして船で水路を作って進みます。

まだ蓮がさほど大きくないので遠くまで見渡せますが、もうじき蓮の背丈が高くなって2メートルもそれ以上も
なると展望は林立した蓮の茎ということになります。

船頭さんが言うには
「蓮が大きくなると、迷子ちゅうか、どこにいるのかわからないような気持ちになる」
この蓮は自然のもので植えたわけではない。風に弱いので10年前の台風では全滅したが根っこが活きている
ので10年かかってこうなった。

「もっといっぱいの人に見てもらいたいですねえ。こんな素晴らしい景色は」と私。
「日本中、いや世界でもこんなにたくさんの蓮が咲くところはないと思うよ」船頭さん。
そう船頭さんが言ってもおかしくないような光景です。
「もっと宣伝するからねえ」
「宣伝してください。栗原市は宣伝が下手だからもっと宣伝してたくさんの人に見てもらいたいなあ」
と船頭さんが言ってますので、是非ごらんください。東北新幹線ならくりこま高原駅から車で20分くらいかしら。
それから船頭さんが言うには、是非とも船に乗ってもらいたい。乗らなければこの素晴らしさは分らないと思う。

それから白鳥は蓮根が大好きなので、北帰行の前になると栄養をつけるために湖面にお尻を突き出して
逆立ちするようにして蓮根を食べる。だから白鳥が食べたとこは減っちゃったの。ごめんね。

ということでした。

乗船場のすぐ上にバードサンクチュアリかな。鳥など見られる施設があります。
そこからの眺めです。

 

 

さて、大急ぎで畑に戻ってお盆用の花束つくりです。
切っては束ね、切っては束ね。

花束作りの傍らで進めているのは秋のパンジーの種蒔き。

その傍らではハボタンが育っています。

今日も今から花束作りです。
終わって帰ってくるとヘロヘロになってます。
さあ、がんばっぺ!

 

キャスナー先生への手紙

昨年の東北大震災後、2か月ほどの時、アメリカ人と結婚してカリフォルニアに住んでいる従妹を通じて
サンディエゴにあるマウントカーメル高校の先生方や生徒たちみんなで作った被災地を励ます動画が
送られてきました。校長先生はドーン・キャスナーという方です。

マウントカーメル高校の生徒たちほぼ全員が参加して作った動画のようで、大きな垂れ幕にガンバレガンバレ
と書いてありました。サンディエゴでも大きな山火事があった時に家が被害にあった生徒たちは仮住まい
を余儀なくされたそうです。

どこかに送って見てほしいとは思ったけれど、その頃はまだ学校が再開されていなくて、先生も生徒も
学校に戻っていませんでした。
で、知り合いに頼んで大崎タイムズを紹介してもらい、大きく新聞に載せていただきました。

その後に大崎タイムズの報道写真集にも掲載されたので、マウントカーメル高校のみなさんが送ってくれた
励ましの言葉は後々まで残ることになりました。

そのことをキャスナー先生にお知らせしたい。みなさんにお礼を言いたい。
と思い続けて1年。写真集を送りたい気持ちはあるのだけれど、英語で手紙というのがどうしよう。
グズグズグズグズして、遂に決心して日本語で手紙を書いて、新聞バッグや手拭いとともに送りました。

でも日本語の手紙をそのまま送るのはなんとも失礼な気がして、書きました。どなたか日本語が解かる方
に翻訳していただいてください、と英文で。
でもやっぱり丁寧な形では書けなかった。遂に諦めて娘に書いてもらって自分でタイピングしました。

そうしたら普段パソコンでローマ字変換ばかりしているものだから、英文書くのに間違ってばかり。
単語のスペルさえ出てこない。
きのう老化のことをここに書いたけど、やらなければこんなに忘れるものかと愕然としましたね。

 

若い頃、アメリカ空軍の戦闘隊のオフィスでコンピューターの仕事をしてました。上司はアイルランド系とか
ドイツ系アメリカ人とかチェロキーインディアンとか。同僚は日本人の女性数人と後は兵隊で普通の日本の
事務所のように普通に仕事をして普通に昼休みにおしゃべりしたりしてました。ベトナム戦争の前のことで
その頃のみんなとの思い出は私の胸の中にしまってます。
その後に入社した会社は外資で、その時代、まだ翻訳が間に合わず書類も英文でした。

そうやって働いて給料もらって暮らしてきたのに、ぜーんぶ忘れてしまっている。

 

この間東北村の会議でプロダクト活性のMさんから「戦後のことなど話してほしい」と言われて超ビックリ
しましたが(語り部は人がやるもののように思い込んでいました)、考えてみれば、私が幼かった頃の
戦後の暮らしや、基地内での仕事のことなど知っている人が少なくなっているということですね。

 

キャスナー先生に手紙を書いたことで、もうちょこっと英文を書いてみようかという気になってます。
書いてみたら楽しかったから。

 

 

 

 

年齢と向き合うということ

今日、ロンドンオリンピックのメダリストの会見でハンマー投げの室伏選手がテレビで話してました。
その話を聞いていて、「うーん、私と同じだ」と思った。

私がハンマー投げの練習をしているということではなくて、「年齢と向き合うということ」で。

室伏広治選手はアテネ大会以来2大会ぶりの37歳でのメダル獲得だそうです。
37歳といっったらやっぱりスポーツ選手としては年齢が高い方ですね。若い選手よりももっとたくさんの
身体の準備とか、ハンマー投げを続けていくための工夫をしなければならない。

で、室伏選手はその時間をこんなふうに言ってました。
「年齢と付き合うのは楽しい」
「可能性を探すのは楽しい」
この大会に出るまでの時間を「意義深い4年間だった」

年齢が進むというのは筋肉が硬くなる。足が遅くなる。瞬発力が弱くなる。バランス感覚も変わってくる。
そこのところをどう付き合ってどうクリアしてハンマー投げを続けるか。

そうなんですよね。私も同じようなことを思います。
朝5時から起きて草刈ってお餅のお仕事やって、海山ネットのメンバー仕事をやり、花の生産者で畑で暗く
なるまで花を切り、ご飯の支度もしてパソコンもやって本も読むみたいなことやってますが、年齢は70歳です。

友達や知り合いから「身体大丈夫? 身体壊さないでね」としょっちゅう言われてます。

でも体はどこもなんともありません。ただ室伏選手と同じでいつも自分の体を気にかけているというか、見ています。ここまでは気力でやれるとか、途中で寝なきゃダメだなとか、食事は多く食べてはいけないし食べなくてもいけないとか。自然に自分の体が保てるような時間の使い方をしてます。
全然風邪もひかない。だから自分が病気になった時は分り易いし、受け入れやすいかもしれないです。

で、それでわかるのは老化を老化のまま受け入れたら、動けなくなるだろう、ということ。少しずつでもできる形で動き続けているから動いていられるんだなあ、と思います。

バランス感覚が変わってくる、というのは気がつかなかった。

この7、8月、北アルプスで亡くなる人が多いですよねえ。槍、穂高、白馬岳などで7月20日頃から8月初めまでの
間に5、6人の登山者が滑落して亡くなっている。全部65歳半ばから70歳半ばまでの女性が多い。男性少し。

70歳を過ぎて北アルプスに登られる実力は凄いなあ、と思うのですが、東北に較べて山小屋の整備が良い北アルプスでも2、3日の行程だったら女性でも10キロから15キロくらいの装備は背負うでしょう。
私たちの年代でさほど身体が大きな女性は少ないです。
山に登り慣れてても、年齢でバランス感覚が変わるとすれば、重い荷物でバランスがとれなくなるということが
あるのかもしれない。下りでは身体よりも重い荷物のほうが先に落ちていきそうになりますから。女性は特に。

というようなことを今日は室伏選手の話を聞きながら考えさせられました。

70歳になっていろんなことができるのは、周りの若い人たちが年齢に関係なく仲間として受け入れてくれている
からです。私の元気はそのおかげがとても大きいと思います。若い人たちに感謝しています。

 

 

 

東北に遊びに来てください

お盆が近づいてきました。
毎日、夕方には畑で花切り、花束つくりに追われています。

先日、道の駅で隣町鳴子温泉の旅館の方とお話ししました。
「土曜日だけどお客さん少なくないですか?」と旅館のRさん。
「少ないんですよ。夏休みとは思えないですね。暑いからですかね。どうですか鳴子温泉は?」

と尋ねたら
「お客さん、少ないですねえ。これから来年にかけて自分たちがかつて経験したことのない状況になるんじゃ
ないですかね。この先も景気が上向くということは考えられないでしょう。だってよくなる条件なんて何もない
ですから」
と言われ、気持ちがシーンとなりました。

そう、よくなる条件なんて今私も思いつきません。
難しいなあ。でもやらねばならん、ということなら新聞バッグも含めていくらでも思いつく。

大震災から1年半経って、とても難しい状況になってきているな、と実感します。
これだけ東北の観光地に人が来なくなって、また放射能も合わさって、売り上げが落ちるやら営業ができなく
なったりする中で(南三陸へ行く途中の町の中でガラス戸に「放射能が原因で閉店します」という紙が
貼り付けられているお店を見ました)政治家の人たちは毎日何をやっているんでしょうねえ。

昨日の日曜日いったん聞き出したら止められなくなって車のラジオで日曜討論聞いてました。
一体あの人たちは消費税を上げることをなんだと思っているのか。

そういえば今日夕方南三陸の小野寺さんから
「菊、売れました。今日農協に出した分も合わせて完売しました。ありがとう」と連絡がありました。
菊の値段も震災前の値よりも落ちてました。小野寺さんの菊が安くなったのではなく流通での相場が
下がってます。

単純に難しいこと考えないで、全国の人が東北に観光に来てほしいなあ、と思います。
今はというよりもこの先数年はですが、被災地には見どころみたいなものはないですが、自然は春夏秋冬
美しい。

東京から来るお客さんには今度はどこを見せようかな。
栗駒山に連れて行こうかな? 伊豆沼や長沼の蓮の花の中を遊覧する船に乗せようかしら? それとも
鳴子温泉を越えて最上川まで行ってみる? 平泉で世界遺産の中尊寺を見る?
ちょっと考えるだけでも案内したいところはいくらでも出て来ます。

なんてことを夢想しつつ今日も花切りをしてました。

 

 

 

 

菊そして潟沼

人のブログ読んで喜ぶのもなんだけど、さっき、海山ネット代表のよっちゃんなんばんドタバタ日記を
読んでホッ!

菊のことです。

一昨日南三陸の志津川菊栽培者の小野寺さんから電話があり、「もう少し菊があるんだけどどこか
聞いてもらえないか」と頼まれてました。昨日、今日あっちこっち声をかけていたので、「よかったァ!」
関西でたくさん買って頂けるなんて想像もしなかったけど、ほんとよかったです

菊を買ってくださった方、ほんとにありがとうございます。
小野寺さんは昨年津波で家も菊畑も全部流されて、今は仮設住宅で暮らしておられます。去年は鳴子温泉に
避難されていたので、よっちゃんのお父さんと私は菊の栽培を習いました。

今年は畑を借りて菊の栽培を再開されることになり、早春から借りた畑を一人で耕して、苗を植え、
ようやく出荷にこぎつけられました。勿論志津川菊として東京市場などには出荷されますが、少し葉やけを
した菊があり、それは出荷はできないのでバラとか束で販売を希望されています。

お仕事はされるようになりましたが、まだ仮設住宅を出る目途などは経たない状況だと思います。
もし購入希望の方がおられましたら、下記までご連絡ください。見事に立派な黄色の輪菊です。

omochi@uminote-yamanote.net

暑くて食欲も出ないので、娘とうちの4歳と一緒に鳴子温泉で昼ご飯を食べて潟沼に行きました。
お客さんは少ーし。ボートに乗ってる人もいて、風が吹き渡って静かです。
ここのお茶屋さんがいつも面倒見ているカモの親子。
お茶屋さんは11月には閉まります。それからは動物たちの世界。

風で吹き寄せられるように動く波紋を見つめていたら、座っている自分が動いているような錯覚が・・・。

のんびりお昼の時間を遊んで帰ってきたらすぐ、大急ぎで畑着に着替えて虫よけを体中に振りまくって
畑で花切りの始まり始まり。暑くて汗だくになりました。

5時半になったら、花切りを止めて家に帰ってまた着替えて、今度は道の駅の売り場掃除に。
なんとも暑くて忙しい1日でした。
でも潟沼はきれいで楽しかったです。家から30分ほどで行けます。

 

 

 

猛暑

今日から朝5時から草刈りをすることに決めて、その第1日目。

ちゃんと5時に起きて即刻庭へ。もの凄い草と蔓。山アジサイなんか葛に覆われてしまって花が見えません。
植えた覚えがないねむの木が自分の場所を得たような顔でしっかり丈を伸ばしてます。クワの木もいつの間にか
大きくなってます。どっちも伐る。

蔓を引っ張りおろして樹木の下草を鎌で刈って、平たいところを機械で草を刈って1時間。
がんばったんだけど、あまりきれいになったようには見えない。
終わって今度はお餅の仕事。

今日から1週間くらいこの作業を続ければ少しは草だらけの庭もさっぱりするだろう、とは思うんですが、
なんで夏草というのはこう伸びるんだろう。

毎日朝は薄曇っていて、もしかして今日は曇り?なんて期待しては裏切られてばかりいたのですが、今日は
ほんとに期待どおり1日曇りで、動き易くて助かりました。

いつもだったら夕方から始める花切りを今日は3時からはじめました。

千日紅ですが、スロベリーフィールドという意味不明の品種名がついてます。千日紅という名前どおり、切っても
切っても花が咲いてきて、霜が降りるまで咲き続けます。私も切り続けます。

千日紅の次はアスター、おみなえし、りんどう、と切り続けたところで、うちの4歳が娘に連れられて
じゃがいも掘りにやってきました。今度は私こと「ばーちゃん」はじゃがいも掘りにつきあいます。
上のほうに出ていたじゃがいもは何かの動物に齧られています。じゃがいも食べるって何の動物だろう。
狸、熊は食べないよねえ。かぼちゃも半分くらい齧られたりするんだけど何が食べるんだろう。
ねずみかなあ。

普通の花の籠ケースの半分くらいの小ケースに、じゃがいも、トマト、ピーマン、ちっちゃいスイカを
彩りよく詰めて、仕事から帰ってくるお父さんへのお土産を作って終了。
あとこの頃蛙を捕まえられるようになった4歳の孫は、小さいの、ちょっと大きいの、と蛙を7匹捕えて
ペットボトルに入れて帰ります。
帰ったらたらいの中で泳がせてから逃がすというのが日課です。

花束を作って、忙しかった今日の仕事も終了。
毎日暑いけれど、冷房をかける必要はなく、夜が涼しくて眠れるのでバテずにがんばれています。