山菜シーズン

連休が終わって静かになった今朝の直売所のバーコード室で(バーコード室というのは生産者が値札をつけたりするバックヤードです)、隅っこの椅子に座って何やら真剣に書きものをしている生産者のKさん。

「何やってるのー?」
「検査の申請書書いてるの」

そうか、山で山菜と採るのが好きなKさん。遠くまで行ってきたんだね。
「どこのー?」
「秋田に行ってきたのよー」

秋田で採れた山菜でも道の駅では放射能の検査対象になります。
「面倒くさいねえ、いちいち。だけどしないわけにはいかないしねえ」

と話しているうちにだんだん腹が立ってきます。

うちだって、畠の竹林に行けば、タケノコが頭を出しているはず。でも、食べない、売れないタケノコを苦労してきつい
斜面の竹の林から掘り出すのも癪なんですよ。バカみたいで。いつまでか解かっているならまだしも、いつまでだか解からないし、来年どうなるのかも解からない。でもほっとけば竹になるから掘るしかないんだけど・・・。

事故から2年が過ぎて、福島から遠く離れた県北のここでさえ、目に見えない放射能で苦労させられているのに
「稼働」という言葉を再々聞きますからね。わからん!

今日、歯医者からの帰り、道路脇に大変な量の畠から剥がしたような土が積み上げられているのを見て、
思わず、牧場で剥がした表土か?と思いましたよ。いつもいつも放射能のことを考えているわけではないけれど、
でも日々の生活の中でいつの間にか染みついたように放射能に身構えているんだなあ、と思いました。

私たちでさえそうなんですもの。福島の方々のご苦労が思いやられます。

 

例年、今頃の時期になると、道路沿いにあるうちのタラの芽は我が家の食卓に上ることなく、なくなります。
通りかかる人が採っていかれるのだと思うけど、この連休で気になったのは、遠りかかりの人が車を停めて
道路沿いの林や田の畔や草むらで何かを採っておられる姿。

都会じゃないので犬の散歩でおしっこかかってるなんてことはほぼないのですが、でもやっぱりここに住む
私たちでさえ、出所の解からないものは採らない、食べない今日この頃、気を付けて頂いたほうがいいのでは
ないかなあ、と老婆心ながら思います。

 

それとKさん曰く
「融雪剤もいっぱいまいたんだよね。道路沿いの蕗なんか採らないほうがいいよ」

私もそう思います。

 

 

 

ゴールデンウイーク最終日

うちの山桜がようやく咲きました。
来た頃は真っ直ぐ立っていたのがだんだん斜面の土がずり落ちるに連れて傾いてきて、もう2、3年後には
倒れるんじゃないかなあ、という角度で咲いてます。

こんなデッカイ木倒れたらどうするんだろう。

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「バーチャン、バーチャン、シラネアオイが咲いてるよ」の声に呼ばれてカメラを片手に庭へ。
シラネアオイなんてどこで覚えたんだろう。

花びらを虫に食われたシラネアオイ。植えた覚えがないので、自然発生、天然シラネアオイ。
そういえばシラネアオイの自生地である日光の白根山に登った時、本場もんのシラネアオイは鹿に食べられて
ボロボロでしたっけ。木の皮まで食べられてました。

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12年前、ここに来た時に持ってきたカウスリップのタネがこぼれたのか、ポツリと草の中に咲くカウスリップ。
そうなんだ、私はこんな花を作っていたんだ、と懐かしくなりました。

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いつの間にか絨毯のように広がっているアジュガ。まだ開いていません。たぶん他の色のもあると思う。

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このー木なんの木? 自分で植えといてわかりません。枝垂れ桜?

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足元はスミレが原。スミレだらけ。

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朝起きてから、日のある限りハウスにいるか外にいるかのうちの4歳。もらった写らない一眼レフカメラを抱えて
山のてっぺんで写真を撮ってます。撮れたらいいんだけどねえ。
連休が終わって、また明日からはうなだれて幼稚園に向かいます。

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お餅と花で忙しい寒ーい連休が終わりました。
自分の仕事が終わった後は、新聞バッグの梱包、お手紙や伝票書き、で午後が過ぎました。
雨が降らない間に庭を一巡りしたし、花の写真も撮ったし、今から発送に出かけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

西日本新聞社のTさん

西日本新聞、というのは、範囲的にはどこからどこまでカバーされているのか解かりませんが、私が子供の時から最も慣れ親しんだ北九州の大手地方新聞です。

その昔福岡では朝日や読売などの新聞を読む人は少なかったので、新聞といえば西日本新聞かフクニチ新聞
だと思ってました。長じて転勤族となり関東圏に落ち着いてからは朝日、読売の読者であり、当地に来てからは
河北新報を読んで、西日本新聞というのは遠い彼方の新聞でした。

忘れかけていた西日本新聞社とご縁ができたのは、福岡の津屋崎ブランチで毎春行われる「よっちゃん祭」で
代表の山口氏から大量の新聞バッグを販売して頂くようになってからです。

今年は特に、大震災から2年が経過し、東北から遠い福岡では「まるで復興がなされたように思っている人も多い」ということから、風化させないようにと東北の新聞で作った新聞バッグを、注文して頂きました。

その後に連絡をしていないので、売れたかどうか聞くのが不安、というのが今の私の心境です。

その時に「よっちゃん祭」を西日本新聞に載せるということで、新聞バッグの作り手として西日本新聞社のTさんの
電話での取材を受けました。

その後暫らくして、Tさんから私が作った震災後の記事のスクラップやその他の記事を読んでみたい、とご連絡を
頂きました。大震災から2年経過した今の東北3県、そして福島から先にはあまり行き渡ってはいないだろう記事を探してダンボールに詰めて送りました。

 

5月の連休に入って、生業でバタバタして新聞を送ったことすら忘れかけていた今日、Tさんからお手紙を
頂きました。

昨年の初めくらいの記事から目を通しているが、復興とはほど遠い被災地の実態に目が覚めました。
311の記憶の風化が進んでいることに危機感を抱き、11日という日には、震災関連の記事を掲載するように   声を挙げてゆきたい。と書いて頂きました。

アベノミクスだの、株価が上がっただの、円が安くなって外国土産が買えない、だのと景気の良い話が耳に入ってくる今の時期に、東北から遠く離れた新聞社の若い新聞記者さんが被災地に心を向けてくれる。

そのことに深い安堵感を覚えます。
きっと一人ではないはず。日本の各地にそんな方がいらっしゃるのだと思います。

T記者のこれからのご活躍を祈って、これからもゆっくりじっくり読んで頂きたい記事を送ってゆきます。

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

寒ーい!ゴールデンウイーク

1年間で前半のクライマックスといえるゴールデンウイークが始まって、今日は8日目。                 休日じゃない日を中3日挟むとはいえ、長い寒い冬が終わってやっと人が動く時期なので、道の駅や物を作って
販売する者にとっては大事な時期なのです。

ここがかきいれどき。
なのに、毎日寒ーい!シャレにならないくらい寒い。

道の駅の直売所前では27日からテントを建てて、漬物その他の加工品の試食販売会をやってますが、寒い上に
連日のように雨が降り、毎日毎日強い風が吹いて、ゴールデンウイークの天気としては最悪コンディションです。

 

しかしなんでこんなに気温が低いんだろう。

5月なのにうちに栗の木は「忘れてるんじゃないの?」といいたいくらい芽が出ない。
新緑が見ごろになるまでまだ時間がかかりそうです。

今直売所の花の販売の中心は、もうこれで最後というところのパンジーやビオラや春の草花なんですが、
6月半ばくらいには春の定番パンジーなどが咲き終わって、夏花壇に切り替わります。
その頃になると、マリーゴールドやベゴニア、サルビアなどの夏から秋まで咲く花に植え替えられます。

本来なら花の生産者としては、その頃までに夏花壇用の花を育てていなければならないのだけれど、        ハウスの中で全然大きくなりません。
夜には、暖太郎という小さいストーブを入れたり不織布かけてみたり、いろいろやってますが、この分では      6月半ばに花壇に植えても、ちっちゃくてかわいそうなくらい貧相な苗になりそうです。

 

テレビで見てると、ディズニーランドだの博多どんたくだの幕張メッセだの国内のイベント会場は人出で
大賑わいの様子。博多どんたくの100万人にはほんと、びっくりです。
あれって出たことあるけど、「ぼんちかわいやねんねしな」という歌に合わせてしゃもじ叩いて、歩くだけなん
だけど。
昔は花電車が走っていたけど、今は路面電車がなくなったので花バスが走るらしい。
それで100万人もの人が集まるのが不思議です。

 

それと比べると、東北は震災で見どころなくして行くところ少ないし、車で来るには高速代高いし、寒いし、放射能で山のものは採れないし、まあ、ほんとに分が悪い。

今日は鳴子から山形へぬける国道47号線は車がいっぱいでした。
ちょうど端境期の上に山の山菜も自由には出せなくて、品数が豊富とはいえない道の駅にたくさんのお客様に
来て頂いて、ありがとうございます。

今日は少しあったかくてホッとしました。外販売をしている者も震えずに済みます。
明日もあったかくて、何より風が止んでくれれば助かるのですが。

家の前の耕作されなくなった田んぼに木がはえてました。このまま放置すれば林になるんでしょうねえ。
使わなくなった田んぼは耕さなかったらこうなるのかと…..。
やっぱりトラクターで鋤くだけでも大事なことなんでしょうか。素人考えですが。
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昨年の春、栗駒山の世界谷地に行ったら、ニッコウキスゲやワタスゲが咲く湿原に木がたくさん生えてました。
「わあ、木が入っちゃったですねえ」と管理の人に言ったら、内陸地震で人が入らなくなったら、木が増えた
そうです。木が入れば入るほど湿原が山っぽくなっていきます。

あれと同じなんですね。
田んぼは田んぼであってほしい。中山間地の農業事情は知れば知るほど大変だなあ、とは思いつつも
やっぱりそう思います。

私が若くてトラクターでも持っていたら、借りてレンゲソウや紅そばなんかのタネをいっぱい蒔いてみたいです。

 

 

 

 

 

 

国道398号線

毎年ゴールデンウイーク前に除雪が終わって冬季閉鎖が解かれる国道398号線。冬場は何メートルにもなるという雪の壁を見たくて1度は行ってみたいなあ、と思っていたのですが、思い立って今日行って見ました。

4、5日前冬タイヤを普通タイヤに替えたので、行けるところまで、と恐る恐る。

国道398号線は、宮城県石巻から秋田県由利本庄に至る国道です。栗原市の花山温湯から先は宮城から
秋田へと抜ける栗駒山の山麓を巡る山岳道路で、2008年6月14日の岩手、宮城内陸地震では道路に沿う山々が
大崩落し、2010年の9月半ばまで2年3か月も通行止めになりました。

今もその爪痕は深く残っています。
現在も修理中の山。
もっと凄いところもあります。なにしろ栗駒山の山頂の一部が崩れ落ちて無くなっちゃいましたから。

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そして2011年の3月11日には大津波で宮城県沿岸部が被災するという、なんだか被災の多い道路です。
うちからは花山まで30分ほどで行けるので、新緑とか紅葉とか湿原とか、理由をみつけては3時間ほどで
行って戻ってきます。

どのくらい雪があるんだろう!と見にいったのだけれど、雪はなかった!

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明日からの3連休は人は来るんでしょうけど、まあ、車の少ないこと!ポツリポツリとすれ違うくらいです。

美しいブナ林。

今の時期以外の時はブナの木の根っこまでは見えません。普通はブッシュで近づけない。
今は葉っぱがないので、木の根っこまで見えて、歩けそうだけど、スキーかかんじき履かないとたぶん
ズブズブと沈むでしょうねえ。

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まだ新芽も小さくて緑の色が見えません。
うすぼんやりとした芽吹き。
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宮城県境を過ぎ、秋田県に入りましたが、残念。栗駒山方向はまだ閉鎖中でした。
もしかすると岩手県側からは入れるかもしれないです。

秋田県の小安峡まで行って、名物の稲庭うどんを食べてUターン。
秋田はジャバジャバの雨です。
戻って宮城県側に入ると雨の気配なし。

雪解け水で満タンの花山湖。

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お昼に出て行って3時には戻ってきました。

戻ってくると来年分の海山ネットのお仕事の電話がふたつ、今年の秋の分の電話がひとつ。
忘れないで声をかけてくださる方がいらっしゃることに感動します。

明日からは3連休、お餅とお花の仕事が忙しくなります。

 

 

 

 

薔薇の花で染めた糸

2、3日前梅農場の前の道路を通った時、もう薄暮の時間だったのですが、白く延々と続く梅林の開花の時期の
凄さに圧倒されました。
それから2日経って、昨日の夕方所用のついでにもう一度寄って写真を撮りました。

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よく見ればもう花は終わりの時。でも福岡生まれで学校の遠足は梅の名所である太宰府天満宮に通い、
水戸の偕楽園の梅林を何度も訪れた目で見ても、この岩出山の佐藤農場の梅林は凄いです。
今、開拓3代目。7000本だか8000本だかの見事に手入れをされた梅の大木が等間隔で延々と連なる
梅林の光景は、宮城の財産だ、と私には思えます。
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前回は情報交換会だった、もつくりネットの会の立ち上げ会に行ってきました。

堅苦しい会ではなくて、津波で壊滅状態になった荒浜やその他の土地に綿のタネを蒔き、東北コットンプロジェクトを
展開する赤坂社長をリーダーとして、後はモノを作る熟年の女性ばかりをメンバーとする規則も事業計画も
ゆるーい会です。

今日は名前を付けるということで集まりましたが、みんなで考えた割にはいかにも普通の
「モノ作りネットみやぎ」という名の会の発足となりました。
男性は赤坂社長のみ。後は取材もするが仲間でもある地元新聞記者2名。これは男性です。

そして今日特筆すべきはこの糸!
何で染めた糸でしょう。

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荒浜のコットンプロジェクトはタネを蒔いた最初の年は大雨で流れてしまって収穫できなかったとのこと。
この糸は、メンバーのOさんが赤坂氏のところで昨年採れた綿を紡いで糸にして、前回の会で初めて出会った
薔薇染めのHさんのところへ行って、紅い薔薇の花で染めたもの。

玉ねぎや紅茶などで糸を染めるのは知っていたけど、バラの花で染めた糸を見るのは初めてです。
軟らかいやさしいピンクで、とてもきれい。

綿のタネを塩害を受けた土地に蒔き(蒔くのは全国から集まってくれるボランティアさん)、秋に収穫し(収穫を手伝うのも全国から集まってくれるボランティアさん)、採った綿を紡績工場に送って布にして、その布で綿のハンカチだの
ジーパンだの手拭いだのに製品化される。今年はもっともっとたくさんの綿製品になるのだそうです。

まだ商売として成り立つまでにはなっていない。けれどたくさんの展開が考えられるので面白い。止めたくないという
のが赤坂リーダーのお話。綿の話が最初に来た時には、全然やりたくなかったのだそうです。

綿の花を採った後の茎は紙になってました。便箋、手帳、その他の紙製品。
採ったタネは次に蒔く種になり、花は糸になり布になり、茎は紙になる。
綿は無駄になる部分が全然ないのです。

新聞バッグも商売として成り立たせるのは難しいと思うけど、新聞紙自体も新聞を使っていろいろな形のモノ作りを
することも面白い。止められないー、というのは赤坂社長と一緒。

綿は高温発芽です。もう少し暖かくならなければ芽が出ないし、育たない。
ラベンダーが欲しくてのこのこ出かけて行った集まりでしたが、偶然の出会いで、今年は綿のタネ蒔きから収穫、
糸紡ぎから染めまでを見せて頂けそう。

とても楽しみです。

全国から集まってくれた人が津波に洗われた土地にタネを蒔き、収穫をし、日本のたくさんの企業が参加して
紡績加工をし、布の製品を作り紙の加工をする。糸や紙で作られた製品を見せて頂きましたが、どれも素晴らしく、 この先の展開を想像すると部外者の私でさえ、ドキドキします。

こういうが本当の東北の復興への動きじゃないのかなあ、と私は感じるのですが、、、。
なんか確実に一歩一歩進んでいる気がして。

この次薔薇園に行く時には、必ず私もくっついてゆきます。ラバンダーの圃場にも行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

おしらせ

これまでお世話になった皆様におしらせいたします。

海の手山の手ネットワーク活動初期から、とうがらし農家としての生業の傍ら、海の手山の手ネットワークの
代表として、めいっぱいの時間を使って活動をしてきた、「よっちゃん農場」代表、通称”よっちゃん”が
かねてより疲労による体調不良と、本業に力を入れるべき時期であるとして、代表を辞したい旨の
意志表示をしておりました。

代表がいなくては大変心細いのですが、町を代表する若き農家としての手づくりの技の研鑽も大変
重要なことなので、よっちゃんの半分のパワーもない私が当座の代表を務めることに致しました。

 

東関東大震災から2年、海の手山の手ネットワークは数えきれないほどの方々からの暖かいご支援を
頂きましたことを、深く感謝申し上げます。

新聞バッグの製作、販売は、東北新聞バッグプロジェクトも含めて恙なく継続していますが、近頃では
ワークショップを望まれるお客様が増加しています。海の手山の手ネットワークとしましても、大変嬉しいことで、
読んだ新聞紙と糊だけで作る新聞バッグの作り方を、より多くのお客様にお伝えできれば、と願っています。

6月にはメンバーが増え、また新しい形で海の手山の手ネットワークの展開をしていく所存です。
急遽、海山ネッのト宣伝、雑用担当に自任したよっちゃんともども、海の手山の手ネットワークをよろしく
お願い申し上げます。

お知らせ、御挨拶が前後してしまいましたことをお詫び申し上げます。

 

 

 

 

里山の町のゴールデンウイーク

ゴールデンウイークが始まりました。

朝、お餅を持って道の駅に行ったら、まだ9時半なのに大型車の駐車場まで車がいっぱい。
今日は道の駅の直売所前では出荷組合の戸外販売の初日。組合員の梅干しやキムチやハーブで         作った花など、いっぱい並べてお客様とお話ししながら販売したいのですが、寒い!

風は強いし、この寒さの中で1日戸外販売するのは、けっこうきついです。
お客様だって、あんまり寒いところに立っていたくないしね。

昨日は雨が降りました。この春、ほんと天気悪い。2、3年前くらいから春に強風が吹くことが多いので
イベント開催は毎回お天気で苦労します。

ここは里山に囲まれた田舎の町です。梅も桜も木蓮もレンギョウも一度に咲いて、彩が美しい季節です。
昔、初めて長野県の妙高に遅い春に行った時、町全体がピンクや黄色や浅黄色に彩られて、「なんと
美しいことか」と感動しました。あれと同じ。

庭のあちこちで咲いているムスカリ。球根植物のムスカリのタネが飛んであちこちで咲くなんて
知りませんでした。

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東京の中卸さんで仕入れたヒメリュウキンカ。少し売れ残っていたのが、タネが飛んでいつの間にかあちこち
で群落を作っています。かわいいんだけど、お日様が射さなきゃ開かない、すぐ花びらが散る山野の花です。

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芝生を植えたのだけれど、その中で畳2畳くらいにまで広がってしまった斑入りヒメツルニチニチソウ。花の色は白。
青い花は斑入りではないヒメツルニチニチソウです。

千葉県浦安市に京葉線が走り始め、新浦安駅ができた時、駅前の植え込みにいっぱい植えられていました。
小さくて可愛らしい白い花を「何の花だろう」と思ったことを思い出します。
芽刺しをすればいくらでも増やせます。寒さ暑さに強い丈夫なグランドカバー植物です。

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畠の家の辺り中に勝手に咲く水仙。

東北地方というのはどこでもそうなんでしょうか。家周りから土手からどこもかしこも今の時期水仙だらけ。
葉が萎れたら球根を大きくして、畠のさつまいもを植える近所にねずみよけに植えます。

さつまいもの収穫時期、いもの形はそのままにして、中身だけをくりぬいてネズミが食べます。
都会で見かける太ったでっかいドブネズミではなくて、親指の先くらいの小さな愛くるしいネズミです。
畝の黒マルチを剥がしたら、親ネズミと子ネズミがたくさん出て来ました。ここで退治すればいいんだろうけど
こういう時の母親ネズミって、子供を口でくわえて大急ぎで運ぶんですよ。

前に家の中で衣類が入ったダンボール箱をひっくり返したらやっぱり親子ネズミが出てきたけれど、
その時も母親ネズミの必死の子ネズミ運搬を見てました。

さつまいもは自家消費用なので、やっぱりネズミ退治はできないです。食われたさつまいも見て「あーあ!」
と嘆くんですけどね。

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MYさくら、が咲き始めました。けっこう大きい木が2本あります。毎年、花が咲くとうちの桜だ、と得したような
気分になるのですが、今日は「ちょっと、この桜、ソメイヨシノじゃない」と発見。
花と一緒に葉が出てるもの。でも家の庭にたくさん木がある山桜とは違います。古い品種なんだろうか。

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暫らく畑に行かない間に、土筆も蓬もいっぱい出てました。
私は福岡出身なので土筆を食べます。卵とじも佃煮も大好きだけど袴をとるのがめんどうくさい。
でも1年に一度くらいは、と毎年採って一回は食べます。

この美味しさを当地の人にも知ってもらおうと、袴をとって卵とじを作ってタッパーに入れて近所の知り合いに
持って行ったら、「そんな草食べないでもここにはおいしいものいっぱいあるよ」とたった一人にも食べて
もらえなかったです。
食習慣の違いはほんとにおもしろい。

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本来ならコゴミやタラの芽は今が採り時。山を歩く人なら、天気の良い日にはいそいそを山に入りたいところ
でしょうが、宮城県はコゴミ、タラの芽、ワラビ、コシアブラは販売が禁止されているので、採る人はいません。
放射能というのは、先何年採れないのか訳がわからないので、山菜がなーんにもない直売所の売り場を
見ているとジワジワと怒りが込み上げます。

補償金の問題じゃないんだから、山菜や筍を返せ、と言いたくなります。

直売所の戸外販売はゴールデンウイーク最終日まで続きます。
是非道の駅にお立ち寄りください。

 

 

 

 

 

足跡

これも震災後2年という節目に書いておこうと思うことです。この心を忘れないために。

 

東北新聞バッグプロジェクトが3月末納品を以って終わりました。
このプロジェクトは最初から自分たちで計画したプロジェクトではありません。

 

知名度においても衆知力においても、私たちが足元にも及ばない実力を持った四万十チームの方々が、復興庁の復興事業として海山ネットに声をかけて頂いたプロジェクトです。

 

全てに不慣れで、最初は構想自体がよくのみこめず、のみこめたらこんなデッカイことに首をつっこんで大丈夫か
と不安になり、しかしプロジェクトが進むと、前に進むしか道はなくなり、後は自分の生業の間のとれる時間を
目いっぱいに使って、とにかく期日に間に合うように新聞バッグを折り続ける2月、3月でした。

 

その間、プロジェクト以外でお世話になっているお客様にはずいぶんご迷惑をかけてしまいました。

 

思うにこれほどの大事業が、東北の復興にどんな形で役立っているのかということです。

 

4月初めから半ばまで、代表よっちゃんもそうですが、補佐する私もほぼバーンアウト状態。
言葉を変えれば燃え尽き症候群のようなものですが、そんな状況ながらもお待ち頂いていたお客様への
新聞バッグを作って発送を終えました。

 

次いで、伝票の整理です。

事務方を扱っている娘のところに集まってくるこの嵐のような時期の伝票、レシート、請求書類の数はけっこうな
量で、それも急遽、講習をして折り手さんになってもらった方も多かったので、伝票1枚がなくなったり、重複したり
その対応でも気疲れしました。

 

そんな中、伝票の計算をして、計算書を作り現金の用意をして振込までをする係りの娘が言いました。

 

「すごいねえ!、こうして1枚1枚伝票を見て行くと、わかるんだよねえ。みんながどんなふうに新聞バッグを
を折っていたのか。そして山の手の人もどんなに一生懸命だったか」

 

「特によっちゃんはほんと凄いよ。朝ここに行ってこんな買い物をしたかと思うと、昼にはここに行って、夕方には
また古川まで出てホームセンターで買い物して。レシート見てるとその足跡が解かるから、いや、ほんともの凄い
気迫で動いていたんだなって解かるよ。凄い一生懸命だったんだねえ!

これはリアルな分析で口で解かったこと言うより、モノを見せられると、なるほどねえ!、と唸ってしまう。

 

自分の生業があっての合間の時間にあのプロジェクトを恙なく終わらせるのは、どれほどの大変なエネルギー
が必要だったか。よっちゃんだけではなく他の人も頑張ったけど、代表の働きはダントツでした。

 

このプロジェクトで四万十チームの仲立ちで著名な方々に出会ったり、企業との繋がりができたり、テレビで
プロジェクトの流れ全体を撮って番組で放送して頂いたり、不自由していた英字新聞紙を不自由しないくらい
頂けるようになったり、㈱会社レンゴーさんに無償でダンボール箱を500個も作って頂くことができました。

 

最初には想像もしなかった今の状況。これは四万十チームのおかげであり、協力してくださった皆様の暖かい
お気持ちでもあるのですが、自分の生業の時間を犠牲にしながら、そこを引っ張って引っ張って海山まで運ぶべく 獅子奮迅の大活躍をした代表よっちゃんの努力の賜物です。

 

そして忘れてはならないのは、新聞バッグを折った人たちのこと。
伝票を計算すると、南三陸のK子さんは10万円以上、Aさんは8万円、Sさんは5万数千円、と1個150円の
新聞バッグを、わかめやその他の仕事の合間にどれほどの一生懸命さで折ったのだろう、と思います。

 

そして今、このお金を送金する時「よかった、よかった、10万円」「よかった、よかった8万円」
と思いながら送金します。だって、時間がないの「50個作ってくれとか100個作ってくれ」とか無理を承知で
頼んだりしましたから。えーっ!と言いながらも折って期日に間に合せて送ってくれ、何度安堵したことか。
折ってくれなかったらプロジェクトは破綻してたかもしれないです。

 

以前、南三陸の仮設住宅で放送局の取材を受けているS子さんの答えを、聞くともなしに聞いていた
ことがありました。

 

「新聞バッグを作る時にどんなこと考えますか?楽しいですか?」
「どんなことって・・・。これ1枚折ったらおかず代になる、と思って折ってます。楽しいよ。新聞バッグ折るのは
今度、こんなの折ろうかなあ、って考えるし」

「仮設住宅の暮らしはどうですか?」
「うーん、狭いからねえ。でももう慣れた。近くになんでもあるし便利だよ、うん、楽しく暮らしてる」

 

要求も不満も理想論も小難しいことも偉そうなことも何にも言わず、諦めることは諦めて、ただ素直に「楽しいよ。
仮設の暮らしは。新聞バッグを折るのは」と新聞バッグを折りながら答えているS子さんの姿を、私は忘れない、と
思います。

 

でもその何でも近くにあって便利な仮設住宅の暮らしも、今年1年の居住期限が延長されたのみ。
宮城県は被災者の医療補助は打ち切り、医療のお金を支払えない人は生活保護の申請をしてくれ、、と
こないだテレビで村井知事が言ってました。

 

被害を受けた方々を援けるなんてデッカイことは言えないけれど、でも10万円や8万円になったことはおかず代
が少し増えたということだし、四万十の人達も私たち海山ネットのメンバーも一生懸命折ってくれた人たちも
みんなひっくるまって一生懸命に援けあっていたんだなあ、と伝票を整理しながら実感します。

 

自分の伝票だけはまだ手をつけてない。
いっぱいあるのですが、さてこの伝票に私の足跡はどう出るか。
まあ、私も一生懸命やったとは思うんですけどねえ。

 

少し起きられるようになったけどまだまだだね。力をつけます。

 

 

 

 

ツバメ

ツバメが来ました。

道の駅で建物周りの整備をやっている人に訊くと、先週から来たそうです。

先週からだといってもまあ、高い軒の下やいつもの照明電燈の上や、いろんなところにアッと言う間に
けっこうな数の作りかけの巣。
見境なしに作るから、お客様の頭の上に糞がおっこてくるような場所の巣は取るしかないんだけど、
せっかく作った巣を壊すのはきっと嬉しくない仕事だね。

 

ツバメが巣を作ると必ずスズメが来て、自分の巣を作ろうとしたり、ツバメの雛をつつき落としたりし始めます。
ほんとにツバメが子育てする間のスズメは気が許せない存在です。どういう力関係になっているのかなあ、
といつも不思議に思います。

 

一度巣から落ちた雛ツバメを娘が家に持ち帰ったことがあります。動物病院の先生に訊いたら、「生餌をやって
飛べるようになったらすぐに巣に戻さないと親が置いていってしまう」ということなので、餌を口の中に押し込んで
育てました。雛は明るくなるとすぐにご飯ちょーだい、とピーピーピーピー。完全寝不足。

 

飛べるようになったら100円ショップで買った籠を元の壊れた巣のそばに吊るしたら、親が来て連れて行きました。

いつだったか、松山の友人がやっぱり雛拾った、と育て方を訊いてきたことがありますが、彼女の場合は
5羽くらいじゃなかったかなあ。全部巣立ったといいますから、その努力に感服します。凄いね!

昨日、夜家に帰る道で、車のヘッドライトの向こうに浮かび上がったのはカモシカ。山、といっても2メートルくらいの
枯れた草が生い茂った崖だけど、あわてて登ろうとして、1、2度失敗。でも登り上がって消えました。
ヤギ科ってすごいね。ほぼ垂直なのに登るんだもの。

 

 

ある会社から新聞バッグの問い合わせがありました。普通のサイズではなくて雑貨を入れて売るためのバッグ
として使いたいということで。中身をきいたら可愛い雑貨で、嬉しくなってしまった。

それと、東京のある会社の女性の方から、●●●さんからご紹介を受けたのだけれど、英字新聞が必要なのだそうですね。2か月に1度ずつ英字新聞をお送りしたいと、お電話を頂きました。その●●さんも多分直接にはお会いしたことがない未知の方です。

 

私たちが与り知らぬところで、こうして心ある方々が暖かいお気持ちを繋いでくださって、私たちの活動の今がある、と肝に銘じます。
東京日本橋のロイヤルパークホテルさんから頂いている英字新聞は、四万十のインストラクターKさんのお友達
であるRさんが、外国人の宿泊客が多いホテルだから、くれるんじゃないかと、飛び込みでお願いしてくれたそうです。ロイヤルパークホテルさんでは快くそのお願いを訊いてくださって、それまで一緒に回収していた日本字新聞
と英字新聞を分けて回収してくださるようになったとのこと。

今は保管に困るほどの新聞紙を頂いているので、いつか手に入らなかった時に、とお返事すると、その時には
連絡くださいと、電話番号、お名前までいただきました。有難くて心強い。

 

3月末に東北新聞バッグプロジェクトが終了して、しばし新聞バッグはお休みー、という気持ちになっていましたが
そろそろエンジンスタートです。スローでいきます。

なんとか明日には起きてゼーゼー言わないで外を出歩けるようになりたいものですが。