西日本新聞社のTさん

西日本新聞、というのは、範囲的にはどこからどこまでカバーされているのか解かりませんが、私が子供の時から最も慣れ親しんだ北九州の大手地方新聞です。

その昔福岡では朝日や読売などの新聞を読む人は少なかったので、新聞といえば西日本新聞かフクニチ新聞
だと思ってました。長じて転勤族となり関東圏に落ち着いてからは朝日、読売の読者であり、当地に来てからは
河北新報を読んで、西日本新聞というのは遠い彼方の新聞でした。

忘れかけていた西日本新聞社とご縁ができたのは、福岡の津屋崎ブランチで毎春行われる「よっちゃん祭」で
代表の山口氏から大量の新聞バッグを販売して頂くようになってからです。

今年は特に、大震災から2年が経過し、東北から遠い福岡では「まるで復興がなされたように思っている人も多い」ということから、風化させないようにと東北の新聞で作った新聞バッグを、注文して頂きました。

その後に連絡をしていないので、売れたかどうか聞くのが不安、というのが今の私の心境です。

その時に「よっちゃん祭」を西日本新聞に載せるということで、新聞バッグの作り手として西日本新聞社のTさんの
電話での取材を受けました。

その後暫らくして、Tさんから私が作った震災後の記事のスクラップやその他の記事を読んでみたい、とご連絡を
頂きました。大震災から2年経過した今の東北3県、そして福島から先にはあまり行き渡ってはいないだろう記事を探してダンボールに詰めて送りました。

 

5月の連休に入って、生業でバタバタして新聞を送ったことすら忘れかけていた今日、Tさんからお手紙を
頂きました。

昨年の初めくらいの記事から目を通しているが、復興とはほど遠い被災地の実態に目が覚めました。
311の記憶の風化が進んでいることに危機感を抱き、11日という日には、震災関連の記事を掲載するように   声を挙げてゆきたい。と書いて頂きました。

アベノミクスだの、株価が上がっただの、円が安くなって外国土産が買えない、だのと景気の良い話が耳に入ってくる今の時期に、東北から遠く離れた新聞社の若い新聞記者さんが被災地に心を向けてくれる。

そのことに深い安堵感を覚えます。
きっと一人ではないはず。日本の各地にそんな方がいらっしゃるのだと思います。

T記者のこれからのご活躍を祈って、これからもゆっくりじっくり読んで頂きたい記事を送ってゆきます。

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

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