ない町を捜す

昨日は晴れでまた今日は雨。けっこう強い雨です。
鳴子のダムの放流のサイレンが聞こえます。

なかなか梅雨は終わらないねえ。

以前に南三陸の菊の師匠O氏が仰ったことがあります。 O氏は現在南三陸町の外れのほうの仮設住宅にお住まいです。                                                         「町がないのは張り合いがないねえ。普通だったらあるでしょう?人々の家があって、学校があって郵便局があって、という町が。それがいつかできるという見通しがないのはやっぱり寂しいね」

奥さんのほうはさっぱりとして「ないもの言っても仕方がないもの。私はもうふっきれた。男の人のほうが、ふっきれないのかもねえ」
口で言うほど気持ちの整理がついているわけではないでしょうが、奥さんのむっちゃんはサバサバとして
仕事に家事にと日々を忙しく送っておられます。

 

初めて私が南三陸町を訪れた時、まだ建物の上には車が乗っかり、壁には車が突っ込み、野原や田んぼには船が見られ、押しつぶされた車の残骸が山になっているという状況でしたが、海に向かってすっぽりと
何もかもなくなってしまった空間が、実は震災前は志津川というひとつの町だったのだ、とは状況から見てのみこめました。歌津も同じで駅舎が流された後に置かれた簡易トイレ2個の前に立って海の方向を向くと
海に至るまでの空間は実は以前には銀行や商店などが立ち並ぶ町があったのだ、とは説明を聴いてのみこめました。

陸前高田にも行ったし、石巻にも行ったし、気仙沼にも行った。
それだけの被災地を見ているのに、女川に行った時、私は、私だけではなく同行のクロちゃんもあやさんも
女川で町を探したんですねえ。
女川は壊滅だってあの時、聞いていたのに。

現在電車が動いているのかどうか解からないけど、とにかく線路が続いている駅までは行きました。女川にはマリンパル、おさかな市場があるはず。標識を見てぐるぐるぐるぐる探すけどない。通ってくる国道沿いに
マリンパルという仮設仕立てのような建物があったけど、もしかして、前にあった町の中のマリンパルは
なくなっていて、ずいぶん離れたあそこに移動したんだろうか。

お土産を買おうと今のマリンパルに着いた時には夕方も遅くなっていて閉店でした。

私たちは初めての町、知らないところに行く時は、刷り込まれたように町を目指すんだ、と初めて自覚したような気がします。町がないということには慣れていないので、町の中心部を探してぐるぐるぐるぐる回って、
「町がみつけられないのか」「町がないのか」すっきりさっぱりしないまま、3人とも疲れて帰ってきました。

そして震災後の地図で女川を調べてみて、女川にはまだ町はないんだ、女川の方たちはあちこちで商店街を開いたり、コンテナの宿泊所を作ったりしてがんばっておられるんだ、と納得しました。

 

昨日は選挙の日でした。
夫と二人、午後、集落の公民館まで投票に出かけました。

復興のことなど言ってる人はいるの?と言いたいくらい復興という言葉は聞こえませんでした。
「ねじれ解消」ばっかり。ねじれがあったほうがいいんでないの?

そして今日、ねじれはなくなったとしたって、テレビに出て来る自民の当選者の顔を見、話す言葉を聞いていると、女川だろうが南三陸だろうが、町がないことに戸惑い、ない町を捜す東北の一国民の心など想像もつかないだろうなあ、と思います。町はあって当たり前だもの。
想像がつかなかったら、その人たちのことを考える時間も少なくなるよね。

 

 

そんなことを思いながら、雨の午後、家の中でテレビを見ています。
今から新聞バッグ作りにとりかかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞バッグおさらい講習会

今日は月末締め大新聞バッグの第2回目おさらい講習会。

普段使うのが英字新聞やドイツ語新聞だものだから、降って湧いたように日本字新聞の注文が入ると
慌てます。近頃新聞とってないお宅も多いし、日本字の新聞はバッグには使わないから、と家で野菜
包んだり、敷物にしたり使い道が多いのでとってません。

300枚の新聞バッグだと1500枚の新聞紙が必要なので、 道の駅直売所のお餅仕事が終わった後、
その足で松山のお友達、Kさんを訪ねることにしました。Kさんは読んだ日経新聞を保管してくれています。
Kさんに紹介したいクロちゃんも一緒です。

今日はKさん宅は東京住まいの娘さん一家にご長男一家も来られて家族10人揃うのです、と仰る
お忙しい時なので、ちょっとお邪魔して新聞を頂くだけで帰るつもりが、「ちょっと、あがって。お昼を食べて
行って」と声をかけられるままに、ちょっとじゃなくてお昼を頂き、美味しい松江のお菓子を頂き、お抹茶まで
頂いて帰ってくることになりました。Kさん、お忙しいところを本当に申し訳ありません。有難うございました。

 

大急ぎで帰宅し道具と孫を車に積んで、今日のおさらい講習会場へ。
今日の新聞バッグ作りは近所の由美ちゃんが借りてくれた集落の集会所でやることになりました。
都会もんの私はこういう集会所を見るとほんとに「いいなああああーー!」と思います。
緑に囲まれて静かで広々としていて家の中にいても風が吹きとおって昼寝したいくらい涼しい。
お花もいっぱい。うちの花ですが手入れが行き届いているのでとてもきれいに咲いています。

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お金はかからないし、子供連れでも孫連れでもみんなで見てくれてOKです。うちの5歳孫は途中で
由実ちゃんに連れられて、生まれたばかりの子犬、さくらと小次郎を見に行きました。母犬はプリンちゃん。
お父さんは、んーーー?

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差し入れのさくらんぼに、差し入れの手作りバナナケーキ。ついでにお皿も私の手作り。

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途中で鳴子のあやさんが「できたよー」とドイツのハム屋さん注文のドイツ語新聞バッグを持って飛び込んできました。
2時から5時までのおさらい講習会。それぞれに気に入った柄の新聞バッグを2、3個折って終了。

岩出山の町まで買い物へ。
終わって久しぶりにクロちゃんを案内して河原散歩へ。
暑くもなく寒くもなく、風が気持ちいい夕暮れです。

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このところの雨続きで川の水量が増えています。

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普段なら降りられる水辺に下りられない。

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一時期採られてなくなってしまっていたねじ花が復活してきています。ねじ花が芝生の中にいっぱい。

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なぜだか大の字に寝っ転がって空にカメラを向けている私。

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そして空~  気持ちいいよぉーー!

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忙しい1日が終わりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

梅雨の晴れ間

やっと待ちに待った晴れ。でも今日1日みたいなので貴重な晴れの日です。

朝、道の駅に行った後、いったん家に戻ってクロダさんと一緒によっちゃん宅へ。これから夏に向けての海山行事がこまこまと詰まっていてその打ち合わせ。

まず今週末にはほっかぶり市とひふみよマルシェがあり、新聞バッグ、その他の布小物の販売があります。
先日、滋賀県長浜市の㈱ウルズの社長、角川さんから大量の英字新聞と糸、布地など送って頂きました。
その布地で作る小物や服のデザインをクロチャンと二人で考えています。
デザインが決まったら南三陸に持って行って縫ってもらいます。
たくさんある糸は大抵のサンプルをクロチャンが編めるというので心強い。
そして大仕事は大新聞バッグ300枚、今月いっぱい。

8月に入ると東京から高校生や先生方が新聞バッグ作りや農業体験に来られます。南三陸で海山メンバーと一緒に新聞バッグを作ったり海の産物を見たりしてほしいので、これから楽しいプログラムを考えます。

午後は先日お目にかかった首都圏からみえた校長先生にお礼状を書きました。

久しぶりの梅雨の晴れ間に、私も伸び放題の草刈に出動。
草刈り機を使うのも本当に暫らくぶり。私の草刈り機は男の人達が使う普通の草刈り機より一回り小さい、
タイプですが、毎回スターターのひもが引っ張りきれずエンジンがかからないのが悩みのタネ。
「力が弱いんだよねえ」と嘆いていたら、クロちゃんが「私、できますよ」とグンと引っ張ったらエンジンが
かかりました。なんと頼もしい!

虎刈りですがこのとおり。

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孫いわくの「リスのご飯」姫くるみの実がなりました。くるみの実は落ちるまでずいぶん時間がかかります。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

猫が喜ぶマタタビの美しい葉。

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また明日は雨だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

雨、雨、雨、々・・・・・。

西の方では熱中症が続出するほどの暑さが続いているらしいいけれど、こちらでは連日の雨続き。
暑くはないけど、毎日の雨で草は伸び放題。外仕事が溜まる一方でストレスが溜まります。

 

このところ前からやりたかった新製品作りに挑戦。
柔らかいお餅を作る、というのがその目標で、料理本に書いてあるように砂糖を入れてみたり、小麦粉を
いれてみたり、といくつもいくつもお餅をついて、やっと2、3日は柔らかさを保つお餅をつくのに成功。
これで自称(自分でつけた名前)あ屋の「くるみもち」(あんこやずんだやみたらし餡を作って餅をくるむから
この名前にした)ができます。

餡もいくつか作ってみたけど、新しい物を作り出すのは、なかなか楽しいです。

昨年の春、東北村の発足時の会議で、会津若松の餡子屋さんの老舗、餡のおおすかの社長のSさんが
「この大震災で工場が壊れた人も機械が壊れた人もいる。一人じゃできることも限られているけれど、
自分でできないことはできる人に頼めばいい。そうしてお互い助け合って復興してゆきましょう」と
仰ったことが耳に残っています。

そうなんだよねえ。                                                        この頃、異業種間の連携というのをよく考えます。考えると同時にそういう関係の人ともよく会います。
今考えているのは、道の駅の直売所の生産者との連携で新しい商品を作り出すこと。

今日も今さくらんぼの収穫で大忙しの近所のりつこさんから、タネ取り器具つきで大量のさくらんぼを
頂きました。箱に並べて売るには少々難ありなんだけど、捨てるほどではない、というさくらんぼ。
「自分で作りたいけど作っている時間ないから、ジャム作って」と持ってきてくれたので、孫が面白がって
どんどんタネをとってます。

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今日、雨の中を突然「どうですかァ」と夫のところに寄ってくださったホームドクターである穂波の郷クリニックの三浦先生から頂いたプラム。きっと往診先の患者さんのお宅での頂きものだと思うので、私もさくらんぼと
うちのお餅を持って帰っていただきました。

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今岩出山に住んでくれている新聞バッグインストラクター兼海山事務局をやってくれているクロちゃんが
前任地高知県の四万十町から取り寄せてくれた広井のお茶です。

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知らなかったのだけれど、四万十町ではお茶を作っているんですね。紅茶もあります。
この水出し煎茶は、一番茶、二番茶と採ったあとのお茶を業務用として作られたものらしいけれど、
色がきれいでおいしいです。今年から我が家の夏の冷茶はこれにします。真ん中にあるのは薬缶に入れて
煮出して使うお茶とのこと。飲むのが楽しみ。

黄色いみかんは「こなつ」ちゃん。皮をむいて中の白い薄皮ごと食べるのだそうで、この頃好みの八朔の時期が終わって食べる柑橘がなくなった夫は「おいしい」と喜んでました。
「こなつ」ちゃんは優しい味です。

 

鳴子温泉のブルーベリーも出回って来ましたし、近所の由美ちゃんもブルーベリーの出荷に追われています。ブルーベリーが終わると、今度は私がナツハゼの実成りが気になり始めます。
東京在住の版画家の岡澤さんからはお郷の杏の里の杏が実ったのでジャムを作って送ります、と連絡が
きました。

ひとつところにいて、こうしてあちこちの里の味が楽しめるなんて、なんと贅沢な。
ありがたいことだと思います。

 

 

 

 

 

 

釣り場リサーチプロジェクト

闘病中の夫を釣りに連れていくために、夫が好きな女川に釣り場探しに行ってきました。
一人で運転するにはちょっと距離があるので、交代運転できるようにあやさん(南相馬より避難中)、とクロちゃんにも同行を頼んでいたのですが、あいにくの雨。

でもあやさんのバイトが終わるのを待って昼過ぎに出発。

自慢じゃないけど、普通なら1時間で行けるという石巻まで、何回行っても必ず迷います。1回迷い始めたら
とりつかれたように必ず迷子になるので、今回は初め(自宅)から終わり(石巻)まで田んぼの中の道を
行く、というルートを選びました。そしたらこれが当たりで、早かった!

石巻の漫画ロードに入ると道沿いに仮面ライダーなんぞの人形が立っています。一度は孫を連れて行きたいと思っている石ノ森曼画館は旧北上川の河口の中瀬にある、水の中に立地したような建物ですが、
周辺水に囲まれているので、水嵩が増す雨の日よりも晴れた日に行きたい場所です。

そして萬画館を過ぎ石巻の町中を抜けて女川へ。石巻は、以前に家はあるけど中は水に洗われて空洞という家並みに衝撃を受けた頃と比べれば、家が新しくなったところも増えたけれども空洞の家もまだたくさん
あるという状況でした。

 

女川に入るのは大震災以来初めてです。
想像はつかなかったけれど、2年経過して、やはりウーームという感想しか出ない。
2年前は目を覆うばかりの被害であったろうとは想像できます。今は被害のあれこれは片付けられてはいるけれど、復興という感覚は持てません。これほどかと思うほどの仮設住宅の数。以前漁港であったところは
工事現場のようで、こんなところでの釣りを許してもらえるのか確信がもてません。

 

今世間では稼働稼働と叫ばれているらしい原発。ここでは女川原子力発電所を見てみようかと、行って
みたのですが、時間が遅いからか立ち入り禁止なのか解からないけれど、入れずUターン。一応、3人3様、窓から腕を突きだし「原発反対」のポーズをして帰ってきました。
帰り道での原発の裏側に位置する漁港に寄りました。民家はほんの少し山を上がったところにありました。

遠くに見えるのが女川原発の後ろ側だと思います。

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鳴き砂と書かれた案内板がある砂浜。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

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鳴き砂鳴らす、と砂浜歩いてますが、雨じゃ鳴らんだろうと思います。

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女川の港も鮎川漁港も大工事中。
大変道が判りにくい中を女3人頭を集めて、釣れそうな場所を探し出しました。漁師のおじさんにも話を聞き
ました。民宿を訪れて泊まらせてもらえるか訊いたけど、工事の人専門とのことでダメでした。
夕食前のどんぶり飯の大きさに、あやさん感動しきり。

次には天気の良い日に本番プロジェクト実行します。

 

 

 

 

 

 

 

 

大雨

天気予報では今日は1日雨の予報だったけど、朝は晴れ。
お餅を出荷して、あれしてこれしてとやることはいっぱいなんだけど、ポツリポツリと降り出して
午後になったら、ドーーッと降って来ました。

仕方なくこのところ思案中のお餅の新製品作りに挑戦。
といっても私にとって新しいだけで、お餅そのものはこの辺りではありふれたあん餅。あん餅といっても私が
日々作るお餅をついて餡子玉をくるむあんころ餅ではなく、容器の中にお餅が入って上からゆるくのばした
餡子とか納豆とかずんだ餡とかをかけたお餅です。

この辺り(もしかすると東北地方ということかもしれない)では普通のお餅の形態のようですが、博多とか
これまで住んだ東京近辺では見かけたことがありません。

お餅を作って難しいのは、柔らかさを保たせるということ。

添加物を入れれば簡単ですが、何にも使わないで1日2日柔らかさを保つのは難しいです。
小麦粉と砂糖を入れれば柔らかいお餅ができると、作り方の本などには書かれていたりしますが、
砂糖を入れれば皮が甘くなってしまうから、それはやりたくない。

ということで思考錯誤の日々。

なんとか柔らかいお餅を搗くことができたので、今日はお餅にかけるたれ(?)を作ってみました。
小豆の餡子、青大豆と枝豆を潰してズンダ餡、みたらしに納豆とえび。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

出来上がったところで、試食をしてみたらお餅は柔らかいけれど、底にくっつくのが難。
クリアすべき問題点がいくつかあります。

でもせっかく出来上がったのだから、道の駅の社長や直売所の人たちに試食をお願いしに、ザーザー降りの雨の中を道の駅に。
ラベルをクロちゃんが作ってくれました。

ところが残念、ラベルの日付が昨日になってたんですねえ。
お餅が底にくっついて食べにくいうえに日付が昨日だものだから、みんなにすっかり昨日のお餅だと思われたみたい。今日、それも午後に搗いて、まもなく持って行ったんですけどねえ。

ということで、見かけはいいけど残念でした!の巻でした。

お餅は、搗き上がるのを待ってみんなで丸めて熱々を食べるというのなら、簡単に作れます。
でも柔らかさを保つとか、黴させないとか、ということになると実に難しい。

 

さらにさらに勉強です。がんばろー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わが町のさくらんぼ

もらった、もらった!!

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今朝、道の駅直売所にお餅の出荷に行ったら、生産者のみんなにこんなにもらっちゃいました。
ほんとは売るものなんだから、こんなに私がもらって喜んでいてはいけないんだけど。
でも、よし、今日はこれでご飯を作ろう、と献立を考えます。

うれしいのは近所のIさんのさくらんぼ。
苦節10年のさくらんぼです。
うちの小さいさくらんぼはたくさん成ったけれど、実が小さくてほとんど鳥が食べちゃった。本当にこんな
ふうにさくらんぼ色の大きな美しい実にするには、手をかけなければならないことがいっぱいあります。

 

道の駅の先、鳴子温泉を通って山形県まで1時間もかからず行けます。
最初に山形に行った時、遠い山も近い山も中腹から下方にかけて鉄骨ハウスが連なっている光景に驚きました。山だけではなく車窓からみる風景は右も左も鉄骨ハウスのの連なり。ぜーんぶさくらんぼのハウスです。そして木という木が果樹。りんご、なし、洋梨、さくらんぼ。普通の木がどこかに植わっているんだろうかと思うくらい果樹が多く、「山形は果物大国だ!」と実感したものです。

うちでは例年Iさんからお餅に入れる青大豆をわけてもらっています。今年は春に大豆は放射能の検査で
販売が抑えられたので、どうしよう、どこで買おう、と心配していたら、遅れて解除になりました。

Iさんところのさくらんぼはだいぶん前から栽培されていたのだけれど、屋根がかかっていないので、
実が実る今頃になると、梅雨の雨にうたれて実が割れてました。皮が薄いさくらんぼは傷みやすいんです。

だから今まであまり採れなかったのだけれど、今年は凄い!!
佐藤錦、紅秀芳、ほんとに立派。
何十万円もかけて屋根をかけ、山形まで勉強に行き、1個1個陽が当たるように葉採りをして、できあがったのが、昨日から直売所に並んだIさんのさくらんぼ。

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この町のさくらんぼが生産物として売り場に並ぶのはほんとに嬉しいです。
うちの前を通ってIさんが行ったり来たりする度にさくらんぼをくれるので、うちではさくらんぼ大尽で食べ
放題。なんという贅沢。

さっき、うちの5歳にと折れた枝のさくらんぼも持ってきてくれました。

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由実ちゃんからはブルーベリーももらった。

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でもさくらんぼ食べてブルーベリーを食べるとすっぱーい!

うちの5歳に言わせると「大人の味」だそうです。
今からお世話になった方たちにIさんのさくらんぼを送ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

那須の修道院を訪ねて

那須の修道院に行ってきました。

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東北新幹線新白河駅から車で20分ほどのところにある那須トラピスト修道院.

正式には厳律シトー会那須の聖母修道院といって、オラ・エト・エポラ 「祈り働け」のモットーの元、修道尼たちが自給自足で祈りの日々を暮らしておられる修道院です。

元宮内庁の土地に建てられた、鮮やかな緑一色に覆われた美しい森の奥にある修道院を、国東半島での田舎暮らしを止め、東京暮らしに戻った友人と二人で訪ねました。
この修道院には、以前東京でのカルチャースクールで一緒だった友人がいます。

今の名前はシスターFさんだけど、前の名前はグリーリ栄子さん。
日本の若い演奏家たちを世界に送り出したクラシック音楽評論家であるマルセル・グリーリ氏の奥様。
そして演奏家たちと共に過ごした時間が描かれた随筆集「金色の翼にのって」や「いのちの椅子」、
「ひびきあう心」の著者でもあります。

本当に久しぶり。地震以来会うのは初めてです。修道院の中におられる方には、「今日、会いにいくからねえー」という具合にはいかないので、前もって訪問する日を決め、修道院長様の許可を得て初めて会うことができます。ということで、許可された今日の午後のひと刻はちょっとでも無駄にしたくない大切な時間です。

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出会ったのは40代の時なのに、3人ともすっかり歳をとってしまって、話すことは病気のこととか死ぬこととか思い出話とか。でもこの年代の女が3人寄って話せば、他に話題はないので、これが普通の会話になってます.
3人のうち1人は10年余りも前に俗世間を離れて、「働き祈り」の世界に入られた方だし、もう一人は国崎
半島の小さな農村での暮らしに心を残しながらも「桃源郷から戻ってきた浦島太郎みたいだわ」と10数年ぶりの東京暮らしを始めたばかりだし、残る私も10数回も転居した転勤生活を終えて、生まれて初めて12年間の長きに亘ってひとつの場所に住むという経験をし、ここで終わろうと心を決めた状況だし。

旅行とかお洒落とか美味しい食べ物とか、話題の端にものぼりません。

 

ここまで生きてくるのもうんと大変だったけど、修道院にいようが外の世界にいようが、この先はうまいこと
死ぬのも大変そうなので、大体そういう話になって終わります。
それでも女3人でのおしゃべりは楽しい。

時が経つのも忘れて話し込んで、やがてお暇する時間になりました。
お土産はトラピスト特産のガレット。最初は牛だったのだけれど、今はガレットが主産物なのだそうです。
シスターたちにも残業があるのだと聞いて、俗世間のようなと笑ったことがあります。

また会いたいけれど、修道院では年2度も同じ友人に会えるのか。
修道院のことは判らないので、年1回くらいなら訪問していいのか2年に1回なら問題ないのか。
どちらにせよ迷惑はかけられないので、今日の再会に満足して帰ります。

 

そういえば修道院には宿泊施設があり、私たちも泊まったことがありますが、今日も都会風の素敵な
娘さんたちが宿泊してました。
誰でも泊まれるので、一生に一度くらいはこの深い美しい森の中の修道院で宿泊されたらいいのでは?
と思います。礼拝にも参加できます。食堂のパンがとても美味しいです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歯医者&退院&誕生日

朝のお餅仕事を終わらせてから、急ぎ隣町の歯科医院へ。

田舎暮らしを決意してこの町に越してきた時は、まだ東京の中野にある歯医者さんで治療中でした。
新幹線で2、3回通っていよいよ治療が終わり、目の玉が飛び出るような治療費に驚いて、「そんなお金は
ありません。どうしよう」と悩んだ末、歯の治療関係の本で探し出したのが今通っている歯医者さん。

東京からの続きをやって頂けるだろうか、とうかがって引き受けて頂きました。
「今から年齢が進むにつれて、歯の状態は変わってくるので、高価な歯は入れる必要ないと思うよ」
と言っていただいて、歯の代金は10分の1に下がり、以来マスクでお顔全体を見たこともなく、「ハイ、口を開けて、
閉じて」以外お話ししたこともないまま12年間、ご飯を食べる歯を保たせてもらったありがたーい歯医者さん。

でも今日の治療にはまいりました。
歯を2本抜くことになって、初めて部分入れ歯というのを入れたら、まあー、ヘンな感じ。モノを言うのも
モノを食べるのも、しゃべるのも嫌になってうなだれてます。

 

歯医者が終わって、今日退院することになった夫を迎えに市民病院へ。
手術はうまくいって1週間の入院で済みました。

折しも今日はうちの孫の5歳の誕生日。家族みんな揃って祝うことができるので、ほんとによかった。

病院から帰る途中で畑から電話。
花担当が畑の黒マルチの上を歩く鳥っ仔を見つけたそうです。「どうする?どうする?」と言うけど、たぶん野鳥
の雛が巣から落ちたんだと思うけれど、そのままでは必ず蛇か猫か狐か、カラスなどから獲られます。
とにかくとりあえずとりあえずダンボールに捕獲して、生餌を食べさせて、それから考えます。
ツバメもスズメも育てたことはあるけれど、この雛鳥はなんだろう。
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家では誕生パーティとプレゼントが嬉しくて嬉しくてたまらない今日で5歳の孫のテンションが上がりっぱなし。
初めて聞いたけど、絵本を見ながらの即興の歌が止まりません。
誕生パーティがあまりに楽しみなもので、幼稚園に行きたくなくなって、幼稚園に着いたら先生方に
「幼稚園を辞めます」と宣言したとのこと。

「あら、どうしてやめるの?辞めないで」と対応してくださる園長先生に「幼稚園は楽しくないから辞めます」と
言ったのよ。お部屋に入るまで10分くらい押し問答したわ。ほんとに、もう・・。とママは閉口してました。

そして誕生会。
ささやかですが、ジーチャンもバーチャンもパパ、ママもオジチャンもクロダさんもみんな一緒の誕生会の
クライマックス。

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四万十から来たばかりで、日々我が家のペースに引きずり込んでいるクロちゃんです。

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これから海の手山の手ネットワークの事務局として、ばんばん仕事をしてくれるそうです。
みなさま、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

8日間電気はつきませんでした。

早朝、誰か起きてくるのを待って、勝手口の外から中を見て「ご飯チョーダイ」と喚くシロ。
子猫の時も顔が怖かったけど今も怖い。このお茶碗の猫エサをカラスが食べます。
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話は前に戻りますが、先日、修学旅行での新聞バッグ体験について、関東圏の某高校の校長先生と学年主任の 先生にお会いした時のこと。

同行のJTBさんとは前にお話ししたことがあって、その時は宮城の私たちにわかる範囲での今の状況をお知らせ  するという形でしたが、今回は校長先生のほうからご質問がありました。

いろいろなご質問がありましたが、その冒頭で「311の大震災の時はどうしていたか」と訊かれ、「津波のことは
8日間、何も知りませんでした」とお答えしたら、大変びっくりされた。それは学年主任の先生も同じだったらしく、
真から驚いた表情で、「それはどうしてですか?」と訊かれて、その驚きぶりにこっちが驚きました。

どうして?って、電気も電話もなかったから。
電気がなくて、電話は通じず、ガソリンもなく水もなく、ただ近所の由美ちゃんが来て「これは長期戦になるよ。
灯油とガスを使うな」と言ったから、灯油もガスも使わないようにして、電気がない8日間、水を探すことと、
家にある食べ物を食べる以外は、何もせず、余震が続く中、いつでも逃げられるようにしてました。

「8日間も電気が来なかったんですか?」
たぶん8日間電気が来ない、というのが先生方にとっては、とても意外だったのではないかと思います。
日本中で息をのんで見ていた津波や地震の映像は、被災地で現場にいた当事者は、隣の町のことでも
知りようがなく、歩いていける範囲のことしか分らなかったです。

 

あの先生方の驚き。あれは何だったのか、と考えてみると、
私たちの今の生活は、ライフラインが断たれても、長くても3、4日我慢すれば電気くらいはつくだろうという
安心感の上に成り立っているのではないかと。そんなことを思いました。

電気がないのは少々長くても我慢ができないことではなく、灯は蝋燭を灯し、ご飯はストーブやハウス用の練炭  七輪でお鍋で炊きました。寒いのもなんとでもなる。

水のほうが電気よりよほど大変でした。湧水があるところの貰い水をまず最初に考えましたが、普段はきれいな  湧水が茶色に濁っているところが多かった。うちはボーリング井戸なので、発電機さえどこかから借りられれば水が出せる、と思ったのですが、隣町から発電機を持って水をもらいに来た人が試しても出ませんでした。
原因は水を上げるポンプが泥をかんで動かなくなっていたのです。そのポンプを被災地じゃないところから送って
もらうのもガソリンがないので、ああしたりこうしたりほんとに苦労でした。

 

これから先の大災害に対しての防災ということを考えると、実際に被害があった土地を訪れて見て聞いて検証して、防災訓練などにいかされたらいいのかもしれません。
そういえば、大震災の日、どうにかこうにか車を運転して帰ってきた私は、家の近くまで来て道路の損壊で
行き詰りました。どうやって帰ろうかしらと思いました。車を置きっ放すわけにもいかないし、進むも戻るもできない。 国体の時に作った道路はほとんどが使い物にならないほどに壊れて、根っこからの修復に2年近く要しました。

 

東京、大阪、福岡など大都市の町の構造を考えると、まず道路の確保にどれだけ時間がかかるんだろう、と思って
しまいます。
都会に住む子供たちには、とにかく逃げる。そして家族が集まる約束の場所を決めておくこと。どれだけ時間がかかってもたどり着くから、そこにいて、という場所を決めておいてほしいと言っています。

南三陸の菊の師匠のO氏はご主人と奥様が別の場所で被災して、やっと会えたのが1週間後だったそうです。

 

夕方、集落の花壇植栽担当のSTさんが花をとりにきました。

「こりゃあ、咲き過ぎ!」
花壇に植える花ではなくて、道沿いにある山栗の花
STさんが言ったけど、私もそう思います。

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天候異変、というか。花異変というか。
こんなに咲いても実にならないかもしれないですねえ。
実がついても緑色のイガのままポトポト落ちるとか。近頃めっきり純粋豊作というのがなくなりました。
残念ながら。