4年目のはじまり

2011年の311から丸3年経って思うこと、いろいろあります。

4月の末頃に外国で使う新聞バッグ、できるかな、と問い合わせがきました。できれば地元の新聞で、と。

地元の新聞って、3年目の311に近いここ1ヶ月ほどの新聞の記事は、とてもじゃないけど嬉しい、楽しい

ような記事はほとんど書いてない。3年たって、被災した方たちが大人も子供も老人も、その仕事や生活

状況の中で、どのような困難の中にあるかということを書いた記事が一番多い。

それでいいんだろうか、と問うと、問い合わせてくれた人は暫し返事を口ごもりました。

 

3月11日になるまでの新聞記事や、特にテレビの番組は、沿岸部の方についても福島の方々についても、

その生活の困難さは推察はしていたけれども、やはりあまりにも気の毒なことが多くて、私は見る度に

涙しました。私だけかと思っていたら、みっちゃんも「私も泣けます」と言っていた。

 

いつも一緒に活動して、素晴らしい新聞バッグを作ってくれているあやさんは、原発事故の12日に福島

を離れてこちらに根を下ろしたから、決して楽ではないけどどうにか生活していけているのだと思います。
自分だけ離れてきた、という負い目から逃れられない、とはよくあやさんが言う言葉です。

 

でももしまとまった形で辺鄙な場所の仮設住宅などに入っていたら、動きづらくなっていたかもしれない。

どんな場所に仮住まいしたところで3年経てば、赤ちゃんは3歳になり、3歳は6歳になって、慣れ親しんだ

生活の形ができる。、特に子供だったら、生活環境は簡単には変えられなくなる。

 

福島から遠く離れた山形に妻子を置き、自分は単身福島で住み込み仕事で働くお父さんがしみじみと

言ってました。「生活再建がこんなに困難なこととは思わなかった。だったらもっと前に、もう自分が

住んでいたところには戻れないんだ、とはっきり言ってくれていたら、戻らない生活を始めることができた

と思う」と。

小さい子供さんが二人いて、二重生活の深間に入り込んでしまったら、ほんとに動きようがないだろうなあ、

と気の毒でなりませんでした。

 

最初の頃、よっちゃんや私がいつも言っていたように、1年毎に復興するのではなくて、1年毎に大変な

ことになっていく。そのとおりの3年目です。

 

福島から他所の土地に避難中のお母さんが目に涙をいっぱいためて言ってました。

「3年も経って支援品を頂くなんてとても心苦しいです。よくないことだと思います。でもどうしてもやって

いけなくて支援品を頂いています」

なんで、何にも悪いことをしていないこんな普通のお母さんが、こんな情ない悲しい恥ずかしい思いを

しなきゃならないのか。何にもできない私はお母さんと一緒に涙するのみです。

 

今日12日はNHKで石巻の大規模仮設住宅を3年間記録し続けてきたその変転を特集していました。

はっきりわかるのは生活がますます逼迫してきている、ということ。預金10万円以下の人が35パーセント

以上ということで、私は相変わらず、うーーーーむ、とうなるしかなかった。

でも仮設住宅で暮らす方々に思いを寄せながら真面目に取材をするアナウンサーの姿勢に共感を

覚えます。

 

そして片やほぼ同じ時間帯の民放では、「収入格差!お金バラエティピラミッド」と称して、芸能人だか

タレントだかタレントまがいの別職業の人物だかが、それぞれに自分の年収を披露するという番組を

やっていたけれど、どういう神経なんだかねえ、とほんとに分からない。番組を放送する民放局の姿勢

も含めて。

 

料理人のジローラモ氏の年収が1億だかで、買った買い物が2600万のフェラーリとか。わざわざ見た番組

ではないけれど、昨日、東北で、日本中で、世界の国を繋いで、311の犠牲者への追悼をしたばかり

なんだよ。

 

こういう人たちばかりではないことはよく解っています。南三陸に行った時、東京の演出家の誰それそれ

さんからお客様に配るティッシュ入れの注文を頂いた、と海山仲間から聞きました。「だれ、だれ?」と

聞いても「忘れた」とその時は誰方からの発注かわからなかったけれども、後で有名な演出家の方だと

知りました。

昨日書いたSMAPだけではなく、被災地の生活再建を応援し続けてくださる著名な方がいくらも

いらっしゃることは、よく知っています。

 

そして4年目の始まり。年月に区切りがあるわけではなく、なーんにも変わりはしないのですが、でも3年

経った今ある困難が新しい1年で少しでもよくなるように、努力していきたいなあ、と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三年

昨夜から又もやの大雪。   いや、ほんとにふかふかの大雪で出るも入るも大変です。

除雪車に雪をどけてもらって、朝一で道の駅へ行き、昨夜鳴子観光ホテルでお会いした明大付属中野高校

の先生方と再会。きのう渡しそびれた新聞バッグやお土産のバッグをお渡ししてお別れしました。

すぐに帰宅してお餅仕事の後片付けを済ませ、昼過ぎ陸前高田へ。

 

今日は昨年筑波大学の農村学会でお会いしたフリー刺繍家の天野寛子先生(元東京の大学の教授)の

刺繍の展覧会がある日なのです。刺繍画集は送って頂きましたが、本物を見るのは初めてなので、今日は

3月11日で人が多いだろうなあ、と思いつつも陸前高田の元の市街地からだいぶ離れた広田半島の

先端に近い元オートキャンプ場を利用した仮設住宅団地に向かいました。

3回目の3月11日が近づいて、このところテレビは311に関連する報道ばかりで、やっぱり見れば様々な

ことが思い出されて涙が出ます。特に福島から外に出られて避難している方々の生活状況が厳しくて本当

に心からお気の毒で胸が痛みます。

 

2時46分は気仙沼から陸前高田に向かうトンネルの中。トンネルから出ると道路沿いの会社の敷地で

大勢の白い作業着姿の従業員の方々が整列して海のほうに向かい黙祷をされてました。コンビにでも

黒い洋服姿の方が目に付きます。

久しぶりに来る陸前高田。海側山側元市街地全部が大工事地帯です。

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45号線沿いなんだけれど、なんかへんだなあ、と感じていた理由が判明。3年経った今も電柱がない。標識

もないし、要するに普通道路にあるようなものはまだ何もない。

 

広田半島に入ると、何にもなくなった陸前高田市街地と同様の何もなくなった空間がもうひとつあって、陸前

高田の被災の広さ深さに愕然。知らなかったわ。

天野先生の刺繍画展、松原刺繍プロジェクトが行われている小友仮設住宅団地。

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集会所の中の展示会場。311の今日はお茶っこ飲み会でテレビクルーも入ってました。

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天野先生と先生の作品。

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3時間のドライブはちょっときつかったけど、先生とお会いできてよかった。この次は鳴子にも来ていただけ

るそうです。
帰り道は気仙沼からそのまま南三陸に向かい、、菊の師匠、小野寺宅がある港仮設に寄り道。

半年ぶりくらいでお会いするご夫妻はお元気そうでした。

 

3年たったね。3年の感想は?という話題になって、「うーん、どこからどんな形で考えてもモノが言えない」

人が聞いたら「?」という感想だけど、私はわかるような気がします。人の心の復興ではなくて、もっとハード

な面での町の建設が進んでいるように一見見えるんだけど、どんな町になるのだか想像がつかない。

いいんだか悪いんだかも解らなくて論評ができない。

 

福岡の知人から箱いっぱいのキルトの作品が送られてきました。80歳を超されたキルトの先生ですが、

この3年の間、生徒さんと一緒に作った作品の数々をほぼ定期的にというくらい着実に送ってくださいます。

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被災地の方に差し上げるのもよし、売ってお金にするのもよし、とお考えのようです。

この知人のほかにも、この3年間、自分の年金の一部を送り続けてくれている友人がいます。

そしてこの3年の間、季節の催事に必ず大量の新聞バッグを注文してくださるお客様がいます。

そのようなお客様は一人や二人ではないです。

 

東北に住む私たちにとって311は現在も続く現実であり、東北以外に住む者にとっては311は過去の

出来事になりつつある。でも原発の被害も津波の被害も、宮城に住む私たちの作物の放射能の影響

でさえいつ終わるのか先が見えない状況です。

風化させないというのは意思の力が必要です。

SMAPはこの3年間、SMAPSMAと言う番組で欠かさず義捐金を募り続けている、ということですが

やはり続ける、という強い意志がなかったら続かない。

海山もそうです。3年間よく続けてきたな、と思うけど、ポジティヴである時もネガティヴになる時もあるけど

やっぱり根底には「続けよう」という意思があってのこと。そしてその意思を周囲で応援して頂いて今がある

のだと思います。

 

311を過ぎたらあッtいう間に静かになって、話題にもならないということが普通。なんてことにならないよう

意思を持って声を上げ続けていきたいものです。

往復6時間半のドライブはさすがにきつかった!

 

 

 

 

 

 

 

新しい車がやってきた!

昨日はザーザー雨降りで、今日はここは北海道か、と疑いたくなるような雪。いや時々吹雪いてます。

昨年の晩秋に注文した新しい車。4台目のホンダフィットがとうとうやってきました。4台目は違う車にしたいといろいろ探してみたのですが、荷物を運ぶとか、軽自動車は雪や凍りつく日は怖いとか、あまりに進化した今風の車はどうしていいかわからんとか、思うところが多くて最後は面倒になり、やっぱり乗りなれた フィット。

12月末にホンダさんに来たまんま、預かってもらっていたのですが、遂に持ってこられてしまった。
というのが正直な心境。

前のフィットは娘が乗って夫が乗って私が乗って222000キロ、この東北を走りに走ってさしたる事故もなく
命を護ってもらいました。母、父、夫、順ぐりに病院へ送って迎えて、思えば介護車みたいだったなあ、   と今思います。みんな旅立ってしまって私は一人でこの車に乗るわけですが、後何年運転するのだか。

新しい車は恐れていたとおり、キーは自分が持っていればよくて、ボタンを押せばエンジンがかかるという
ヤツ。今これしかないんだよ。便利なんだよ、と周りからも言われたけれど、なんだかキーを回して始動のエンジン音を聴くという動作がないというのは不安定で初日はげっそり疲れました。

とにかく安全に勝手にエンジンがかからないようになっている。キーも昔のように「もう1本スペアを作って
おこうかなあ」と鍵屋さんで作れるようなものではなく、暗証番号を覚えておかなければ壊れた時
にも困るそうな。

進化なんだけど、私が出る幕がないような。便利に任せた認知症予備軍になるような。でもなあ、年寄り
なんだから安全第一だからなあ、と車の傍で思い乱れていたら、
「何やってんの」と来合わせた郵便屋さんから「そんなことで悩んでいるうちは認知症なんかならないから。
さっさと乗りなさい」と一喝されました。

この間近所の郵便局で、腰と背が曲がったずいぶんお年らしいおばあさんと居合わせました。
外には軽トラが1台。送ってきた人見えないなあ、と思っていたら、用事が終わったおばあさんは運転席
にかじりつくようにしてよじ登り、自分で運転して帰られました。

マニュアル車だよ。
ここはそういうところなんです。
ここに住むならやるっきゃないんです。がんばろう!

 

 

確定申告の締め切りが近づいてきて、この数日ほとんどの時間をパソコンの前で入力したり、あれがない、
これがない、と探し物ばかりしています。

昨年まで、領収書類を入力したら、「ハイヨ」と夫に渡してあとはどこ吹く風だった怠慢が、今年はもろに
覆いかぶさってきて、何をどう書いたらいいのかわからんことばかり。おまけに昨年までの書類を夫が
どこにしまったのか見当がつかず、「どうしよう」と夢にまで出てくるようだったのが、さっき家捜しして
ついに見つけました。木箱の中にれいれいしく納まっていた。

あー、よかった!
ほっとしてブログ書いてます。
早いもので今日よっちゃんがニューヨークから帰ってきます。帰れば帰ったで、やることは山積しています。

もうすぐ大震災から丸3年。例年のことですがテレビでは毎日のように被災地の今というような番組やって
います。なんだか何を見てもどれを見ても「うーーむ」という心境。とにかく新聞バッグはたくさん折らなければならない現状。早く申告終わらせて新聞バッグ作りたい!!私も。

 

 

 

 

 

 

 

 

よっちゃん、ニューヨークへGO!!&栗原の雛人形展

朝一でよっちゃん、みっちゃんが我が家へ。

今日出発するニューヨークへ持参する新聞バッグ、できたてのホヤホヤを取りに寄ってくれたのもありますが、夫の写真にお線香立てて、出発の挨拶もしてくれました。

昨年の秋、東北の地元の仕事を作るべく、さまざまな形で応援してくださっている高知県四万十の四万十
ドラマの畦地社長やデザイナーの梅原真氏から、「東北でも新聞バッグコンクールをやりましょう。どこで
やる?」と問われて、そこでの話しの動きからまさかの「ニューヨーク!?」ということになって、えーッ、
えーーッ、と驚いている間に時は過ぎ、ついに視察第1陣がニューヨークに向かう日を迎えました。

まーーあ、この数日の忙しかったことといったら!!

新聞バッグの注文の仕事も立て続けで気が抜けないのに加えて、ニューヨークへお土産に持って行く新聞
バッグのづくりで、よっちゃん、みっちゃん、四万十チームも私、あやさん、クロダさん、関係者全員間に合うかと肝が縮まる思いでした。

でもみんながんばった、がんばった。

英字、日本字混合の古新聞で、ワインバッグ、野菜を入れるオーガニックバッグ、くしゃくしゃに揉んだ新聞紙で作るもじゃくりバッグ、書類を入れるバッグ、PC入れバッグ、そのままポストに入れられるハートのバッグ、その他その他。

手荷物で持って行くのも大変ですが、でもこれをニューヨークでお会いする方々にお土産でお渡ししたら
どんなお顔をなさるかな、と想像すると楽しくなります。

さて今日からほぼ1週間、海山の広報営業部長よっちゃんがいないのでちょっと心細いのですが、その分
留守居役のみっちゃんと相談しながら海山仕事をこなそうと思います。

 

今日こそは外に出る用事も特にはないので、申告をやらねば、と意気込んでいたら昼ごろ由美さんが
栗原の雛人形見に行かない?とやってきました。

だめだめだめ、遊んでいる場合じゃないんだ、と思いつつも以前から興味がある「商家の雛人形」とか
「雛街道」とかの誘惑に負けて、車で30分ほどの栗駒町へ。

栗駒町は311の東関東大震災の前に起こった内陸地震で栗駒山の一部が崩落するという大きな
被害を受けた町ですが、ここ岩ヶ崎の商店街は無事だったようで町の通りは昔ながらの佇まいでした。

雪が溶けてないのにはびっくり。うちのほうがまだあるよ。

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この静かな、どこにお店が開いているのかなと思える店内には大きかったり小さかったりのお雛さまが
飾られています。

洋品店のお雛様

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上のほうにはバッグ。セーターもブラウスも昔ながらのカルメラ焼きの駄菓子も一緒。

ぶらぶら通りを歩いて雛人形の展示場へ。

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これは珍しい御殿雛。

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布で作った桜の花。花びら、蕾。気が遠くなるような手仕事。

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そして栗原に於いて日本で唯一最古の藍染め手法を守り続ける藍藍土・文字の千葉まつ江さん(県無形文化財)の藍染の作品。

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縫い物仕事が好きな娘は小さな針刺しや端切れを買い求め、記念品にしたいような大きな籤で由美さんちのススムおじさん用のビールを引き当てた孫は大満足。

こんなことで今日1日も終わりました。

窮屈な飛行機の中でよっちゃんは今ごろどうしていることか。ニューヨークからの連絡が待たれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南三陸へ

3月11日が近くなったからだけではない、と思うのですが(その理由もありだとは思うけど)、昨年、
ノベルティ商品として、東北新聞バッグを採用頂いた高知銀行さんが第2弾として、今年も新聞バッグを
使ってくださることになりました。

その他にも別の企業様より1年間をかけて納品するという大量の注文を頂き、初めて仙台パルコでも
使っていただくことになり、あれもこれもでなんだか頭がパンクしそうな今日この頃。

みんなで考えた新しいバッグの作り方を、南三陸部隊に伝授するために今日は久しぶりに南三陸へ。
有難いことに行き帰りの運転は、今日の講師のあやさんがやってくれるそうです。せっかく南三陸へ
行くのだから、と幼稚園から戻ったばかりの孫も一緒です。

久しぶりの南三陸。

瓦礫が片付いて、家の土台の石などもなくなって、広々というんじゃなくて、道の両脇に高い盛り土の台地がいくつもいくつもあって、盛り土台地の間の道を縫うような、なにやら妙な感じです。狭い、というより大きな盛り土台地に遮られて見通しがきかないというのが、なんとも圧迫感がある。

新しい町つくりと言いますが、どんな町を作ろうとしているのだか、いやあ、実になんとも想像がつかない。

 

久しぶりに訪れる仮設住宅。バタバタしていて気づかなかったのですが、行ってみればもう若芽の仕事が始まってました。

ワカメ仕事の合間に作業場から仮設集会所まで戻ってもらって、講習開始。
「ワカメ始まったからあんまりできないよ」と言いながらも新商品に挑戦してくれてます。

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集会所の壁にはここを訪れた人のたくさんの言葉やサインが。

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そしてこんなものも。

新聞バッグを折らないときに作る海の産物たわし。メカブたわしとかホタテたわしとかあって、かわいらしい
たわしたちです。

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夕方までかかって講習終了。

いつものようにワカメだの茎ワカメだのメカブだのマダラだのたくさんのオカズをお土産に頂きました。

ちなみに茎ワカメは、(塩だったら塩抜きして)、さっとお湯をくぐらせて緑色になったら、少し水にさらして

細く切って人参や生姜を混ぜて、めんつゆに漬けておくとおいしく食べられます。

それからメカブは細かく叩く。ざっくり切って鍋に入れる。茎ワカメ同様にしてめんつゆに漬ける。

どれもこれも実においしいです。

 

そして仮設住宅周りの40軒用の高台移転の用地。

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凄いじゃないですか。

鬱蒼としていた森が見事になくなっていました。

これ、急な坂を下っていくとすぐに海なのです。とても近くに海があるとは思えない光景。

南三陸は行くたびに急激に変わって行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SBS講演会

今日は昨年もご好意で新聞バッグの展示をさせてくださった仙台銀行ビジネスクラブの講演会の日です。

この日は仙台銀行さんのたくさんのお客様がおいでになるということで、昨年はみんなで展示ブースの

飾りつけをしたのですが、今年も昨年より増して素敵な新聞バッグの飾りつけをしたいものだ、と昨日から

家で新聞バッグを相手に大奮闘していました。

会場は昨年と同じ仙台のメトロポリタンホテル。

昨年の講師は作家の浅田次郎さんで、大変興味深い中国の小説のお話をうかがいましたが、今年は

まったく畑が違って楽天やその他チームで活躍された元プロ野球選手の山崎武司氏。山崎氏は大震災後、

自分が打ったホームラン1本に対して10万円、総額300万円近い寄付を隣町の栗原市に寄付された方で

栗原の市営野球場は山崎武司球場と名づけられてます。

今はプロ野球選手は引退されてから野球解説者やカーレーサーをなさっているようで、よっちゃんは楽天が

優勝した時に作った「楽天バッグ」をお渡ししたいと張り切っています。

私はお話が面白そうなので、聞きたいなあとは思ってたのですが、展示の準備とお客様への発送業務で

疲れ果て、よっちゃんから「ゆっくり休んでくださいよ」とお許しを得て、休憩中となりました。

 

今日は和太鼓の実演もあるそうで、福島にいた時には和太鼓を叩いていたというあやさんにはきっと楽しい

イベントになることでしょう。

 

昨年は懇親会にも混ぜて頂いて、仙台銀行さんの取締役の方々とお話したり、ご一緒に豪華な食事を

頂いたりする機会を得ましたが、私たちのような飛び入りにも分け隔てなく親しく声をかけてくださった

kanbe取締役はその後に定年退職なさいました。

その際、長嶋茂雄選手の大ファンであるkanbe取締役にプレゼントするために、長島選手の載っている

新聞紙を探し出して新聞バッグを作り、退職の日のサプライズとしてお贈りすることができたのは楽しい

思い出です。あやさんが、長島選手の活躍した時代、時代が出るように紙面を工夫して作りました。

 

今日もまた参加させて頂いているよっちゃん、みっちゃん、あやさん、クロダさん。

東北新聞バッグコンクールinニューヨークの話などして、きっとまた新しい楽しいご縁を繋いで帰るに

違いありません。

土産話を聞くのが楽しみです。私は家で休憩です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発想の転換

古川の町に出た時に、一緒にいた5歳の孫に「おうちが町にあったほうがいい?」と聞いたことがあります。

そうしたら「うん」って。

「どうして?」

「だってすぐにお出かけできるでしょ?ぼくのおうちはイナカ?」

「そーなの。田舎なの。前はね、大きな町に住んでて、ママはその町で大きくなったんだよ。ディズニーランドとかホテルとかお買い物するとことかいっぱいあって、お出かけはすぐできるんだけど、ばーちゃん、
お出かけいっぱいして、くたびれた」

5歳に言ったって仕方ないんですが、一応説明しておきました。

都会で消費者専門で暮らして60年近く。田舎に住んで素人生産者になって12年。

企業で働く夫とともにあちこちの大都市を転々と転勤しながら時折り胸をよぎるのは「これは終わりがないな」ということでした。どこまで行っても終わりがない。

衣食住の全てをお金で買う都会での暮らしは、収入が多いほうがいい。見場からいえば夫の職場での
ステイタスも高いほうがいい。働く本人もそう思うでしょうから、会社で必死に働く。でも会社も猛烈な
競争にさらされているから働いても働いても、もうこれでよし、ということはない。

働く時間が長いから家では何にもできず、電車がなくなればタクシーで帰宅し、外でご飯を食べるから
お金ばかりかかります。いくら給料が上がったって、楽になるということがない。

子供3人を学校にやれば不足のお金は奥さんが働くことになり、忙しいので出来合いのオカズを仕事の
帰りに買って帰ったり、外食したりしてれば、いくらお給料もらっても豊かになるにはほど遠い。

子供が小さい間は子供を預ける場所も預けるお金も必要になるわけだし、要するに経済を大きくすれば
するだけ豊かに便利になるのではなくて、いつも追っかけて追われて心は余裕がなく、つまり「貧しい」という
か、「良い生活」ではないんだろうなあ、と思ってました。

よっぽど、元々財産がいっぱいある人は別ですけど。

60歳を過ぎて夫が退職した後、仕事をしないで都会でどうやって暮らすのかを考えた時、まあ、直感みたい
なものですが、都会よりも田舎に住むほうが生き易いのではないか、と思って見も知らない東北の里山に
囲まれた小さな集落に住み着きました。

来た翌年に道の駅がオープンしたことから、農家の人が手を付けない米を加工する生産者になりました。

ここに住んでから「目から鱗」の連続でした。

ここでの生活はお金では動かない。必要なものだけをお金で買ったら、後は自分で作る、という生活です。
経済をどんどん大きくしていって追っかけるという暮らしではないので、生活に必要なものの蓄積があるし、気持ちにゆとりがあってみんな優しい。よそのお宅を訪問する時も、ケーキやお菓子を買って持って行く習慣はありません。自分の家にある大根だの菜っ葉だの漬物だのを持参します。

そういう生活だから精神的には都会で暮らすよりよほど楽なんですが、やっぱり若い人は都会のほうが
暮らし易くみえるらしくて、どんどん出て行って人は減るばかり。

ここのあたりの説明はとても難しいのですが、面白い本を見つけました。

題して『里山資本主義』

読みながら、亡くなった夫といつも話し合っていたことだ、と懐かしく思いました。

あんまりこの手のことを話したりブログに書いたりはまずしないのですが、やはりこの考えはひとつの
発想の転換であり、都会の人も、特にこれから賢く強く自信をもって力をつけなければならないここ里山の人たちに読んでほしい本だと思います。

 

 

 

 

 

 

またも大雪!

また大雪。

関東や周辺では何十年ぶりとかいう大雪が降って、交通網が乱れたり、人間も車も滑ったり転んだりで

大変なようだけど、こっちも前の雪が溶けないうちの大雪でうんざりです。

四万十から宮城に来て初めての冬を迎える海山の仲間のクロダさんは、度重なる大雪で雪かきに

追われ、かつて経験したことのない寒さで家の中の諸々が凍って壊れる、というアクシデントに次々

見舞われて疲労困憊の様子。かわいそうだなあ、と思ってもこっちも雪に埋もれた車を掘り出すだけでも

せいいっぱいという状況なので、とにかくこの悪天候が早く終わってほしい。

私はもう慣れたけど、戸外に置いた(戸外じゃなくても外と同じくらいの低温になる場所)プラスティック

の物はまず壊れます。衣装ケースなんかパランパランに割れるし、ホース用のジョイント器具などは

ほぼ確実にひび割れて使えなくなる。洗濯機のホースも外しとかなければ凍る。ホースも1本の棒のようになる。

 

だんだん年とってきて今年の冬のように大雪が何度も来ると、「寒いのもきついなあ。あったかいところに

住み換えるのもいいかなあ」なんて思うのですが、「東北の人は余裕があるというのか、みんなやさしい。

やっぱり人が優しい、というのは一番大事だよ」と親の転勤で全国あちこち連れ歩かれた娘から一蹴

されました。 そうだねえー。

 

その娘が仙台の病院に行ったので、午前中は仕事。午後いっぱいは孫付き合い。

午前中のお餅仕事を終えて家に戻って大急ぎで片付けて、幼稚園にお迎え。その後はピアノのレッスンに。

ピアノを始めて1年ほどになりますが、始まりの頃はピアノのピの字も分からなかった4歳だった孫が

今5歳になって大きな声で音符も読むし、あんなちっちゃな両手でちゃんとピアノを弾きます。

何より驚くのは、30分のレッスン時間の集中度。

余分なことばかりしゃべりはするのですが、楽譜から決して目を離さない。

 

すごいなあ、と思うのは孫に対してではなくて、幼児を教える先生に。

サルみたいな、といっては孫にもサルにも失礼だけれど、あんなに何にもできなかった幼い子供にこれだけ

のことを教えていく、集中させる、その技術に感服します。

私の友人でもある先生はほんとに優しい。でも、この1年のうちに、そんなに優しい先生なのに「ハイ」という

返事から敬語にご挨拶まで、ちゃんとできるようになりました。

 

もともとピアノを上手になってほしい、と思って連れて行った訳ではなく、今の孫が育つ環境が、動物は

いるけど人はいない。車に乗せて連れ出さねば、人に会うこともないという状況なので、家族以外の

しっかりした大人から何かを学べる場所に連れて行きたい、と思って始めたレッスンです。

「休ませない」バーちゃんに、「ボクはピアノは嫌いだ」と言っていた孫が、今はピアノ大好き。

 

3月に男の子ばかりのコンサートがあり、図々しくも孫も参加するのだそうです。

たぶんその曲だと思うけど、優しい調べの曲を先生の伴奏で孫が弾き終わりました。

「ウオー! 上手だねえ、素晴らしかった」と拍手。

孫より先生に向けて拍手。

 

孫が通う幼稚園の先生を見てても思うのですが、自分が子供を育てる時には必死で気づかなかった

幼児教育の高度な技術と重要さに今目を開かされています。

 

ピアノが終わるとあっという間に普段の顔に戻り、イオンモールのゲーム機に。

この間まで戦闘もののゲームとかをやっていてカードを出すのに夢中だったのが、突如妖怪だか

お化けだかのメタルを出す機械に転向。

さんざんガチャガチャやった挙句に、「ばーちゃん、どうしたらメタルが出るか聞いてきて」

えーーッ、妖怪のメタルって何のメタルよ。何を聞けばいいのよ。

 

よーく見たら、その妖怪だかお化けだかのメタルはあんまり人気があるので品切れ、だと書いてありました。

しかし子供のおもちゃの世界の変化の速いこと。

それからモスバーガーに行ってビデオ屋に行って、疲れ果てました。

借りてきたdvdが「ゲゲゲの鬼太郎」だから、いまさら何なんだろう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エコ給湯始動

ついに工事が終わってエコキュート(エコ給湯)始動。

いや、エコ給湯が始動しようが温泉には行く、と決めていたものの、なかなか行けずに、

手馴れない電気給湯のお風呂の自動お湯張りとかのスイッチを押してお湯を入れ、久しぶりに

自宅のお風呂を使うことになりました。

蛇口をひねるとざーっとお湯が出る。なんと、出た端からなんリットル、なんリットルと使った水の量が

数字で提示される。なんてことは想像もしていなかったので、落ち着かないこと甚だしく、すぐにお湯を

止めたくなります。だってなくなったら悲惨じゃないですか。

使い放題の源泉かけ流しの温泉とはえらい違い!!

感想。

いかに自分が日々使う水の量にも使うエネルギーに無頓着であったかよーく解りました。都会暮らしの

時は水道にも下水にもお金がかかったので、それなりに気使いはあったのですが、ここでは自家水の浄化

槽処理だからいくら使ってもべつに困らなかった。ところがエコ給湯を使い始めたその時から、タンク内の

1日分のお湯の残量が気になってやたらにお湯を倹約したくなります。お風呂から上がった後はお湯がもっ

たいなくて、夜中なのに拭き掃除がしたくなる、という具合で、我ながら実に素直にエネルギー節約人間に

なっちゃいました。

不自由だ、というより、こうでなきゃならなかったんだなあ、と今までを振り返って反省しています。

 

今日は午後から道の駅の会議。

よっちゃんは雪かき後遺症の腰痛でじっと座っていられないらしく、正座したり中腰になったり、つらそうで

かわいそう。第1回目のニューヨーク行きが迫っているので、なんとしても治してもらわなければ。

と同時に新聞バッグの大口注文もいくつも重なって、海山関係者全員で焦ってますが、腰を据えて、腹を

据えて、がんばっていきまっしょい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんな真剣!

いつも新聞バッグを折っているとはいえ、新しいデザインや、デザインが指定された特注新聞バッグを作る

時は、みんなの手を合わせるために、おさらいの新聞バッグ講習をやります。

今度のドカ雪は1日2日お日様が照ったくらいで溶ける量ではないので、除雪した雪の山で動くにも

不自由な中、みんなに集まってもらいました。

 

今日は祭日。公民館などは休みなので、教室は我が家のリビングとしましたが、孫も入れると7人。

けっこう窮屈だけど、まあ、窮すれば通ずでなんとかかんとかみんながんばってくれました。

今度顔を合わせるまでに、物を入れたり、生活の中で楽しく使えるデザインを何か考えてきて。必ず

考えてきてね、と前に念を押したら、みんないろいろ作って持ってきました。

 

いやあー、ニューヨークにはまだ行ってないんだけど、東北内陸部ミニミニ新聞バッグコンクールの様相。

直径6cmくらいの小さいハートのバッグを彩りよくたくさん作って丸く繋げた飾り物。一見新聞紙じゃない

みたいです。これ、束にしてぶら下げるととても可愛い。しかもたくさん作って、裏表にしっかり細工が

してあって、いったいどのくらいの時間作っていたの?と聞きたいような作品。

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「楽しかったでしょう!、これ作っているとき」と聞いてみたら

「うん、楽しかった。やめられなかった」と。どちらかというと、これを作ったHさんは折り手さんとしては不器用

なほう。でもこういう作品を作り始めると、後どんどんすごいの作ってくれるでしょう。

 

そして農業新聞で作ったお米入れ。

この小さいペットボトルにはお米が2合ぴったりと入っています。

農業の人ではない私にはとても考えられない発想でほんと、面白い。

底から取っ手まで繋がった編み方は、籠編みの手法だね。

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6000枚という膨大な数の注文を頂いて、いかに正確にいかに早く折るか、みんな真剣です。

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いっぱいメモしてできるような気持ちになっても、こういう折り紙みたいなものは、折りあげた直後

からまた判らなくなってくるので、みな家でもできるようにと一生懸命。

 

あと一月もせずに春めいてきます。

海の折り手さんたちはワカメ、山の折り手さんたちはお米や野菜の種まきが始まるので忙しくなります。

今の寒い時期が新聞バッグ作りの勝負時。

 

来週は仙台のホテルで新聞バッグの展示をします。生活の中で楽しめる新聞バッグをたくさん作って

もらって飾りますので、是非ご覧ください。