年初トーキングそして昔の仲間

今日は1日吹雪。 強風で地吹雪。

夕方のニュースで見た今日の北海道の吹雪のひどさから較べると軽いようなもんですが、それでもちょっと

走っても車は雪だるま。視界は吹雪いて昼間もライト点灯。これが2日も続くとうんざりですが、夜はお月様

が煌々と輝いていました。 晴れるのかなあ、怪しいなあ。

 

お昼、岩出山にできた素敵な喫茶店「風庵」でよっちゃんと今年の展開についてのトーキング。

お互い、なんともはやいよいよ追い詰められて本格的転換期に来ているという年初の感想は一緒。

 

二人とも道の駅出荷組合の役員に就いて10年余。道の駅と直売所のいろんな場面を見てきました。

今はお天気が悪かったり雪が例年より早く来て多かったりの要因で来客数は少ないけれど、暖かくなれば

また客数も増えて例年どおりに売り上げもよくなるでしょう。

などとのんきなことは云えない状況。この10年と同じことをやってちゃダメなんだよねえ。やれること、

やらなければならないことはいっぱいある。 気持ちに身体がついてかない私のような年寄りが考え

たって歯噛みするだけなんだけど、よっちゃんと話していると、この町でこれから農業で踏ん張って生きて

いこうとする若い人たちが背負わざるを得ない荷の重さにため息が出る思いです。

集落の存在が危ぶまれるほどの急激な人口の減少、米作りを含むこれからの農業、町の大半を占める

住民の高年齢化。どれを考えても取り組みの糸口さえ見つけられない難問山積。よっちゃん(私もです

が)が理想とする物々交換図も人間がいなくては成り立たない。こうなるだろうことは予想されながら

経済経済と煽られつつここまで来て、数少ない今の子供たちが大きくなった2、30年後に残すツケは

どれだけのものかと想像するのも恐ろしい。

 

そうだ、帰り際、よっちゃんの切断を免れた親指を見ました。 大きいの! びっくりした。腫れは当分

退かないんだそうです。でも今はリハビリが始まったばかり。何ヶ月か後には少し動かせるようになるでしょう。

 

海山の活動もお正月休みが終わって始動です。まずは間近に新聞バッグ講習。この度お借りする農協事務

所へ新聞紙の引越。中旬頃までにはロイズ新聞バッグをある程度形作り、次いで緑会さんへの1500枚の

バッグの納品。 そしてワークショップがふたつ。月末に緑会さんにご招待いただいているサントリーホール

の演奏会に出席させて頂きます。  ワーオ。整理してみるとけっこう盛り沢山ではないですか。

そして海山は今年もまた富良野へみんなで行きます。「北の国から」を再体験します。お金貯めようー。

 

夜遅く、福岡の友だちから電話がかかってきました。

私の中学校からの親しい友人なのに、電話の相手は男性の声。それも酔ってる!

わかった。昔のテニスの仲間が、全員70歳を過ぎた仲間が合コンやってるんですって。

なんと楽しい!

その中の一人が

「あなたの引越しの手伝いに行ったよ。(私何にも覚えていない)そしたらあなたがね、ファイル、ファイル

というのよ。あの時代ファイルやら横文字言われてもわからんやったよ」

吹き出しました。

海山で英字新聞で新聞バッグを作ろうと考え始めた時、私がまず思いついたのは「スターズ&ストライプ」

あれはどこに頼んだらいいんだろう。調べる!と張り切る私に「そんな新聞聞いたことない」と外国通の

オトーサンが困惑してました。

「スターズアンドストライプ」というのはたぶん全世界アメリカ軍の基地があるところに配布されるアメリカ軍

向けの新聞なのです。私が知ってる英字新聞は最も身近なそれしかないので、私は何十年も全然気づい

ていなかった。いくら日本人魂を頑固に保とうと努めていても、やっぱりアメリカナイズというか基地ナイズさ

れていたんだね、と今解ります。

この次福岡に行ったら、女子筑紫女学園テニス部、男子西南学院テニス部の合コンをする約束をしました。

たった6人だけれど。またひとつ楽しみができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海外旅行

小さい頃身体が悪くて、小6で手術を受けるまで近所の子供らと一緒に遊ぶことができませんでした。

で、本が好きでいっぱい本を読んでました。外国の物語を読んで外国に憧れ、大きくなったら外国

に住みたいと思っていました。中学1年生で初めて英語と出会い、英語を上手になりたくて、基地が

ふたつもある町に住んでいるので、駐留しているアメリカ軍の家族の家に大人になるまで通って

ました。

 

日本の会社でも働いたけど一年で辞めて、後は基地で働き、大きい病気をした後はアメリカ資本の

会社で働きました。ほとんど日本の社会に関係のない暮らしぶりだったので、好きな人ができてアメリカ

にお嫁に行く機会は2度ありました。今はテレビなどで戦争花嫁などというけど、私の周囲でも兵隊と

結婚してアメリカに渡った同僚はいくらもいます。もう70にもなって、みんなアメリカで幸せかな?と時々

思い出します。私はなんだかねえ、そういうところにいると、日本人の塊みたいになっちゃって、

考え過ぎてなかなか前に進めない。だから今も日本にいるんだなあ。

 

まあそういう経験をして、アメリカ資本の会社で働いている日本人のオトーサンと結婚して普通に

暮らしてきたわけですが、海外勤務には縁がありませんでした。オトーサンは一人で海外の

あっちこっちに出張ばかりしてました。

そして、ある時会社のコンベンションでサイパンに行くことになりました。小さい子供3人の育児中で

行く気になれないところをオトーサンの母親から「みんなが行くんだからあんたも行ってくれ」と拝み

倒されてしぶしぶ、社員+妻という旅行に送り出されました。

 

初めての海外旅行。初めての海外便。

その飛行機の苦しかったこと!乾燥とあの狭さ、動けない苦しさ。行きはなんとかがまんし通して

到着したんですが、帰りは悪夢。隣の席で機嫌よくしゃべる男性社員の顔まで今も記憶が離れない

トラウマです。以来全然飛行機に乗れなくなっちゃった。

翌年のコンベンションはモナコとか。モナコなんか行ったら飛行機の中で死んじゃう、と必死で

抵抗したことを今も覚えています。

 

なんのことはない。あれほど外国に憧れていつか私は外国に住むんだと思っていた人間が飛行機に

乗れないなんてバカバカしくてしゃれにもならない。ニュージーランドにトレッキングに行きたいとか大陸横

断鉄道に乗ってみたいとか思うくらいは思うのですが、船でとか上海経由で陸路でとか思っているうちに

年をとって、自分は海外には縁がない人間で、行かないまま終わるんだ、とほぼ思い決めていました。

 

私の従妹は毎年年2回、年をとったおば夫婦の面倒を見るためにロスから日本に帰ってきます。

1、2ヶ月いてアメリカの家族のところに戻ったかと思うと、また延々12時間も飛行機に乗って日本に

やってくるのですが、私はなんでそんなことができるのかと信じられない思いです。

私の親しい友人も大分から成田と飛行機を乗り次いでカナダまで娘さんの赤ちゃんのお世話に行って

ました。ほんとにえらい。私も娘の子供の面倒くらいは見てあげたいけど、絶対に飛行機には乗れない。

必死の思いで出かけて行ったら一年くらいは戻ってきたくない。重症なんです。

 

ところが、なんと2月に私は地中海に浮かぶ島マルタ島に娘家族と行く決心をしました。以前その話があっ

た時途中で3回くらい降りるなら行ってもいいという私の案は却下され、訊けば最初に13時間乗って、乗

り換えで6、7時間待って、乗り換えて6時間乗るなどという身の毛のよだつ飛行時間。

でも行きます。睡眠薬飲んで行きます。

これで行けたら、いつか友だちとウイーンやドイツに行ってお菓子を食べて音楽聴いて散歩してという

夢に一歩でも近づけるかもしれないので、諦めないで挑戦します。

ほっぽらかしになっていたパスポートを新しくしてきます。

誘われても絶対動かなかった私が、海外旅行をするなんて、オトーサンがびっくりして喜んでいるだろう

なあ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

集落新年会

ネットのニュースで、「この4年間で首都圏や大阪から地方へ移住する人が3倍近く増えている」という

のを見ました。へえー、そうなんだ。知らなかった。

それは私にとっては凄く興味深く、そして嬉しいニュースなんです。

 

毎年正月の2日は集落の新年会です。私が住む真山という集落はこの町の五つに分けられた一地区で

あり、小学校、公民館などが地区ごとに配置されています。その地区をまた細かく集落ごとに分けて、そこ

には区長さんや集落単位をまとめる親交会長さんが存在します。

新年会はこの小さい地区の集会所に全世帯集まって、新年のご挨拶をし、この一年で集落で起こったこと、

新しい年の課題などのお話を聞いたり意見の交換をします。そして集会所ごとの新年会を廻ってこられる

この町在住の市会議員、県会議員氏のお話を聞きます。この新年会に年に1度出るだけで、この集落で

起こっていること、市や町や県の現状などがわかるので非常に合理的にできた仕組みだと、私は出席する

度に感心しています。

 

市街地で生まれ育ち人生の大半を都会で暮らした経験しかない私は、つくづく自分が超個人主義で

自分のことしか考えない暮らしをしてきたんだなあ、と思い至らせられます。

 

今日聞いた話の重要項目は、昨年の米価の暴落が、栗原、登米、大崎合わせて120億の減収であった

ということ。米10町歩作れば300万円のマイナスになる。今の農政、農協の施策では米価を元に戻すとい

うことはもう無理でなので、米を作る経費をいかにして抑えるかが課題。マイナス120億というのは大変な

ことで、米は作れば作るほど赤字になるという構図は農家ではない私でさえ読みとれて、暗澹とします。

 

孫が春から通う小学校は近い将来に合併になります。この町にある五つの小学校全てが、全校生徒が

50人に届くか届かないか。1学年1学級以下という合併される条件に当てはまります。

 

宮城県の仮設住宅在住者は現在11万人。必要とする災害公営住宅12000戸のうち、出来上がるか

出来上がりそうなのが2000。

この小さい集落でこの一年に亡くなった方が6人、施設に入った方が一人で減る一方。

県会議員のN氏によれば、とにかく今のところは「消滅可能都市」の中には入ってないみたい、ということ

ですが、この別荘地の住民もいなくなったり病気をしたりで、空き屋だらけ。いずれうちもその運命を辿り

そうなので、私は巻き返しを決意しています。

 

先日お父上を失くされて、東京から50年ぶりにこの集落に戻られた長男氏が、「なんとかしろというから

戻ったけれど、農業がこれほど壊滅状態にあるとは知らなかった。なんとかすることを今考えています」

と仰っていました。東京の会社を辞められたわけではないので、これからこのような方が地方を変えて

行かれるのではないかと期待します。

 

「地方再生。ちょっと遅いという気がするんですけどねー」

苦笑しながら仰るN氏の言葉が印象的でした。私も同感なんですよね~。

正月早々、いいこと書きたいんだけど、そんな状況ではないんだよね。

 

夜は2日目のお雑煮会。終わって東京のおじちゃんから送られてきたゲームで、白熱しました。

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最後は負けた孫の大泣きで終了ー。

明日はお餅づくりに戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年元旦

あけましておめでとうございます。

12月31日の夜から降り出した雪は夜中中降り続き、一時はどうなることかと思いましたが、元旦の

朝目覚めると雪は止んでいて日が差しかけていました。よかった。大荒れのお正月を覚悟していた

けれど大丈夫みたい。

元旦の空です。

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正月三が日に仕事を休むのは日銭稼ぎの商売人としての仁義に反するというポリシーのもと、、雪もこもこ

の道路に苦戦しながら道の駅へ。

 

そうだ、その前にこの雪の中、午前10時前には年賀状が届いてました。分厚すぎて入り切らない元旦の

新聞がビニール袋に包んで県道沿いの新聞入れの箱の横に置かれていました。

ありがとうございます。郵便配達のおじさんはもう10年来同じ方です。すっかり顔馴染みというか、もう

遠くを走っていても、全体的に大きなその体つきで、あ、郵便屋さんだ、と解り、大雪の中でもまっすぐ身体

を立ててバイクに跨っている完全装備の姿を目にすると何故か安心します。この間の雪の日に後ろから

ついて走って行ったら、私は車で時速50キロなのに、郵便屋さんは時速60キロくらいでどんどん遠ざかっ

て行っちゃう。バイク運転の技術はきっとプロ並なのでしょうね。

 

雪なのにお客様はそれなりに混雑してました。

私たち生産者も道の駅からお正月のプレゼント「ボールペン」と洗っても溶けない(当たり前だと思うけど)

タオルを頂きました。今日から三日間、お餅つきやお神楽などのお正月の行事を道の駅で行います。

是非たくさんのお客様のご来店をお待ちしています。

 

道の駅の帰りの農道で目に付いた八幡神社のお正月迎え。

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まだ行ったことはないのですが、鳥居の奥は長ーい急な階段になってます。こういう八幡神社があと

いくつかあちこちで見るような気がします。登って行ったら甘酒かなんかあるのかな?

 

隣の家の主が仕事に出ているので、帰るのを待って隣家の三人、花作りおじさん、みんな一緒に元旦の

ご挨拶。

全くの思いつきおせちで、縁起ものもお重に詰める順番もめちゃくちゃなんですが、ともかく3段お重と

鰤のお雑煮で新しい年のお祝いをしました。少しづつ入ったお年玉袋を3個ももらって、孫は大喜び。

このおせちは恥ずかしい。でも記念に撮れ、というので撮ります。お餅をつきながら合間合間に作りました。

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年末に鳴子温泉の老舗喫茶店「玉子屋」さんにお餅を持ってお邪魔しました。

「お買い物に行くと、お寿司とかお肉とかがたくさん並んでいておせち料理というのがあまり売っていない

気がするんですよねえ。どうして?」と聞いたら

「ここはおせち料理の習慣があまりないんですよ」との奥さんのお返事。

そうなんだ。ここ東北はというより、ここだけかもしれないんだけれど、お盆迎えの盛大さに較べると

お正月はさっと来てさっと過ぎ去るみたいな、割とあっさりとした行事のように感じられる、その

原因に触れたような気がしました。

 

お盆は大切に思うご先祖さまが帰ってくる日なので、それはそれは丁寧に行事が行われます。仏様を迎え

た最初の日からお土産のお餅(お帰り餅といいます)を持って彼岸に帰られるまでの毎日の食べ物まで決

まっているのですもの。びっくりする!お帰り餅の数もその家々によって決まっています。それからお野菜も

大根を作っちゃいけない家とかお葱を作っちゃいけないおうちもあります。理由はわからないけど、先祖代々

作っちゃいけないんだって。

 

住むところで行事を受け止める文化が違うのですね。

お盆はご先祖さまが帰ってこられる、という意味があって、お正月は前の年が終わって新しい年を迎える

というただの行事なのかもしれない。

静かな元旦の夜です。怪我をすることや病気をすることが少ないように、新しい1年を過ごせたら、と

願います。

みなさま。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大晦日

とうとう大晦日。紅白も終わり、行く年くる年が始まりました。

夫が大好きだった行く年くる年。まあなんとなく夫の写真のほうにテレビを向けてあげているけれど、

結局は一人で感無量です。

今年はなんとも出来事の多い年でありました。

春まではgo to newyorkの会議などやっていたのですが、6月にロイズコンフェクトさんとの出会いが

あり、あっという間にロイズ新聞バッグ10000枚の注文を頂き、そのお話で北海道の当別に行って

戻ってきたらすぐに富良野の倉本先生からのお話があり、また富良野へ行って戻ったらよっちゃんは

怪我をし、年末になっちゃった、というようなことで。

 

海山関連で云えば、ひとつの扉が開いたら次の扉がまた開くというような、自分たちで何かをした、と

いうのではなく、導かれるように起こってくるいろいろな出来事に乗っかって、動いたような時間でした。

その時間の中で、これまで知らなかった方々に出会う機会をいただいたことに感謝です。

年末、南三陸のけいこさんから立派なホタテがたくさん届きました。富良野のみや子さんからワインを

送って頂きました。このお正月には富良野ワインを楽しみながら歌津のホタテを食べます。

そういうことがとても楽しい。

倉本聰先生の著書に「北の人名録」という大変面白い本があります。描かれている富良野の方々は

大変魅力的ですが、大震災後私たちが出会った海山ネットの人名録は人の玉手箱です。

新しい年、出会った方々とご縁を繋げての歩みはまだまだ続きそうです。

 

そして私自身について。

宮城県北のこの町に住み着いてから13年。ひとつところに6年以上住むのは初めてです。

福岡出身ですが、結婚後は、北九州、神戸、大阪、名古屋、東京、福岡、また東京と転勤で渡り

歩いて転居歴は20回近いかもしれない。子供たちには過酷な経験をさせました。3人の子供

たちはみな世帯をもって堅実に暮らしていますが、ふとした時に申し訳なかったなあ、と思います。

夫が東京の会社を退職して、老後の人生をとここに越してきた時には、なんとも落ち着きが悪くて

ここを終の住みかにしよう、と思いたいのですが思えませんでした。

またどこかに行くんじゃないかなあ、と思ったり思わなかったり。そうこうするうちに道の駅がオープン

して、そこで花屋とお餅屋などするようになったら、生まれて初めて生産者として働くことの面白さや

楽しさで元からここに住んでいたようにこれまでの10年余りを過ごしてきました。

 

いつの間にかこの家が終のすみ家のような気持ちになってました。

2013年に夫が亡くなって、2014年は夫がいた時と同じようにお餅屋をやって暮らしてきましたが、

この年の終わり近くになって、気持ちが変化しつつあります。

来年は考えます。時間をかけて。どこで暮らしてどこで死ぬか。

 

今年お世話になりました、みなさま。ありがとうございました。

陸君。試験がんばってよ。あなたのこと、忘れたことありません、宮城から応援しています。

新しい年も、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

師走

ははははは~。

やっぱり1日中餅ついて餅切ってばかりやってました。お餅作って売るだけで、他のことは何もやれません。

夕方道の駅に2度目にお餅を持って行った時、花を持ってきた足の関節が痛いAと出会い、孫と三人で今

年最後の温泉に行くことに決定。他の用事は全部中断。

孫を男湯に連れて行ってもらって、私は一人でゆっくり温泉を堪能。相客がいないらしい男湯から

「いーち、にー、さーん、しー、ごー・・・」と轟くような孫の声が響き渡ります。

 

さて、今年の歳末もほぼ終わりました。

その感想は?うーーむ、何も彼もかわってしまったなあー、と。何が変わったか?

直売所に置いている品物も、生産者の仕事ぶりも、お客様の賑わいも、7、8年前とはずいぶん変わりました。

全体的に言えば活気がない。これで師走?という感じ。

27日はガラガラ状態でした。このときは近くのスーパーもガラガラ。28日も普通の土曜日より人が

少なかった。29日、30日はお買い物客で賑わいました。明日はトーンダウンです。

なぜだろう、と考えてます。

これが東京の繁華街だとか上野のアメ横だだったりすると、いつも大勢の人出があるのでわかりづらい

けど、ここにいると人が少ないとか活気がないとかが見えてきます。

帰省客が少ない?お客さんがモノを買わなくなっている(高齢化が進むことが原因だとすると、なんだか

納得。歳はとればとるほど、買いたいものがありません)。天気が悪い。それは言えてるかもしれない。

消費者の収入が上がってない。それも言えてるかもしれない。

 

アベさんの税制改革の言葉の中に富裕層という言葉がよく使われるけど、あれって、昔高度成長期の

時期に普通に会社で働いていた人のことじゃないの?

今の若い人たちが安心して働く場がないってことだよね。

そんなことをつらつら考える12月30日。明日は1年の総括をしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞

12月29日

今日こそは鰤をと朝から意気込んでいたけれど、結局は1日お餅つきとお餅切りに追われて、古川の

ちょっといいもの食材スーパー[pibotto」まで出かけていったのは夜。ここの魚は生きがいいので

わざわざ来たんですが、なんと鰤が半額になってた。よかった!トクした!!

ついでにおせちの材料も買いました。簡単に簡単にとは思うものの、世帯をもって以来50年、お正月

がくると作り続けてきた習慣からはなかなか抜け出せません。

 

仕事のやり方考える、とは言ったものの、結局のところは追われてる。掃除もまともにできてない。

1週間寝たのが痛かった~。

 

昨日老人の仕事のことを書いたのは、自分が年をとってみて周りを見回してみれば、友人、知人、

年をとって好い生活ができているかというと、決してそうではない現実が多いことに気づかされるのです。

市場調査などで、「老後の生活」について問われると「不安だ」という答えが多いことにうなずかされます。

50代くらいのまだ力があるうちは「なんとかなるだろう」と思うことができるのですが、とどのつまりは

全然「なんともならない」。

「なんともならないんだねえ」というのが、私たち老人友だちづきあいの合言葉のようなもんです。

 

なんとかなるのは、大企業の社員とか公務員とか大きな商売してる人だとか資産家だとか。

というようなことを、自分が年をとってきて、改めて自分の交友関係の中で考える時に、これは(老後につい

ては)10年くらいかけてしっかり考えるべき重要課題ではないのなあ、と近頃思います。

 

集落の中にある別荘地という立地で暮らしている我が家の新聞受けは、下の県道に面した私道入り口に

設置しています。家は何軒もあるのだけれど、住んでいないので新聞をとってるのは2軒だけ。一番高いと

ころにあるIさん宅は毎朝犬の散歩をするので、その時に新聞をとります。

坂道を歩かず、車で通過する私は新聞をとるのが面倒で、ついついほったらかし。どうかすると溜まりに

溜まって箱に入りきらないという事態も発生します。

それでも放置していたら、区長さんから電話がかかってきました。

「どうかしましたか?新聞屋さんから新聞が溜まっているんだけど、大丈夫だろうか、と電話があったの

ですが、具合でも悪いですか?」

一人暮らしの私は、新聞受けに新聞を溜めて、大丈夫か?生きてるか?と新聞配達さんを心配させた

ようです。恥ずかしい。

この間テレビで裏日本の大雪を押し分けて郵便を配達する郵便配達の方を映していましたが、「どうして

それほどまでにして行くのですか」という問いに、家の中のお年寄りが「生きてるかな。死んでないか」と

思うので行くと答えてました。

私の友達の由美さんも、雪が降ろうが凍りつこうが、倒れている竹はノコギリで挽いてでも行くという

くらいにヘルパーさんの仕事を全うする人ですが、こういう方たちに私たちは見守ってもらっている

ことを感じます。

 

残すはあと1日。きのう8人の人にお餅を送ったら、一緒に入れようと思っていたお汁粉用の餡子を

外の冷蔵庫を気取って発砲スチロールの箱に入れて戸外においたら、送るの全部忘れてしまった、。

寒ーい時に食べるおいしいお汁粉を味わってもらおうと思ったのに。ああ~~ばかな私。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事のやりかたを変える

12月28日。

例年だったら今日鰤を買ってきて、お雑煮用に塩で締めるのですが、時間がなくて買いに行けなかった。

一昨年亡くなった夫も、その前に亡くなった父もお正月三が日は、この塩ぶりが入った博多雑煮ばかり

食べてました。今年の正月は喪中で作らなかったけれど、来年の正月は作ります。

降って湧いたように突然具合が悪くなって、「これはいよいよかな」と何かの病気を覚悟したら、六日間

寝て起きられるようになって、今日はほとんど元どおりになりました。

「はあー、やっぱ治るんだねえ」と何か不思議な気分。

 

でも今回は考えました。

以前だったら三日寝れば起きられたかもしれないのに、確実に回復に時間がかかるようになっている。

加齢ということだねえと。仕事のやりかたを変えなければならない。

福岡にいる私の親しい友達は、中学1年の時から6年間硬式テニスのパートナーでした。その時代まだ

硬式テニスが主流ではない頃で、練習や試合や合宿などは市内の私立男子校の生徒と一緒にやって

ました。社会人になっても彼女はその時代の仲間と交流しながらテニスを続け、選手をやりコーチをやり、

コーチができなくなると子供たちを指導し、70歳を過ぎた今は障碍者の方に教えています。

でももう「走るの苦しいよっ」と言ってますから風前の灯ではあります。

 

50歳からバトミントンを始めた私の母は80歳まで現役でした。80歳となると試合なんぞには出ていなか

たけれど練習には行ってました。80歳でもまともに打ち合うと私は負けてました。長年培った力は80歳

と50歳という若さの差だけでは太刀打できないです。

 

もうひとつ母が50歳から始めたものがあって、それは絵と木彫でした。絵と木彫はほぼ92歳で亡くなる

寸前まで現役でした。若い頃に彫ったレリーフの彫りの深さは木を貫きそうに深く力があり、86歳で

福岡から宮城の私のところに来てから掘った木は優しい浅彫りです。

いつも枕元にスケッチブックを鉛筆を置いて寝てました。イメージが湧くとすぐに絵に描きデザインし、

木に彫って色を掛け、父が磨くという段取りで仕事をしていましたが、40年の間に大から小まで何百の

木を彫ったことか、想像がつきません。何度も個展をやり、北海道から沖縄まで生徒さんがいました。

母のことを思い返してみると、やっぱり年齢に合わせて仕事をしてきてます。

 

何にもできない私は友だちや母と較べるわけにはいかないんだけれども、それでも今やっている仕事を

年齢に合わせて変えなきゃね、と思いました。仕事がお餅つきだから、ちょっとかっこ悪いけど。

でもこれはオトーサンが私に残した仕事だからやめません。

これまで朝晩やってたお餅つきを朝だけにするとか、冷凍にするとかいろいろその年齢、体力なりの

仕事のやり方を考えて、またそのやり方を品物を販売するお店のほうにも柔軟性を以って受け入れて

もらって仕事を続けていけたら、老人も安心して働けるということなんですが。その点道の駅とか直売所と

かは年をとった人間にとって、ほんとうに有難い仕事場です。

 

さて、明日は待ったなし。買い物に行ってお正月の用意をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人はえらい!!

南三陸から戻って、寝込んでました。お餅屋のくせになんと6日間も。

風邪ではなくて検査受けたりしたのですが、大丈夫でした。やっと今日なんとか起きたらもう27日。

なんとしても年内に行かなければならない業務品卸屋さんに今日は行こう、と思うのですが、

なに?この雪は?どこもここも真っ白に積もっているうえに、まだ降っています。

例年の雪降りが一ヶ月くらい先を行ってるみたい。普通だったらこんな雪景色は1月になってからだよ。

 

3時頃家を出て古川の町に入ったら、どの道路もこの道路もものすごい渋滞。

そうだ、今日は仕事納め、御用納めの日だったんですねえ。今日みたいな日、世間では納会なんて

やるんだろうか。昔はやってましたけど、でもこの雪じゃ落ち着いてお酒飲む気がしなくなるんじゃない

かしらん。

 

エムパックで買い物済ませて外に出ると真っ暗になってました。雪がどんどんどんどん降って道は

圧雪とか凍結とかいろいろ。ワイパーは凍りついてガリガリ。赤いテールランプがずらーっと連なって

車はなかなか進みません。あまりの混みようにどの道通って帰ろうか、と頭を悩ませます。

時速5キロとか10キロとか一寸刻みに進みながら、なんだかこの感じ前にあったような・・・・・・。

そうだった、大震災の日がこうだったー、と思い出しました。

 

あの時私は古川にいました。イオンモールの駐車場に車を停めていて、地面が揺れ動くので暫くは

車を出せなかったのですが、周囲の道路が車で埋め尽くされるのを見て、自分も出なきゃとガタガタ

震える手を押さえつけながら駐車場から出ました。新幹線の下の道路は上から水が降っているし、

あの照明みたいなのも折れ曲がって落ちたりしているので避けて、信号がなくても曲がれる道を

帰ろう、と埋め尽くされた車列に入りました。両側の建物から崩れ落ちたガラスが怖いのと、余震で

他の車とぶつかるのが怖いのとで中央よりを一寸刻みに進んでいきました。

 

誰一人、クラクションを鳴らすこともなく、行列を乱すこともなく、入ってくる人は入れて、何かもう

魅入られたように大人しく運転して、大きい交差点も小さい交差点も信号機はないのに、ちゃんと曲がれて

というより曲がらせてもらって1時間半くらいかかって(普通は30分)帰りつきました。

外国だったら「何やってるー!」とか「さっさと行けー」とかクラクション鳴らしたり、映画とかで見るじゃ

ないですか。あんなの全然なかった。日本人ってすごいんだわーと思いましたよ、あの時。

 

今日も同じ。同じ速度でほぼ同じ車間で真っ白な道をゆるゆるゆるゆる走って、遅くなったので家には

帰らずそのまま川渡の温泉に行きました。いやあ、凄い雪。昨夜でも40センチくらい降ったそうです。

ここのお湯は湯船からお庭が見えるのですが、灯りが灯った灯篭の屋根の雪は50センチ越えてる!

それでも上から上からしんしんしんしん雪が降ってきます。

何時止むのさ。ほんとやめてほしい!

 

私が寝込んでいる間に南三陸のけいこさんが倉本聰先生の新聞バッグを仕上げてくれました。

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8畳の部屋いっぱいの新聞バッグ。

これを送って安心してお正月が迎えられます。

黒田さんは明日雪かきから解放されて、実家がある熊本へ帰省。いよいよお正月ですね。

ああ、なおってよかった!!

 

 

 

 

 

 

新聞バッグ講習会

この秋から黒田さんがやってくれている新聞バッグ講習会がもう5回目になりました。

NPO大崎地域想像研究会の小玉さんから「やりたい人がいるのよ」と連絡を受けて、それでは、と始めた

講習会がこんなふうに続くとは思っていたかったのですが、インストラクターの黒田さんの真面目ながんばり

と「新聞バッグ作りたい」という5人の女性の熱意で月に1度という形で定着してきました。

始めから「月1で講習会を始めよう」という私たちの企画ではなく、自然発生的に「作ることが面白い。作って

みたい」という方たちが集ってこういう形にしていった、ということが凄いと思います。

場所は古川の公民館ですが、受講する方は石巻や古川で被災した方などさまざまです。始めはぎこちなく

て会話も弾まなかったのですが、今はみんな楽しそうで時間内で終わらないことも度々です。

 

今日は私は朝はお餅仕事。朝9時からの講習にずいぶん遅れて行きました。

雪がまだたくさん残って周辺びちゃびちゃしている状況でどのくらいの人が集まっているのかしら。

そんなつもりでドアを開けたらびっくり!!

えーーッ!と驚く盛況。多人数。

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普段の人数に加えて、もしよかったらと連絡しておいた石巻から、加美町から、また古川在住の新しい

方も加わって、熱気のある講習会場でした。今作るバッグの種類は決まっていて、これから取り組む

ロイズチョコレートのバッグ、そして通算3年目になる高知銀行さんのノベルティーバッグです。どちらも

大きな企業で使って頂くバッグなので、お客様にご迷惑をかけないきちんとしたバッグでなければなり

ません。なので指導も厳しいのですが、みなほんとうに楽しそうで、見てるこちらが嬉しくなります。

またも持ち時間を大幅にオーバーして終了。みんなで相談して来年は1月11日からと決定。相変わらず

私はなんもしてなくてなんも言ってなくて、真面目で優しい黒田さんの熱意と、新聞バッグ作りを楽しむ

みんなの意思で決まっていくのが嬉しいです。

 

海山を始めて一年が過ぎた頃、代表のよっちゃんが「こちらが動くのではなく折る人がポジティヴになって

ほしい」とよく言っていましたが、その頃はそんな動きは発生する余裕もなくて、今震災から3年半も過ぎて

そんな動きになってきたのかなあ、と思います。これからどうなる?なんて考えない。そこにある仕事を

みんなと一緒に確実にこなしていくだけです。

そこから何かが生まれてくるでしょう。

1月末に納品予定の三菱東京UFJみどり会さんの新聞バッグ制作をお願いしていた石巻、渡波のKさん

Bさんが斬新なダンボール箱に新聞バッグを詰めてきました。

なんと丸ダンボール箱。びっくり!! まるで味噌だる。

「なーに、これ。こんなダンボールってあるの?」

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渡波のKさん、

「自分で新聞バッグ用に作ったんだよ!」

新聞バッグには最適。ぴったし入るというこの3個の丸ダンボール箱。Kさん凄い、と思うけど、開けるの怖い。

まさかくるくるに巻かれて取っ手がつぶれてるなんてないよねえー。

明日は南三陸にロイズバッグの講習に行きます。雪が降らぬ間に。