「屋根」大崎公演こぼればなし

富良野GROUP「屋根」の劇団が北海道を離れてからこっち、その公演地が今どこかな、と考えるのが日課

のようになりました。富良野から始まって日本の南端の種子島まで、日本列島を縦断して24会場。

1日1公演のところだけではなく、昼、夜2公演のところもあるので、公演数にすればもっとです。

全行程に付き添われる倉本先生ご夫妻のお疲れもさることながら、全力投球でお芝居をして、移動して舞台を

作って壊してまた移動と3ヶ月もの旅を続ける劇団員の疲労はどれほどのものだろう、といつもそのことが

気にかかってました。

 

お迎えの日

そしてそんな日々もとうとう過ぎて、いよいよ私たちの町岩出山に到着の日になりました。

お迎えするのはよっちゃんと私。斉藤事務局は昼食会場の凛菜上の家で待機しています。

今日劇団員さんが来るのは静岡から。

宿泊場所からそのままバスで来るのではなく、重い荷物を抱えて静岡から山陽新幹線に乗り、いったん東京駅

で降りてまた東北新幹線に乗り換えるというのは、私の移動の経験からしても相当きつい行程だと思う。

どんなふうにお迎えしたいいのかわからないけれど、でもとにかく笑顔でお迎えしよう、とは思っていたのですが、

改札から出てくる皆さんのお疲れの雰囲気に飲まれて、何も言えませんでした。

劇団員と一緒に東京から来てくれた吉田さんの顔が。倉本先生と親交が長い吉田さんがいてくれれば

私は嬉しいし、一安心なのです。

DSCF1986

 

お昼ご飯

今回の大崎公演で、劇団をお迎えする実行委員会の仕事は、劇団員の昼ご飯が2回、夜ご飯が2回を用意して、

舞台公演の準備をすることなのですが、まずはこんな大人数を受け入れる食べ物処やレストランなどがない

この小さな町岩出山で、どのように食事の用意をするかが大問題でした。

論議を重ねてまず第1回目となる今日のお昼ご飯は、広々とした田園の中で雪を被った舟形山や緑の森を

見渡せる農家作りの食事処「凛菜上の家」で食べて頂くことに決めました。

 

岩出山伊達藩から続く有力農家、旧千葉家の築140年、茅葺屋根と土壁が美しい農家住宅「凛菜上の家」。

10年前に地元食材を使った田舎料理を提供する店として営業を開始しましたが、奇しくも今日が営業終了

の日と聞きました。「屋根」劇団員のお昼ご飯が凛菜上の家の最後のお客様です。

「伊達藩の現当主である伊達さんから、月末のご予約が入りましたが、お断りをして本日のみなさまを以って

最後のお食事とさせていただきます。」

10年間「凛菜上の家」の当主として活躍され、今は84歳になられた看板店主奥野さんのご挨拶がありました。

鳴子漆器のお膳、明治、大正、昭和と使われてきた器類、お膳に並ぶ奥野さんの手づくりの田舎料理、

一抱えも二抱えもある真っ黒にいぶされた柱や梁、磨きぬかれた板の間、そしてちょっと煙たい囲炉裏の火。

歴史と田舎が入れ混じった今日のお昼ご飯の場。劇団の皆んには喜んでいただけたかどうか。

でも奥野さんにとってはとても嬉しい印象深い営業最後の日となったに違いありません。

 

 

文化会館(スコーレハウス)で。

食事を終えるとすぐさま公演会場に入って、舞台の仕込が始まります。

ご紹介を受けましたが、私がびっくりしたのはこの大舞台の照明さんや音響さんが各一人だということ。

この少人数の方がトラックと一緒に移動して、着くや否や舞台装置を作って本番の準備をし、終わるとまたバラして

移動して次の舞台の準備をするのかと思うとほんとうに驚きました。もしかするとこの世界では普通のことなのかも

しれないけれどド素人の私にはそんなことが解ろうはずもなく。

 

舞台で演技をする俳優さんたちもみなさん重そうな衣装の箱やら道具の箱やら運んだり引っ張ったり、若いとはい

え、ほんとに重労働で休む時間なんか全然ないんだ、と実感させられます。

きっとこんな日ばかりではなく、処によっては少しは町を見たり散策したりする時間もあるのだろうとは思うのです

が、ここ岩出山では無理のようで。

そういえば、今日お見えになる予定だった倉本先生は、急遽東京泊、明日到着となりました。

「そのほうがいい、そのほうがいい。疲れすぎる」私の心の声が言っています。

 

 

午後4時からは団員さんによる高校生へのコミュニケーションワークショップを開催します。

詳細は後ほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感謝をこめて

1年がかりで企画した倉本聰作「屋根」大崎公演が終わりました。

新装なった岩出山文化会館(スコーレハウス)における第1回目の公演となった「屋根」。

後ろのドアを開いて客席いっぱいに着席されたお客様を見て、感無量でした。

こんなにたくさんのお客様に来て頂いて、実行委員会としてこれほどの幸せはありません。

 

お客様の中には、演出で舞台下の席は座布団だ、と思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、これは全くの

ハプニングで、傾斜のゆるい客席では観えづらいお客様がいらっしゃるだろう、と急遽倉本先生の指示が出て

集会所や地区館、座布団持ちの家から座布団を運んできて座布団席となりました。

それでも見えづらいことを予想され、次には岩出山佐藤梅農場から山芋集荷籠を運び込んで、籠の上に座布団

の席となりました。

入場されたお客様は座布団で暖かな気持ちになられた方も、なんだこの席はと驚かれた方もいらっしゃるに

違いありません。失礼を承知の上で、近いところ、遠いところから足を運んでくださるお客様全てに舞台を観て

いただけるようと倉本先生がお考えになった結果です。どうぞご理解をお願い申し上げます。

 

当日の詳細は後述するとして失敗談を。

先生、そして根来ご夫婦と前日に子供たちのコミュニケーションワークショップをやってくださった久保氏に花束

を吟味に吟味して用意したのですが、なんと、タイミングを外して渡しそびれてしまいました。

大人の指示がなくて、渡すチャンスを見出せなかった高校生は(前日はワークショップ、当日はボランティア)呆然。

大慌てになりましたが、心配して玄関ロビーに出てこられた倉本先生の奥様のご配慮で、先生にも久保氏にも

主役のお二人にもロビーでお客様の拍手に囲まれて花束を渡すことができました。

初めての演技を中心とするワークショップや「屋根」上演のボランティアとしてのお手伝いなどを経験した高校生

たちにとって、きっと鮮烈な印象を残す時間になることでしょう。

 

たくさんの方々にアンケートのご協力をいただきました。

どのアンケートにも「素晴らしかった」「感動しました」の言葉がありました。

中にはこれまでの生き方、考え方を考えてみようと書かれた方もおられました。

この舞台上演を私たちの町、岩出山で岩出山の人に見てほしい、と実行委員会を立ち上げ、最初に決めたテーマは

「屋根」-観れば人生が変わるっ!ーそう決めてチケットの袋にもそう書きました。

なりゆきで私はこの舞台を4回も観る機会に恵まれました。最初に富良野で観たときに、「人生は川の流れのような

もの。誰も恨んではいかんよ」という根来のおじいさんの言葉が胸の中に響きました。

福岡で生まれて何故か見知らぬ東北の町に今は暮らす私の人生。大変なもんだった、とこれまで思ってきましたが

そうか、川の流れと同じだ、と気づかされると同時に胸が晴れるようでした。

この舞台公演誘致に関わらせて頂いた私自身、「観れば」先行き短い私の人生でも楽しめるような気がします。

 

 

観に来てくださったたくさんのお客さま、北海道から種子島まで日本縦断をして駆け抜ける富良野GROUP「屋根」、

そして公演に向けてたくさんのご協力を頂いたみなさま。

ほんとうにありがとうございました。心からの感謝を申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

たくさんの贈りもの

3月15日は午後最終で確定申告を終わらせ、夜は6回目の「屋根」大崎公演6回目の実行委員会。

こっちも最終です。

やれることはやった。まだやり残しはあるかもしれないけれど、とにかく思いつく限りでの準備は整いました。

公演前日の明日と公演日の明後日はたぶんまったく時間がとれないと思うので、今日は1日2日分の前仕事を

バタバタと。洗濯したり、餡子を煮たり・・・。

朝はまた早くに由美さんが来て、「ちょっと食べて、今食べて」と手にはまだ暖かいお赤飯が。

「18日はお目出たいでしょ。お目出たい時にはここは赤飯だから、赤飯も作ろう。」

「屋根」公演はお目出たいのか。今でさえ岩出山ゴールデン食堂の18日昼ご飯のメニューは18品目。最初はもっと

少なかったメニューが、道の駅直売所の生産者の気持ちの贈りものがひとつふたつと増えるにつれてこうなりました。

昨日は週末そばやのハガさんのそばプリン。

そして今日は、「残念ながらワカメの収穫で観に行けないから」と南三陸歌津の新聞バッグインストラクター、

けいこさんから、けいこさん手作りの大量の昆布の煮物(これはとても美味しい。私が煮てもこんなふうにはでき

ない。海で暮らす人独特の煮物です)やメカブ。それに劇団員さん全員にと獲れたて新ワカメが届きました。

この量!!

DSCF1984

これだけの昆布を切って煮るってどれだけの時間がかかっただろう。想像がつきます。

朝早くから海でワカメを獲って、その後は海辺の作業小屋で1日加工作業をして、その合間に家事をしながら

これだけ大量の煮物を作って送ってくれたと思うと、感謝の気持ちで手を合わせたくなります。

メニューがいっきに3品目増えました。

 

けいこさんだけではなく、18日のお昼に劇団員の皆さんに食べてもらう岩出山ゴールデン食堂のメニューに

向けて、食事を提供する道の駅生産者の気持ちの贈りものの届くこと届くこと、驚くばかりです。

 

 

お米。70人分。由美さん夫婦からの贈りものです。

卵はたまご屋のユージ君から。先生用は鵜こっけいの卵だそうです。それも籾がらに包まれて。出汁に沼海老に

手前味噌にお汁粉は私。よっちゃんはセリになんだっけ。いろいろあったぞ。ここのは今は硬いからダメだと千葉から

車で送られてくるキャベツは公一さん。宗一さんは梅の花に梅干し。大根は啓子さん、味噌汁に入る大きななめこ

は今野さん。そばプリンを作るよ、と昨日週末蕎麦家のハガさんから連絡がありました。

その他いろいろ覚えきれない、書ききれない。

 

私が驚き感動するのは、これらの食材は理屈抜きでのみんなからの気持ちの贈り物だということです。

なんでもお金で買わなきゃいけない都会ではこうはいかない。あの人この人と較べる気持ちが湧くし、人より損は

したくない、という気持ちも湧く。遅れはとりたくないから出すけれど、心の中は理屈だらけ、というのが都会流。

ここでは倉本聰を知らない人もいます。「北の国から」は聞いたことはあるけど見たことはない、という人はいくらもい

る。実行委員の中にもいて、最初は何に巻き込まれたのだかわからず、「なんだべや」と狐につままれたような

気持ちだったに違いありません。

でもこの公演に向かっての準備がスタートしてからの半年間、真剣にチケット販売の心配をし、不器用に自らチケット

を売る交渉に行き、断られ、また心配をし、そうこうしているうちに本気に公演成功に向かって心を砕く様子が見ら

るようになり、私は感動しました。

 

今は倉本聰を知らない者も大ファンの者も心をひとつにして、17日18日の「屋根」の日を成功させようとしています。

最初の頃はただ「屋根」という有名な脚本家の舞台を、この小さな町に持ってくるんだ、と身震いするような

気持ちだったけれど、「みんなで力を合わせてひとつのことを成功させる」。そういうことだったんだなあ、と今思いま

す。

ほんとうに素晴らしい経験をさせていただきました。

明日、明後日、劇団のみなさんと観客のみなさんとともに舞台を成功させた後のみーんなの炸裂すうる笑顔を

想像するだけで嬉しい。

どうぞ「屋根」にたくさんの拍手を!!

 

 

 

 

もうすぐ公演日

「屋根」公演を数日後に控え、細々とやること満載。

今日は、満席のお客様に配る新聞バッグのタグ付けをしました。その間、花屋に行ってカーテンコール用花束

の花の吟味。バラ園に電話してバラのことをいろいろ調査。

会館ロビーには、これから咲き始めるこの町の梅の名所、佐藤梅農場の紅梅、白梅を飾ります。

できるだけ長い梅の枝をできるだけ豪華にたくさん大きな壷に活けて、来る人みんなに楽しんで頂きたいと思う

けれど、木のように長い枝は車に入らないだろう、と心配していたら梅農場3代目の宗一さんはトラックで運んで

くれるそう。

当日お出でになるお客様は馥郁たる梅の香りに包まれて、きっと春を感じていただけることでしょう。

 

こうして様々な準備をしながらも、日々変動する予約チケットの料金回収も気がかりで、過日、斉藤事務局と二人、

未回収チケット代金の集金に行くことにしました。450枚のチケット代金を1枚ももらい残すことのないように。

けっこう広い範囲を私が運転。斉藤事務局は集金係り。全てにきっちりしている事務局は仕事が早く、私のように

行った先でしゃべりまくって、お金はもらい忘れた、というようなことは皆無です。

おかげで岩出山で数軒、古川で数軒、集金はどんどん捗り、最後はちょっと遠いけれど松山の私の友人宅まで

足を伸ばしました。

ここで友人に見せてもらった印象深く面白い手仕事をご紹介。

DSCF1965

この鯉に跨ったお人形はだれ? 足柄山の金太郎のようにも思えるけれど、でも金太郎だったら熊だし。

鯉は川魚だからなあ。友人がその昔道の駅で買ったというこのお人形、五月五日には飾りたくなるような

素朴ないい雰囲気出してます。

そして後ろのカップ。煎れて頂いたミルクティーとよく似合ったこのカップは一見陶器のように見えるけれど

実は木。端材を利用して作ったカップで一時はヨーロッパで賞までもらった作品だけれど、今はすこーし

売れ行き悪いそう。こういう製品が人の目に止まるお店が増えてほしいものです。

梅が入ったウイスキー。まるで薬びんのような。

DSCF1970

半日歩いて、気がかりだったチケット料金の回収を終了しました。斉藤事務局のお陰で1枚の誤差もなく

チケット管理終えました。チケットは100パーセントの完売です。

 

そして別の日の夕方。

梅農場の専務、宗一さんと一緒に鳴子温泉の喫茶、たまごやさんへ。

宗一さんとたまごやオーナー宮本氏の会談に私も同席させてもらいました。

と、温泉街の通りであやさんが見つけた東京からの若いお嬢さんのお客様二人。コケシ大好きの方らしく

(今はコケ女と言うのかな)、なんと大きなコケシの柄のお洋服。

DSCF1971

このお洋服は実はネネットという雑誌に紹介されていて、東京の渋谷や新宿で買えるそうなのです。

コケシの町にコケシのお洋服で。なんと粋なことで。

そしてこっちが雑誌のお洋服。DSCF1973

こういうお客様が増えると嬉しいことです。ついでに道の駅にも来てくれればもっと嬉しい。

肩かけバッグは郵便屋さん。

DSCF1976

こういうバッグが渋谷、新宿で流行っているんだろうか。

長年首都圏を離れるとさっぱり不案内になりました。

 

こうしてバタバタしながら時間は過ぎてゆきます。

あと3日。公演成功に向けてがんばっぺし!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「屋根」まで届く道

今日はあの日から5回目の3月11日。

3月18日の「屋根」の公演には、劇団員さんが来るだけではなく、それに伴って我が家で泊る方も何人か

いて、その準備の買い物に行って車を止めた駐車場で、「あ、2時20分だ」と。

奇しくも、あの時と同じ店の同じ駐車場で、これから外に出れば2時42分になる。

どんなふうにその時間を迎えるんだろう。

 

その時間、見ていた店内2階のお鍋の棚の前で天井からマイクの声が降ってきました。

「これより1分間の黙祷を始めます。みなさまのご協力をお願いします」

通りかかった人は通路で、私はお鍋の棚の前で手を合わせ黙祷。20000人にも近い亡くなられた方々のご冥福

をお祈りします。なんという亡くなられた方の数。その数の数倍もの遺された方々の数。

今日は5回目だけど、何回目が来ても何も変わらずに悲しみは深く、朝からテレビの報道を見ては泣きそうになり

、天皇陛下のお言葉を聞けば涙が出、同じ駐車場であの時の場面の数数を思い出すと、胸も目頭も熱くなって、

1日泣きそうになってばかりいる。

何が悲しいんだろう。

驚愕も焦燥も諦められない様々な事態も、見るもの聞くもの全てが悲しかったし、思い出すと今も悲しさは全然

薄れずに変わっていない。あの時東北のあの惨状の中にいたものの傷の深さを思い知らされる、3月11日です。

1年の区切りが12月31日と3月11日があるようで、また明日3月12日から1年が始まります。

 

震災後、一緒に海の手山の手を始めた宗一さんがさっき電話をかけてきて、「あの時に作った新聞や(よそから

貰ったパソコンと私のプリンターを提供して津波で社屋を流された元南三陸の新聞社の方が避難所新聞を作り

ました)、印刷物など見てました。あれから5年、よくがんばって活動を続けてきましたね。ごくろうさま」

とねぎらってくれました。

 

海の手山の手には初めから道などなかった。最初に道もなくお金もなかったけれど、南三陸で流れ残ったワカメ

と出合ったことが道の始まりでした。ワカメを全部買ってあげたかったから、みんなでお金を出し合いました。

買ったはいいけど、売り方も解らす、売るのには実に苦労しました。やっと売り終わってお金を回収したと思ったら

今度は南三陸で干し椎茸に出逢い、また干し椎茸販売に四苦八苦しました。最後は売り切れずよっちゃん夫妻も

私たちも自分で食べる羽目に。

何にも無かった道を切り開いて踏みしめてまた切り開いて踏みしめて道を作り、気がつけば「「屋根」まで届く

道ができてました。この5年で。

 

お世話になった皆さま、ありがとうございました。

たくさんの方々と知り合い、たくさん学んだ5年の歳月でした。

東北には5年の区切りなどありません。ずーっとこれからもつながり続いている時間です。

風化も忘れないで、という言葉もここにはない。そんな言葉を超えて、前を向いて進めばいつか悲しみが少し

づつ癒える日が来るのだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色紙

一家揃ってのインフルエンザで静まっていた隣家の娘家族が動き始めました。

最初に罹った孫が学校に行き始め、2番手の父親が会社に行き、最後に娘の姿が見えるようになったから

もうインフルエンザは終焉の様子。

次は私の番と思っていたけど、やっぱりそんな気配はなく、けれども珍しく普通の風邪を引いたようで、

頭痛と微熱が治まるまで、大人しく家の中で今がチャンスと申告の準備をしています。

午後、ヤマトさんが荷物を配達してくれました。

小さいダンボールの箱の中には、何が書いてあるんだろう、と楽しみに待っていた倉本先生の色紙が・・。

ありがとうございます。

私はサインとか色紙に一筆とかを頂いたことがないので、この色紙をどんなふうに大切に取り扱ったら

いいのか解りません。明日道の駅の実行委員会事務局に持って行って、みんなで考えます。

 

3月18日の「屋根」公演時にはお客様一人一人に新聞バッグを配ります。

新聞バッグは現在製作中。中に入れるモロモロを今ひとつひとつ作っていっているところ。

今朝は雨。もわーっとした空気に覆われた枯れ色の草の斜面に萌え出たばかりの小さい小さい蓬が出て

ました。

家の中に入ってきてソファーで寛ぐシロ。

DSCF1961

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩出山ゴールデン食堂

ここ2、3日、慣れないことをして、少々疲れ気味。

今日は用事を終えて帰宅した後、5時間も眠ってしまい、起きるとなにやら熱っぽいような。

インフルかなあ。

 

3月17日18日と間近に迫った「屋根」公演。どこの土地の公演でも、俳優さんたちの食事についてはだいたい

お弁当らしいけれど、ここは大人数のお弁当とか仕出し屋とかレストランとかがない今時珍しい町なので、

2泊3日で鳴子温泉に滞在する「屋根」のスタッフ、キャストさんの食事をどう調達するか、というのが今の重要

課題。

斉藤事務局と顔を合わせては、献立だの食材だの用意する食器だのを相談する毎日ですが、一作日午後は

公演当日の昼食を作ってくれるお母さんがたとミーティング。

集まってくれた農家のかあちゃん方は、日頃から直売所で漬物を販売したり、惣菜を作って販売しているベテラン

揃い。一人一人独特の得意料理があるようで、みるみる10種類以上の献立が出揃いました。

団員さんの食事が必要なのは、17日到着日のお昼と夜と公演日のお昼と夜ご飯。

農家のかあちゃん料理を作ってもらうのは公演日のお昼のご飯です。

団員さんたちだけではなく関係者やボランティアさんの分も合わせて6、70人分をバイキング仕立てで、午前

11時までに作るには、何時からの作業、材料、容器の調達、予算は、等々、論議は白熱。

都会で人生のほとんどを個人プレーで生きてきた私は、こういう時、自分の団体戦での非力を感じます。

中心にいるのは年配のお母さんがた、サポート部隊は若妻さんたち&結婚してない人生これからの女の子で

ばったばったと役割分担が決まり材料調達も決まり、けれどけっこう時間がかかって終了。

材料はスーパーマーケットで買う、というようなものではなく、牛肉は家畜市場から、豚肉もその筋から、野菜は

持ち寄り、海のものは海から、漬物は今から漬ける、米は供出、という具合で、町ではやろうったてやれない、

実に贅沢で豊かな食卓になりそうです。名づけて「岩出山ゴールデン食堂」!

パチンコ屋みたいだけど、力強い名前でしょう。これから道の駅で活躍しそうです。

「屋根」全国公演も最終番。鳴子の温泉で身体の疲れを癒し、農家のかあちゃんバイキングをたくさん食べて体力を

つけて残り3公演地に向かって頂きたいと思います。

 

そして今日は倉本先生の宿泊をお願いした観光ホテルにお邪魔しました。

有名なホテルの女将さんにお目にかかるのは初めて。どんな方だろうと、それなりに緊張して伺ったのですが、

さばさばしてお話が面白い綺麗な方でした。

おかげでいろんなお話ができて、公演の後の打ち上げの会場も準備していただけることに。

午後9時終了の公演の後で、ちょっとお酒を飲んで打ち上げをと思っても、ここでは夜10時頃に開いているお店

なんて皆無。どーしよう、と思い悩んでいるいたところだったので嬉しく助かりました。

公演の準備をした側も全国各地を転戦してこられた団員さんも、少しの時間、お酒も入れながらのうちとけた時間を

楽しんでいただければ、と思います。

 

戻って、今朝由美さんが届けてくれたバイキングの1品サラスパ2種の味見を斉藤事務局と。

昨日、ここ数日胃腸炎でダウンしていた由美さん宅を訪ねて、由美さん担当のサラダの相談をしたのですが、

今朝はもう早くから起きてスパゲティサラダを2種類も作って持ってきてくれました。両方美味しい。けれど一作日

は点滴をしていたのだからもうちょっと休んでほしい。

 

かく言う私も連日の雑事でくたびれたか、起きてられなくなりました。

明日、熱が出ませんように。インフルじゃありませんように、と祈りつつ早めに休みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一筆

この2、3日、真冬に逆戻りしたようで寒い。

夜になると雪が降って朝起きると車の屋根が白くなっています。

わずかな陽だまりで日なったぼっこ中のシロ。外が好きな外猫なんだけれど、近頃年取って寒いのか

家の中に駆け込んできて、しばらく遊んでまた倉庫のシロハウスに戻ります。

DSCF1955

今日、1月から頭と肩に乗っかかって、どうしてもとれなかった重圧が消えました。ああ、ほっとしたー。

これでようやく安心して、他にもやらねばならぬ雑事に専念できます。まだ申告の準備もやってないんだから。

 

重圧というのは「屋根」の倉本先生から頂きたい一筆。

何回目だかの「屋根」大崎公演実行委員会のときに、委員会相談役である社長が「先生から何か書いて頂けたら

いいねえ」という提案が出たのが始まりでした。

言うは易し。けれどそんなことできるの? あの有名な倉本聰氏に「一筆書いてください」なんて誰が言うの。

時は12月。もう「屋根」の舞台稽古が始まってしまった時期で、白熱しているだろう舞台稽古のどんなタイミングで

そんなお願いができるのか。それも全国26公演地の中で、最も小さいおまけのような公演地の私たちなのに。

 

それに1月に公演が始まったら先生はスタッフ、キャストと一緒に公演の旅に出てしまわれます。転々と移動する

毎日でずいぶんお疲れになると思うけど、そんななかで「何か一筆書いてください」とお願いするなんて、ほんとに

身が竦む思いでした。

でもじっとしていてもコトは動かないので、第1回目は富良野公演で、吉田さんに後押ししてもらってお願いをし、2度

目はお疲れを想像すると更に言いにくいけど、勇気を奮い起こして福岡で更なるお願いをし、長々しいメールも書き、

ついに昨日一筆頂けたよー、というお返事をもらって、ああ、肩の荷が降りました。みんなに喜んでもらえます。

 

このところ、なんだかんだと文章の校正をしています。

時間をかければかけるほど、だんだん解らなくなる。特に自分が書いた文章ではない場合、更にわからなくなって

先日行った福岡までの新幹線の中でも景色を楽しむゆとりもなく、眠って頭を休めるか空中を睨んでで考えこ

んでいるかで5時間が過ぎました。それだけ時間をかけても遅々として進まない。凡人の限界です。

 

そういう時思い浮かべるのは倉本先生の一筆の数々。

富良野で「北の国から」の主人公、黒板五郎の家でニノ君への手紙を読んでいる時に、背後から「先生は書に合う

文字を決めるのに何年もかけられました」とスタッフの方に教えて頂いて、一瞬言われた意味が解らなかった。

先に一筆があって、それに合うように自分の字を替えるなんて、考えたこともなく、それを何年もかけて成し遂げる

努力をされる倉本聰という脚本家の気持ちの強さに驚くと同時に感銘を受けました。

 

ドラマの中の言葉も本に書かれる言葉も、そぎ落とされた短い一筆に有無を言わせない納得を感じさせられて

「どうしたらこんな言葉が出てくるんだろう」と言葉のひとつひとつにに目を離せなくなりますが、凡人中の凡人の

一欠けらのような私は、5時間考えようが7時間考えようがこんがらがるばかり。

 

3、4日後には公演先から送って頂く先生の一筆が私のもとに届きます。

「なんて書いてあるのか楽しみですね!」

事務局の斉藤さんが嬉しそうに何回もそう言ったけど、私もほんとうに楽しみです。

なんて書いてあるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

go to「屋根」朝倉公演

新横浜プリンスホテルで5時半起床。

このホテルはでっかい。40階くらいあるんじゃないのかしら。円形のような形のビルで、1階はデパートのように

洒落た店が並び、2階はレストランなどがある気配。

6時半、朝食券を握りしめて、2階のバイキング式朝食レストランへ。途中、入り口で「朝食2200円」の表示板を

見かけてびっくり。2200円!バチが当たりそうな値段!今まで込み込みでホテル代払っていて、朝食代がこんな

い高いなんて知らなんだ。かといって、和、洋、中、勢揃いしているバイキング形式の朝食を2200円分食べられるは

ずもなく、7、800円分食べて朝食終了。山陽新幹線「のぞみ」に乗るべく新横浜駅へ。

 

「のぞみ」に乗るのはたぶん私は初めてです。博多まで5時間だというけれど、昔まだ福岡にいた若い頃、東京ー博

多の往復は寝台列車で23時間くらいかかっていたからすごい進化。たった50年ほどで進化というかこの変化、、

速いのは有難いとしても、それがいいことなんだか「もうちょっとゆっくりでもいいんじゃない?」みたいな気持ちが

あるのは否めない。

 

2時間で名古屋。「見よう」と思っていた富士山、見なかったことにここでハッと気づく。残念。

3時間で京都。岡山、山口と過ぎ、関門トンネルを通ったのも気づかず、終点博多に到着。

5時間、速かった。ただ速いけど、運賃は私の場合、飛行機より高いのが考えものです。

福岡で、昨日から待ちぼうけをくっている友人Mのために駅弁、おにぎり、おはぎなどを買いこみ、、タクシーで市の

中央部にあるM宅へ。Mは中学に入った時から金魚の糞のように何時も一緒にいた60年来の友人で、学校時代は

テニスのパートナーだったけど、私は止め、Mは今も現役。両方とも、親、夫を亡くしてMは猫5匹と同居中。

彼女に、「屋根」福岡(朝倉)公演の観客動員を頼みました。公演会場の朝倉郡甘木は福岡市内から車で1時間半

くらいかかる歴史ある小さな静かな町で、福岡育ちのMや私にとっては、観客動員はけっこう厳しいものがあるの

ですが、Mはできるだけやってみる、と快諾してくれました。

 

Mがチラシなどで紹介してくれて今日一緒に車3台を連ねて甘木まで同行すのは10人。さらにもう10人は甘木で

合流することになっているとのこと。Mは東日本大震災時には八面六臂の大活躍で東北を応援してくれ、横浜から

熊本に移住して田舎暮らしを始めた私の友人が病死した時には、50過ぎての取り立ての免許証で、熊本、福岡を

3回も往復して、見ず知らずの土地での告別式で戸惑う友人家族の手伝いをしてくれました。喪服の用意から

犬数匹、猫十数匹、カラスの世話まで引き受けてくれるなど世話になるばかりで足を向けて寝られません。

 

彼女の運転で6時に到着。7時開演は私たちの大崎公演と同じ。

同じく観客動員を頼んだ従妹のところに挨拶に行ってみると、バスを仕立てて30人態勢で来てくれてました。

従妹の会社の従業員さんばかりではなく、我が母方の親戚一同が座席に並んでいるのを見て超びっくり。

こんな機会がなかったら、葬式でも会わなかっただろう面々。もしかしたら最後かもしれない出会いの場を作って

くれた「屋根」の神様に感謝です。

 

「屋根」を観るのは富良野、仙台、に続いて3回目。今回は最前列で観ることにしました。

最前列で観るお芝居は、舞台上の役者さんの足が見えないけれど、声もよく聞こえて、前回解らなかった部分も

よく解り、解ったら改めて涙、涙・・・。

何度観てもまた観たいと思わせられるお芝居ですが、この舞台を日本縦断しながら1日置きくらいに演じ続ける

役者さんたちの体力、精神力に頭が下がります。

 

11時、M宅に帰着。流石に疲れて、お昼の駅弁の残りを分け合って食べ、すぐに就寝。

翌早朝は、Mの外飼いの犬たちの散歩が終わるのを待って、食事もせずに空港へ。昨夜調べたところによると

今朝の福岡ー仙台便も満席傾向でとれるかどうかが微妙。空港に入って最初に通りかかったJALで聞いてみると

表示は△マークで1席とれました。よかった! これで帰れる。帰れないかもしれないと思っていたのでひと安心

しました。午前中に仙台帰着。

 

空港から電車、新幹線、車と乗り次いで家に帰ると、黒田さんとあやさんがロイズ新聞バッグの検品中。

DSCF1944

私がいなくてもこうしてやってもらえるようになったってこと、私は嬉しいです。現場仕事に役立たない私を脇に

置いといて、ふたりでがんがん仕事を進めてくれる黒田さんとあやさんに感謝。

でも仕事は夜になっても終わらず、一人コツコツと深夜1時までロイズ新聞バッグの袋入れ作業。

 

あっという間に通りすぎた福岡訪問。

それにしても福岡のMの家に泊まって、コーヒーいっぱい飲まずとんぼ帰りするのは初めてでした。

動いているとろんなことがあるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

満席/満室

歳をとって自由になった今、出歩くことが多くなりました。

外に出ればアクシデントも起こります。

1月に富良野に行った時も帰る直前に悪天候になって、「さて、どうやって帰ろう」と頭を悩ます羽目に

なったけど、今回は帰りじゃなくて、行きで「さて、どうやってたどり着こう」、と立ち往生することに。

 

24日、「屋根」実行委員会の任務を背負って東京へ。ほんとの目的地は福岡ですが、横浜で開催中の

フリー刺繍家、天野寛子刺繍画展を見るために、そして天野先生と倉本界隈の女性、吉田さんに会う

ために横浜まで周り道をすることにしました。

道の駅への餅出荷後、10時過ぎに車を飛ばして古川駅へ。

みどりの窓口に行ったらばなんと、新幹線指定席満席。

2月でしょ。24日は水曜日でしょ、普通の日でしょ。それも午前11時だよ。なんで満席?

久しぶりに今日は特に寒く感じる(服装が暖地向き)ホームに20分も並んで立って、自由席を確保しました。

 

横浜まではスムーズ。会場までもスムーズに行けて、先日ニューヨークでの展示を終えたばかりの先生に

お逢いできました。ぎっくり腰で動けなくなっていた吉田さんも治って来ていて、おまけに横浜在住の四万十

新聞バッグインストラクター、タカムラさんも駆けつけてくれて、3人でお茶っこすることができました。

お茶っこの重要議案は、この素晴らしい天野先生の復興遺産にしたいような作品の数々をどのようにしたら

保存していけるのか、ということ。 熱心に話しているのは展示会の責任者である中西さんと私たちで、当の

先生は「私は歳だから疲れるからもういいわー」と。

DSCF1942

 

あっという間に楽しい時は過ぎて、京急本線の快速に乗り、羽田空港へ。30分ほどで羽田空港到着。

第1ターミナルだか第2だか忘れたけれど、昨日事故があったJALはとりあえず避けてANAへ。

通常シニアチケットという当日買いの老人用チケットを利用する私は予約はしません。

そのつもりでカウンターのお姉さんに「シニアで1席」と言ったら、困った顔をして「満席なんです」

えーッ? 普通の日でしょ。羽田ー福岡なんて30分に1便くらい出てるでしょ。じゃあ、次の便は? 「満席・・・」

ならば、どれでもいつでもいい。と言ってみたけど、「最終便まで満席です。」

じゃあキャンセル待ちは? 「どれもたくさん待ってらっしゃいます。2、30人」

福岡、どうした? 福岡で 何が起こってる?

 

ではもしかすると事故騒動でANAに乗客が流れてきているかもしれないとの淡い期待を抱いて、とぼとぼと

歩いて別建物のJALへ。しかし遠い。歩くだけで疲れる。カウンター前の人は少なく、ここなら乗れるだろう、

とJALカウンターのお兄さんに聞いてみたら、なんと「満席」、最終便まで満席。のうえにキャンセル待ちは

同じく2、30人。スカイマークまでも満席。とどめは、「じゃあ、近所に泊って明日一番で」と言ったらそれも満席で

午後遅くに空いてる席を今予約すれば4万数千円。そんな運賃払えません。

「新幹線のほうがいいんじゃないですか?」とお兄さんに勧められ、沈思黙考。 空港で新幹線薦められたの

初めて。新幹線・・、博多まで5時間・・。  どーしよう!

 

モノレールで東京まで戻って宮城に帰るか、それともどこかに泊るか。

とりあえずはと以前に泊った東京駅近辺のホテルに電話をしてみたら、3軒かけて全て満室。 なんでー?

空港の椅子に座りこんで既に2時間経過。夜7時を回りました。

東京駅近辺がダメならどこに泊る?駅をいろいろ考えてふと思いついたのが横浜。よし、横浜に泊ろう。

手に負えなくなって横浜のホテル探しを娘に頼んだら、ほどなく新横浜プリンスホテルを探し出してくれました。

ここでようやくホテルを確保。空港から新横浜行きのバスに乗って9時近くなってホテルに到着。

チェックインを済ますと、すぐに新横浜駅に向かい、明日朝の新幹線のチケットを購入してようやく」一安心

して、入ったこともない駅食堂街のリンガーハットで一人皿うどんを食べて1日が終了。

はあー、ハードな1日でした。

 

明日は早起きして、6時半には食堂に行って朝ご飯を食べ、新幹線で博多に向かいます。

しかし、、宮城より暖かいはずの東京は寒かった。 こんな寒さの中、新幹線が止ったりしませんように。