聞いでけさいん 新聞バッグのはなし その2

「聞いでけさいん 新聞バッグのはなし」の作文をなぜ役立てられないかと思ったのかというと、
近々東京のデパートで東北村の出店があるからです。
先日ミラノへ送る、昨年の大震災後の海山ネットの動きを撮った写真60数枚を見ました。

竹盆栽を海の手山の手一緒に作った写真。よっちゃん宅の竹林でこれまでやったことのない
竹挽きをする南三陸白石さんの真剣な顔。怪我をしないかと心配でたまらないけどあえて
我慢して手を出さないよっちゃん。
南三陸小野寺師匠から初めて菊栽培の指導を受けるよっちゃん、お父さん、私。
小野寺師匠をがっかりさせたくないので、ほんとに真剣に緊張しましたよ。
そして新聞バッグの講習会。たった1日で大(新聞紙5枚でまるでクイズ)、中、小を作るのですから
みんな必死でした。明日がないんだもの。写真撮って喜んでたのはよっちゃんのみ。

そんなことを写真を見ながら思い出していたら、そうだ、デパートでの出店は新聞バッグを売るだけ
ではなく、このプロセスをお客様に見て頂くのが本筋じゃないの、と思ったんですね。

で、そこから夫に見てもらおうか、と思い、「これは面白い」と言われて、その気になって次には
よっちゃん宅までシャーベット状の雪にハンドルを取られながら、原稿を見せに行きました。
正直、ここで自作の原稿を見せるなんてほんとに恥ずかしいんだけど、役立つなら役立てたい。
すると、よっちゃんが「これはいいですよ!役立ちます」と。

半信半疑。
でも今日は、それならばと事務所まで事務局のKJに見せに行きました。そしたらKJが途中から
読みながら泣いてました。KJはNPOの事務局でもあるので、海の手さんたちの交流にも気を遣い、
新聞バッグを広めることにも一生懸命だったから、いろいろ思い出したのだと思います。

で私は今原稿に手を加えて、書きたいことを書いてみようかなあと思ってます。

それはどういうことかというと
例えば市川に南三陸タカちゃん、サオちゃん、にも一緒に来てもらって出店販売に行った時のこと。
一日目、いつの時もそうなんだけど、タカちゃんは休む時間も惜しんでほんとに一生懸命に新聞
バッグを売ってくれました。
そしてその夜の食事会での一人一人の自己紹介を兼ねた挨拶の時、タカちゃんはわざわざ
椅子の上に立って大きな声で自己紹介をし、次に私たち海山ネットにどれほど世話になったかを
みんなに言いかけて、途中で泣いてしまいました。横でよっちゃんもよっちゃんの奥さんのみっちゃんも
泣いてました。
お世話になってるのはタカちゃんだけじゃないの。私たちもなってる。お互い様なんですけど、
津波で被害を受けた側の方は、お礼しか言わない。お互い様なんて言わない。

もともと日本人の国民性として、津波で何もかもなくなっちゃったのだから持ってる人から貰って
当然なんて感覚を持ち合わせていない。だから何にもなくなっちゃっているのに、家族まで亡くしても
ありがとう。感謝ですって言ってる。

私も福岡の友人たちにたくさん物やお金や心での支援をしてもらってます。気にしなくていいのよ、といくら
言われても、その支援を海山ネットのために利用しても、いつかどんな形で御恩返しをしたらいいんだろう
といつも心に思ってます。今は時間がなくてできないけれど、いつかいつかと心から離れない。

義捐金をいただくってとても有難いことなんです。でもあげたほうは有難うって言われるほうだから
いいけど、頂いた側は、感謝と有難うしか言えなくなってしまう。

私はそんなことを考えると悲しくなります。
だから悲しくならないようにそんなことを開けっ広げて書きたいなあ。

 

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