雨、雨、雨、あめ

雨が降り始めて4日目。

今日は日中、少し曇り空が明るくなる時間もあったけど、夜になってまた降ってます。

三菱東京UFJ銀行のビジネスサポート企業「みどり会」さんからの大量の新聞バッグ注文の締め切り日が

近づいてきて、足りない、ということもあるかもしれないので、私も他の仕事は全部やめて、この2、3日

は時間をみつけてはせっせせっせと新聞バッグ製作に励んでます。

久しぶりなので、肩が凝る。背中が痛い。なんてことも言ってられないので、最終発送日の16日までは

くだくだ言わず思わずがんばるべし!

 

それにしても全部で6000枚、というのは凄い数字です。年に何回か緑会で催すコンサートの招待客に

配られるそうですが、新聞バッグを折る側にとっては、この先も仕事があるって有難いことだなあ、と

と感謝しています。

今日も石巻で新聞バッグを折りたいという人がいう人が現われて、機織り工房で練習していった、という

連絡がきました。災害住宅が建つとか高台移転の話がまとまる、とかというニュースを聞くと、なんだか

復興が進んでいるかのように聞こえますが、その面は進んだかもしれない。でも仕事を得るとか生活が

元のレベルになるなどということになると、3年の経過くらいじゃどうにもならんことが、沿岸部に行って

みたら解ります。

 

新聞バッグを折りながらラジオの国会中継を聞くともなく聞いていると、ある議員が東北の被災地のことを

言っているのが耳に止まりました。

「東北はモノヅクリの先進地になるし、子供たちは大丈夫。あちこちの学校で入学式とか卒業式とかよばれ

ることが多いが、子供たちは復興は自分たちが荷う、と言っています」

 

そうなんだよなあ。大災害で破壊され尽くした自分たちの町と傷心の大人を見た子供たちは、自分たちが

復興の力になる。と宣言している場面はテレビや新聞でよく見聞きします。

 

片や修学旅行で長崎に行った横浜の中学生の幾人かは、被爆地の証言をする被爆者に「死に損ない」と

揶揄する。たぶん先生にも止められないし、叱られても彼らは反省しないだろうな、と都会でこどもを育てた

私は思います。豊かな生活が生んだ子供たちの心の歪み。

 

因みに私のおばも長崎の被爆者。閃光で傷められた目が年をとるほどに視力を失い、今はほとんど見えな

いらしいけれど、お友達に助けられて86歳の今も働いています。目は見えないけれど、なんだかやたら元気

で、私に言う口癖は「働きなさい。苦労は人を強くするんだからね」

聞いている私はエーーッてなもんですが、まあ、確かに苦労が人を強くする、というのは真理だろうとは思う。

働けなくなったら、被爆者の老人ホームに行く、と心を決めているようです。

 

雨と新聞バッグ作りで外に出ていないので、気持ちはのんびり、話は脱線という具合になりました。

明日は気合を入れなおして、石巻、南三陸へ新聞バッグの回収に行きます。石巻で迷子になるんだろう

なあ、ともう不安。