経済復興の始まりの始まり

           勾当台公園のイベントに行ってきました。

     私たち海の手山の手ネットのブースはほんの少量の品数ですが、南三陸の海の

     手さんたちが作った布の小物。小手、(海の仕事用。ツルツルしているけど、水濡

     れOK)保険証入れ、バッグ、ティッシュ入れ、レース編み、手ふきタオル、エプロン

     など。そしてSさんご夫婦、とノブちゃんが作った竹盆栽、旅館で避難者の皆さん

     に作ってもらっている新聞のバッグ。たくさん買っていただいてありがとうございま

     した。 また来ていただいたお客様のお話を聞くのが楽しみです。ここで品物を買

     っていただく以外にもいろいろなお話をすることで、みんなこの困難をどうやって

     乗り越えたらいいんだろう、考えているのがよくわかります。この困難があるから

     みんなで手を繋いでその輪を大きくして一緒にがんばるしかないんだ、という想い

     が実感されます。

     海の手山の手ネットワークの目標は、海の手と山の手が手を繋いで仕事を生み

     出すこと。今は海の手さんは仕事場と材料がないので、野山を仕事場にしていた

     だき、野山の材料を使って物を作り、小さな商いをして、得たお金で物を買って

     お金を支払い、また物を作ってと経済を回すこと。小規模だけど、それが経済

     復興の始まりの始まりだと信じて明日も商いに精を出します。

     みなさまのご来場をお待ちします。              山の手S記

     

     

     

     

     

仮設住宅、4人家族向き標準的間取り

           きのう、勾当台公園のイベントを14、15、16日と書きましたが、13、14、15日

     の間違いでした。

     よっちゃん農場のブースで置かせてもらう海の手山の手ネットワークの販売品は

     海の手さんが作った布小物、竹盆栽です。お天気もよいので、多数のお客様の

     ご来場をお待ちします。

     今日の話題は仮設住宅。

     南三陸の仮設住宅に12日の日曜日に入居された元南三陸新聞社の記者Oさん

     から仮設住宅の写真を見せていただきました。

     入り口に車椅子のスロープがついていることから、身体が不自由な方、高齢者

     向きの応急仮設住宅なんだろうけど、その標準的間取りが4畳半2間にキッチン

     がついた2DK。と書いてあるけれど、床に大きな冷蔵庫と洗濯機と炊飯器が並

     べられたDはダイニングの用は足さないだろうから2K、といったところでその印象

     は狭い!  小さい! それに較べて、テレビと電子レンジが大きい。こんな大き

     なテレビと電子レンジを4畳半の居室に置いたら、荷物を置く場所がなくなるで

     しょうに。収納は押入れ1個のみ。4人分の布団を入れたら上は満杯。下段に

     4人分の衣類や雑貨をいれるなんて到底無理でしょうから、この住まいは荷物

     の上に寝なきゃいけないように設計されてるみたいです。車椅子のスロープの

     わりにはお風呂の入り口に高さがあり、要介護のご両親のお世話をなさるには

     大変な苦労があるでしょう。Oさんは今まで鳴子温泉の避難所で一緒に生活な

     さっていたご両親を仙台のご親戚に預けられたそうです。

     予算と納期のみが重要視されて、住む人間の生活のことは忘れられたような

     設計。全国から寄せられた義捐金を基に備えられた家電は家電を揃えること

     のみ重要視されて、入れる家のことは忘れられたような発注。

     なんともバラバラでお粗末、いくら国で用意する、お盆までに入れるようにする

     と言っても、ここでOさんご夫妻とご両親が暮らせるわけがない。収納場所はなく、

     飲める水もなく、買い物も病院も車で30分も40分も離れた町まで行かねばな

     ならない。真面目に働いていたんですよ。税金払っていたんですよ。津波だった

     んですよ!

     私はOさんがお気の毒で、いてもたってもいられない気持ちになります。自分が

     両親の介護をしたからだと思います。仮設住宅1軒建てるのに3百万以上かか

     るのだと聞いたことがあります。ならばお盆すぎまで時間をかけても、一旦入っ

     てまた引っ越すなんて2度手間をかけたりしないように、せめて2年身体も心

     も病気にならないような仮設住宅を建てることはできないのでしょうか。

     標準的な間取りだという図面を見る度、信じられない、と毎回思います。

                                     山の手S記

     

     

     

     

     

苔盆栽作り

     6月14、15、16日に仙台の勾当台公園で行なわれるイベント用の竹盆栽

     つくりをしました。竹林の青竹を切り出し、節で切って器を作り、柿渋を塗る

     ところまでは南三陸のSさん、器に植物を植え込むのがSさんの奥さんとのぶ

     ちゃん。午後から始めたのですが、作業の速いこと速いこと。短時間でアッツ

     桜やヤツシロソウやツボサンゴを植え込んだ竹盆栽を70数個作ってくれました。

     前回東京での販売用に作って少量残った竹盆栽は、竹の色が渋味を増し、

     ツボサンゴもアッツ桜の葉も植え込んだ苔も青々としていい感じになっています。

      午後仙台のいってんものやさんと道の駅でお会いし、提供してくださるという

     布地をいただきました。手のひらサイズの犬の縫いぐるみを製作、販売なさって

     いるアーティストです。R温泉のOさんを中心に作っている布のバッグや小物を

     ご自分のネットショッピングに載せてもいいですよ、というお申し出をいただきま

     した。ありがとうございます。

      まったく話は違うのですが、今朝のこちらのローカル新聞に仮設住宅に家電

     6点セットが納入され、同時に入居者の引越しも本格化。これまでの不便な

     暮らしから一転、ようやく復旧の兆しが出てきた。と書かれていました。

     6点セットというのは全国から贈られた義捐金をもとに日本赤十字社が家電

     メーカーに発注していた冷蔵庫、洗濯機、テレビ、電子レンジ、炊飯器、電気

     ポットの6点。電気ポットは一回一回沸かす度に電気を食うから、朝一回沸かし

     てエアーポットに詰めておこうと内陸被災者の私たちが、節電のために言ってい

     るような時期になぜ電気ポットが必要なのか疑問です。

     それに家電6点セットが納入され、引越しが本格化したから復旧が始まったとい

     うのは誤解を生みますね。家電6点セットが入っているからといっても水が出ない

     電気もまだ、とう仮設住宅はいくらでもあるのですから。

     「復興が始まった」とか「復旧が本格化」とかの言葉を報道で耳にした東京や

     大阪、九州の友人たちは言います。

     「被災者の人たち、もうお金はもらってるんでしょう。私たちたくさん義捐金を

     出したのよ。生活だいぶ元に戻っているんでしょう?」

     行方不明の方たちがまだたくさんいらっしゃる。困難な避難生活を送っている

     方たちがまだたくさんいる。まだ捜索も続いている。

     そんな報道こそ遠くの友人達に届いてほしい、と思っているのですが・・・。

                                        山の手S記

     

     

ブラブラ大作戦第3弾と手芸品

     4、5日前、私のブログを見て、布地があります、とご連絡をくださったSさんから

     荷物が送られてきました。かなりの大きさなのに、こんな箱どこにあったのというよ

     な素敵な色、柄のダンボール箱にお洒落な柄が入った荷造りテープ。箱の外には

     見てすぐにわかるように、布、ハギレ、接着芯、糸、レース、手芸小物と 細い黒

     マジックで記してあります。そして蓋を開けると、たぶんこれまで集めてこられたで

     あろう四角や丸の愛らしい色柄のキャンディー缶のひとつひとつに、紐、スナップ

     鋏、キルト糸、仕付け糸、と記した紙を貼って中味が一目でわかるようにしてあ

     ります。そして洋裁、レース編み、キルト、そして刺し子まで、およそ手芸といえる

     範疇の全てができるようなプレゼント。見たとたん私は目の裏が熱くなり、思わず

     手を合わせたくなりました。

     海の手山の手ネットワークというお互い支援の活動を始めて、一番よかったなあ

     と思うのは、見知らぬ方からの贈り物の中にこんな温かい心を感じられることで

     す。関連ブログのよっちゃん農場ドタバタ日記に昨日、よっちゃんが書いていまし

     たが、どんなにしゃべっても伝えられない。その葛藤がいつもメンバーの心に

     あります。Sさん。ほんとに有難うございました。いつかこの災害が乗り越えられ

     た時、遠い遠い将来のことだと思いますが、Sさんのお心遣いは忘れられない

     思い出として私の胸に残ると思います。

     そして、もうひとつの話題は、よっちゃんの活躍により、ブラジャーたくさんいただ

     きました。贈っていただいた会社の社長様、ありがとうございました。

     一人一人にサイズを聞いては直接渡しています。下着は無くてもほしいと言い

     づらいので(大抵の場合支援物資担当は男性ですから)女性のみなさん、大変

     喜んでいます。

     昨夜から降っていた雨が止みました。今からブラジャー持って布持って避難所

     まで行ってきます。 

                               山の手S記

     

   

     

     

     

たくさんの布地をありがとうございました

         きのう、家族が線量計を買ってきました。家の外、庭、草むらの中、家の中、あち

     こち計測してみると、まあ、当然のことなんですが、数字が出ます。うちにはもうす

     ぐ3歳になる幼児がいる。家の中より草むらのほうが数値が高く、家の中でも窓近

     くだったり、外の影響を受ける場所のほうが数値が高くなる。そこをきれいに拭き

     掃除をすると見事に低くなる。花の生産をする私は、外で仕事をすたびに家の中

     に放射能を持ち込んでいるのかと思うとガックリしました。

     今朝のテレビで見たのは相馬のヘドロ。津波で相馬は大変な広さでヘドロに

     覆われてしまったそうです。この頃のように温度が上がって20℃以上になると、

     ヘドロに含まれている人食いバクテリアが急に増殖するのだと。このバクテリア

     は海の中にしかいないのだと。持病がある人の致死率が高いのだと。最も

     問題なのはヘドロはガレキと違って捨てる場所がないのだと。画面に出てきた

     行政の人が、片付けたくても全く見通しが立たない、と言ってました。相馬の方

     々は地震と津波と原発とヘドロの四重苦。子供やご老人がいるご家庭は放射

     能やヘドロの匂いや感染症でほんとにご心配ですね。

     別の話題。

     山の手Tのツイッターに応えてたくさんの方が布地や糸、毛糸など、送ってくだ

     さいました。針や編み針、レース糸まで送ってくださった方もいます。それぞれ

     に温かいメッセージをつけていただき、ありがとうございました。送っていただい

     た分はもう中山平温泉滞在のOさんに届けました。

     Oさんは不幸があって、2日ほど南三陸へ帰っておられましたが、中山平への

     帰り道、我が家に寄ってくださいました。私が被っていた日除け帽を見て

     「私この帽子を作って道の駅で売っていたのよ」

     防災頭巾のような形で、後ろ首筋のところがゴムシャーリングされてます。布地

     がガーゼというところがミソで大変涼しい。夏の花仕事は暑くて大変です。

     日除け帽子は必需品なのですが、毎年いくつ買っても「これがいい!」と気に入る

     ことがありませんでした。でもこれはいいんです。完全に日差しは遮ってそして

     涼しい。是非ともOさんに作っていただきたい。

     外仕事が多いので欲しいなあ、という方。南三陸の方が作った布の小物やエプ

     ロンやバッグを販売できる場を提供できる方、ご連絡ください。

     沿岸被災者の方は避難所で生活できる日も短くなってきているので、後の生活

     設計が大変です。仮設住宅はできつつあっても仕事場はまだないので、手で

     できるお仕事や販売へのご協力を是非お願い致します。

                           山の手S記 r-sogi@ic-net.or.jp

     

     

     

     

復興ってほんと大変だ!

         今日一日出かけて行ったり、人と話したり、ミーティングに出たりしているうちに

     だんだん気持ちが疲れて気が滅入ってきたので、そのまま書く。

     山の手Tの家の壊れ方の評価は半壊。半壊っていくら貰えるの?と訊いたら20

     数万円。ええーッ、20何万円なんて、家の土台のどこかを重機入れて動かして

     もらうだけでなくなってしまう金額。傾いた大木を切って運び出すだけでも1本

     何万円だもの。うちだって同じ。仕事場が傾いている。これをどうするか、見る

     だけでも頭が痛い。おまけに床下にパックリ開いた亀裂は埋めるんじゃなくて

     削ってもらわなきゃいけない。

     うちの周りの道路の損壊も県道だけど、一向に直らない。自分の町に行くのも

     反対側の隣町へ行くのも農道を大きく迂回しなければならない。3月11日か

     ら3ヶ月も経とうとしているのに、あっちもこっちも段差になったり、大きく口を開

     た道路がそのままなのは、毎日見ていて気が滅入る。

     5日に南三陸の仮設住宅に80歳を越えた要介護のお母様と90歳を越えた

     お父様と一緒に移られたOさんに電話した。「いかがですかー」とうかがったら、

     4畳半という部屋の狭さにショックを受けてます、とのこと。4畳半といったら私

     たちが若かった時、町中の一人暮らしで4畳半とか、押入れの上段がベッドとか

     普通のことだったけど、今の時代、4畳半を見ることは滅多にない。

     そのやっと当たった仮設住宅に、入れば支援が打ち切られるからと入らない

     人が多くいるので、理由なく入らない人は17日までに鍵を返すようにという南

     三陸の町の意向だけれど、生活の糧がないのに入れ、入れと言ってもなあ、

     とどうしても思ってしまう。

     もうすぐ6月26日。この間も書いたけど、その日を以って東北の高速道のETC

     土日料金1000円というのがなくなる。イコール道の駅に県外からのお客様

     が来なくなる。今だって震災前まではたくさん来ていた観光バスを見たことも

     ないのだから、これで高速が普通料金になったらどーするんだろう。

     家は壊れたまんま、毎日時間が足りないほど仕事をして、そしてどうしても経済

     の復興が必要だからと活動して、見えてくるのは、ええーッ、それってどうして?

     お金がないのね。ということばかりで、なんだかがっかりしたミーティングだった。

     最後に、1週間に2回、直売所で売れ残った野菜を無償提供している避難所の

     方からのお礼の手紙を一部を紹介します。

     「支援物資を大変ありがとうございました。この地の避難所に来てからもう2ケ月

     なろうとしています。被災地では亡くなった方の百ケ日も間近です。私も92歳の

     母とこちらに避難していますが、皆様からのご支援の数々届く度に涙が流れま

     す。家が恋しくなり、眠れぬ時もあります。帰るべき家はないのに・・・・。

     でも半歩でも前に進もうと望みは捨てません。がんばります」

    こうして避難所にいらっしゃる方が安心して仮設に入居できる日が早く来るように

    どこもかしこもお金不足で大変だろうけど、それでもそうなるように祈りたい。

                                  山の手S記

     

     

    

     

     

         

支援物資の玉手箱

     全国から出動し、たくさんの方々を救出した緊急消防援助隊の活動が6日をもっ

     て終了したという記事を読みました。つらく厳しい任務だったことでしょう。お疲れ

     さまでした。ありがとうございました。と申し上げたいです。

     震災から続いてきた被災者を助ける活動がひとつひとつ終了する度に、避難な

     さっている方たちは、自分達も早く、と焦る気持ちになられるかもしれません。

     今日は家に大きな荷物が3個も着きました。前に来た分も合わせると、狭い部屋

     に大きな箱が5個もあって倉庫のようです。

     今朝は山の手Tのツイッターを見て全国のあちこちから送ってくださった色とりど

     りの布を、菊の植栽の指導に来てくださったR温泉のO氏に預けました。奥様と

     旅館での仲間、南三陸のお友達が布で小物を作るのです。Oさんも喜ばれまし

     たが、きれいな布を見て喜ぶ女性群の顔が目に浮かぶようです。何にも作らな

     くても、女の人はきれいな布を見ると心が和らぎます。楽しくなります。

     箱に戻りますが、荷物は私の故郷福岡の友人達が声をかけ合っては送って

     くれる支援物資の玉手箱です。衣類、バッグ、靴、財布にスカーフ、雑貨、などが

     ぎっしり詰め込まれた箱がもう何箱届いたか数え切れません。

     感心するのは、彼女達の心遣いです。新品、USED、いろいろですが、見苦しい

     ものは全くありません。一枚一枚透明な袋に入れ、婦人物ズボンMサイズ、

     紳士物ズボンウエスト83㎝などこまめに書いた紙が入っています。私は箱を

     開ける度に、友人達の気遣いに感動します。一枚一枚、海の手山の手ネット

     ワークで知り合った避難者の方々の顔を思い浮かべながら、これはあの人に

     これはこの人にと仕分けます。終わったら電話をして自分で運んでゆきます。

     「これ似合うよ」などと押し付けながら、自分も支援ファッションを頂いたら、、

     これまで着なかったような明るい色の服を着たりして、若返るかなあ、と思った

     りします。                          山の手S記

         

     

キャンベル教授と一緒に読もう

     東京大学教授ロバート・キャンベル先生と一緒に本を読む、という場「ホッとスプリ

     ング読書倶楽部」に参加してきました。対象は鳴子温泉郷で避難生活を送ってお

     られる方々ですが、避難者ではない私も混ぜていただきました。隣町古川から来

     た方、旅の途中の鳴子の駅で「読もう」という案内を見て飛び入り参加の方、仮設

     住宅に当たってしまいました、と鳴子から1時間ほどの内陸部佐沼の仮設住宅

     に入られる方、原発から25キロ圏の南相馬から子供さんと一緒に避難されてい

     る方など、ふだんなら一緒に本を読むなんてあり得ないような参加者たちが、

     キャンベル先生が選ばれた短編小説を読み、先生のお話を聞きながら感じた

     ことを語り合うという読書倶楽部でした。日本にはあまりないけどアメリカでは

     このようなBOOKCLUBが発達しているそうです。

     予備知識もなく参加したのですが、先生がご自分で本を選ばれ、新幹線に乗っ

     て、1時間に1本しか走らない陸羽東線に乗って、鳴子まで来てくださっているこ

     とがお話しているうちにわかりました。一日に3回、中学生向けの読書倶楽部、

     次に避難者の方、一般の方との放談、その後に1時間半の大人向けの読書

     倶楽部ですから、先生にとってはかなりのハードスケジュールだと思います。

     今回取り上げられたのは幸田文の「台所の音」。きれいで清潔な装丁のポプラ

     社の百年文庫の1冊でした。頂けるというので驚きましたが、これはポプラ社よ

     りのご支援ということでした。

     そして先生の柔らかい語り口でのお話を聴きながら読む「台所の音」は昔若い

     時分に読んだ幸田文とは全く違う、言葉のひとつひとつ音のひとつひとつが

     身体の中まで沁みこむような小説でした。とても面白かった。次は川口松太郎

     の「深川の鈴」その次は高浜虚子の「斑鳩物語」。武者ぶるいが出そうです。

     お隣の席の若い女性は鳴子まで集めた2000冊の本を運んできた、ということ

     でした。ほんとうにいろいろな形でも支え方があるものだと、感心しました。

     今私は被災はしたけれど、人々の大きな善意の中で生きている、と実感させら

     れます。

     最後に先生に海の手山の手ネットワークの活動の中心に置いている言葉を

     お願いして翻訳していただきました。

     NO ECONOMIC RECOVERY IN MIYAGI AND TOHOKU, NO REBERTH

     FOR JAPAN.

           THE SEAーSIDE/HILL-SIDE NETWORK MAKES MOST OF BOTH

     SIDES WITH WISDOM AND INNOVATION.

           LET’S BLOOM A BIG FLOWER, A FLOWER OF HOPE!

     キャンベル先生、そして関係者の皆様、ありがとうございました。

                                 山の手S記

     

     

     

     

許可できません

        海の手山の手メンバーは4人。年齢層はいろいろ、男女で構成しています。みん

     な海の人、山の人がどうやったら経済復興できるかを一生懸命考えるので、イベ

     ント目白押しです。菊植え(4000本)、蓬茶つくり、竹盆栽つくり(竹の切り出しか

     ら苔採りまでやります)、残り布での小物つくり、全部山の手メンバーの元々の家

     業ではなく、南三陸からの避難者の手を借りて、共に作り出そうと始めたもので

     す。梅見の会から始まって短い間にあまりにもいろいろなことが起こったので、

     311の震災からずいぶん時間が経ったような気がします。

     企画を立てるたびに、家業以外のことでわからないことも多く、いろいろな

     方にいろいろな形でお世話になりました。おしなべて言えることは、どこに行って

     も被災者、非被災者の区別なく、支援をするよ、という前向きな心が感じられ、

     その都度感動しました。こんなことやってもらえないだろう、とダメ元でお願いし、

     叶えられた時は、嬉しいけどビックリの方が大きかった、ということもあります。

     でも今回とてもがっかりする出来事がありました。

     避難者の方の中には介護などで避難所から自由に出られない方もおられます。

     その方たちにエコバッグを作ってもらったらどうだろう、と山の手メンバーの一人

     が考えました。その旨避難所に伝えに行くと、みなさんに大変喜ばれました。

     手を動かしながらおしゃべりができるのです。旅館のお部屋だけの生活に

     少しだけ風が通れば気持ちが楽になるかもしれません。楽しい時間を持つこ

     とは何より必要です。

     もう一人の若いメンバーが考えました。ただ作ってもらうより、一枚いくらかで

     もお金を払ったほうが作る人に張りがでるんじゃないか。私たちの目標はどん

     なに小さくとも経済復興の第一歩を歩み出すこと。じゃあ私たちが買い取りま

     しょうかと。買い取ったらいくらでも使い道があります。竹盆栽を買ってくれた

     お客様に差し上げてもいいし。そうしたらそのエコバッグの材料をあげようと

     いう方もすぐに現れました。

     あと、やることはエコバッグを考案なさった方にその旨お伝えして、ご了解を

     得ることです。電話をしてみました。すると驚いたことに「許可できません!」

     「自分の教室で勉強した人しか許可できません。長年の経験上、そのバッグが

     どんなにいい加減なものか見ないでもわかります!」

     と言われては、何のお話をなさっているのでしょうか。

     驚きました。ご自分が長年苦労して研鑽されてきた技術が、何もかも失ってどん

     なふうに希望をもったらよいのかさえ解らなくなっている、それでも介護などで

     不自由に暮らされている被災者の方々に喜んでもらえ、希望の光になるの

     なら、こんな嬉しいことはない、と私なら苦労のしがいがあったと喜ぶところで

     すが、「許可できません」というのは理解の範疇を超えます。同年代として。

     参考にさせていただいたお教室の代わりの本は、雑誌社にお返ししようと思い

     ます。

     早春の寒空の中、自然災害に完膚なきまでに痛めつけられた東北の人々は

     老いも若きも男も女も助け合って日々を過ごしています。喜んでエコバッグを

     作ってくれていた避難所の方になんといおうかと今考えています。

     「許可できません」

     東北では聞けない遠い他所の国の言葉のように聞こえます。

                                       山の手S記

     

 

    

    

     

     

     

     

   

 

       

全く中途半端であほらしいばかみたいな人生

     Oさんのこと、もう少し話させてください。

     62歳のOさんは学校時代家が貧しかったって。あの時代、なかなか金持ちの人は

     いませんでした。でも南三陸の小さな町で一生終わるのはなんとしても嫌で外国

     へ行きたかったって。奨学金を受けて大学に入り、新聞配達をして苦学したって。

     3年生の時、アルバイトをしてお金を貯め、最初は船で、それからシベリア鉄道に

     乗って憧れのヨーロッパに向かったって。1ドル360円の時代だもの。外国へ行く

     なんてほんとに大変なことでした。3ヶ月のつもりが一年近くもいて、おうちの都合

     で帰りたくなくて帰りたくなくて仕方がない故郷に戻ったって。長男だから。

     それから旅行会社に入ってたくさん外国に行って外国語の先生にもなって新

     聞記者になられた。本を読むのがなにより好きで音楽も好きで、本は5千冊、CD

     は300枚集めていたって。ちょっとした図書館ができるほどの蔵書ですね。

     ご両親もご高齢になられて、家をバリアフリーにしてこれからという時に、本も

     CDもお仕事道具のパソコン2台もオーディオもそして家も全て津波に流された。

     一度お宅の写真を見せていただいたら、色とりどりのお花がお庭に植えこま

     れていた。お花がお好きなんですね。そしてお友達も3人亡くなられたって。

     「ほんとに何もかも中途半端であほらしいばかみたいな人生ですよ」

     静かな語り口にその無念さが胸に沁みて、そうでしょう、そうでしょう、と思わず

     肩をさすりたくなりました。お話を聞いているだけでOさんの人生そのものが愛

     おしい。一人一人のお話を聞けばこういうことばかりなんだと思います。

     がんばってとは言いにくいほど、気力が萎えそうになる時もあるでしょうけれど

     ふんばっていただきたいです。もう一度図書館をつくるために。

                                     山の手S記