よっちゃん、海へ

朝 7時前です。

東の空が朝焼けで赤く染まっています。

テレビの気象情報で女川の朝の海の様子が映りました。

静かに凪いだ海。よかったねえ、お天気で。

今日は海山代表よっちゃんが、南三陸インストラクターHさん一家に誘われて、晩秋にタネつけしたわかめの
まだ赤ちゃんマビキワカメを獲るために、一緒に船に乗ります。

秋の訪問時に「船に乗っていいよ」とだんなさんに言われた時に「俺、酔うんです!」と言っていたけど
どうなるんだろう。奥さんみっちゃんは強いので大丈夫です。

私も船だろうがなんだろうが全然酔わないんだけど、寒いよ!!
洒落にならないほど寒い!!
今、舟に乗って海に出る度胸はでません。

 

でもほんと、よかった。

一昨年の夏、HさんところのSちゃん、南三陸母さんTちゃん、みんな一緒に千葉の復興イベント催事
に行った時、1日目には元気だったSちゃんが2日目にはどんどん元気がなくなって全然ものを言わなくなった
ので心配しました。

Sちゃんはまだ20代。きっといろいろ悲しい思いを堪えていたんだと思います。帰りの車の中で
「わかめの仕事が好きだったんですよ。家族みんなでやる仕事が好きだ」と涙をこぼしたこと、
今も忘れられません。

あれから1年半あまり。
お父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんもお兄ちゃんたちもうんとうんとがんばったんだね。

わかめが獲れるようになったことも嬉しいし、よっちゃん夫婦を誘ってくれて船まで乗せてくれるのももっと
嬉しく光栄です。
船です。船だよ。簡単にはお仕事の船には載せてもらえない船だよ。

よっちゃん、酔わないでねー。迷惑かけないで無事帰還して、帰ってきても風邪ひかないでお土産もってきて
くださいねえ。

 

 

 

 

道の駅出荷組合会議

今日は今年最初の第1回目道の駅出荷組合の会議でした。

今日の会議で昨年度の収入の黒字とか赤字とかが明確にわかります。

残念ながら赤字。昨年よりも大幅に収入を落としました。

生産者が怠けたわけではないんです。みんな真面目に一生懸命に仕事をしました。                  会社も出荷組合を援けてくれました。それでも売り上げが下がってしまったのは、放射能のせいです。

出荷組合の年齢構成で最も多いのは60代、70代。田んぼで畑で働いて、間の時間を山に入って
山菜を採ったり、茸を栽培したりしてあげていた収入が、放射能被害によって奪われてしまいました。
収入だけではなくて楽しみも。

 

きっと山の中は採らない山菜やキノコでいっっぱいだと思います。うちでも採れなかった竹林の竹が
にょきにょき伸びて過密状態。本当は整理しなきゃならないのですが、果たして今年、来年採れるのか。
怪しいです。大丈夫といえる日が何時くるのか。

とんでもない被害です。ここは福島ではないので検査を受ける態勢が整っていません。自腹を切って
検査を受けてそして売れない。なんてバカバカしい状況がこの先も続くわけで、実に腹立たしいです。
補償の請求は勿論するとしても、お金を貰うより環境が元に戻ってほしい。

もう山採りの山菜は諦める他なくて栽培を学ぼうと出荷組合では研修会など開いていますが、山菜が畑で採れるようになるまでにはずいぶん長い時間がかかるそうです。それまでにみんなもっともっと歳をとっちゃいますよ。

 

でも今の事態は早急には変わりません。課題の多い出荷組合会議は3時間。
今年も検査をしながら安全な品物を出していく努力が続きます。
原発の稼働なんて聞きたくもないです。

お疲れ様でした。また新しい年のはじまり。みんなで力を合わせてがんばりましょう。

 

 

 

 

 

 

映画館

朝起きると雪。

ずーっと晴れていたので、わー、やだなあ、という感じ。小雪で降りしきると言う降り方だから
ある程度は積もると思います。

昨日から滋賀県のT社長からご注文いただいたお餅作りに集中してます。

全部終わって午後、諸々の事情があってうちの4歳を連れて古川の映画館へ。
私としては実に久しぶりの映画館なのですが、見るのは「仮面ライダーフオーゼ」

孫も初めての映画館でポップコーン、フライドポテト、ジュースまで取り揃えて入りました。

すごい!! 貸切だった!!
私の長い人生の中で映画館で4歳と二人っきり、というのは初めての体験です。
全部で3人だった、というのは過去あったなあ。

耳をつんざく大きな音、巨大な画面。最初は食い入るように画面に見入っていた4歳は
30分を過ぎた頃、「うるさいなあ。疲れたからバーチャン、帰ろう」

 

たぶんこの体験で孫はもう映画館には来たい、とは言わないと思うけど、でもなぜあんなに
音が大きいんだろうか。私もうるさかった。

しかし、田舎暮らしというのはほんと素晴らしいです。何をするのも混んでどうしようもない、という苦労が
全然ないもの。映画はちゃんと東京と同じように新しいのが来るけど、駐車場は空いてるし、タダだし、
映画館の中はきれいだけど並ぶ必要もないし、スタッフは親切だし。

 

夜は新聞バッグ作り。
取っ手巻き蒔き作業と糊貼り作業を家の者に特訓しながら、私も本格的に作ります。

大和総研のK様、新聞をお送りくださってありがとうございました。
とてもとても助かります。送っていただいた新聞で作った素敵なバレンタイン用ハート型バッグを
お送り致します。

 

 

 

冬場の野菜、そして新聞バッグ教室

うー!  寒いです。

毎朝、道の駅にお餅を出荷に行って嬉しいことは、誰かが持ってくる野菜と出会えること。

自分の仕事が終わると、今日は何の野菜が出ているかなあ、と店内を一回りします。1月の今は
葉物は少ないけれど、でも大根、サトイモ、長芋、レタス、トマトなど毎日新しい品が出てきます。

そういえば今日はトマト生産者のYさんのプチベールとアイスプラントが出てました。K子さんのカリフラワー
もあったなあ。ゴボウや大根生産をするNさんところは毎日きれいなキャベツを持ってきます。N子ちゃんは
小松菜、と大体今あるものはわかるんだけど、今日は来てなかった。チンゲンサイと水菜はあった。 続きを表示

秋田へ

前からちょっとだけ行ってみたいなあ、と思っていた鬼首道路から秋の宮温泉郷を抜けて秋田県の雄勝まで行く
というのをやってみました。

毎年11月初めになると、山形方面つまり日本海側に行く道路のいくつかは冬季閉鎖になります。

加美から銀山温泉を抜けて山形に至る道は雪深い峠が越えられないので閉鎖。
栗駒山の中腹を縫って秋田に至る道は5月連休前まで全く近づけなくなります。もの凄い雪だから。

私が毎日通う道の駅に至る国道47号線は、鳴子温泉の先の峠が低いので唯一最上を通って新庄、
酒田方面に抜けられる道です。もうひとつ鳴子温泉から鬼首温泉をぬけて秋田に至る道があります。
これは大変な山越えなので当然閉鎖だと思っていたら、トンネルなので行けるんだ、ということが判明
しました。

 

だったら行ってみたい。1月の秋田へ。でも雪の日は怖いので晴れた日に行きたい。                  と狙っていたら、昨日、今日は風は強いけど雪が降らなさそう。

よし、行ってみっぺ、と道の駅から直行。

鬼首を過ぎるとこんな感じ。この先どうなるとドキドキします。

やっぱりトンネルというのは雪道の苦労がなくすいすい進みました。

毎年本格的冬が来る前は、必ず来るというのが解かっているのに、寒くなる日が1日でも遅いほうがいいような
気がします。でもこうして冬になると、やっぱり冬はいいなあ、雪ってなんときれいなんだろう、と思います。
どこもかしこも真っ白で。

戸外温度がマイナス4度とか5度とかになると外にいるだけでも辛くなるのですが、でも首都圏にいた時のように
マイナスにはならない程度の寒さだと、どうしても外仕事もやらざるを得なくなる。
でも今はあっさり「冬は外の仕事はしない」と決めて、家の中で夏できなかったアレコレをやるのはとても
楽しい時間です。パソコンやったり本読んだりDVD見たり。家の中から雪見たり。

 

あっさりと秋の宮温泉に着いたので、あと17キロ足を延ばして雄勝の道の駅まで行きました。

秋田土産を買ってりんごをいっぱい買って戻ってきました。私は九州育ちです。真冬の秋田に来れた、という
だけでも嬉しい。

今度はまた狙い目の日に最上を抜けて新庄まで行ってみようと思います。楽しかったー!!

 

 

 

1年の計は?

1年の計は元旦にあり、と言いますが・・・。

さて、私及び海の手山の手の1年の計は?

日記というのが続いたことがありません。農家日記であろうが3年、5年日記であろうが必ず途中で
挫折します。同じく家計簿も育児日記も全然ダメ。

大震災の年、元旦から何日か書いてそのまま書かなくなっていた日記帳を見つけて開いてみたら
3月11日に「大地震が起きた。えらいことになった」と書いてあってびっくりしました。

それだけ書いて後は空白。ということは何も書けなかったのかもしれない。 続きを表示

50年のサイクル

晩秋のある日、畑で熊除けに大音響でかけたラジオの国会中継を聞きながらインゲンマメを採ってました。
収穫をするのは楽しい無心の時間です。ところがラジオの中継になんとも聞き捨てならない名前が何度も
登場します。

「〇〇〇」。                                                             会社の名前ですが、かつて私が働いた会社の名。夫が大学卒業以来仕事をしてきた会社でもあります。
その会社が突然に不当に社員を解雇している。そんな横暴を許していいのか。応えよ、野田総理、という質問でした。野田総理がウヤムヤと答えようがまた元に戻って「こんな解雇を放置するのか。野田総理」とオウムのように
同じ質問が繰り返されます。 続きを表示

地域を守る

正月の2日は毎年決まって集会所でこの集落の新年会があります。たぶん何処の集落も日にちは違うかも
しれないけれども同様の新年会をやるんだろうと思います。

 

会費は私たちが当地に来た12年前から1万円で今も変わらず。夫は雪降りしきる中、傘をさして1万円
持って歩いて集会所に向かいました。

 

私の住むこの地区の世帯数は12年前はこの別荘地の住民も入れて30世帯くらい。
そして今は24世帯。そのうち一人暮らしが3分の一。子供はいないので先行きの人口としては寒-い
状態です。

 

正直私はこんなふうになるとは思ってなかった。
この地域は駅にも高速道にも町にも30分以内で行けるし、雪も深くは降らない。学校も保育園も公民館も
郵便局も派出所も歩いて行ける距離にあるし、食品スーパーもホームセンターも車で15分も走れば
3つも4つもあって、車さえ乗れれば生活の不便はありません。病院は小さいのから救命救急医療センターが
ある基幹病院まで時間をかけずに行けるし、救急車は呼ぶと5、6分で到着します。

 

こんなに便利で山も川も美しく人情も優しい土地には滅多に出会えない。                        私のようなよそ者が別荘地であれ何世帯か住み着けば、人口は増えるのではないか、と考えてました。

 

でも全く甘かった。
高齢化のスピードのほうがうんと早く、子供の姿を見かけなくなり、普通に言う就職という意味での仕事場は
ないので、遠くない先には限界集落になるのでは、という思いが今は強いです。

 

古い小さい集会所は311の大地震で見事に壊れました。集会所だけではなくてその近所の家々も大規模に
壊れて修復不可能で解体したところもあります。

 

集会所の修復には1千万くらいの費用がかかる。でも行政からの補助は出ない。ということで何度かの
話し合いがもたれました。
「1年に1度の新年会くらいしか使わない集会所だったらお金出して直さなくてもいいんじゃない?。みんなあちこち壊れてお金ないんだから」
というのが私ともう1軒、別荘地に住むよそ者のビジネスライクな乱暴な意見。

 

でも集落の人たちは違ったんですねえ。
みんなでお金を出し合って、役に就いている方は応分かまたはそれ以上の負担を担って、昨年の秋に
新しい集会所が出来上がったのでした。これからはそこで新年会だけではなく、違ったこともやっていきたい
ということでした。

 

今日は新装なって第1回目の新年会です。
1軒1軒の敷地が広いために、隣家の人の顔を1年間見ないことも不思議ではない土地柄です。
あの人はどうした?この人は元気か?と近隣の人の情報を得る場でもあります。

お昼過ぎ、出されたお寿司を持って夫が帰ってきました。
県会議員のNさんもみえたそうです。きっとこの先の復興がどうなるのかお話しをされた筈です。

雪が止んで雨に変わりました。                                                  これからお茶でもいれて、集会所での話を根掘り葉掘り聞きます。
お正月はいいものです。のんびりとして。

 

 

 

 

 

 

 

一人一人のお正月

あけましておめでとうございます。

明けて2013年、復興2年の元旦は、風もなく雪もなく日差しの暖かい良いお天気の一日でした。

昨年は世界遺産になった中尊寺に夫と娘と3歳の孫を連れて出かけましたが、今年は雪模様の日
が多いので、北へ向かうのは止めて、もう少し人が少なくなってから松島の瑞巌寺へ行ってみようかと
思っています。

松島は大震災以来行っていません。松島は点在している美しい小島によって大きな被害は食い止められたので
きっと、町は賑やかになっていることでしょう。

今朝はお餅の仕事が終えたら(道の駅は年中無休です)、家に戻って年賀状書きをしました。
私の年賀状は印刷なしなので、毎年元旦を迎えてから一人一人のお正月を想像しながら書きます。

友人たちも年老いたり亡くなったりして年賀状の数も少なくなっていたのですが、今年はぐんと増えました。
大震災以後、2年近くの間にそれだけたくさんの方とお知り合いになったということで、嬉しく有難いです。

 

夜になって子供たちから年賀の電話。
長男のところの近況は、奥さんのご両親がだいぶお耳が遠くなられたとのこと。
6年間の介護の後、半日違いで二人とも亡くなってしまった父と母が、ほぼ全然と言えるほど耳が遠くて
父と母との会話も私との会話も成り立たなかった苦労を思い出します。

私の声はどんな時でもだんだん大きくなってゆき、外で人と話している時でも大声をだしている自分に
はッと気付いて慄然とすることがよくありました。1日中大声を出して夜はクタクタに疲れてました。          自然のことだけれども一緒に暮らす人間には大変なことです。がんばってほしい。

 

次いで次男からの電話。
職場でノロが出たとのこと。都会での暮らしは人との接触は必然なので、家に持ち込まないように。
4歳の女の子がいるので罹ったら大変。

 

夜になって家族みんなでお正月迎えの夕飯です。
久しぶりに30、31日の時間の隙間を縫って作った私流おせち。                              料理本に書いてあるような立派なものはなく、きんとんは畑で野ネズミからいっぱい食べられた残りで
作りました。今年は水仙の球根を植えてネズミを撃退するつもり。

豆は霜が降りるようになってあわてて採った皺皺の皮だったけど、煮ると大丈夫でした。蓮根はコンノさん、
大根はナオコさん、という具合で材料の向こうには作った人の顔があります。

南天はうちのだけど松と笹はよそんちの山から採ってきました。

昔はこうして作ったおせちを一人暮らしの子供らに送ったりしてましたけど、もうみんな自分の家族との
お正月を過ごすようになりました。

 

今年が平穏な年でありますように。

 

 

 

 

 

 

暮れてゆく復興元年

復興元年、ついに最終日になりました。

大震災から2度目の大晦日です。

いろいろなことがありました。東京へも何度も行ったし長野へも行った。南三陸へは何度も何度も行ったし、
石巻にも陸前高田にも多賀城にも仙台空港へも行きました。

ガレキの山は片付いてきて、町は少しづつ傷跡を修復しつつありますが、でもそれは見えているところだけ。
まだまだまだまだ、被災した方たちが生活を取り戻すまでには時間がかかります。

うちも2年近くも経ってやっと壊れたところを直してもらいました。直してくれる業者さんを探すのも大変
なら、やってもらった後、決して気持ちよくなかった。注文つけてさらに直してもらったけど、もっと気分
悪かった。2度と頼みたくない、と思ってます。

そんなところ、そんなこと、いくらでもあると思う。今の状態では。

今日の新聞に被災の現状が書いてあったので記しておきます。
仮設住宅などで避難生活を強いられている方たちは約32万5000人。
福島県の県外避難者が約58000人、

 

この1年、まさかこんな方と思うような方と何人も巡り会いました。頭も体も目いっぱいの日々だったけれど、
出会った方からたくさんの心の贈り物を頂きました。私のこのうえない大切な財産です。

みんな穏やかに年を越されていると思います。
去年一人ぼっちのお正月を過ごされた方も、今年1年でご近所ともお知り合いになって寂しくない
お正月を過ごされればいいのですが。

今年1年、みなさまほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。
来年も早々から怒涛のような日々がやってきそうです。

心を平らにして、乱暴にならないように、身体を壊さないように、過ごそうと思ってます。

来年もよろしくお願い申し上げます。