イスラエルのはなしを聞く

よっちゃん農場初、インターン生3名受け入れの流れで、我が家でもその中の生徒さん1名の宿泊を
受け入れることにしました。

黒田さん宅では2名。どちらも若いお嬢さんです。

我が家にみえたのは、見かけもバイタリティもバリバリ若いノアさん、56歳。

イスラエル在住の日本人の方です。

20年以上のイスラエルの大使館勤務を辞められて、2年間日本に一時帰国し、東京食糧学院で食品栄養学の勉強をされているお母さん。

ここでイスラエルの今の状況をこと細かに聞けるなんて思いもしませんでした。

昨日、今日の暑いこと!

東北といえど、今日の気温は30度以上。その暑さの中で、食品をルーツから知るために
畑に入って唐辛子の実を収穫したり、焼き方体験をしたりで奮闘中です。

明日は新聞バッグ講座のお手伝いも少ししてくださるそう。

明日は明大付属中野中学校、高等学校の生徒さんたちに新聞バッグ作りの講習をします。
がんばってきます。

 

 

 

 

 

 

 

大雨と動物

朝起きると音をたてて降る雨。

わあ、ついにここも豪雨? このままこの調子で降ったらどこかが落ちるわ、と不安になっていたら、10時頃には止んで晴れました。よかった!

久しぶりの晴れ。は嬉しいけど蒸し暑いこと、蒸し暑いこと。
でもどうにか中途半端になっていた庭の片付けを終わらせて、出たゴミを車いっぱい積んでクリーンセンターに運んで行ったりしたら、へとへとに疲れました。暑いのはこたえます!

どこもかしこも雨、大雨、豪雨、洪水で大変ですね。

大震災の後、大雨が降ると地震で亀裂が入った敷地のどこかが崩れるんじゃないかと恐ろしかったことを
思い出します。
一度だけですが、長雨の後で畑の一角が崩れ落ちたことがあります。気づいた近所の方から、出先に「崖
が崩れてます」とお電話を頂いたんだけど、田舎に住んだことがないので全然ピンと来なかった。

忘れそうになっているところを夜思い出して見に行ったら、道路に近い畑の一角が斜面に生えている木や潅木ごと崩れ落ち、落ちた大量の土砂は道路を埋め尽くしていて、びっくり仰天。重機に入ってもらって業者
にお願いしてなおしてもらいましたが、時間もお金もかかりました。

時間やお金がかかるのも嫌だけど、それよりどこが落ちるのか解らないのが怖い。
大量の雨や長雨は緊張します。もういい加減であっちこっちで降り続く大量の雨が止んでくれることを祈り
ます。

 

今朝、どんどんどんどん、と勝手口の扉を叩く音。朝早い時間にみえたのはうちの上の家の人。
「くまが出ました!」
ああ、遂に!。ここに来た頃には、熊情報は聞いてもこんなに近くで聞くことはなかったのに今年に夏は
たて続けです。ついこの間は向かいの家の男の人が怪我されて治ったばかりだし、そこらへんに居るのかなあとは思っていたけど、この別荘地もねえー。
「下までは降りてきませんよ」と言われたけど、間、家3軒、100メーターくらいしかないのに。来るでしょ。

昨日から雨で伸びまくった草や木を草刈機で払ってます。チェーンソー買って来て枝も切らなくちゃ。
熊は追い払えなくても、せめて姿が見えるようにしておかなくちゃ。
ブルーベリーは狐に、プラムは鳥に、2本の大木のヒメクルミはリスに。ぜーんぶ食べられて、人間の
口には入りませんでした。
そういえばこの間は夕方道路を車で走っていると左側の藪からでっかいカモシカが出てきて急ブレーキ。
とことこと道路を横切って右の藪に入って行きました。

あっちこっちで大雨も増えたけど、動物も確かに増えてると思う。
どんな理由でこんなことになってきてるんですかねえ。知りたい!

 

 

 

 

 

 

 

温泉街のお盆

茄子、ピーマン、じゃがいも、トマト、などなど、どっさりもらったので、今夜のおかずは茄子揚げだ、
サラダだ、と準備に入ったところで、「お中元だよー!」と由美さん來宅。

値段が高すぎてうちではまず口には入らない高級牛肉をどっさり頂きました。

「市場に行って来たの?」
一般にはない不穏な質問。
由美さんちでは肉牛の飼育をしています。だからお肉を頂く時には牛の市場に行ってきたのかなあ、と。
最初に頂いた時には、ちょっとショックだったけど、もう慣れました。当たり前だ、と思うようになりました。

牛肉を頂いたことに感謝して、即刻献立変更。
新聞バッグの検品に来てもらっていた黒田さんも一緒にお肉、野菜をいっぱい焼いて大焼肉パーティ開催。

翌13日はお盆の入り。

夏休みを利用して、東京の中学校の学年主任の先生とお嬢さん、JTBのI氏が来訪されることになり、   今日は、朝のお餅仕事が終わった後は、そのまま南三陸へ。

ちょっと行かない間に、盛り土だらけの志津川の道路事情は大きく変わってました。盛り土の上には、新しい立派な道路が開通し、盛り土と同じ高さから45号線までの急カーブの下り坂を矢印に導かれるままに下ると、行きたくもないところに出てしまった。

この新しい道路、どうなっているのか全然解らない。先生とIさんとのの待ち合わせ場所は、防災庁舎なのです。高い道路から防災庁舎は見えているのだけれど、封鎖されて近づけません。今日はお盆だし、是非ともお線香を上げて帰りたいのだけれど、どうやって行くんだろう。

急遽待ち合わせ場所を震災後初めに建って今もあるセブンイレブンに換え、先生、娘さん、JTBのIさんと合流して、歌津の仮設住宅へ。

お盆の忙しい時期で本当に申し訳ないのだけれど、(けい子さん宅は先日亡くなったおじいさんの初盆です)、無理を承知でお願いしたら、新聞バッグインストラクターのけいこさんもしんこさんも快く集会所まで出てきてくれました。

しんこさんには、先日作った新聞バッグの規格にあっていない分を返品します。時間をかけて作った新聞バッグ。返されるの不本意だと思う。でもしんこさんは全く嫌な顔をせず、「いいの、いいの、商品だからね」と受け取ってくれました。。私はこういう時、心から震災後にこの仮設住宅の海の仕事の方々と知り合いになれてよかったなあ、と思うのです。町場の人はこうはいきません。いろいろ出てくる。

新聞バッグのお仕事話が終わったあとは、先生とこの海のお仕事の方たちとのお話合い。
先生もIさんも宮城県沿岸部に来られるのは初めてだそう。
「どうですか?感想は」と伺うと、
「テレビなんかで見るのとは全然違う。衝撃を受けています。10年後がどうなっているのか、なんて想像も
つきません」

私も同感。何度も何度も南三陸に来ているけれど、3ヵ月後であれ1年後であれ、今の大工事の行く先の
姿は全然見えて来ない。仮設の人たちに聞いても「わからない」のだから、誰が解っているんだろう。
この間久しぶりに来たよっちゃんが、「なんかグッチャグッチャに噛ました感じですね。金だけは大掛かりに
かかっているという気がする」と言いましたが、なんか的を得た言葉に感じます。

けいこさんから先生にもIさんにもそれぞれにお土産のワカメを頂きました。                    帰りに、道を探して防災庁舎に寄ってから、一路今夜の宿泊場所、鳴子温泉へ。

日暮れ時の鳴子の温泉街には迎え火が焚かれていました。通りに面したお店の前では思い思いの形で 迎え火が焚かれ、仏さまのお帰りを待つかのよう。こんなにたくさんの迎え火を一時に見るのは初めてです。

先日行った玉子屋さんの前では店主の宮本氏が火の番をしてました。

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迎え火の通りを歩く浴衣姿のお客様

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先生に伺った大切なお話はこの次に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チョコとこけしと新聞バッグ

雨が降り続いています。まだ台風の影響下ではないので、風はない。

お盆の帰省時期、台風の通り道にある九州や四国では、ノロノロ台風のおかげでずいぶん不安、ご不自由な時間を過ごされていることでしょう。被害が少ないことを祈ります。

 

朝1で、道の駅より電話。 私たちの道の駅で店舗展開中の北海道のチョコレートメーカー「ロイズ」。    昨日から当地にみえられているロイズ社長にもしかするとご挨拶の時間を頂けるかもしれないということで、よっちゃんともども急ぎ道の駅へ。

先日、道の駅社員のロイズ本社訪問の際に、チョコから始まった海の手山の手ネット物語の顛末と
3年間続けてこられたお礼のお手紙を社員に託したところ、ご丁寧なお返事を頂きました。予想もしない
お返事を頂いたうえに、お返事を頂戴した翌日には社長ご本人にお目にかかれるなんてほんとうに
意外なことで、また嬉しいことでした。

大震災以降、ロイズチョコレートさんにはトラックいっぱいほどもたくさんのチョコレートを被災地の支援に
頂いたうえに、その後も何度かに渡って大きなご支援を頂いています。新聞バッグもいずれ使っていただけるお話もうかがったので楽しみです。

社長が興味をもたれた鳴子のこけしを道の駅社員がお土産にお送りするというので、私が代理で、鳴子
こけしの話を聞きに駅前老舗喫茶玉子屋さんへ。店主の宮本氏はこけしとビートルズ博士なのです。

こけしは木のお人形さん。伝統工芸品であるこけしにまつわる物語は昔からあるのでしょうが、こけし人形はお土産にもらうくらいで詳しいことは何も知りません。宮本氏に案内されたのは温泉街の奥まった場所にあるこけし工房桜井。
こけしを作る工房に隣り合ったお店にはたくさんのこけしが並んでいます。こけしをじーっと見つめる宮本氏
がこれ、と選び出してくれたのは、大きくも小さくもない一体。

系統は岩蔵型。総理大臣賞や全国こけし祭りで最高賞を受賞した同型のもので、よいものを選んで頂き
ました。お店に戻って、コーヒーと宮本氏特製のシュークリームを頂いて帰宅。

 

帰ると、名取にある老人健康施設なとりの作業療法士、大内さんが、今日開催している、入所者、通所者 参加の新聞バッグコンクールの写真を送ってくださってました。

なんと、参加者、34名。新聞バッグは作らないでも、作った新聞バッグに墨書される106歳の入所者が
おられます。先日は長方形の新聞バッグが焼酎入れになっていて墨で「焼酎」と大暑されていました。それをきっかけにお習字教室も開かれるようになったとか。
新聞バッグで飾られた窓辺の楽しいこと。何より、施設のお年寄りに、これだけ熱心に新聞バッグを作り方を
教えて、お年寄りの楽しい時間を作られる大内さん始めスタッフの方々の暖かいお気持ちにうたれます。

英字新聞もにぎわいにとお送りしましたが、役にたったかな。

めまぐるしい、そして、賑やかな1日でした。

 

 

 

 

 

 

新聞バッグ東京会議

東京に行って、「暑い、暑い、この暑さはなんなんだ。東北へ帰ろう」と帰ってきたら、翌日から暑いこと、
暑いこと。激暑で、猫のシロリンも年寄り犬チビもグターッとしています。

とにかく風が抜けるところなら、場所構わず。
勝手口の外でごろん。。邪魔だーー!

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さて、東京での話し。東北新聞バッグプロジェクト会議。

四万十ドラマご一行&海の手山の手&在ニュヨークで現在帰国中の新聞バッグインストラクターHさん、&いろいろとお手伝いくださったり、とにかく何かやっているから見てみようという企業さま等々にご参加頂いて、東北新聞バッグtoニュヨークの会議が行われました。

会議の場所は、四万十ドラマの畦地社長とパソナ本社森田氏のご縁で度々使わせていただいている新丸ビル14階のパソナ本社会議室。私たち海山だったら絶対にお願いするのも憚られる立派な会議室です。

待ち合わせは新丸ビルの外のカフェ。
新丸ビル外カフェは以前はなかったと思うけど・・・。今東京ではカフェが流行りらしいです。
カフェから見る東京駅丸の内出入り口はいい感じでした。

DSCF1961 さて、会議は。

いつ、ニューヨークのどこで、どんな形で東北新聞バッグiの展示をやるのか。費用はどうするのか、というような話し合いは何度も続けられているのですが、時間が経つうちに、ニューヨーク、高知、カリフォルニアなどなど内容は大きく変化し大きく膨らみ、変化のスピードも速くめまぐるしい。梅原真団長の話を一言も聞き漏らすまいと全神経を集中させる3時間でした。疲れた。

写真を撮るゆとりもなく、やっと撮ったら半分片付いていた。

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会議の後は、毎回楽しみの懇親会。八重洲のお店で2時間楽しんだ後は、森田さんのご好意で、首からぶら下げたカードがなければ出入りできない、新丸ビル内の通称森田ラウンジへ。

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ここでも会議の続きのような話が続きます。大震災後、新聞バッグを教えて頂くために四万十の方々と初めて出会ってから3年。何度も顔を合わせるうちに、なかなか噛み合わなかった居場所の違いも、感覚の違いも徐々に徐々に理解できるようになって、誤解を恐れずに本音でお話できるようになりました。

取り返しのつかない大災害で何もかも失って気づかされたのは新しい価値。一人では何もできない。   何より大事なのは人と人の繋がり。みんなで力を合わせれば、大きな仕事ができるということ。
楽しくてビールを飲んでワインを飲んでいい気持ちで酔っ払ったよっちゃんは、思わず梅原デザイナーに
今取り組んでいる納豆作りの話ついでに「パッケージデザインをお願いします」と言ってしまって、梅原さんから「いいよ」と快諾を得ました。

言ってしまったよっちゃんもびっくり。聞いた私たちもびっくり。
納豆作りは大変です。豆は高温栽培。気温が高くなってから種を蒔き、暑いさなかに倒れないように土を寄せ、雑草を抜き、実がつき始めたら、虫と動物との闘いです。ちょっと油断したら端からカラスや狸、カモシカから食べられちゃうからね。
収穫したら、畑で自然乾燥させ、莢から豆を取り出し、選別して初めて納豆になるという工程を踏みます。

でも、今年はよっちゃん、張り切らざるを得ない。

素晴らしい会議でした。次は9月。それまでたくさん考えて良いアイデアを持って次回の会議に臨みたい。飛行機が苦手でニューヨークになんか絶対に行かない、と思っていた私が、「睡眠薬飲んで眠って行こうかなあ」なんて時々思うようになりました。

「その気にさせる」会議というのは、やはり凄いもんだ、と感心してます。

 

 

 

 

 

 

紙の創作展

3日間東京に行ってきました。

暑かったー!! 特に駅から出た時の熱気。こりゃなんなんだ、というくらいに暑かった。
比べれば東北の暑さなんてかわいいもんです。朝夕は寒いくらいだもん。

濃密な3日間でした。1日目は東京新丸ビル14階にあるパソナ本社の会議室をお借りしての四万十+海山
会議。これはもう大がかりで簡単には書ききれないくらいの密度濃い会議だったので次回に。

翌土曜日は、静岡県、三島の佐野美術館で開催中の吉澤章氏の創作折り紙作品展へ。またもや山形で一緒に遊んだ年寄りともだちと忘れものを補い合っての二人旅です。

東京から三島まで1時間。夫の勤務が東京になってから、ほとんど乗ることがなくなっていた山陽新幹線に
ずいぶん久しぶりに乗りました。ウン十年ぶりかもしれない。東北新幹線より少々古びた感じだったけど、
まず後ろの男性が、次には横の男性が、そしてもう一人が、私のまわりの男性3人がタバコを吸い始めたのでビックリ。「こだま」はまだ禁煙はないの?それとも私が喫煙者に乗ったのか。

吉澤章氏は、一生を折り紙を折ることに捧げた折り紙の作者であり、折り紙をオリガミアートとして世界に広めた方です。
一昨年の春、東京自由が丘の産経カルチャーセンターで新聞バッグ作りの春講座を受け持った時に、教室にみえた桜井さんというオリガミを折られる方とお知り合いになり、今回のオリガミの創作展に誘っていただきました。桜井さんはもう亡くなられた吉沢先生の最後の生徒さんだったということです。

 

佐野美術館は緑と湧水のお庭の中にありました。

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このペンギンの親子みてください。母親のうつ向き具合、子ペンギンの母親を仰ぐ顔。ほんとにこれが紙か、と信じられないような魂のこもった動物たち。

先生は紙に向かう時に、1枚の紙に向かって深く頭を垂れて手を合わせ、祈られます。それを折り上げるまでに2、3度繰り返される。紙で折られた動物も生き物も、手先、指先、尻尾の先まで命が吹き込まれたような作品の数々でした。見せて頂いてよかった、と心から感銘を受けました。

 

お庭の食堂でお蕎麦を食べてから、三島の町を散策。とても暑いのですが、三島は富士山からの伏流水
がそこここを流れる湧水の町でした。

水べりに降りるとそこはひんやりとした散策路になっていてどこまでも続き、子供も大人も水辺で遊んだり
涼んだり。これほどの水に恵まれるなんて、なんと羨ましい環境!!

DSCF1976子供たちは水の中でキャアキャアワアワア、ドッジボールの最中。

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向こうの木々の中でも、キャアキャア子供の声とジャボジャボみずの音が聞こえていました。

三島は湧水の町でした。暑かったけれど、私も水の中に入って、足湯ならぬ足水を楽しんできました。

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事

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足まで写っちゃったけれども、今朝由美さんが持ってきた近所のおばあさんが作った竹かご。
おばあさんは87歳。先日熊に叩かれた方のところのおばあさんです。息子さんはとても気丈で、怪我のところの血も自分で洗って、下着も着替えて、自分で救急車呼んで病院に行かれたと。一と月もしないのにもう
普通に暮らしておられると由美さんに聞いて、東北の農家の方の気丈さにびっくり、感心します。

そういうところのおばあさんだから、これから先もまだまだ元気で「籠作ると思うよー」と由美さんが言ってました。

この籠は細いシノ竹で編まれています。その竹も丁度良い季節に自分でとって、小さい鉈で裂いて作ります。

これだけの仕事なのに、お値段はさほど高くない。

凄いなあと見とれました。由美さんは昨年もそうだったけど、この竹ざるを新聞バッグに入れて、

親しい方へのプレゼントにしています。

このおばあさんだけではなくて、他にも竹で編むもの入れを作る人がこの集落にはいるそうです。

でもみな年をとって、後が続かないことは間違いがない。

 

それで思い出すことがあるのですが・・。

つい先日、新聞バッグの講習で、3,40代の男性10人以上に新聞バッグを作ってもらいました。

新聞紙を半分に折って折り山をカットする時に、カッターを上から下に使う人がいて驚きました。上から下に切るのはいくらなんでも難しいと思う。普通は下から上にカッターを折り山に挟むようにして滑らせてカットします。

30cmの取っ手を20センチくらいに切ってしまった人も何人もいました。こちらが何回も言うことを聞いていないのかなあ。この方たちを非難しているのではなく、新聞バッグを教えていると、今の大人の特に男性のほうがその傾向が強いのだけれど、手で物を作るということをほぼやっていないのではないかと、思えます。

カッターやはさみで新聞紙を切ったり、糊で貼ったりという以前に、新聞紙をまっすぐに折る、ということが
なかなかできない人が多いのです。最初にまっすぐ折れなかったら、着物の着付けと一緒で作れば作るほどグジャグジャになる。

どうしてこういうことになっているのかなあ。と不安になります。

こんな竹かごやしめ縄やいろんなものを手で作る年寄りがいなくなったら、どうなるんだろう。

そんなことを考えさせられる、素晴らしい出来栄えの竹かごでした。

 

 

 

 

 

山形へ

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那須の続きで、年寄り二人、山形県の鶴岡を旅してきました。

目玉は加茂水族館(くらげの水族館)のクラゲ!DSCF1947

前日はくらげ水族館がある湯野浜温泉までの道も渋滞でぎっしり。1万人くらい来ましたよ、との情報も聞いたけれど、何事もなくクラゲ街道を走り、何事もなく駐車場に車を停め、普通に館内に入って目いっぱいクラゲを見てきました。いっぱいいたわ!

お客さんによってくる愛嬌のあるアザラシも、だらんと寝転んだアシカもいました。

 

山形県鶴岡市は、私たちにとっては藤澤周平の小説の舞台になった町。ぜひとも藤澤周平記念館へと意気込んでいたのですが、鶴岡の町は水曜日休日が多いとのことで、休館日でした。

開いているところは。

黒いマリア像で有名な、鶴岡カソリック教会天主堂。

かわいらしい幼稚園が併設されています。

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鶴岡駅前のお蕎麦家で名物麦きりを食べました。麦きりとは、つるつるした細いうどんでした。

庄内の豪商、旧風間家住宅、丙申堂。
丁寧な説明、60帖の台所、珍しい石を乗せた屋根。藤澤周平の小説「蝉しぐれ」の映画の撮影があった座敷。

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鶴岡の中心部、鶴岡市役所から車で20分ほどの湯田川温泉、湯どの庵で宿泊。

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この湯どの庵。外から見るといかにも昔からある旅館の佇まいですが、中は全然違う。大変モダンは作りになっています。食事も旅館で普通に見る品数いっぱいのお膳料理ではなく、超シンプルな素材を楽しむコース料理。年寄りにとっては、見ただけでお腹いっぱいになりそうなお椀やお皿の料理よりも、時間を置いてひとつひとつ出てくる魚やスープの食事は食べるのに楽でした。珍しくほぼ完食。ブルーベリーの冷たいお饅頭を食べたけど、あれは美味しかった。

東京からきた友人はこの旅館を大変気に入って、秋にも是非また来たいそうです。私たちの地元である鳴子温泉も、こんなふうに「是非また来たい」とお客様に言われる旅館にならなくちゃ。

いつまた二人で来れるかな、と記念写真と撮りました。
人生の残り少ない私たちにとっては、会える1回1回の時が大事です。

DSCF1950

翌日もよく晴れて学問所である致道館、そして藤澤周平記念館、大寶館へ。近い順序で歩いただけですが・・・。

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ついでにと、羽黒山へ。

山門の前の茶店で、二人で草もちを食べて休憩。

高齢者二人。油断してもしなくても交互に忘れ物をして補い合っての旅でしたが、子育てを終え、両親の
看取りも終えての旅は気軽でのんびりとして、とても楽しかった。また行きます。

最後の日、「うーーむ、凄い!」と感嘆しつつ見た今の伊豆沼。我が家の近くには、三つもこんな蓮の沼があります。蓮船の船頭さんが「世界一」だと言っていたけど、ほんとうかもしれない。花にはまだちょっと早い。

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私が運転していたとはいえ、疲れただろうと疲労を案じていた友人は、帰京した翌日にはプールに行って
クロールで200メートル泳いできたよ、と言うのですから、たいした高齢者です。

 

 

 

 

 

 

那須トラピスト

那須の修道院にいる友人の体の具合があまりよくない、と聞いて、東京の友だちと二人、修道院を訪ねることにしました。

トラピストを訪ねるときは、普段友人を訪ねるときのように、「こんにちわー」という具合にはゆきません。
前以ってお手紙で訪ねたい日を指定してお願いし、院長様の許可がおりてから始めて訪問できます。

一緒に行くともだちとの待ち合わせは、東北新幹線、新白河駅。友だちは東京から、私は古川から。
新白河からはタクシーで行きます。

県道から一歩トラピスト修道院や聖ヨゼフ修道院がある森の中の道に入ると、そこは町とは別世界のような
深い深い緑の道が続きます。とても静かで修道院を囲む樹木はよく手入れされ、ブッシュには山ユリが咲き乱れていました。

ここは厳律シトー会那須の聖母修道院といい、「祈り働け」をモットーに神に自己を捧げた修道尼たちが
沈黙を護りながらシンプルな生活を送っておられます。

昨年にも一度訪ねたので、友人と会うのは1年ぶりくらい。
どんなふうに具合がよくないのかと、とても心配でしたが、にこやかに現われた友人、グリーリ栄子さんは
少し細くなられたけれど、治療が終わって想像していたよりうんと元気でした。よかったーーあ、ほんとによかった。安心した。

一度軽い脳梗塞にもなりかけたけれど、すぐに周りの修道尼さんが気がついて病院に運ばれ、治療をして
今はなんともないとのこと。今の病気もそう。栄子さん、運の強い人です。

早寝、早起き、修道院の農園で採れた食材を食べて、1日に何度も行われるミサで祈って、トラピストの特産のお菓子であるガレットを作るお仕事をして、私たちよりもうんと健康的な生活を送っておられるのだもの。来年もまた会えるよね、と喜び合いました。

「金色の翼にのって」の著者、マルセル・グリーリ夫人の栄子さんをご存知の方が多いと思います。
栄子さんはお元気でした。そして修道院におられるけれども、とてもお綺麗でした。しっかりした力のある目も、しっかりしたお話の仕方も健在でした。

また来年も会えることを祈って、ウグイスが囀る深い森の修道院をあとにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラベンダー

長雨が止んでぐったりと頭をたれていた山ユリが息を吹き返しました。

今、どこもかしこも山ユリ満開。ちなみに山ユリは町花です。

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2年前にご縁ができて、美里町の退職者の先生方が作られたラベンダーを植え、育て、増やしてポプリを作る会、「ラベタン」に、ラベンダーの苗を分けて頂く約束をしました。苗は美里町の農業高校の生徒たちが、
親株から差し穂を採って作るそうです。

約束してから2年目の今年、いよいよ苗ができて、9月に頂けることになりました。その苗は道の駅出荷者に
分けて、みんなで育てて道の駅の庭や周辺をラベンダーで彩りたいと計画しています。

先日、ラベタンが派生して、べつ会社ができたということで、社長さんや関係者の方のお話をうかがいに
行ってきました。
その会社では私たちが育てたラベンダーの花や茎を利用して、製品化してくれるのだそうです。

何ができるのか。ポプリ? オイル?

「いや、違います。タオル」、と聞いてびっくり!

ラベンダーでタオルができるんですか?

タオルを作る会社の社長であり、今も現役職人で1日に数時間はタオルを織っているという、タオルが大好きな渡邊社長は、「草木染めではどんなものでも染められるんですよ」と。

道の駅や家周りを差し穂で増やしたラベンダーを植え、こぼれ種で増えたクリスマスローズなどを植え、四季ごとの花が咲くようにして、お客様に喜んでもらえたらいいね、というほどの計画に、ラベンダー色のラベンダーの香りがするタオルができるという新しい楽しみができました。

美里町のラベンダー栽培は、広大な敷地面積のコットンプロジェクトの綿栽培も同時進行なので、草取り、苗植えとパンパワーの確保も大変です。ラベンダー栽培も綿の栽培も東北の土地を利用して、東北の再生や仕事つくりのために進められようとしています。

そんな話の中で、宮城にラベンダーの島があると知りました。

島の名は忘れた。その島はラベンダー栽培をしていて、フェリーで行くそうです。今年の9月に苗を植えて
育てたら、来年の花の時期には是非みんなで行ってみようと、もうひとつ楽しみができました。

しかし、よく考えてみると、なぜみんなラベンダーが好きなんだろう。

格別花の形や色が素晴らしくきれい、と言う花でもないのに・・・。私も好きなんですが、不思議だね。