新聞バッグワークショップin仙台の日程

朝から強風。

今日はよっちゃん夫妻が仙台の西山小学校の社会学級で、新聞バッグワークショップをやる日です。

社会学級とは何ぞや? 新聞バッグを教えてほしい、とご連絡を頂いた時には、小学校の子供たちに

教えるのかと思ったのですが、大人の方々に向けてのワークショップだとのことで、今日の講習が終わった

らよっちゃん夫妻に訊いてみようと思います。

近頃仙台の方からの「新聞バッグを教えてほしい」というお問い合わせが多いです。

定期的にというのでは、折り手さんの養成のために黒田さんが毎月1度、古川で講習をしていますが、

仙台での講習は、要望がない限りはこれまでやってません。

 

が、お電話を頂くことが近頃とみに増えているので、仙台市内でどこか場所を探して、月1程度の新聞

バッグ講座を持つことを考え始めています。

 

3月14日から3月18日まで仙台で第3回国連防災世界会議が開催されます。

海の手山の手では3月15日 エルパーク仙台(5F)での手仕事マーケットに出店します。

時間は11時~17時まで。

その他、3月8日、3月11日 は東北電力グリーンプラザアクアホールでの手仕事ミュージアム。

ここでは午前、午後ワークショップを行います。

新聞バッグを作ってみたいな、と思われる方は是非この機会にお出かけください。

 

 

今日は嬉しいご連絡がふたつ。

ひとつは富良野から北海道新聞が届きました。一緒に乾いた白樺の皮、ガンビと黒板と五郎さんの

名前が記された軍手と軍足。「北の国から」の黒板五郎さんですが、この北海道新聞で新聞バッグ

をと考えているのですが、どんなのが出来るかこれから妄想します。

 

もうひとつは、あるNPOの方から静岡県での大きいイベントで、新聞バッグを取り扱ってみたい、との

問い合わせがありました。その話とは全然関係なく、現在ラベンダーを栽培する土地で活動中という

ことで、既に津波で流されて失くなったと思っていたある島(名前を忘れた)のラベンダー栽培が現在も

続けられていること知りました。よかった! その方とお話しなければ分からないことだった。

もう行けない、と思っていたその島に今年は、道の駅出荷組合のラベンダー栽培の仲間と研修バス

旅行に行く希望がわいてきました。

 

3月3日のひな祭りの日も昨日も雪だったけど、春はもう間近。

防雪柵を畳む工事が始まり、国道の赤白だんだら棒(積雪の量や路肩を示す棒)がいつの間にか

撤去されて見えなくなりました。

雪が溶けて茶色に変わった田で、まだ白鳥の団体が落穂を啄ばんでいます。すごくちっちゃい子供

の白鳥がいるんだけど、帰れるのかしら。来たんだから帰れるよね。うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

届かなかったSOS

「届かなかったSOS」という見出しが、多摩川河川敷で発見された上村君に関する記事で見られます。

「誰に?」と私は思う。誰にSOSを届けようとしてたんだろうか。

友だち?学校?親?その全部?

今、自分が危険な立場にあることを自覚した子供が、誰かに助けてよ、とSOSを出したい時、どこに

出せばいいんだろう。

大人の私が考え込んでしまう。

 

友だち?

友だちは、SOS出されればなんとかしてあげたいと思っても、後の自分に降りかかってくる災難を考えると

即誰かに伝えようとする子供はいないだろうし。

 

親?

親は親の生活。子供はスマホでLINEやFBやその他私が知らない方法で友だち付き合いをする生活。

いざ子供に何かが起こった場合、親は自分たちとは違う今の子供の言葉も思考も理解できないん

じゃない?自分たちを理解してない親に子供はSOSを発しないだろうし。

 

学校?

隠岐の島からの転校生の上村君に学校が安心できる居場所であったなら、上村君がこういうことに

ならなかったかもしれない。これはあくまで仮りの話。誰が悪いということではなく、小学校高学年や

中学校での転校には常にこういう危険がつきまとう、と私は思っています。

でもそれを感じるのは転校する子供、転校させる親のほうで、うちは大丈夫。またはじゃないかなあ?と

思っている学校はSOSに対してそうそう腰が軽いとは思えないし。

 

警察?

これはほんとに難しい。よほど確実な情報が具体的にある場合じゃなければ、警察は動かないでしょうし。

事件が起こった後で、実はあの時警察に相談に行ってたんだ、という話はいくらでもあるでしょう?

 

だったらSOSはどこに向かって出せばいいの?

出すとこないじゃん。上村君が誰かにSOSを発したところで受け止めた形になっていないのだから、出さ

なかったのと同じ。実に悔しい。

 

 

後から心痛めた大人の方が、「もっと思春期の子供の話を聞くべきだった」と仰るのを聞いたけど、私は

思うのです。今は大人と子供の言葉が通じなくなっている時代だと。

言葉がわからない。考えていることが解らないから、大人は子供を放置する。LINEだのなんだのこっちに

解らぬ言語や思考で2、3回も言い返されたら、親は大人は子供とどう話していったらいいのか解らなくなる

もの。そして子供たちとの接し方さえ見出せない大人を、子供は生きるうえでの先達とは見なさない。

 

とてもとても難しい時代です。私も3人の子の親なので、上村君のあの少年らしい写真を見るたびに

心底胸が痛みます。じゃなかったらこんなこと書かない。

 

昔私の子供が中学1年生の時、不良グループにお金を出せと脅されて出さず、捕まってボコボコに殴られ

たことがあります。その時は子供と話し合って警察に通報しました。その後は非常に恐ろしく解決するまで

緊迫の1ヶ月ほどでした。が、スマホなどない時代だったから、警察、学校、校長、担任、駐在所と、私は

顔をつき合わせて言葉でしゃべる日々が続いて疲れ果てました。私の髪は逆立ってたと思う。

 

まだ言葉が生きている時代だったのです。

 

大人と子供の距離がこれほど遠くなってしまった今、緊急に子供たちがSOSをどこに出せばいいか

だけでも考えてほしい。

親でもなく学校でもなく警察でもなく、なんでもいいからとにかくSOSに対応する専門のところ。

相談された友達の身にも危険が及ぶ心配がない、SOSを代理で通報してあげられる専門のところ。

自分の力が及ばないと知ったら親でも自分の子のSOSを通報することのできる専門のところ。

 

そんなところを作っていっぱい広報宣伝してほしい。予算じゃんじゃん使って誰でもわかるようにして

ほしい。そして大人はもっと子供との距離を縮める努力をしてほしい。

 

そんなことをテレビを見ながら考えている、雪の夕暮れ時です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テニス部同窓会

3月1日。天気が悪い。時々雪、外気温1度。 あんまり外に出たくない気象状況です。

で、家でブログをとパソコンの前に座り、この写真を見ると思わず笑いがこみあげます。

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50数年ぶりで会ったテニスの仲間です。

みな同じ年か1歳違い。同じ学校ではなく私とパートナーの京さんは中、高通じて仏教系女子学園の生徒。

男性三人組は電車で20分くらい離れたところの中、高キリスト教系男子高の生徒。

私と彼女は中学一年生で出会って一緒にテニスを始め、学校時代はいつも一緒。長じては就職、結婚

などで近づいたり離れたりしながらここまで歳を重ねてきましたが、男子高の彼らもやはりこの50年以上

3人で仲良く過ごしてきたのだと知って驚いたり、嬉しかったり。おなじだったんだねえ!

 

昔昔のこと、中学に入った私は自分がいかに運動神経が鈍いかを省みず、テニス部に入部しました。

その頃はまだ硬式テニス部がなく軟式テニス部。だったのですが、何時、どんな理由でか忘れてしまった

けれど硬式テニスに転向しました。時は皇太子殿下がご結婚前で軽井沢で美智子嬢とテニスを楽しまれて

いた頃のこと。

 

学校に硬式テニス部がないので、京さんと私は放課後電車に乗って福岡市の東にある東公園ローンテニス

クラブに毎日練習に通うことになりました。このローンテニスクラブには硬式テニスを楽しむ大人は社会人

から、私たちの学校の先輩、ほかの学校の生徒たちも練習に来てました。

彼らはその時の学年がほぼ同じで、放課後から日暮れまで同じ時間に練習し、同じ電車で行き来をし、

練習後にちゃんぽんや皿うどんを食べに行ったり、時にはみんなで外遊びに出かけたりして親しんだ仲間で

す。試合にも一緒に行きました。国体には彼らの学校の先生に引率されて行きました。

 

「国体にも一緒に行ったよねえ」

「中モズコートだった。すぐ負けた。」

私たちも1回戦はかろうじて勝ったような気がするけど、2回戦は確実に負けた。

「ものすごく夾竹桃の花が綺麗だったよねえ。強烈ピンクで」

花の話など受け手がないかと思ったら「きれいだった」うん、うん、と中の一人が頷くのにはびっくり。

あの頃多感な男子高校生だったんだよ。

 

その女子高校生と男子高校生が人生の紆余曲折を通り抜けて、今ここで50年余の時を経て顔を合わせて

みれば、それぞれの顔にはあの時のままの面影が残り、話せば話すほどあの時の彼らがそこにいます。

 

本当に楽しく、嬉しかった。

そして最もびっくりしたこと。男子生徒がドキドキワクワクしていたような事柄には、こちら女子陣は全く知ら

ず興味なく、全然違う視点で違うことを考えていたんだなあ、と今解りました。今だからこその爆笑に次ぐ

爆笑!それこそテレビドラマの「白線流し」のように、あの頃が私たちの青春であり大切な時間だったのだ

と、本当に懐かしく思えます。

 

お互い夫に先立たれて独身に戻った京さんと私は、折りに触れては連絡を取り合い、案じあっているけれ

ど、男性組3人の現在の姿も面白かった。

私以外はテニスの現役。テニス協会のお役目、病気を持ちながらのプレイ。ボランティアに近いコーチなど

テニスのやり方は銘々違いますが、でも私はみんながテニスの現役であるということがとても嬉し心強い。

 

中の一人は毎朝3時起きで池の周りを33周廻って歩く。どこへ行こうと3時に起きて13000曲のジャズが

入ったCDを聞きながら真っ暗な中を歩く、というのですが、変わってるね!

夾竹桃氏のテニスはネット際での仁王立ちでネットプレイで受けて立つ、というのですが変わってるね!

だいたい13000曲を聴けるってどうやったらできるんですか?

年6枚くらい息子が編集してくれたCDを来る日も来る日も聴いている私は羨ましい。

 

楽しい時間でした。企画してくれた京さんにも集まってくれた男性陣にも感謝。

福岡へ帰る楽しみが大きくなったよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叔母を追って。

私の叔母は93歳になります。おじもほぼ同じ年。認知症と診断されています。

この叔母、行動力があるというのか、思いっきりがいいというのか、11月に入居した川崎の介護付き有料

老人ホームがどうしても気に入らないらしく、12月から替わりたいといい始めてました。

あれから3ヶ月。お正月も終わり、納品すべき仕事を終わらせ、さて先週末時間をとって行こうと電話をする

と、なんと前夜故郷の福岡の老人ホームを目指して出立してました。

 

これで2度目。1度目は息子が選んでくれた三鷹の有料老人ホームから、出たい、出たい、と電話してきて

3ヶ月後におじと一緒に福岡を目指し、目出度く福岡の老人ホームに入居しました。子供にしてみれ

ば、なにせ福岡は東京から遠く、なるべくなら子供の近くにと、親戚に迷惑をかけないようにと配慮をし、元

の家に戻ってもらったのですが、この度ついに初志貫徹。

 

肩透かしをくわされた姪の私は、福岡まで様子を見に行ってきます。

終焉の場所を決めるというエネルギーはこれほどのものであったのか、と我が叔母ながら驚くというか

、私にはできん、というかなんとも感想が出ないのですが、きっと叔母は終始ご機嫌で福岡での生活

を楽しんでいるのかな。

 

私は90歳を過ぎて、それほどの決断ができるかと問われれば、自信がないです。

とにかくいざ、福岡へ。夜の便に乗ります。

 

 

 

 

新聞バッグを作る

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今日の道の駅周りの白鳥の声は凄かった。コウ、コウ、カア、コウ々々・・・・・。

白鳥ってあんなに大きな声で鳴き交わしながら飛ぶ鳥だとは知らなかったけれど、今日の白鳥の飛び立つ

数の多さから、さてはいよいよ本格的北帰行かと、カメラを持って追いかけたら、田んぼにおりてご飯を食べ

るのでした。なーんだ。田んぼの際から離れられない私のような暇な生産者はいないと思うけど、離れ

られないのです。鳥とか動物とか私は1日見てても飽きないのかもしれない。

 

後ろ髪を引かれつつ、本日ほっかぶり市開催中の国道沿いの酒饅頭とお蕎麦屋の老舗、花山太衛門さん

へ。 毎月第3土曜日に開かれる売り手買い手が全員手ぬぐいを被るほっかぶり市で、私は天然酵母で

パンを作る青い虹の、J子さんに会うのが楽しみなのです。フランスパン、人参パン、ライ麦パンなど買

うのも合わせて楽しみ。たくさん買って冷凍しておきます。

 

先日バッハホールの演奏会でタキシード姿でチェロの演奏をした早川さんは、今日は早川さん曰くの

本当の姿で手ぬぐいほっかぶっての演奏。どっちもホンモノだ!

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そしてこの日、この時間を利用して、会いたい人、会わなければならない人と、お昼のお蕎麦を食べながら

歓談、雑談。今日はこれから有機農業を目指す古川のM江さんとそのお母様。もう構想はしっかり固まって

いて第一歩が始まっています。有機農業とはなんぞや。私も本当には知らないので一緒に学ばせてもらい

ます。

古川での新聞バッグ講習を終えて、黒田さんと講習に参加した石巻の折り手さん、Kさんも合流しました。

 

Kさんのご主人は今は退職されたけど、元は漁師さん。獲った魚を利用して、長年農薬を使わない有機農

業で野菜を栽培されてきたけれど、その畠が津波で流失。津波が去った後に残ったのは厚く堆積したヘド

ロ。 ところが新しくそこで作った畠では、これまでに増して立派な野菜が育つようになった。

ヘドロが肥料の役目を果たしたのだろうか。そしてご主人は酵母菌を自分で作ってパンを焼いている。

というお話をKさんはしてくれました。

 

当のKさんはご主人手作りの工房に2台の大きな機織り機械を置き、糸をを紡ぎ、染め、機を織り、織った布

を服に仕立て、バッグを作り(自分で紡いで織ったのよ、という娘さん二人のウエディングドレス姿の写真を

見せてもらったけれど、人間離れしたこのこの根気には脱帽。長く裾引くウエディングドレスの布ですよ!

ほんと、びっくりした)、そして夜の空いた時間には新聞バッグを作るという、モノ作り三昧の生活をなさって

ます。これほどなんでもかでも自分で作っちゃうご夫婦は少ないと思うけど、近いいうち、パンができる頃に

有機の畠を見に行こうと思います。

 

そして今日の最後の仕事は、お隣りの加美町へ。

加美町在住のIさんが作ってくれた新聞バッグの取っ手部分の規格が何の手違いか合ってなくて、100にも

及ぶ新聞バッグを返却しなければならなくなりました。特注品なので、受け取るわけにはいかないけれど、

返却します、というのは何よりつらい。 時々こういうことが起こります。

説明してお詫びしたら、たくさん時間を使って一生懸命に折られただろうIさんは、内心の衝撃を抑えて

嫌な雰囲気を全く見せずに気持ちを納めてくれました。そして、近々行われるイベントで「使っていいです

か?」と。

こういう展開は何より嬉しい。詳しいプログラムを見せてもらったそのイベントはいかにも楽しそうで、私も

見せてもらうことにしました。

 

このひと月気がかりだった返却をやっと終えました。せっかく作ったのに、ダメだと言われたらそりゃあ

ガッカリするよねえ。でも止めよう、なんて思わないでほしい。

ほっとして安堵の目で見る加美町宮崎の田園風景の美しいこと!夕暮れ時のうす雲の中にぽっかりと

富士山型の小さい独立峰、薬来山が浮かんでいます。

たかだか新聞紙で作る新聞バッグ。でも教えるほうの黒田さんもあやさんも、作り方を習って新聞

バッグを折る人も、新聞紙の選び方、折り方、ノリの付けかた、ひとつひとつに時間をかけて真剣

なのです。根底にあるのは、新聞バッグといえどお金を頂く商品だもの。完成度を上げなくちゃ、と

いうモノ作りの姿勢であり基本です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休みの唄

娘が頭が痛いというので、今日はバーチャンこと私が幼稚園孫の送り迎え担当。

もしかして休めるかもと期待していた孫は、バーチャンが連れて行くと聞いてがっかり。

残念でした!

幼稚園に行きたくないわけじゃない。でも休んで好きなことして遊ぶのもまた魅力的、というわけなんでしょう。

1時にお迎えなのだけれど、今日は私は午後から道の駅の出荷組合総会でどうしても外せない。

という訳で先生に少し早めに終わらせて頂くようにお願いしました。

 

道の駅に行って、戻って洗い物をして、さてお迎え時間。いざ幼稚園に。

朝雪模様だった空は明るくなり、幼稚園の園庭や向かいの小学校の校庭に薄日が当たっています。

と、たぶん高い場所に取り付けられた小学校のスピーカーから大音量で、小田和正が・・・・。

小田和正だよね。たしかあの声は、あの曲は。

1時過ぎしか来たことのないお迎え。昼休みの最中というのは来る機会がなかったんだけど、そういえば

と、思い出しました。

二年前、不案内なこの土地で、孫をどこの幼稚園に行かせようかと迷っている時に、時間的には最も近い

けど、地理的には越境というこの幼稚園に出会いました。初めて来た日、辺りに響き渡っていたのは、

復興ソングの「花は咲く」でした。

 

都会では見たことがない広い広い敷地の中にある木造オープン教室の市営幼稚園。お隣は小学校、道路

を挟んで保育園、子育てセンター、養護老人ホーム、角を曲がって道路を挟んで商業高校のグラウンド。

一迫川の橋を渡ってグラウンドに沿った道を走れば、栗駒山に着きます。

「きれいなところだねー」と娘と二人感動しきりのところに、大音量で降りそそぎ空に吸い上げられる

「花は咲く」に背中を押されて孫の入園が決定したようなものでした。

お会いした先生に「素敵な音楽聞こえてますね。小田和正ですね」とうかがうと、主任の先生がお好きで

いつもいい音楽がかかってますよ」と笑顔。

 

帰って「小田和正かかっていたよ」と娘に言ったら、「あら?この間まで松山千春がロウロウと歌っていたよ。

いい歌だよ。有名な歌」

そして最後に言い放ちました。

「自由っていいねえー!、あれしちゃいけない、これしちゃいけない、なんて全然ないからねー」

 

目いっぱい遊んで観察して歌って踊って楽しかった幼稚園での日々もあと19日行ったら終わります。

いじめも仲間はずれもなく、みんな仲良し。ものすごく元気。

自由だったからかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バッハホール&地震

今朝8時頃地震がありました。

ちょっとした地震の時は「ん? 地震?」

震度3くらいまではそう。様子をうかがって格別は動きません。でも今朝の地震はめまいがするように

家全体がゆらゆらゆらと揺れて、「ん?これは大きいかも」と警戒したところで、止まってよかった。

気象庁によれば、この地震も東関東大震災の余震とか。

どこまでいっても何か安心できない、というのか、あんな天地がひっくり返るみたいなのは来ないにしても、

夜100パーセント安心して眠るみたいなのは、まだやっぱりできません。

夜中に突然「避難!」なんて言われたら困るので、いかにも寝巻きみたいなのは大震災以来着ないです。

自然災害はやっぱり後ひくんだわ。

と、午後になってまた地震。いやな揺れ方です。青森震度5強とか。被害の少ないことを・・・。

 

 

 

以前キズナプロジェクトや首都圏の学校の東北旅行などでお世話になった(外国からのお客様や中、高の

生徒たちの新聞バッグ体験講座です)早川さんが、隣り町中新田町にあるバッハホールの管弦楽団に入団

され、その演奏会があるというので聴きに行きました。早川さんが演奏する楽器はチェロ。

早川さんは毎月1回よっちゃんたちグループが開催するほっかぶり市で、チェロを弾いています。でも人で

ガヤガヤしていたり、外の吹きっさらしで音が風で流れたりするので、ちゃんと聴いたことはないのです。

 

演奏会が開催されるのは隣り町中新田町が誇るバッハホール。

バッハホールは1981年に開館した音楽ホールです。「田んぼの中のコンサートホール」として全国的

に有名です。話には聞いていたのですが、行くのは初めて。

先月には東京赤坂のサントリーホールで演奏を聴いてそのホールの作りにびっくりしたのですが、バッハ

ホールも立派でした。正面に臨むパイプオルガンが凄い。

今日の早川さんは手ぬぐいほっ被ってなくて、黒いタキシードに蝶ネクタイ。初めて見る正装。

「ラデッキー行進曲」「フルート協奏曲」「美しく青きドナウ」、そしてミュージックフェスタ合唱団と一緒の演奏。

どの曲も素晴らしく、大変楽しませていただきました。

 

それにしてもこういう小さな田舎の町に音楽ホールがあるというのは素晴らしいことですね。

バッハホールにはバッハホール音楽院があり、そこでは年齢を問わずバイオリンやパイプオルガンを

教わることができる、ということで管弦楽団構成メンバーには中高生の制服姿も見えました。

 

今日の催しは管弦楽団だけの演奏会ということだけではなく、「みやぎミュージックフェスタin加美町」

地域文化の継承として、町の小学校のブラスバンド部や金管バンド部のマーチング、中新田縄文太鼓

伝承会の和太鼓の演奏、県芸術協会と地元音楽家との饗宴など盛りだくさんのプログラム。

大変に楽しませていただきました。ありがとう、早川さん。

 

演奏会から帰って夜は温泉へ。日中雪も降らずなんとなく暖かいような気がしていたのだけれど、

夜になって強風、地吹雪。温泉を出て白い地吹雪の中を「見えない、見えない」とハンドルにしがみつき

ながらの帰宅となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

あした、ぼくは、にんげんになる

2月14日。

世の中はバレンタインデー。この1週間、毎日道の駅に行って直売所の隣にあるロイズチョコレート売り場

の賑わいを見ていると、こーんなに人々はチョコレートを買うのかと、驚くような、不思議なような。

老若男女、年齢問わず、若い人は当然のこと、年配の女性だっておじさんだって、束にしてどっさり買って

いる人がいくらもいます。義理チョコだとか義務チョコだとか友チョコだとかいろいろあるらしいけど、自分の

ために買う人が近頃は多いんだって聞きました。そうなの?

あまりにも強烈に売れるのを見て、私は乗せられるのは止めよう、とチョコレートは買わぬ気だったんだけ

ど昨日くらいから、家族の中でなにやら間が悪くなってきて、ついに購入。

 

写真のオトーサンにも孫にも、そしていつもお世話になっている鳴子温泉の玉子屋さんのオーナーご夫妻

にも。チョコレートとちっちゃいちっちゃいプレゼント。

 

玉子屋さんであやさんの仕事が終わるのを待って、午後から仕事を終えた黒田さんと道の駅のレストラン

で合流。道の駅の目玉メニュー、食べ放題のバイキング昼食を食べながら、卒業証書を入れる新聞バッグ

の形やサイズを検討します。この二人を見て凄いなあ、と思うのはタブロイドであれ通常サイズであれ、

新聞紙を手にすると、どこをどう折れば希望の紙面を希望の場所に出し、希望のサイズに作り上げられる

かが、すぐに解るらしいこと。あやさんは震災後から4年間、黒田さんはもっと長く、新聞紙を折るということ

を大切にして折ってきたという証です。

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ともあれデザインは決まりました。あとは卒業式までに、卒業する中学生を想いながら新聞バッグを

折るのみ。「おめでとうーl!」というタグをつけることにしました。これからまたそのデザインに頭を

悩ませます。でも楽しい作業です。

あやさんが作ってきたこの新聞バッグの広告は秀逸でした。玉子が1個立っていて、「あした、ぼくは

にんげんになる」って。なんか、なんだろう、っていろんなこと想像させられません?

新聞は楽しい、そして言葉も楽しいです。

3月半ばから世界防災会議in仙台。その時に販売する新聞バッグは心に響く紙面や広告を探して

日本の新聞で作ろうと思います。

ついでに

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熊本育ちで、毎日寒くてストーブに張り付いて「非生産的な生活をしている」と反省しきりの黒田さんが

編んだこのセーターの出来栄え。素晴らしいーっ!

私も手編みでこどものセーターを編んだりしてたけど、こんなのは不可能です。

私のも編んでくれるって。凄くうれしい。

 

昨日も一昨日も雪。やっと日中止んだけど、また夜になって降り続いています。春よ、来い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サクラ咲く!! 合格、卒業おめでとう!

大震災からもうすぐ4年。

あッという間のような気もするけれど、被災後の二年間くらいの大変だったこと。ほんとうに通常なら10年

くらいかかって起こるような数々のこれまで出会ったこともないような出来事が次々に現われては過ぎ、現

われては消える超スピードの走馬灯のような日々だったように思います。

南相馬から鳴子温泉に避難してきたあやさん親子にも4年の歳月は流れ、小学生だったakariちゃんは

今年高校入学の年。

希望の高校に受かりましたよ!! 良かったーーァ!

あやさんが働いている鳴子温泉の喫茶玉子屋さんのご主人夫妻も黒田さんも私も、周りにいる者たちは

息を詰めるようにして、見守りました。合格だよ!!ほんとよかった。

そして新潟の高校で学んだakariちゃんのお兄ちゃんも東京の大学に入ります。 おめでとう。

 

今日、鳴子温泉の喫茶玉子屋さんで、雑談中の私たちの前に春休み中のあやさんの次男君とお友達君が

現われました。二人とも実にみるからに爽やか高校生。お友達君が行くのは北海道の大学だそう。

これから作る海老名市立海西中学校の卒業証書を入れる新聞バッグのサイズやデザインを検討中のあや

さんと私の会話に興味が湧いたらしく、「僕たちも作っていいですか?」と。

折り手さんには誰がなってくれてもけっこうです。丁寧に気持ちをこめて折ってくれる人なら。でも簡単じゃ

ないよ。

 

半信半疑で二人の様子を見つめていたあやさん。「わかった、教える」と奥さんが用意してくれた新聞を

手に立ち上がりました。海山の中でトップクラスの腕前を持つインストラクターのあや母さんのもとで

今日はきっと特訓に特訓を重ねていると思います。もともと検品まで自分でやれるようにならなきゃダメ、

だという考えのあやさんが一緒なら、きっと完成度の高い新聞バッグを折ってくれるに違いありません。

akariちゃんもインストラクターです。なにやらとても楽しみだ。

 

帰り際ニュー大学生二人が残した言葉に私は「うーーーむ」と未だ返事ができてません。

「新聞バッグにマジックでおめでとうーって書いていいですか?」

わかる。その気持ちよくわかる。私も書きたい。みなさん、卒業おめでとう! って。これからがん

ばってね、って。大学に合格した二人が心をこめて卒業証書が入る新聞バッグを折れば、卒業する中学生

に「おめでとう、がんばれよ!」って書きたくなっちゃうよね。

 

なので、考えます。これからその思いが伝わる方法をマジックで書かなくていいように。

2月12日。今日はいい日だね! ほんとによかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業式の新聞バッグ

卒業式、入学式のシーズンです。

4年前、南相馬から避難してきた時には小学生だったakariちゃんは高校生に。うちの孫も小学一年生に

なります。

昨年修学旅行で大崎に来てくれた海老名市立海西中学校の生徒たちも3月半ばに卒業式。

200名の中学生たちと共に新聞バッグを作ったあの日、あの時間のことは、今も忘れません。

200名のド迫力。予測をしてシュミレーションしながら何度も時間をとって工夫を凝らしたのですが、現場に

立ってみれば生徒たちの耳には何ほども届いていない。聞いてない。見てない。笑ってる。みんな真面目に

取り組んでいるとは思うのですが、出来てない子ばかり目に止まって気が焦ります。

どうしても完成させて持って帰ってほしい。その一心。

気がついてみれば自分が担当した生徒たちばかり見ていて、他の子が何を作ったのか、どんなふうに作っ

ていたのか、楽しそうだったのか、つまらなさそうだったのか、全然見ていませんでした。

 

完成した新聞バッグを持って生徒たちが旅立った後に私たちの胸に残ったのは、ただ、ただ感動。

「大変だったけどやってよかった!」

その時にお約束したことがあります。

新聞バッグ作りに取り組む生徒たちを地元新聞社である大崎タイムズの記者さんが、写真に撮ってくれまし

た。

その新聞で卒業証書を入れる新聞バッグを作ります。

卒業おめでとう。これから先大人に向かう新しい学校生活が始まります。楽しいこと、苦しいこと、いろいろ

あるだろうけど、くじけずがんばって!

そんな思いをこめて、200人、一人一人の門出を祝いながら新聞バッグを作ります。

 

結婚式の次はまた嬉しいお仕事。がんばります。

 

そうだ、うちの孫もうちの近くの小学校に体験入学しました。

新一年生は9人。男の子3人、女の子6人。最初女の子8人、男の子うちの孫1人と聞いた時には、入学を

躊躇しましたが、3人に増えてました。全校生40数名。小さな小さな学校です。

校長先生のお話。

教室の窓から田に降りた白鳥やガンが見られる美しい自然に恵まれた学校です。先生たちの目がよく行き

届いて怖いことは何もありません。生徒たちはみなとても優しく仲良しです。1年生が入ってくると大きい

お兄さんお姉さんが本を読んでくれます。

孫はすっかり気に入って、ニコニコ楽しそう。

 

松戸、福岡、川崎、市川、浦安で3人の子供を学校に行かせた私は、孫がこんなに小さな学校に入学

することをとても有難く思っています。