2015年のクリスマス

朝一で、夜勤の勤務を終えたフリースクールのチバ君が来宅。

彼はこの間も来てくれたばかり。その時にはうちの家族それぞれにたくさんのプレゼントを持って現れて、

今日は、自分がお世話になった方へ「屋根」のチケットを贈りたい、と来てくれたのでした。

 

彼と知り合って10年余り。最初は「仕事がしたい」とフリースクールの紹介で私が花を作る農場に来てくれました。

引きこもって16年。そこから脱却するためにフリースクールに通うようになり、もう一歩踏み出そうとうちに来て

くれたのでしたが、その頃我が農場には13年間の引きこもった後、2歩も3歩も踏み出しかけているサトー君

がいました。二人分アルバイト料を出すのはとても無理。そう言ったらお金は要らない。草とりをします、とほぼ

1年間くらい5反分からある広い畑の草とりをしてくれました。

 

サトー君が仕事に就くといって来なくなってから、千葉君がパンジーやビオラなどの苗の植え替えから土作りから

畑を耕すことまでなんでもやってくれました。うちの農場で花作りの仕事をしながら介護の資格をとって、今は

フリースクールのデイサービス部門で介護の仕事をしています。

 

気持ちが優しいチバ君は、よき理解者だった夫を信頼してくれて、夫が亡くなった後も命日やクリスマスには毎年

足を運んでくれます。釣りが好きだった夫が最後に大震災後の南三陸の海に魚を釣りに行った時には、弱った夫

の身体を心配して、夕陽が落ちるまで戸倉の波止で夫に付き合ってくれました。釣り果はたった1匹だったけど。

夫はチバ君に感謝して、亡くなるまで「楽しかった」と言っていました。

 

チバ君がお世話になっているフリースクールのスタッフの方が、大の「北の国から」のファンで倉本聰のファンで

北海道大好きで、富良野塾を受験しようとしたところが風邪を引いて行けなかったとのこと。だから「屋根」

のチケットをプレゼントをしたらどんなに喜ぶだろう、という彼のサプライズプレゼントの企画で、「絶対言ったら

ダメですよ」と言われたから内緒にしてたけど、もうイヴは終わったから解禁でしょ。

 

午後からは同じフリースクールのワークメンバーにうちのお掃除に来てもらいました。

引率スタッフが2名と施設育ちのB子ちゃん。B子ちゃんは先日の加工場のお掃除の時も来てくれたけど、明るくて

骨組みの太いしっかりとした身体つきのかわいい女の子。よーく働いてくれるのでほんとに助かります。

私のような老人家庭では。

3時のおやつは毎日あずきを煮てお餅を搗いている私にはお手のものの、餅入りのぜんざい。

あったかーい、とみんな笑顔で大好評。よかった、よかった。

 

夜は大クリスマス会。といっても家族と黒田さんと由美さんが来てくれるだけですが、古川の用足しから大急ぎで

帰って、餅を搗きながら小豆を煮ながら、クリスマスのケーキも食べるという大忙しのクリスマスなのです。

私もプレゼントもらったよ。孫君からかわいいカップを。

DSCF1676

クリスマスツリーの傍でプレゼントの交換会。

DSCF1672

嬉しいねえ、千葉のおじちゃん、おばちゃんから贈られたプレゼント、今から空けまーす。

DSCF1680

後、寝なきゃもらえないのはサンタからのプレゼントということで、孫は早寝。私は餅搗き三昧。

大忙しだったけれど、今年のクリスマスもなんとか終了しました。

 

今日聞いたふたつの言葉が胸に残ります。

弟妹一緒に施設で育ったB子ちゃんが、帰り際に残した「普通の家のクリスマスってどんなの?

普通の家のお正月ってなにするの?」

そしてスタッフのきゅーちゃんが言った「今は社会が子供を育てないんですよ」

きゅーちゃんは6ヶ月の赤ちゃんのお父さん。かわいくてたまらないそうです。

 

年が明けたら、また年寄りを助けに来てもらいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬至に思う

毎週金曜日の夜に観ていたドラマ「コウノドリ」が終わりました。

第1回目で泣いた。

「赤ちゃん出るよー」の声と同時に、取り上げられた赤ちゃんの顔を見た瞬間に思いもかけずに涙がどっと・・・。

何の涙なのかわからないけれど、赤ちゃんが産まれるって、きっと本当に感動的なことなんだろうと思います。

出産日を待たずに破水してしまって、どんなにがんばって赤ちゃんをお腹の中に留めておこうと努力しても叶わず、

臨月の日を待たずに産まれ出た赤ちゃん。

保育器の中で小さな小さな身体に生きるためのいろんな管をくっつけている姿は、とても痛々しくて、「ごめんなさい

ごめんなさい」と新生児室のガラス戸越しに手を合わせて我が子に詫びていたのは、長男を産んだ時の私。

大出血して両腕に点滴と輸血の両方を受けながら震えが止らず我を失っていたのは、あの時の私。

 

そうか、そういうことだったのか、と自分に起こったことの詳細が、この歳になってドラマを見てわかりました。

適切な処置のおかげで赤ん坊も私も助けてもらって1ヶ月後、保育器の中で少し大きくなった赤ん坊を、「卒業です。

連れて帰ってください」と言われて、「できません」と断ったことを思い出しました。

 

その頃住んでいた小倉の団地のうちの前のお宅には、長男より少し先に生まれた赤ちゃんがいました。

いつも奥さんに負ぶわれてねんねこ半纏の中で泣いてた。胆菅がつながってなくて長くは生きられないの、と聞いた

のは、自分も恐る恐る育児を始めた頃でした。

奥さんは四六時中お掃除をしていたこと、赤ちゃんはいつもいつも泣いていたことを今も思い出します。

 

もうたぶん赤ちゃんはいないかもしれず、誰も赤ちゃんのことを覚えていないかもしれない。でも私の心の中には

赤ちゃんのことも奥さんのこともちゃんと残っています。人と人との出会いというのは、こういうものかもしれない、と

歳をとった今思います。

一人で家族で子供と一緒にこのドラマを見ているお母さんは多いと思う。赤ちゃんが産まれる場面は何度見ても

感動的で涙が出ます。よいドラマを見せてもらいました。たくさんの人に見てほしいと思う。

 

さて、今日は冬至。今日を境に夜の時間よりも昼の時間が長くなる嬉しい日。

冬至かぼちゃは食べないけれど、柚子の風呂にも入らないけれど、じんわりと嬉しさに浸っています。

 

月末の大仕事、ロイズ新聞バッグの発送もどうにかこうにか終わらせました。みんな一生懸命に折ってくれたので

検品待ちのダンボール箱が山積み状態。

ダンボールの箱で溺れかけているあやさん。

DSCF1661

 

16日はものづくりネットワークの最後のミーティング及び忘年会を以って、今年の活動を終了。

ものづくりネットワークのメンバーの皆さんに出会う度に、始まりの頃にはか細かった繋がりが徐々に太く強く

肉付きがよくなっていくのを感じます。来年は、コットンプロジェクトやラベンダー栽培、メンバー全員のさまざまな

手仕事が更に花開くことを願ってカンパーイ!

DSCF1625

 

17日。道の駅出荷組合も最後の理事会、そして忘年会を以って今年の活動を終了しました。来年は全国認定

道の駅としての環境作りの工事が始まります。会社も出荷組合も協力して売り上げを伸ばし、たくさんのお客様

に来て頂けるような道の駅にしましょう、と社長から心強いお話がありました。

DSCF1642

 

元々クリスマスというのは、昼の時間が夜の時間よりも長くなるという喜びを祝ったことから、クリスマスに転じたもの

だとか、朝、あんころ餅を作りながら聞くFMラジオで言ってました。

なるほど! 冬至好きの私はおおいに納得。クリスマスケーキではなくて、冬至ケーキを買ってこよう。

 

ご報告です。「屋根」のチケットは残り少なくなってきました。

ご覧になりたい方は、チケットの早めの予約をお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天空を歩くふたり

二階を片付けていたら、久しぶりにお母さんの木彫の作品を見ました。2階に置いてはあるんだけれど、

普段はあまり見ない。というより全然見ない。部屋に飾ろうという気持ちにはならない。

んですが、やはり改めて母の作品と向き合うと、そのダイナミックさと力強さに我が母ながら「やっぱり凄いね、この

人は」と思わざるを得ません。50歳から亡くなる少し前まで執念のように木と植物を向き合っていた。

 

母が好きで特によく描いていた「あじさい」DSCF1656

何歳の時のだろう。彫りの深い「あやめ」

DSCF1660

学歴は尋常小学校卒業。

小学校を出るとすぐに福岡県の筑豊から大阪に女中奉公に出され、奉公先の娘さんに「お嬢様」と言うのが

嫌で逃げ帰って次には床屋奉公に出されてそのまま大人になったという経歴の持ち主。その生い立ちのせいか

床屋が大嫌いでした。

決して床屋だけにはなるものか、という決心とは裏腹に、長崎県対馬から出奔して福岡にやってきた小学校

教員の父と駆け落ち同然で一緒になってから、戦後の貧乏暮らしの中で3人の子を育てる窮乏生活からの

脱却のためについに九大の学生相手の床屋を開業。先生のくせに喧嘩っぱやくて学校を辞めたりする父と

母の鋏と剃刀の仕事のお陰で子供3人は大きくなりました。

 

母が絵を描き木を彫るようになったのは50歳をだいぶ過ぎてからのこと。絵はカルチャーセンターで学びました。

柄じゃないと行き渋る母を、「行け、行け」と背中を押したのは私だそうで、後年母に「あんたのおかげで」と

言われたけれど、私は全然覚えていない。

 

絵を描くようになってからの母は絵を描くことにのめりこみました。花の絵を描く時は花をばらばらに解体して

描いてました。常にスケッチブックと鉛筆を持ち歩き、寝るときも枕元に置いて寝てました。

私が母と別れたのは25歳のとき。それから40年の時を経て再び私は故郷福岡ではなく宮城で86歳になった

父と母と一緒に暮らすことになりました。

 

いつどんな時でも一緒にいる夫婦で、全然そんな夫婦ではない私は「いつも一緒のこんな夫婦の片方が先に

死んだら残る片方はどうなるんだろう」と想像もできないでいましたが、なんとまあ二人は時間は違うけれど

同じ日に同じ病院の隣り合った病室で亡くなりました。

 

肺気腫と膀胱がんを患って2年もの闘病生活を送りに入院していたのは父。骨折はするけど内科的には病院

に罹ることもなかった母は、父が最終段階に入ったところで突然ガンを発症し、2週間寝て父より先に他界。

数時間後に父が後を追うように天界へ。

 

85歳くらいまでバドミントンは現役。90歳になっても翻訳ものの推理小説を読んでました。

よくは知らないけれど、父親が(つまりは私の祖父のこと)欄間職人で仏像を彫ってた、と言っていたから

母は父親の血を受け継いだのでしょう。彫った作品はお盆や手鏡などの小品から箪笥やテーブルなどの大きな

ものまで2、300点はあると思う。

 

たまたま宮城のこの土地に住んだおかげで、二人の旅立ちは巡礼の白装束でした。頭陀袋に小さなお結びと

三途の川を渡るための小銭も入れての旅立ちで、私は別れの悲しみとともに、これからも二人一緒という

安堵感で胸がいっぱいだったことを今も覚えています。

 

この遺された木彫のレリーフを見る度に、「今頃どこを二人で歩いているのかなあ。やっぱり喧嘩してるよなあ」

と天空を歩く二人の姿を想像します。

いつも二人でいるからと言って、いつも仲が良いということではないのです。不思議なことに・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南三陸へ

いろいろ雑事が立て込んでるので今日しかない、と思ってエイヤッと気合を入れて南三陸へ。

昨夜、明日行こう、と決心して夜9時半、「寝てるんじゃないかなあ」と思いつつけいこさんに電話をしたら、やっぱり

寝てた。後で聞いたら翌日北海道からホタテの稚貝が到着するので3時起きだったそうで、起こしてごめんね。

けいこさん。

 

ひと月ぶりに見る南三陸志津川は、更に凄いことになってた。なんと形容したらいいのか。全国的に見てもこういう

景色は想像できないと思うので説明し難いんだけれど、自分の視野全部が巨大な工事現場。それ以外は見えない

という風景。巨大な工事現場の中にうねうねと道が作られていて、その道通りに進むというのか進まされる構図で、

全てが工事現場。それ以外の余白の土地や店がないので、ちょっと留まって道を探すというのはできません。

おかげで普段より15分くらい早く着きました。いいんだか悪いんだか。

都市を作るというのか町を作るというのか、長いこと生きてきて初めて見る光景です。

 

けいこさん宅で居合わせたお父さんから聞いた話。

明日は北海道からホタテが来る日。ホタテが着いたらすぐに家族も手伝ってくれる人も総出でホタテの稚貝に

穴を開け1本のロープに2個づつ30箇所に止めつける。総数60個をくっつけたロープは海の中に15メートル

吊るす。海の深さは深いところで30メーターくらい。そしてそのまま来年のホタテの時期まで待ったら、成長

して大きなホタテになる。ホタテの代金はウン十万円だが、収穫したらほぼ3倍。手間考えたら収益としては

いいもんじゃない。

ウニ、あわびはカイコウ(どんな字か解らない)の日に、それぞれ自分の船で思い思いの場所に行って獲る。

目がいい人や、場所が良かったりする場合にはたくさん獲れたりするが、獲れないこともある。

「おじいさんは負けん気が強かったからいっぱい獲った。自分が獲った後も人を助けに行ったりしてた。」

とはおばあさんの話。

 

「たった今到着したの」とボランティアさんがやってきました。

震災後から南三陸に来てわかめ養殖の仕事を手伝うようになった、という川崎在住の若い娘さん。

明日のホタテの仕事を手伝ったら、明日のうちに夜行バスで川崎に戻るそうです。

春になったらまたわかめの仕事を手伝いにくる、ということですが、なんでまたこんな寒い時期にそんな短い時間

なのに夜行バスに乗ってはるばる南三陸までやってくるのか。

きっと「心の洗濯」に来るのでしょう。疲れた心のリフレッシュかな。

60年間、都会で生きてきた私には、彼女の気持ちが解るような気がします。

「東北の人は優しいからね。いっそここに住み着いたら?」

「言われます。でも寒そうー」

言えてる。でも川崎も冬はからッ風が吹いて寒いよ。

 

お父さんは明日のホタテの準備に、けいこさんは吠え立てるマックの散歩に。おばあさんと娘さんに送られて

車に新聞バッグを満載にして帰ってきました。

また明日から検品作業。そして正月用お餅搗きも開始、連続忘年会。

風邪ひかないようにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

暮れに向けて

12月も半ばに近づいてきました。

やらねばならんことがけっこういろいろあって、そこに頭がいくと流石に呑気な私もちょっと頭が満杯状態に

なって思考が停止します。

 

まず、明日にもお正月用のお餅を搗き始めなかれば間に合わなくなる。お餅は搗いてすぐ切れるというものでは

なく、切るまで3、4日が必要だし、切って真空パック詰めまでやって売り始めが20日頃。間に合うのかな。

今日こそ今日こそと思いながら、手がつかずだらだらと日が過ぎてます。

 

それから家の大掃除。ダンシャリ(断舎利)、要は要らないものを捨てる。

もう歳だから、要らないものの整理をしよう。突然死んだり病気になったりしたら私の荷物で子供に迷惑をかけるから

片付けよう。要らないものはバンバン捨てよう、と思い決めてからもうだいぶなるけど、遅々として進まず。

家の外周りくらいはどうしても、とKさんにデッキ塗りやら窓の外枠塗りなどお願いして、ようやく8割かたくらい終わり

ました。

これで一安心。残りは来春、と思っていたら、ここでまた新たな珍事が入ることになり、もう少々リニューアルを

進めざるを得なくなりました。今年は暮れからお正月にかけて、一人うちに泊まりに見える方がいるのだけれど、

帰られたら間もなく今度はアメリカの大学生が2人、ホームステイに見えるのだって。

あんまり汚くても悪いから、少しはきれいにしなければ。

 

それから年賀状を書く。どうしても送りたいと思う方にだけ書く少ない枚数なのだけれど、表も裏も手で書くので

時間がかかる。今年は栗原の佐藤さんにご紹介を頂いたみどり先生に書のご指導を受けたいと思っていたのです

が行く時間がとれないかもしれない。

 

その前にロイズの新聞バッグの発送。

この数日内に南三陸まで回収に行って検品作業に入り袋詰めして発送といういつもの作業。今月は20日までには

終了させたい。

 

そして大晦日のお節作りがあって、お正月を迎えて終わって1月。

その頃には今より少しは寒くなって雪なんぞ降るのではないかと思うのですが、その厳寒の時に倉本先生の舞台

「屋根」を観に富良野へ行ってみたいな、という気持ちがある。「屋根」を観にというより、一度は行ってみたかった

冬の北海道。なんか用事がなければ決心はつかないから、この際だから長距離バスとか函館本線や根室本線など

で北海道のへそまで旅してみたい。と言ったら暫く北海道に住んだ娘が「雪しかないよ」と。

わかってはいるけど・・・・・。見てみたいなあ。

 

その後は出荷組合の理事会や総会などが続き、終わったら間もなく「屋根」岩出山公演の日が迫ってくる。

想像すると「いやあ、忙しいことだなやなあー」と頭がいっぱいになる。

なのでスーザの詩のように「今日を最後の日」と思って、目の前のことを終わらせていきましょう。

 

明日から正月用のお餅をつこう。ほんとに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天野先生ニューヨークへ、そしてスローシティ

今日のニュースは、

私が敬愛する天野寛子先生(フリー刺繍作家であり元昭和女子大名誉教授)が、とうとう刺繍の展示会開催の

ために今日ニューヨークに向けて出発されたこと。やったね!

今回は天野先生単独ではなく、陸前高田の刺繍の生徒さんたちとの合同展示でもなく、中西 繁画伯とコラボ

してのニューヨークでの展示だそう。

最初に天野先生に会ったのは、筑波大学での農村学会に都市から農村移住をした私が発表者として招ばれた

時のこと。その時は筑波から東京までの電車の中で話しただけだったけれど、その後に先生からご「繋ぐ」

と名づけた先生の刺繍画集が送られてきました。

あの悲惨な東日本大震災の報道写真を胸を衝かれるほどの美しい色合いの糸で、文字ひとつ数字ひとつ

疎かにせず刺繍に縫い取った作品の数々がそこにあり、これはもう比類のない日本でただひとつ、世界で

ただひとつの作品集だと私は感心したというより、先生の偉業に驚愕しました。

 

それからは先生のオッカケになり、展示会が開かれる度にあっちに行ったりこっちに行ったり。

 

一昨年、筑波で「もっと話しを聞きたかったのよ」と東京から私を訪ねてくださいました。せっかく東北に来られた

のだからと景色が美しいところに案内したり、温泉を楽しんで頂きたかったりしたかったのだけれど、先生は

お迎えに行って再会した時から私に質問攻め。

お昼ご飯を食べながらも質問は続き、私が答える全てをノート、その辺にあるレシート、それでも足りなくなると

紙ナプキンにまで書いて書き綴って、「先生、温泉にでも行きましょうよ」という私の誘いには「行かない」

きれいな場所は?

「いいの、行かなくて」

「先生、一体何しに鳴子温泉にまで来られたんですか。行きましょうよ!」という強引な私の誘いに

「行かなくていいの、話を聞きたいの。学者はね、聞いて書いてナンボというようなもんなのよ」

 

御年70代半ば、私より御歳は上。なのに単身リュックを背負ってノートとペンを携え、ひょうひょうと歩かれる

先生に私は魅了されました。

なにより作品はこれからも日本で世界で見てもらいたい。ロシア展示は終わっているから次はニュヨーク。

と言ったら「ニューヨークなんてとんでもないわ。ないないない」と仰っていたのが、あれから1年経つや経たず

で遂にニューヨーク。

 

同じく経済学者でいらっしゃるご主人とご一緒というから安心だけれど、きっと今は厳寒のニューヨーク、

風邪など引かれないように、物騒な事故などに合われないように、ご無事で帰ってきてほしい。

何よりたくさんのニューヨークの人たちが先生の作品を見てくださることを願います。

 

そしてもうひとつのニュースは

午前中、お餅の出荷を終えて道の駅から帰ろうとしたところに、あやさんからの電話で喫茶「たまごや」さん

に呼んでくれたので家に帰る筈が鳴子温泉に行く先を変更しました。

そこでイタリアをベースに活躍なさる女性3人にお会いしました。

ノンフィクション作家の島村奈津さん、イタリア大使館勤務でヴェネティア育ちのエリカさん、そしてイタリア

関係の会社を経営なさるXさん。3人ともあらフィフくらいのお歳だと想定しますが、実に賢そうで力強い

女性3人。願わくばイタリアの新聞紙が欲しい。

という気持ちでお近づきになったのですが、お話してみて私が「目からウロコ」状態に陥ったのが、読ませて頂いた

島村さんの新刊の著書。

題して『スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さい町』

帯に「なぜ過疎の町が世界の憧れの的となたのか? どこに行っても同じ風景にならないために、イタリアの

小さな町が取り組んできたこと」とあります。

面白そうーー。ちょっと読んでみただけでもこれまで考えたことのない発想が詰まっていて、楽しみ、楽しみ。

 

さて、最後のニュース。

黒田さんが一人で車を運転して、福島県南相馬のゆめはっとに新聞バッグのワークショップに出かけて行きました。

横浜の新聞バッグインストラクターのタカムラノリコさんと新しくお知り合いになる方と一緒。

WSは明日です。子供たちに新聞バッグつくりを教えます。楽しい時間になりますように・・・。

 

今日のニュースおわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道の駅研修(南相馬・亘理・山元町)

本日は道の駅農産物出荷組合加工部研修旅行。

12月半ばの研修ってどうなの? 寒くておちおち見ていられないんじゃないの、と着こんで出かけて行ったら

まあ、一日中暖かくて最高の研修日和です。

総勢35名。せっかくのチャンスなので、今日の私の目的は研修のみではなく、バスの中で「屋根」の宣伝、チケット

販売をさせてもらうこと。チケットやお釣りを用意してきたら、失くしそうで落としそうで全然落ち着かない。

 

最初の目的地は南相馬。

岩出山からほぼ1時間半。途中亘理町の鳥の海PAでトイレ休憩。

こんな立派なトイレ見たことない、というくらいに先進的なトイレ。それに実に立派でお洒落な建物なのだけれど、

ここはトイレだけ?それとも他にもあるのに私たちが気づかなかっただけなのかしら。とにかく立派でした。

常磐道を走るドライバーにはオススメ。

 

次の停車は南相馬のカデッセ相馬。

11月に視察した南相馬小高地区あたりは、帰還準備区域にも関わらず、白々とした明るい街路に人っ子一人見当

たらなくて、「こんなところに帰還できるのだろうか」とショックを受けましたが、今日見る南相馬は原発から32キロ。

普通に人もいて車も走っていて、原発事故被災はあるはずなのにその印象は薄く、南相馬の面積の広さを実感させ

られます。、カデッセ鹿島はお土産、農産物など販売する道の駅様の建物ですが、駐車場、店舗ともデザインも新し

く実に立派。お客さんが多く来てくれることを願います。

南相馬は馬追いの里。ロビーに置かれている馬追いの人形。

DSCF1581

 

最初の研修先は㈱菅野漬物さん。

都会もんの私は漬物を漬けるのは超苦手でど下手くそ。ほとんど漬物を食べません。なので漬物工場に入った

とたんに漂ってくる漬物の匂いでウーーム、という感覚。

まずは事務所に上げて頂いて社長、工場長にご挨拶をし漬物のご紹介を頂き、それから工場に入れて頂く身

拵えをします。頭から靴まで大変厳重。

除染作業服とはこういうもんではなかろうか、という簡易白衣がピッタリの直子ちゃん。

DSCF1582

白い長靴を履いて工場に入ります。手を洗い、長靴を消毒液に浸し、中へ。中を視察させて頂けることはまずない

のだそうで特別なご許可を頂いての視察です。

内容は濃かった。相馬漬物とはこんなふうに作られているのか。これほど厳重に異物混入を防ぐ努力をし、事故を

起こさぬ工夫がなされているのかと、感心しました。

 

次は相馬に向かいます。火力発電所がある相馬。漁港の近くの食事処ではらこ飯昼食。

 

お昼を過ぎて、亘理町の夏そら工房へ。

夏そら工房は、ジャム作りの工房。60年配の奥さんがジャムを作りご主人がラッピングを担当するという二人態勢

で自家栽培の果物でジャムを作っておられます。その数、26種類。この地域では漬物を作るお母さんがたが多い

ので、ちょっと毛色が変わったジャムを作ってみようと思った、と工房設立の経緯を説明してくれました。

人がいなくなった別荘地で人知れず実る樹木の実。あの実をどうしてくれようかと思っている私にとっては、願っても

ない学びの場、学びの時間。ジャムママに感謝です。

ジャム作りについてのお話を聴き、お土産にジャムを頂き、お宅で採れた柚子まで頂いて楽しい時間を過ごさせて頂きました。

またいつかうかがいます。

 

 

帰りに通った山元町の現状。

DSCF1591

海のほうまでなーんにもない。大震災から5年近く経った時間の経過の証拠がここには何にもない。

DSCF1602

南三陸はピラミッドの林立状態。ここはエジプトかというようなもんだけど、しかしここ山元町はまだ瓦礫が残ってる。

これはお墓です。墓石が新しい。震災後に集められてできたのかなあ。

DSCF1607

 

楽しかったり複雑だったり様々な感慨を持ちながら今日の研修が終わりました。

ちなみに実行委員の公一さんが頑張って説明してくれたお陰で、今日の参加者の半分くらいの人たちがチケット

を購入してくれました。チケットが売れたということよりも、みんなが見に行ってくれるということが嬉しいし、

「チケット売れたか、売れたか」と案じる公一さんが安心するのが嬉しい。

 

滅多に参加しない研修でしたが、実りある楽しい1日でした。

また来年は楽しい企画を立てて、研修しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デッキ塗り/ 「屋根」チケット/  ひかり通信うんぬんかんぬん

一昨日から今日まで、空は真っ青、暖かくて良い天気です。

築館はマイナス5度だったとか。さすが築館、雪は少ないところだけれど寒さはダントツ。

この辺りも霜で真っ白でした。

この暖かさを逃さずに、今日、明日で夏から少しづつ続けてきたデッキや窓枠の塗装を終了させる、ということで

今日は朝から普段は私のパソコンの管理をお願いしているkさんが出動。工務店の息子さんであるkさんは

家業の手伝いで培った腕で大工仕事、塗装に研磨、何でもやってくださるので大変有難い存在なのです。

私もちょびっと手伝って、デッキの木材にはりついた青ゴケ磨き。きれいになったところをkさんがすいッすいッと

塗って、こんな仕上がりになりました。

ついでに、古い椅子もお洒落な白い椅子に変身。真っ白じゃなくてちょっと古びた感じに塗ってくれたそうです。

DSCF1575

次いで窓枠。いくつも窓があるので、kさんが落ちるんじゃないかと冷や冷やものだけれど、今日は無事

終了しました。

DSCF1561

夫が亡くなって初めて、このままじゃダメだと一念発起してkさんにお願いして始めた窓枠やデッキの木部の塗装

ですが、kさんにいろいろ教わりながらの作業はやってよかったと思います。15年経てば木がどんなふうになるのか

解ったし、こうして手入れができる家を残してくれた夫に、改めて感謝です。

 

娘がおやつに焼いてくれたアップルパイ。 パイの中身は岩出山産りんご。

DSCF1555

 

話は変わって、あ・ら・伊達な道の駅の売店のご紹介。

ここで「屋根」のチケットを販売しています。ご購入はお早めにどーぞ!

DSCF1559

よーくかかってくる電話があるんです。

それは「ひかり通信うんぬんかんぬん」という電話。

ひかり通信でパソコンを使っているカスタマーには今年になってからかな。時期は忘れたけれど、今払っている電話

料金が7000円台のところが安くなって4000台払えばよくなるという、つまりはそういうことらしい電話。

いろんなところから掛かってくるのだけれど、名乗られても相手が何者なのかは解らない。NTTの回し者かと私は

勝手に思っています。

で何度かかっても相手は違えど内容は同じなので、面倒になって「どうぞよしなに」と答えたこともある。すると「では

こちらの別の担当者からお電話しますから」と言われて電話を待ったこともあったけど、掛かってきたことはない。

 

そしてついに先日の電話でそのことを言ったら、「そんな間違いはしないので、今度は確実にやります」という問答

があって、その後年齢を聞かれて素直に「74歳」と答えました。

そしたらなんと、「大変申し訳ございません。70歳以上は対応できないことになっているので・・・。」

 

ちょっと待ってよねー。この何度も何度も何度もの電話はなんなんですか。この時間のロスは。

70歳以上がダメなんだったら始めから言えばいいじゃないですか。さんざんしゃべって返事させといて、最後に

70以上はダメなんて差別。

「今はパソコンもやればスマホもFbもやる、という70歳以上はいくらもいるのよ。これから高齢化社会だという

のに、高齢者を差別してどうするのNTT!」

心の声のつもりが実の声になって出てきて、お相手は「すみません」と電話を切っちゃった。

 

そしてまた昨日、違うところから「ひかり通信うんぬんかんぬん」と電話がかかりました。

最初は70歳以上のことを忘れて思わずまともに対応しかけて突然思い出し「私、74歳ですよー、いいんですか。

年齢調べてから電話したらどうですか」

 

だってしゃべるだけ時間のロスになるでしょう。さんざ勧誘した相手が70歳超えていたらしゃべり損だからね。

いやあ、頻繁にかかってくる「ひかり通信うんぬんかんぬん電話」。かんべんしてほしい~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「屋根」チラシ配り

3日間降って今日はようやく晴れました。

15年前ここに住み始めた時には、12月には雨なんて降らなかった。11月も今よりうんと寒くて震えながら

燻炭焼いたりしていたし、12月から3月までは晴れるか雪かで外はモノトーンの世界。冬の雨が嫌いな私は、

寒くてもここの冬は雨じゃなくて雪しか降らないというのが素晴らしい、と思ってたんだけれども、今は1月だろうが

2月だろうが雨が降る。それもザアザア降りで。恐ろしい。

 

晴れたので、今日こそはと、「屋根」のチケットを届けに岩出山の江合川を挟んだ向こう側にある別荘地にある

友人宅へ。首都圏に出て来る前の福岡時代の中学、高校の同級生です。今は森の中に住む木工作家だけれど、

前身は夫婦共に演劇人なので、チケットはすぐに購入してくれました。

 

友人宅に行く前に森の中のI不動産屋さんへ。来春岩出山への移住を決めている滋賀県の友人が借りる家の

下見をお願いしていたのですが、ついでに「屋根」のご紹介。チケットを買っていただきました。

今日日曜日は友人夫婦が川渡の温泉に行く日。お昼には出かけるので短時間のお茶っこで失礼して、次は不動産

のIさんと一緒に町の中の借りる物件へ。

リフォームしてまもなく奥様がご病気になられたとかで白い新しい大きな家。メインストリートに面していて元は

洋品店だった40平米ほどの店舗がついているので、いろんなことができそう。夫婦お二人とも学校の先生なので

寺子屋みたいなことをやりたいと聞いているので楽しみです。

 

通りを挟んで物件の前にあるのは町で1軒だけのケーキ屋さん。

新しい人が移住してくることのご紹介をして、レモンケーキを買って、ここでも「屋根」をご紹介。チラシも置かせて

頂きました。ちなみにケーキを買いに来て長年奥様のお顔だけは知っていたけれど、今日、鹿児島県は奄美大島

のご出身と聞いてびっくり。この町九州人がけっこう多い。なんだか嬉しい。

 

最後にこの町で多くの人が買い物に行く食品と日用品は工具などの総合スーパー「トラスト」へ。

まさかまさか、スーパーマーケットでポスター貼ってチラシを置いて頂けるとは思わなんだ。チケット売りたいよりも

この町で公演するのだから是非ともこの町のたくさんの住民に観てほしい、と願っているので、どんなところへでも

ご紹介したい。その一心です。

 

あっちこっち廻って、午後になって帰宅。

お餅つきの準備をする前に一休みと横になったら、そのまま夕方まで休憩続行。おかげで治りの悪い風邪気味が

少しよくなりました。

起きたらYAHOOニュースで「倉本聰氏「屋根」公演を最後に引退」を読んでガーーン。もう80歳を超えられるから

いずれ、とは思っていたけれど、今このタイミングとは残念というか、当然というか。

 

「屋根」のチラシやチケットを持って、あっちに行ったりこっちに行ったりするうちに、ここに越して来た時から「ここは

なんだろう」と気にかかっていた松窓寺の前を通りかかりました。伊達家のお墓を護っているお寺かな。

伊達家霊廟の案内も建物も古びている感じ。

DSCF1549DSCF1550

行ってみたいとは思うけど、手入れしてもう少し明るくしてほしい。あんまり雰囲気暗いと怖いよ。

伊達さんは岩出山の看板なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

50年

もう昔の話になるけれど、亡くなった夫が50歳少し前に、大学卒業以来勤めてきた会社でリストラされるという

状況になりました。まだリストラとか従業員削減なんて言葉が少ない時代で、いわばリストラのハシリ。

外資でコンピューターでそれまでの30年間のバブル時代の先端を走っているという会社だったから、経営が

危なそうだと思ったら即リストラ、ということだったのだろうけれど、うちの夫は年齢的に第1回目のリストラに

ひっかかりました。削減数は1500名。かなりの大規模。

寝耳に水というかまだ周りの会社ではリストラなんぞやってない時代だったから、さてどうするか。

子供らはまだ高校、これから大学などでお金が要る時期。といって去るも地獄、残るも地獄のような・・。

その時に二人で話した言葉を今も思い出します。

 

物事大体ひとサイクルで50年くらいだろう。

日本にコンピューターが持ち込まれて30年。その頃に入社して、走りに走って登り詰めたら必ず下りに入る

時がくる。今はその時じゃないだろうか。ならば下降の足を引っ張っるよりも辞めたほうが、会社にとっても社員

にとっても早く再生できるときがくる。ということで「撤退」と決定。

 

今そのことを思い出すのは、よっちゃん農場ブログを読んでいて、よっちゃんが炭焼き師匠のじいちゃんから聞いた

「世の中ずーっと変わり続けるもんではなくて、おらの経験からすると50年サイクルくらいで戻ってくる」という言葉。

 

あの時私もじいちゃんと同じで迷う夫に「50年くらいで1周だと思うよ」と確かにそう言った覚えがあるのですが、

それから20年ほど生きた今、何か違ってしまったような・・。今夫にそんなことがあって、「50年」って言えるのか

というと全然言えない気がするのです。 今は先が読めなくなってしまっている。

人が機械やその他の人本来の5感に頼る暮らしをしなくなってから、サイクルも狂ってしまったような。そんな気が

この頃しきりにします。

 

倉本聰氏が「昭和の遺言」という新しい本を出されるようです。

来年の春にはこの岩出山で倉本先生の「屋根」というお芝居が上演されますが、「屋根」は倉本先生がお書きに

なったドラマ「北の国から」の主人公、黒板五郎さんのおじいさんの頃の物語り。

新聞バッグがご縁で富良野とお近づきになって、倉本聰氏の現在のお仕事ぶりを見聞きすることが多くなりました

が、先生がなさるお仕事のどれをとっても、先が見えなくなった現代への先生からの強いメッセージ、、80歳になら

れた先生からの遺言のように聞こえます。

 

何事も最初はそんなつもりではないことから始まることが多いのですが、この舞台公演も最初はそんなつもりでは

なかったことが実現し、実現することからまた新しい展開につながるのではないか、とそんなことをぼんやり考え

ます。

今年の冬は大規模エルニーニョで暖冬とか。大雪も大変だけれど、冬に大雨なんて降ったらほんとに大事で

秋の大雨で上の崖が崩れてから本気で雨が怖くなりました。土砂崩れの修復もまだ道半ば。

ほんとに倉本先生のメッセージのようなことを真剣に考えなければ先はもっともっと大変なことになる。

昨日、今日、12月に入っているというのにうんと寒くて大雨。ざあざあと降る雨音を聞きながらそんなことを

考えています。