わた

去年の初夏に初挑戦した綿の栽培は、あえなく失敗に終わりました。
がっかり。残念無念。

タネは東松島コットンプロジェクトの赤坂社長から頂きました。
「ワタは素敵だから地域のみんなで楽しめるから岩出山でもコットン植えて
くださいよ」とお願いしたら「何言ってる。ここだけでも手いっぱいだ」と
あっさり断られて自分でやれと手渡されたのはギリシャから来たタネ。

普通の白いふわふわのワタの中に張り付いたように入っている採りにくい種
ではなくて、きれいな青色にコーテイイングされた蒔きやすそうな種。

なのに高温で発芽するその種を、気温が低いから、雨が降るからとぐすぐす
引き伸ばしてようやく6月初めに蒔いたら、時間不足だった。日照不足だった。
気温不足だったのでしょう。

花が咲いて、実を結ぶまでは行ったのだけど、台風で根こそぎ倒れ、倒れた
ままで枝で大きく膨らんでいる綿の実はとうとう弾けないまま冬を迎えました。
白いワタは見えるけど、弾けないので出てこないという状況。
なんか新しい土地でがんばったワタに申し訳ない心境です。

ワタというのは、その幼苗期はほんとうに小さい。そしてちっとも成長しない。
ところが温度が上がるにつれてどんどん成長してどでかくなるのです。
正直東松島の切り開いた山の土地でがんばって根を張る細枝のコットンを見て
いた目には、岩出山の畑で育つコットンは木のように大きくなって、これで
いいのかと不安でした。

そして夏遅くに花が咲きました。
大きくて艶やかな芙蓉のような花です。ピンク、黄色、といろいろ。

この花が実になってワタになる、ということになっています。

ここまではできたのね。
ところがその先が進みませんでした。
待っても待っても白いふわふわのワタは見えているのだけど出てこない。

東松島のワタはこんなふうになります。

そしてこんなふううになって

こんなふうになります。

機織りの加納さんがワタでの糸紡ぎを教えています。

地域の楽しみになるどころか、地域の人からみたら何やっているのかわからない
無用の長物のような横倒しのワタの木。

赤坂社長とは大震災後に初めてお会いしました。
津波で大きな被害を受けた荒浜の塩害の農地にワタを植えてチームで栽培する
東北コットンプロジェクトを定着させ、東松島の山地を切り開いて東松島
コットンプロジェクトの整備にとりかかろうとされている時でした。

私はとあるミーティングに新聞バッグを販売したくて参加し、東北コットン
プロジェクトのことを知りました。

東北コットンプロジェクトの目的として
「服を着ることが、農家の支援になる」と謳われています。

新聞バッグの活動を続けてきて、「特別なことは続かない」と常々思う私は
この目的の言葉に深く共感しました。

東北コットンプロジェクトの目的は、

「津波被害で稲作ができなくなっている農地にコットンを植え、農業を再開
 してもらうこと。

 アパレル関連企業と共に東北コットンを使った新事業を創造し、東北に
 安定的な雇用を生み出すこと。

 「あなた」のいつもの暮らしを被災地につなぎ、無理なく、継続的に農家を
 応援できる仕組みをつくること。

それが私たちの約束です。」とあり、それは新聞バッグも同じです。

その約束は今も守られ、東松島の綿畑は年々面積を広げ、春のタネ蒔き、秋のワタの収穫祭と充実したプロジェクトを展開しています。

赤坂社長は綿のみにとどまらず、その地形を利用した観光農園の整備を
進められ、綿畑の隣はハーブ園(ここのハーブは大変育ちがよくしっかりした
ハーブです)、そしてラベンダー園(何千本あるか忘れました)、が第1第2
とあり、果樹園、オリーブ園、そして売店も春になるとオープンします。

1日遊べる東北の新しい観光地です。
ラベンダーが咲く時期には是非おでかけください。

と赤坂観光農園の宣伝をしたところで、わたしのワタに戻ります。

このまま置くのは勿体無いので、実だけを採って温泉熱乾燥機にかける。
乾燥したら実が弾けてふわふわのワタが出てくるのではないかなあ、
と思うのですがどうだろう。

歴史的に思えば、アメリカ南部やその他の暑い地域で盛んに栽培された綿花
にとって、日本の東北の気候はかなり厳しいはず。ここでの栽培はたぶん
北限といえるのではないかと思います。

今年は早めに5月にはタネを蒔いて再び挑戦してみます。
真っ白いふわふわのワタを目指して。



ふわふわのワタ作りを目指して。

 


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