南三陸へ

東京からフリー刺繍家であり昭和女子大名誉教授でもある天野寛子先生がみえました。

先生は大震災以来深く関って来られた陸前高田(高田の松原刺繍プロジェクト)、そして
福島以外、南三陸などは見ていないということで、先生のご所望で南三陸と石巻にお連れ
することにしました。

なかなかハードな行程なので宿泊は、大震災時、ただ1軒だけ津波を耐え抜き、避難や
捜索に重要な役割を果たした志津川のホテル観洋に泊ることにしました。
震災後1年ほど、新聞バッグを置かせてもらって何度も通ったホテル観洋。食事はしたこと
あるけど、泊るのは初めてなので楽しみで黒田さんも誘いました。

何をするにもまずはお餅つきで、お餅仕事を終えたあと、一路南三陸へ。
天野先生が南三陸で一番にやりたいことは、志津川のさんさん商店街にあるNEWS STAND
カフェSATAKEを訪れること。
SATAKEはさんさん商店街の駐車場のどまん前、一番目立つところにあるカフェで、各種
新聞、南三陸グッズ、本や絵本、お土産などが置かれています。

元々は大正12年創業の米、塩、事務機などを扱う店舗だったのだけれど、津波で店舗流出後、
廃業した新聞販売店を引き継いでカフェのある新聞屋を始められたそうです。
そのことが紹介された新聞記事を読んだ先生は即刻ご自分の刺繍画集を送られたそうで、
突然贈られたSATAKEさんは驚かれでしょうが、今回は贈った先生との初対面。

SATAKEの後は本業はワカメ養殖、大震災後は新聞バッグをたくさん作ってくれてる
歌津のけいこさんのところへ。お宅ではなく家屋流出跡地に作られた作業小屋へ。

奥の家は流失しなかったけれど、誰も住んでいないそうです。
そしてなんと、津波後7年の桜が咲いてました。
けいこさんによれば「アメリカ人が植えたんだよ~」

桜の足元には石のプレートが。植樹した人の名前が彫り込まれています。
何度も来ていたけれど、こんなプレートがあるなんて気付かなかった。

こんな桜が4本ほど育っています。こういうプレートを見ると改めて、日本の
そして世界のたくさんの人たちに支えられて今日があるのだと実感します。

たまたま訪れた日はわかめ作業の最終日。
食べきれないほどのたくさんのワカメや昆布、茎ワカメなどを頂きました。

次は高台移転で気仙沼よりの新しい家に住んでいる、むっちゃん宅へ。
むっちゃんのご主人は漁師さんではなく、元は外国航路の船員さん、船を降りた
後は菊農家。鳴子温泉の避難先で知り合ってから私たちに菊栽培を教えてくれた
師匠です。

むっちゃんから懐かしい写真を見せてもらいました。

むっちゃんたちが避難していた中山平のラドン温泉は流失した縫製工場の
方々がいる旅館で、温泉の女将さんが用意してくれた布でみんなで手縫いで
作ったお揃いのエプロンと手提げを下げた記念の一枚。
厳しい状況であったにもかかわらず、皆さん、明るい日差しの中で明るい
表情です。

「女将さんは布をくれただけじゃなくて、みんな1人1人に針箱を用意して
くれたんだよ」
写真を見ながら口にしたむっちゃんの言葉に驚きました。
布をくださったのは知っていたけれど、一人一人に針箱を作ってくださるとは
なんと心温かい方かと女将さんに感服しました。

 

むっちゃん宅を辞した後はとっぷり日暮れた海沿いの道をホテル観洋へ。
町も道も作っている途中なので、実にわかりづらくてうっかりするとすぐに迷い
そうになります。

初めて泊るホテル観洋。
津波で3階までは水が入ったそうだけれど、実にきれいで大きなホテルです。
夕食のお世話をしてくださる従業員さんは大阪出身。大震災時ボランティアに
来てそのまま結婚して住み着かれたとのこと。そういう人はたぶんいくらもいる
だろうし、その気持ちがわかるような気がします。

卓上で炊く蛸釜飯を美味しく頂き、大海原を眼前に露天風呂に浸かり、初日終了。

目覚めると、海を背にしてウミネコが挨拶に来てくれました。