311を前にして その2

昨年の秋ごろから我が家の庭に居ついている真っ白で目が青い猫ちゃん。最初に見た頃には体が小さいような
気がしたのだけれど、春には大人になるのか、このところの深夜の猫、猫、猫の乱戦は、耳を覆わんばかり。
かくなる上は、と勝手な行動を猫に詫びつつ、病院に連れて行ったら、予約なしで手術はできません。

断られてすごすご戻ってきました。はアー、来週まで不眠が続きます。

大震災から1年。テレビの番組で被災者からの手紙、1年経った今、という番組を見ました。
家族も家も仕事も津波でなくして、悲しみに沈んでいたけれども、今言いたい言葉は「ありがとう」って。
どうしてそんなに、と思うんだけれど、でもその悲しみをどこに向けようもないから、結局「ありがとう」になるんだね。
きっと心の中には、いっぱいいっぱい話したいことがあると思います。

220人の死亡診断書を書いたお医者様が出てました。話しながら泣きそうになってました。
子供がいて働けないお母さんが、収入が得られないと悲痛な手紙を書いてました。住んでるアパートが流れなかったから支援金が出ない、と。
仕事が遠くで見つかったからと仮設住宅からいったん出ると、戻れません。自立とみなされるから。

報道にはあまり出てこないけど、自立しようにも不都合なことがいっぱいあります。

花の出荷に行ったら、ばったり、南三陸で被災し、今はよっちゃん宅の近くで暮らすAさんご夫婦に会いました。
アルバイト先の梅農場で、落ちてきた剪定後の梅の枝が目を刺したと、病院帰りのサングラス姿でした。
奥さんのTさんは毎日1年後のテレビ番組を見ては涙が止まらないそうです。でも「見ちゃうのよねえ」と。
「波を被った者しかその痛みはわからない」と。
そうだろうなあ、と納得しました。

海の男であるご主人は今は仕事に就いてません。「仮設住宅の近くにいくら仮設商店街を作ったって、お金がなきゃ
何も買えないんだよ。作った人らはできるからいいけど。仕事がなければお金が入らないから何も買えない」
そのとおりなんですよね。

きのうも南相馬から避難中のKAさんが、ビラ広告の仕事に行くというから、「ちょっと待って。よーく調べて」なんて
言っていたのですが、とにかくKAさんに仕事をしてもらうためにはパソコンを覚えてもらいたい。でもパソコン受講の
費用が出てこない。原発事故さえなかったら、KAさんはパソコンやる必要はなかったんだけど、今はなんとしても
やってほしい。

みーんなひっくるめて一緒に仕事をしたいねえ、と言ったら、ご主人が「そうだ、そうだ、何かやろう」と言ってました。
こういう状況の中でもみんな明るいんです。立派です。