価値観の転換の時

全然考えはまとまらないんですが、昨日から一日の仕事の合間合間に家人に問いかけたりして
昨日の価値のこと考えてます。

考えれば考えるほど、物々交換がいいなあ、と思えたりして・・・。

例えば私は何十年に渡って都会の企業の給料とりの奥さんをしてました。まあ、私自身も少ないとはいえ給料とりをやってました。
で、その給料を使って生活してました。生活の基本の食べ物を得ることも、暮らしを護ることも
1か月1度もらう給料で全てを賄う暮らしをしてました。何をするにも中心になっていたのはお金で、
お金を払えば庭掃除だって家掃除だって修理だってやってもらえました。

だからお金を持ってさえいれば人と付き合わずに生きていける暮らしです。それから、自分が買う
モノの背景や成り立ちを知る必要がない、というか知りようがない暮らしです。

夫が定年退職して田舎暮らしを始めました。
きのう、夫が元勤務していた会社の方がいらしてくださったのですが、水道がないので驚かれていた。
そう、この町は私たちが来た頃は人口1万5000人くらいだったけど(今は大幅減少かもしれない)
水道が通っている地区は少ないです。当然下水設備もありません。

私のうちは山に建てたから、水はボーリングで深く掘った井戸で得ています。水を揚げるのはポンプ。
停電したら水は出ません。このポンプが先の栗駒山が一部なくなった内陸地震の時に壊れて水を
得るのに大変な思いをしました。

直したくとも建築時に工事をしてくれたポンプ屋さんが歳をとって仕事ができなくなっていたり、代わりの人が見つかるまでずいぶん時間がかかりました。結果、治せなくてそっくり取り替える羽目になりました。
そしてその2年後の去年、大震災でまた壊れました。というより地下深くでポンプが泥を噛んでニッチもサッチ
もいかなくなった。で、また取り替える羽目に。

でもそれでも水脈が変わらなかったからまだよかったのです。地震で水脈が変わっていたら井戸の掘り
直しでした。もう一つ浄化槽が壊れなかったから運がよかった。浄化槽が沈んだりしたら偉いことでした。

サラリーマンの暮らしをしていた時とは全然違う。
もう井戸なんて直してもらえたら、井戸工事のおじさんが英雄に見えますから。

もうひとつ、驚いたなあ、という話。
田舎暮らしを始めるにあたり、先行き困ることのないようにと、歯槽膿漏の治療をしました。
歯がグラグラになっても抜かない治療とやらを1年以上かけて都内の歯医者さんにやってもらいました。
歯の治療が終盤に近くになって、受付で「次の時先生からお話があります」なんて言われると、治療代金の話だろうなあ、と不安になります。歯が入ったらどのくらい高いのかと。
で、お話を聞いてみると高かったんですよ。150万円以上だった。

これから年金暮らしなのにそんなお金はありません。

もう引っ越した後で、考えました。よし、こっちでやってもらおう。
仙台まで行くのは大変だからこの近くで歯を抜かない治療をやっている歯医者さんはいないかと本を
見て探しました。するとあったんです。東北一の歯の先端治療を目指すという歯医者さんが。
先生に会って東京での治療の引き継ぎをお願いすると、引き受けてくださいました。

150万円以上かかるといわれた歯は、私の年齢から考えると、必ず変化していくので高い歯を入れる
必要はないんじゃないですか?と言われて10分の1で終わりました。メインテナンスには行ってますけど
それから10年たってもビクともせず平気です。

そしてここはお金で動く社会ではないので、初めから歯の治療でお金にかかるという認識がない。
だから「お話しが」と言われても全く平気です。基本は保険治療であり、インプラントも矯正もできるけど
ことさら進められることもない。

都会でお金を支払うことで暮らしを立てていた時とは全く違う暮らし方が、ここで始まりました。
地産地消、人と交わりながら暮らすという暮らし方です。

またまたまとまらない。価値の話は難しいです。

 

 

価値観の転換の時” への2件のコメント

  1. 都会は自分で手を汚さずお金で解決できることが沢山あるけど、上下水道の仕組みとか知らずに過ごせる危うさや貧しさもあるのよね。

    上水道も下水道も目の当たりにできる生活はお金に換算できない豊かな暮らしと言えるかも知れません。(もっとも維持費はそれなりにかかりますけど)

    年金暮らしの人たちにとっては工夫しだいで田舎で暮らせますが、若い人たちにとっては生活スタイルに賛同はしてもこれから子どもを産み育て教育する位の収入がなければ定住は難しいかも知れません、現実問題として。でも、お金だけに価値を置きたくないし・・・ジレンマ。

    1. 田舎暮らしはお金の先にあるものが見えてくる生活ですね。若い人たちが暮らせるようにしなければならないと思います。
      都会へ都会へと集中しても、結局は自分たちの本当は豊かであるべき未来を、閉ざさざるを得ない。よほどでなければ
      給料は上がらないし、高い所得税を払う生活水準にはなれないと思う。高い給料を得る仕事は少ないからです。役職の
      ポジション昔に比べても多い必要はないでしょう。昇給も然りです。
      ドウドウめぐりです。田舎に力をつけるためにどうしたらよいのか都会に住む者は想像しなければならないし、田舎に
      住む者は力をつけて農業を豊かにし都会に住む人たちに廉くて新鮮な食料を提供できる。子供の教育もできるという
      ようになればいいですね。

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