アースデイ&山野草

毎年花を咲かせるお隣さんのヤマボウシ。

今年は特に圧巻!!

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6月7日 アースデイ宮城。

東京では盛んだそうだけど、宮城では初めてのアースデイ。読んで字のごとくで地球の日、地球環境を考える日。

海の手山の手ネットワークでは、365分の1dayというロゴを貼った新聞バッグを出店者全員に少しづつですが、

配りました。地球の日だもの。USED新聞紙と糊だけで作った新聞バッグを見て触れて感じて使って欲しいと思います。

初めてのアースデイには最高の天気。そして今日の会場、化女沼(けじょぬま)古代の里も、アースデイによーく

似合ってました。広くて緑豊かで大きなステージも子供たちの遊び場もたくさんあって最高!

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海の手山の手ブース。

お隣りさんの東北村スタッフにもじゃくりバッグ講習中。

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私が思っていたよりずっとたくさんの人が、大きな木の下で家族で食事をしたり、テントを張ったり、キャッチボールを

したり、歌ったり楽しんでました。

商売的にはどうか判らないけれど、これだけ来た人たちが楽しめるんだもの。

第1回目アースデイ宮城は、「気持ちいいーー」「楽しいーー」だけで大成功だと思いました。

都会ではアースデイは地球環境を考える特別な日。365分の1日。

ここに住む私たちにとっては、毎日がアースデイ!

 

アースデイが終わって、山野草の運び出し。へとへとに疲れて終了。

 

翌6月8日

午前中はお餅仕事と降ろした山野草のお世話。暑いから水をやるのが一仕事。

午後からは、昨日運び出しの助っ人を頼んだよっちゃん、みっちゃん夫妻が来てくれることになりました。

地下足袋履きの山仕事スタイルで軽トラに乗って現われたよっちゃん夫妻の働きの早いこと。力強いこと。

私一人だったらどれくらいかかるだろうと絶望的だった運び出し作業が、みるみる終わりました。

昨日はアースデイでタケチャンマン販売。明後日から2日間は仙台でのイベント販売の準備で大忙しの貴重な

時間を割いてもらって、本当に有難かった。やっぱり若いって違うもんですねえ。もう年寄り状態に慣れてしまって

自分にも若い時があったなんて信じられないような気がします。

よっちゃん夫妻の仕事の成果がこれ!

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さて、私はこれをどうするか、どうするべ。

「盆栽屋さんになる」「苔玉屋さんになる」

そう言ったら娘が「言うと思った!」

311後には竹盆栽も苔玉もずいぶん作りました。でももう花栽培も苔玉作りも全部止めよう、と思っていた私の

ところ突然現われた山野草。これから考えます。

 

この後は仕事を終えてやってきたあやさんと共にロイズ新聞バッグ検品。

夕方6時に終了。

この後餅つき仕事が残ってる。

充実しているけど、充実し過ぎのような気がするここ数日なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別れの日

私が暮らす別荘地には定住者が3軒。一人暮らしが1軒と老人二人暮らしがうちともう1軒。

うちは一昨年夫が亡くなったので今は正確には私一人ですが、もう1軒のSさんとは年齢も近いので仲良く

してました。私は15年前に千葉県から、彼女は17年前に仙台からの移住者です。

山野草が好きで、一時期うちよりもずっと高い場所にある自宅で山野草屋さんを始められたりしていたSさんの

ご主人の姿をあまり見かけなくたってから1ヶ月ほど経った頃、ご主人が難しい病気で入院なさっていることを

知りました。そういえばこの別荘地への入り口に立っていたでっかい「山野草」の旗が今は無くなっている。

ご主人の病気は俳優の渡辺謙氏と同じだそう。あの渡辺謙さんだって闘病して治って、再発してまた治って今はブ

ロードウエイの舞台に立っているのだもの。ちゃんと治療すれば治るんじゃないの?

 

そんなふうに思って、「この先々どうやって暮らす?」「都会には戻りたくないねえ。できるだけ元気でここにいようね」

なんて時折話し合っていたSさんの奥さんに、何か手伝えることない、と電話をしてみました。無菌室に4ヶ月という

ご主人の治療は、本人にとっても付き合う家族にとってもとてもとてもハードでしょうから。

 

道の駅で山野草を直売されていたご主人に代わって私が持っていってあげようか、くらいの気持ちだったのですが、

夜になってうちまで出向いてくれた奥さんからの報告はとても衝撃的なものでした。

ご主人の症状は重いということ。そして、なんということか彼女までも場所は違うけれど同じ病に侵されていて症状

が重い、ことがごく最近になってわかったそうです。 それまでは無症状。仕事から帰ると雨の日も雪の日も

愛犬マックと長い長い散歩をしてました。

 

 

本当に言葉もない。あまりの衝撃に私は一瞬ここに住んでいるのが嫌になってしまいました。

 

あれからまだ2週間くらいしか経っていない。彼女の心の中は様々な不安でいっぱいだと思うのだけれど、彼女は

至って普通で降って湧いたような自らの病気を悔やむことも嘆くこともなく、ただひとつの気がかりはご主人が長年

かかって集め育てた山野草を枯らしたくないというその一点でした。

どうしよう、どうする?と言っているうちに時間は刻々と経過し、彼女の病気の専門医がおられるという首都圏の

病院への入院日が近づいてきます。

もう待ったなし。彼女が可愛がっている311の時の迷い猫ピーちゃんは、花栽培のおじさんの家に。そしてご主人の

生命線のような大切な山野草は庭のありったけをまるごと私が安値で買いました。広ーいお庭の端から端まで

広がった山野草はものすごい量。私は長年花栽培をやってきたけれど山野草はど素人。何にも解りません。

 

今日はアースデイ。

息子さんの付き添いで、ご主人の転院を先に終わらせた彼女が病院に出発する日でもあります。

朝、私がアースデイに出かける前に彼女の車が降りてきました。

 

軽ワゴンに乗っているのは運転席に小柄な妹さん。だいぶご年配なのでお歳を尋ねたら「65歳」とのこと。

助手席に運転をしないお姉さん。そして後部座席に70歳に近い彼女ともう人間なら100歳だと言われる老犬マック。

年寄りばかりで一路首都圏の病院まで。なんと立派なんだろう。

「65歳なら大丈夫、私も65歳で北海道から一人で運転して帰ってきたから」

そういったら運転席の妹さんがにっこり笑って「大丈夫。ゆっくり行きます」と窓から腕を出してのガッツポーズ。

私はキリスト教徒ではないけれど、神のご加護をと心から願います。

胸いっぱいの別れ。こんな時にこんな形で別れるなんて想像もしなかった。

 

アースデイの1日が終わって、誰もいなくなった彼女の家に山野草の運び出しに行きました。もう水がないので

置いとくわけにはゆきません。素性も育て方も判らないたくさんの子供のお母さんになったようで困惑してますが、

彼女とご主人が生き伸びてくれることを信じて私が育てます。でも枯らすかもしれない・・・。

どなたか私に山野草を教えてください。欲しい方、声をかけてください。

 

今、夜の12時です。窓を開けると真っ暗な闇の中で虫の声、蛙の鳴き声に混じって、ギャーッ、ギャーッと熊の

鳴き声が聞こえます。裏の竹林に来ているみたい。親熊が仔クマを呼ぶ声ですって。

怖くはない。命の声・・・・・・。

なにやら胸がいっぱいになります。

 

 

 

 

 

 

道央旅日誌 その1

あ・ら・伊達な道の駅出荷組合の役員研北海道へ行ってきました。

今度は富良野ではなくて、道央。 石狩市当別町、札幌、小樽、余市を一泊2日で巡る研修旅行です。

当別町は私たちの町岩出山と姉妹都市であり、既に国土庁から重点道の駅として選定された道の駅が近年内に

オープン予定という事情があることと、札幌は北海道の首都として表敬訪問(まあ、その他蟹食べたい、

ラーメン食べたいだのの事情もあるわけですが)、そして小樽はこの旅でただひとつ純粋に観光目的、最後に

余市は、自らも開拓3代目であるこの団体代表理事が、、どうしても「マッサンの開拓魂に触れたい」という理由で

訪問することにしました。余市は漁業とともに初めてりんごを栽培した果樹農業の盛んな町でもあります。

 

朝6時にあ・ら・伊達な道の駅を出発。1時間ちょい高速道を走って仙台空港から宮城を後にし、新千歳空港午前

9時25分着。近いねえ。道の駅を出てからまだ3時間半経ってないのにここは北海道!

毎度のことながら木が違う。花が違う。空気も違う。これから何が始まるかと胸が高鳴ります。

 

空港まで可愛らしいバスが迎えに来てくれてました。

一行11名、2日間このバスで移動します。

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車窓に広大な緑色の麦の畑、何かわからないけれどまだ幼い苗が並ぶ畑などを見ながら、最初の目的地

に向かいます。田んぼの稲は岩出山の水田の苗をほとんど変わらない大きさ。

外の風物景色よりも、畑や水田の様子にばかり気も目も惹かれます。

 

道の駅マオイの丘公園

短時間なので道の駅としての地理的な要件はわからないけれど、野菜や花や加工品の店が個別に並んだ

道の駅。アスパラ、かぶ、などの今の季節の野菜や花がたっぷりと並んでますが、特筆すべきは 野菜も花苗

も大きい。遅くまで寒いはずの北海道で、なぜこれほど野菜や花が大きくなれるのか。 素朴に疑問です。

ハウスのビニールが厚いんだろうかと考えたけど・・・・・・。自信がない。

 

加工品には独特の工夫が見られました。

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お餅屋の私としてはそこ、ここのお餅に興味がありますが、ここのお餅は5色。それぞれに使った野菜の

生産地の名前が表示されています。こういうのはいいなあ。安心するし、その土地土地に親近感が湧く。

いくつかのお餅を購入して、全員で試食をしながら次の目的地、当別ふれあい倉庫へと移動します。
 

 

 

 

 

 

 

啓子さんを偲ぶ会&海山呻吟ミーティング

「聞いでけさいん 新聞バッグのはなし

それはリサイクル、包装紙、持ち運びに便利

宮城の今を伝えます。

山に避難した「海の手」から生まれました。

わたしたちは

山間からヨノナカを変えていくメッセージを

小さな新聞紙の袋に詰めて届けたいのです。」

 

311の大震災の年の7月に、避難して鳴子温泉で暮らす海の人たちとともに新聞バッグを作って仕事にしようと

考え、動き始めました。でも事務的なことが全然解らなくて、その頃知り合いになって少しづつお話をする機会が

増えていた千葉啓子さんに「手伝ってもらえないか」と相談に行きました。その時啓子さんは被っていた毛糸の

帽子を脱いで、うっすら髪の毛が生え揃った頭を私に見せ、「私は病気なの。だから他の人を紹介するわ」と言い、

「なにか私たちのことを紹介する文を書いてほしい」という私の頼みを聞いて、たったひと晩で「聞いでけさいん

新聞バッグのはなし」という詩のような文章を書いてくれたのです。

 

今読み返すと凄いと思う。

この短い文章の中にこの4年間新聞バッグを作り続けてきた私たちの思いが全て入っているような気がするからです。

でもこの時はまだ何も始まってなくて、これから、という時でした。

私の妄想をちょっと聞いただけで、啓子さんはどれほどのことを感じ取ったのか。

 

啓子さんが57歳という若い命を散らして3年。今日は啓子さんを偲ぶ会に出席してきました。

場所は啓子さんが週2回開いていたレストラン「風のアトリエ」。今はご主人が引き継いでお店をなさっている

そうです。

今啓子さんがここにいたら60歳。還暦の歳です。

農の人、食の人、絵の人、音楽の人、文の人。そして旧家の奥様でもあり、男の子のお母さんでもある多才な

啓子さんを偲ぶ方たちが40数人も集まって、啓子さんの思い出を語る会でした。

還暦を祝う60本の薔薇の向こうの写真の中の啓子さん。この笑顔はいかにも啓子さんらしい。

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文章まで書いてもらって亡くなるまでいっぱい話しをしたのに、私は啓子さんが何をする人なのか知りませんでした。

亡くなったずーっと後に新聞の人物の紹介コーナーのようなところで、啓子さんの職業を造形作家だと知って

驚きました。でも一番似合っていたのはやはり本職の中学校の美術の先生なのだと思います。

 

午後は岩出山の蕎麦屋さんで、久しぶりの海山会議。

6月7日に行われるアースデイ宮城についての打ち合わせなんですが、言葉、言葉、言葉を捜して呻吟の

3時間でした。

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黒田さんが持ってきたロゴは素晴らしくて一発でOK。

そこに必要な言葉がほしい。寝たり起きたり転がったり喋ったり唸ったり、四つの頭を並べて言葉がつかめなーい!

でも最後に掴んだ、降りてきた。

啓子さんが空の上で「見つかった?」とほッとしているかもしれません。

後はもう黒田さんのお願いして、私は今日はここでおしまい。頭が疲れ果てました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嬉しいことふたつ。

昨日口の永良部島で大噴火があったかと思うと、今朝は洗面所にいるときにヴィヴィヴィと地震速報。

どこだ?近くか、と急ぎテレビの前に戻ると奄美大島だった。たいして大きくはなかったけれど、なんか不気味。

ニュースといえば、近頃は刺した、とか切ったとかの事件の多いこと! 女の人が突如刺すというのはあまりないけ

ど、男が通りすがりにムシャクシャしたからそこら辺の人を切った、なんて事件を読む度に、なんか世の中全体が

ヒステリックだなあ、と感じます。

そして夜になったら、今度はでっかい地震。小笠原で震度5強というから(5強は壊れるわ。経験から言うと)、

被害がないことを祈りたい。

とにかく人の世界も自然世界も騒然として感じられます。

 

でもここでは泰然自若として毎年何万羽もの白い鳥が止ったように花をつける1本の木。

樹齢百年なのか百五十年なのか、ご主人がものごころついた時からあった、と言われるお隣りのヤマボウシです。

毎年変わらず白い十文字型の花をつけますが、今年はあたり年のようでお見事!

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庭ではもうサヨナラね、と別れを告げてよっちゃんのお父さんに伐ってもらったスモークツリーが、全く平気の様相で

伐り株から芽を出しぐんぐん枝を伸ばしています。もう・・・・・・・。

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嬉しいことがありました。

私が大好きな天野寛子先生のフリー刺繍がニューヨークへ行くことになった、と先生から連絡を頂きました。

ほら、やっぱり!私が言ったとおりだった。

天野先生と初めてお目にかかったのは、筑波大学の農村に関する学会で東北の移住者としての発表を請われて

うかがった時。つくばから北千住までの帰りの電車が一緒になってお話をし、本当は大学の先生且つ研究者で

いらっしゃるんだけれど、別にフリー刺繍家として作品をお持ちになっている、と伺いました。

送って頂いた「繋ぐ」天野寛子フリー刺繍画集を見た時は、あまりの素晴らしさに衝撃を受けました。

刺繍のテーマは311。ロシアには一度持って行ったということでしたが、私は日本よりも外国で見てもらいたいなあ

とその時強く思いました。新聞バッグと一緒にニューヨークがいいよ、などと言っていたのですが・・・・。

あれから3年の時が経って、先生の刺繍画はお知り合いの画家のニューヨークの個展に一緒に同行するそうです。

あの刺繍、あの鮮やかな糸の色合いは是非ニューヨーカーに見てほしい。評価はいかに?ほんと楽しみ。

 

もうひとつの嬉しいこと。

一年坊主の孫が初めて作文を書きました。

隣町の幼稚園に行っている時に、年長さんのすみれ組で字は読めるけど、まったく一文字も書けない子は孫一人

だったのです。気にする娘に先生もバーチャン(私)も大丈夫だと言っていたけど、1年生になってどうなるのかと

実は不安はありました。彼はサウスポー。右手で鉛筆を握るとふにゃふにゃの線しか引けないので、書くことには

消極的でした。ところがところが、まだ学校には2ヶ月も行ってないのに、右手でノート2ページに亘って、しっかりと

作文が書かれてました。学校ってすごいね。

一文字も違わず、しっかりと書いてる。それも状況から感想まで。驚いた。感動しました。子供って凄いね!

 

雨の音がします。

毎日毎日晴れ続きで、5月だというのにほんとに暑い!

恵みの音だけれど、きっと夜少しだけ降って明日もカンカン照りなのでしょう。

今夜は遠いどこかで大きな地震や噴火がありませんように・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロイズ新聞バッグ記念日

5月26日・・・・今日を・ロイズ新聞バッグ第一弾発送記念日とします。

 

「10000個!?」

昨年の夏の終わり、あ・ら・伊達な道の駅で㈱ロイズコンフェクトの山崎社長じきじきにその法外な数量の

新聞バッグの注文を頂いてから半年。

さまざまなできごとを乗り越えながら、遂に第一回目の発送にこぎ着けました。

一万個と聞いて度肝をぬかれ、言葉を失った私の横で「受けさせていただきます」と堂々と大声で答えた

のはよっちゃん海山営業部長。

 

しかしながらその新聞バッグは難しかった!

表側はロイズチョコレートのオリジナル全面広告新聞紙、内側は私たちが普段使う英字新聞紙の5枚重ねで、

これまで作ったことがないデザインです。提示されたチョコレートが入る寸法のサンプル新聞バッグを数種作って

送り、選んでもらうという作業から始まりました。

デザインが決まった後に黒田さんの作り手さんへの講習開始。作り手さんはこれまでの南三陸部隊に加えて

石巻の方が加わりました。黒田さんの熱心な講習のおかげで石巻部隊にも実力がついて約束の数量が

できあがったところで、本日は検品、及びロイズさんの要請で新聞バッグを海山チラシと共に一枚一枚セロハン袋

に入れる作業。

 

新聞バッグは作っていないけれど、石巻のためにやってもらっている仕事だからと、このところ立て続けに女川

から手伝いに来てくれるSさん。今日はお弁当にお茶持参の態勢でほんとうに有難いです。

もうひとり、石巻で被災して今はY町に仮リ住まいのHさんは初参加。6月のアースデイみやぎにも参加してくださる

そうで心強いです。

そして午後2時、仕事を終えてやってきました強力メンバーあやさん。

黒田さんも加えてこれだけのメンバーでがんばりました。

毎回のことですが、袋入れよりも検品にうんと神経を使い手間もかかります。

最後はいつもどおり押せ押せで午後6時発送作業完了!

 

いざヤマト運輸へ!

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やったぜィ!

海の手山の手最強の二人。 ご苦労さまでした~~!!!

 

 

簡単なようだけど、疲れたあ~~。いや、ほんと草臥れた。ずいぶん緊張してたみたいです。

帰ってソファーにごろ寝していたら、なんと目覚めたのが午前1時。えーーっ、お餅も搗いてない。

ロイズ新聞バッグ記念日の夜は午前2時のお餅つきという可笑しくも不気味に過ぎてゆきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運動会

5月24日

運動会。孫が入学した小学校の運動会と学校のすぐ下にある保育園の運動会と地区運動会の合同運動会。

私、こういう全部一緒の運動会というのは初めてなので、なんとも興味深々です。

 

朝6時。都会ではもう鳴らせちゃいけないらしい「運動会だよーッ」という花火がドドーン!!

お腹に響くような音で近隣に鳴り響きます。

天候は抜けるような青空。運動会日和だといいたいところだけど暑過ぎ!昨日よりさらに暑くて気温は30度にも

なりそうな予報だけれどいくらなんでも異常。熱すぎて熱中症になりそうだわ。

 

でも私は何があろうと日曜日の朝はお餅なので、早起きしてお餅をつくり、大急ぎで道の駅に運んで(今日は何故だ

か朝からお客さん混み混み)、とんぼ帰りして地区館の運動場へ。地区館は町中へ統合された中学校跡に建てら

れているので広ーい運動場があります。

ここはとにかくなんでもかんでもどこでも広い。都会者の私は、土地が豊かというのはこういうことなんだね、とイベン

ト会場に行く度に実感します。

その広ーい広ーい運動場の真ん中辺りで、子供も大人も一緒の綱引きの真っ最中でした。

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子供は子供だけで白組の勝ちィ!

そして大人は?

「クロダさん、出てるよ」娘に教えられてよくよく見ると、なんと綱引きのロープにしがみついたか細いクロダさん

の背中が・・・・。あらあ・・・・気の毒に。クロダさんの体重じゃロープの重石にもならんでしょう。

うちの1年坊主の応援に来てくれたクロダさんは強制的に地区のメンバーに加えられて、何十年ぶりだかの運動会

競技参加になっちゃったみたい。

商品に洗剤をGETした買い物競争は終わった後とのこと。一緒に走った競争相手は、孫のパパと中島源陽県会議

員と小野寺五典国会議員だったそうです。これはまた珍しい組み合わせで・・・・・・。

 

綱引きの後は大人子供合同の玉入れ競技。

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観客は地区別に地区名が大書されたテントから競技を見ます。

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全員参加の真山音頭が終わった後は、地区別に分れてテントで運動会のお昼ご飯を食べます。

 

どこのおうちもおじいさん、おばあさんも参加して家族総出で凄いご馳走!

都会では今はこういう運動会の昼食はもう少ないと思うんだけど、運動会ってこういうのが楽しかったんだよねえ。

クロダさんにも参加してもらって、うちもご馳走です。

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昼食の後は子供も大人も対抗リレーで終了。盛り上がりました。

広い広ーい運動場に人数は少ないけれど、みな本気出した熱気のある楽しい運動会でした。気に入った。

歳をとりすぎたので私は走れないけれども来年もきます。

それにしても暑かった~~!あっちっちの運動会でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未来は「あ・ら・伊達なハーブ園」

去年植えたラベンダー。こんなに大きくなりました。

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私がお餅を出荷する岩出山のあ・ら・伊達な道の駅にたくさんのお客さんに来てもらいたい、と昨秋、出荷組合花き

部会では部会員にラベンダー苗200株を配りました。みんなで育てて株を増やし、直売所で苗や花やドライフラワー

を売りたいね、という目的と、あ・ら・伊達な道の駅の花壇を青色のラベンダーで満杯にして「きれいだなえ~~!」

とお客さんに楽しんで欲しいという目的。

 

去年、道の駅の園芸担当の鈴木さんに植えてもらった小さいラベンダーは、今朝見に行ってみると、駐車場の奥の

花壇に移植されて少し大きくなって元気よく育ってました。

ラベンダーの向こうの花壇を縁取っている銀色の背の低い木は、シルバーのサントリナ。道の駅のオープン時に

花壇に植える花が何もなくて、私がハーブのサントリナを家から運んで植えました。まさに15年目のシルバーサント

リナ。小さな丸いボールのような黄色の花が咲きます。グリーンサントリナも植えたはずですが、弱かったらしくて

消えました。

最初花壇に植える花がない頃には、生産者が家から持ち寄った花や苺などを植えました。苺は3年ほども

びっしりと実を成らせてお客様を楽しませましたが、病気で枯れました。その頃に植えたスズランがびっしりと

立錐の余地がないほど増えています。

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他にハーブとしての花はなく、鈴木さんが植えたチューリップが毎年賑やかに花を咲かせていましたが、今年

からはラベンダーが並びました。嬉しい光景です。

 

元々は北海道育ちのこのラベンダーはちゃんと世話をすれば株周り50センチほどにもなり、たくさんの花穂を立てて

青紫色の花を咲かせます。花が終われば刈り取って、新しく出る芽が10cmほどにも育ったら切り取って穂刺しを

して新しい株を作る。そうやってラベンダーを増やしていけば、あ・ら・伊達な道の駅は5年後にはラベンダーの

名所に! というわけには簡単にはいかないでしょうが、ラベンダー集客も夢ではない。

 

ついでに家にあるタイムやミントやその他のハーブを持って行って植え込んで、未来は「あ・ら・伊達なハーブ園」。

鈴木さんに「あ・ら・伊達なハーブ園」と書いた看板を作ってもらって、部会員みんなでタイムとかミントか名札を

作って立て、時々世話をする。ハーブの花壇が出あがっていく過程を想像すると妄想が止まりません。

30年近く花栽培をやってきて、近頃は花に接するのが嫌になってました。どんな花を見ても作りたいという

気持ちには全然ならなかったのだけれど、何故かラベンダーは最後まできっちり作ってみたい。

 

7月4日から5日間富良野へ行きます。

ラベンダー修行をさせて頂くように昨秋新聞バッグでお世話になったみやこさんにお願いしました。

富良野のラベンダーは咲いた端から刈り取って行くので、8月にはどの畑にもない、ということもあるそう。

7月初めの北海道の旅はラベンダーもその他の花も真っ盛りかもしれない。

とてもとても楽しみです。

春のチューリップから夏から秋にかけてのペチュニアの植え替えに精を出す鈴木さん。

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鈴木さんのお陰であ・ら・伊達な道の駅の花壇の花や木々はいつも手入れをされてきれいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変わりゆく農村の風景

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朝、道の駅にお餅の出荷に行こうと家を出たところで、田植えをしている由美さんに似た姿を見つけて急停車。

やっぱり由美さん夫婦だった。なんでこんなところの田の田植えをしているの?

持ち主の家が近くにはない田んぼが多くあるのは知っているけど、15年も住めば家の近くの田の持ち主は

大体分ります。ここはOさんの田んぼで去年までは真っ先に田植えをしてました。

聞けば持ち主のOさんは今年から田植えはやらないのだそうです。つまりもう自分では作らず人に頼んで作って

もらうということ。この15年の間にそんな田んぼがたくさん増えました。

それでもやらずに耕作放棄した田は柳が生えて林になってゆきます。そんな田もずいぶん増えました。

 

同人誌”みず”を25年間作ってきて、原稿を書く仲間たちの生きる道の多様さに、もう何が起こっても驚かない、

と思っていたはずの私が、昨夜聞いた知り合いの身の上の突然の変化に驚きショックを受けて、道の駅の帰りに

よっちゃん農場を訪ねてしまいました。他の用事もあったのですが、お仕事の邪魔をしてしまった・・・。

 

健康でいたいけど、まずは健康でいることが基本だとは思っているけれど、そうはいかないこともある、という

話です。

 

そして一昨日日本経済新聞に載った「ONEDAY新聞バッグ」の話。

大震災から4年経って思えば、大震災があってその後の4年間を経験して初めて分かったという事柄がいくつもある

(逆を言えば大震災がなかったら分らなかったということでもある)のです。

「大切なのは共生」なのだと思うのですが、この話はきちんと納まる言葉が見つからないので書けません。

今週末から6月まで新聞バッグの展示販売とワークショップのイベント参加が続きます。

新聞バッグで人と人が出会い、そこから何かが始まる。みたいなことがあったらいいな、と思うのだけれど・・・。

 

これから暫く預かりものの山野草を販売します。全て種を蒔いて栽培した花々です。

花が咲いたらFBにUPしますので、どうぞ買ってください。お願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宴の後

ゴールデンウイークが終わって気抜けしたような日々ですが、実は表面的ではない、まあ、重たい仕事がいくつか

残っています。

たまたま重なった新聞バッグの注文をこなすのに追われて、作り過ぎたというか(検品で落とす品物が結構出るの

で大量受注の場合には常々多目に作ってもらってます)残った新聞バッグをいかに消化するか。可能な限り、返品

はせず、お金に換えて作った人に渡したい。

実は簡単ではない仕事なので、草刈りやっても買い物に出ても頭から離れません。

ここ数日、完全に破れたり糊でくっついたりしていて返品せざるを得ない商品を除いて、ひとつひとつ見直して買って

もらえるお客様を探すという作業をしています。 これ、なかなか孤独な仕事なのォ!!

心ある方と心通じ合わせないとできないことなので。

 

先日、大崎の農業者の話を聞くという課題をもって、神戸大学の岩崎名誉教授、岡山大学大学院の藤井教授、

名古屋大学の佐藤特任助教授の3人の先生方が岩出山にみえました。岩崎先生にお会いするのは初めて。

女性の藤井先生と佐藤先生にお目にかかるのは2度目です。

農業とそこに暮らす人の生活を結びつけてよりよい未来を考えようとする研究をなさっている先生方に農業者

としてのお話をするのはよっちゃん農場当主のよっちゃん。

新聞バッグについては年中話しをしていても、農業者としてのよっちゃんの考えを改めては聞いたことのない

私も同席して話を聞かせてもらうことにしました。浮かび上がってくるのはこれまでとは違うこれから先の農業。

そして夜は新聞バッグの話を聞いていただきました。

 

話をする。話を聞いてもらう、ということはとてもいいことで、日頃から心の中に溜め込んでいるさまざまな考えを

表に出して整理し、自ら確認できるいい機会です。

3人の先生がたそれぞれに話をきちんと聞いてくださって、今日は岩崎先生からも藤井先生からも佐藤先生からも

未来が明るく感じられるようなメールをいただきました。

新聞バッグのこれからの行き先はわからない。大震災も初めてなら手仕事で復興というのも初めてで、何をするのも

手探り状態です。ただ、今は続けて広げてたくさんの方に使っていただきたいな、という思いは変わらない。

 

今朝、隣家の娘夫婦は1年坊主が学校に行っている間に、栗駒山に出かけて行きました。登ってみるそうです。

私は40代半ばから50代の終わりまで山に登ってました。山の花が好きで山に行き始めたので、頂上を

踏むとか御来迎とかには興味がなく山を歩いていればよい、という登り方でした。だから北アルプスとか危なそうな

山には行ってません。花が多い会津や東北の山々はずいぶん歩きました。

70歳を過ぎて山には登らなくなった今も稜線を歩く時の山々の美しさは忘れられません。一生の宝のような気が

します。山に登っていれば足腰は強くなるし、どんなに長時間でも歩けるようになる。どんなに小さな一歩でも

とにかく止まらず歩いていればどこぞには着く。というような達観というか諦めというかそんな心境は山歩きをする

うちに身につきました。それと自分で登れば、嫌でも自分の足で降りるしかないというのは、数々の場数を踏んで

骨身に沁みて会得しました。骨折しても自分で降りるしかないものね。

 

残念ながら栗駒山は登山道の始まりから残雪で登れなかったそうです。さすが東北の山。

さて私も一歩一歩ならぬ1枚1枚の新聞バッグ点検に戻ります。がんばろう~~!