よそ者として

久しぶりに本格的に雪。

今は15、6cmだけれど、このまま降り続けたら明日の朝には20cmを超えるかも。

雪の中、小学校へ孫を迎えに。

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3時半に授業終了。でも4時まで待っても遊びほうけて全然来ない。

さすが東北の子供たち。 降りしきる雪なんてまったく平気。

 

このところ、年度替わりで会議が続いてます。

その間を縫って、ロイズ新聞バッグの発送。

2年近くかかって、いよいよ10000枚のロイズ新聞バッグは終りに近づいてきました。

 

時間が押しているので、今回は上條さん、黒田さんらいつものメンバーに由美さん、マレーシアから

帰国中のmichikoちゃんも加わってくれて、ワイワイガヤガヤ進んでいきます。

強いて言えば、特徴は由美さんを除いて余所者ばかり。

michikoちゃんはここの生まれだけれど、東京の大学からそのまま外国に行ってしまったので

感覚的にはずいぶん違ってしまっている。

20代、40代、50代、60代以上がごっちゃになって女子会開いているようなもんで、この時間けっこう

楽しいのです。 仕事が終ってなくなったら勿体ないような気がする。

うちの狭いリビングだから足の踏み場もないのですが。

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昨日は突然、ピアノの先生がうちに寄ってくれました。

先生は北海道の生まれ育ち。お父様のお仕事で北海道のあちこちに住まわれた経歴をお持ちなので、

北海道気質なのか、繊細、かつ豪快。お話していて大変面白い。

先日富良野へ行った話しをすると、「富良野ってなーーんにもないところなのよね」と。

普通だったらラベンダーだの「北の国」からだの今の富良野のイメージで捉えられるところを、自分が

育ったそれらがない以前の北海道の姿で話されるのが新鮮に感じられて興味深い。

先生とお話すると、北海道が今の姿になるためには激烈な人と自然との闘いがあったのだろう、と

想像させられ北海道の歴史や人に惹かれます。

 

 

先生と入れ替わりで、この集落に家を買った黒田さんが最後の手続きを終えて寄ってくれました。

これから家持ちのここの住民になった黒田さんは、道の駅の生産者にもなってくれることに

なっています。

他所の土地から来たものが、この町の住民で構成される生産者出荷組合に参加をすることについて、

道の駅で仕事をした経験を持つ娘ともどもの四方山話。

 

私は引っ越してきて翌年にできた道の駅の出荷者になることを役場から依頼されるかたちで参加。

最初の頃は習慣も東北の人の気質も言葉も解らないまま(なにせ一度も東北に来たことがなかった)、

失敗と周囲の人をも唖然とさせるアクシデントを繰り返しつつ15年生産者を務め、図々しくも出荷者の

人に許して頂いて長い間役員をも合わせて続けてきました。

 

やったこともない生産者をやるようになって、仕事をすることは楽しかったけれど、楽しい気持ちばかりでは

なかった。 理解できないというか、怖いというかそんな場面も多々ありました。

配偶者がここの生まれ育ち、などの事情があればまた違うのだろうけれど、黒田さんのように私のように全く

この土地と関連性のないものが、関連性のない町で生きることを選び、仕事をすることは、なかなかの大冒険で

相応の勇気と、知恵と、退かない覚悟が必要なのだと、年月を重ねながら学びました。

 

定着して生きる人々と私のように日本のあちこちを転々として移動しながら生きてきたものが融合して生きる。

たいした経験をさせてもらえているものだと思います。地道で辛抱強く動かない農耕民族の中に、あちこちの世界

を見てきた落ち着きのない牧畜狩猟民族が1人紛れ込んで、「あれ捕まえる」とか「これ拾う」とか大騒ぎしている

感もありで。 なにもかも許してもらえてできること。感謝いっぱいです。

 

黒田さんには美しいこの土地で、温かい集落の人たちのご親切に助けてもらって、楽しく過ごしてほしいと

願っています。熊本に戻られた80歳もお母様もまた来てくれるでしょうから。

 

雪は止んだ模様。雪明りはなし。

明日はまた会議です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「走る」鑑賞

富良野演劇工場での「走る」上演は午後7時から。

 

午前中の時間はたっぷりあるので、朝食の後は新プリンスホテル付近の散策へ。

前来た時には気づかなかったのだけれど、ここのスキー場はホテルの敷地というか、ホテルを出た

ところからリフトが登っているので実に便利。

だから外国人が多いし、10月に予約をしてもキャンセル待ちなのか、と納得しました。

 

雪中散策。

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スノーモービルを見つけて乗ってみることに。

よっちゃん、みっちゃん、由美さんは一人づつのスノーモービル。

私は二人乗りの後ろに乗せてもらうことになったけれど、4人とも初体験。

私を乗せてくれるのは、茨城から富良野へ移住してきて玉ねぎとメロン農家をやっているという山川さん。

農閑期の冬はこうして雪遊びの現場でお仕事なさっているとのこと。

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運転に慣れない間は、山川さん先頭に立って背後を見ながらゆっくりゆっくり。

慣れてくると、「スピード出します!」と宣言して時速40キロ~50キロ。

緩急のカーブにアップダウンがある林の中のモービル走行は、ハンドル握っている人はいいだろうけど、

後ろに乗せてもらう私は振り落とされないようにするだけでせいいっぱい。

景色や動物の足跡を楽しむ余裕もなく、面白いかどうかも分からず終了。

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走った3人は「おもしろーーーい!!」と大変に楽しそう。

私は鼻が痛かった。

すのーもーびる - コピー

 

午後はタクシーで町に下り(またもや運転手は野原さん。馬の話を聞きます)、富良野マルシェで地場産品を

物色。さすが、富良野、じゃがいも、玉葱の種類が多いのと、他所の土地の人が富良野で農業という仕事に

就くという事情が垣間見えて興味を魅かれます。

 

午後6時半富良野演劇工場へ。

「屋根」公演以来、どんなお芝居なのかと息を詰めるように楽しみにしていた「走る」公演。

チケットは完売。昨夜の居酒屋の若主人も、とれないので3月の凱旋公演を観ると言っていたくらいだから

よほど評判なのでしょう。

 

幕が上がってから、下りるまで、舞台上では時のマラソンを駆ける男女が走る、走る、走る・・・。

それぞれの人生を背負って走る、走る、走る・・・。

スーツを着たサラリーマン数十人が日本の経済を、家族の生活を背負って走る、走る、走る・・・。

企業戦士を任じて高度成長期を駆け抜けた夫が見慣れたスーツ姿で、舞台上を走っているような気がして、

胸が熱くなりました。やっとゆっくり歩き始めたら、なんと早々に天に向かって駆け上がってしまいましたが。

 

最初に観た「ノクターン」とも次に観た「屋根」とも全然違う舞台でした。

物語りを観るのではなく、さまざまな事情を背負って走ったり、息切れして歩いたりしている自分を思わず

重ねてしまう「走る」。

観てよかった、そして是非多くの人に見て欲しい舞台でした。

 

舞台が終った後の「くまげら」で。

楽しむのは山賊鍋。もうお会いして何度目かになるマスターのお話を聞くのも楽しい。

神経を使う仕事で本当にお疲れだろうに、制作スタッフのみなさん、がお顔を見せてくれました。

遅いのにご飯も食べてないらしいのに本当に申し訳ないです。

くまげら

呑んで食べて楽しい宴の後、店を出ると深夜1時。気温マイナス18度の夜は寒くて寒くてじっと立って

いられないほど。

富良野の夜は寒いんだ、と実感しました。

本当に心優しい富良野GROUPの方々。お世話になりました。ありがとうございました。

そうだ、演劇工場長がふざけて撮った自撮りの写真。

どうしたらこんなふうに撮れるのか!

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高木誠さんの木のお人形

昨日、「走る」の福島県郡山公演を観に行き、富良野の居酒屋に忘れてきたカメラがやっと戻って

きたので、ブログ再開します。

富良野塾2期生、高木誠さんの木のお人形の作品を何点か。

楽器を奏でる妖精たち。

この箱も楽器も帽子も服も色をつけたのはなく、自然の植物の色と聞いて仰天。

信じられます?

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説明できません。

なんか楽しそうじゃないですか! 足まで楽しそう!

大きい耳はきっとよく音が聞こえるのだろうと思う。

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高木さんの心には何が入っているのだろう、と思わせられる圧倒的なお人形の数々。

僅かに残った販売可の作品を1点購入。

お人形が好きな娘へのプレゼントだけれど、私も心が荒れた時、不安な時、寂しい時、悲しい時、

手も足も体全体も楽器も植物で作られた、この妖精たちを見ると心が落ち着くのではないかと思います。

 

高木さんの作品展は喫茶くるみ割りで1週間で終り。

タイミングのいい時に富良野に来て、お人形たちに出会えて感謝!

 

 

1月の占冠(シムカップ)道の駅。

時にマイナス30度になるらしいけれど(2、3日前にマイナス30何度になったらしい)、私たちが来たこの日

は、たぶん少し暖かい日でさほど寒さは感じません。。

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日本人よりも外国人乗客のほうがが多い新千歳空港ーホテル直行のスキーバス。

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富良野の町、へそ歓楽街の居酒屋の夜。

いなせな若だんな、と土瓶酒。

よっちゃん、みっちゃん夫妻は気持ちよく呑んで酔っ払い、カウンターの向こうでは外国から来たおじさんたち

が談笑し、酒を飲み、日本料理を楽しむ不思議で和やかなな光景。

「北の国から」でこのカウンターでお酒を飲んでた五郎さんと中畑のおやじさんがきっとびっくりしてるでしょう。

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自宅から25時間もかかって富良野に来たというスエーデンのおじさんたち。

短い国際交流タイム。

楽しい時間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年1月 富良野へ

倉本先生の「走る」を観るために、厳寒の富良野に行ってきました。

 

冬の北海道に行く時は、空模様だけが気がかりですが、案の定空港に着くと、こっちは晴れでも

新千歳が雪(だけではなく後でJALの事故があった、と知ることになる)で大幅遅延。

2時間近く遅れて無事新千歳空港着。昼食を終え、かろうじてホテル直行のスキーバスに間に合い、

一路富良野へ。雪で遅延の割には千歳地方、気温は高め。

「なんだ、このくらいか。もっと驚くほど雪が多くて寒いほうがよかった」と冬の北海道初めてのよっちゃん

がうそぶいています。

 

昨年1月の富良野行きと同様、空港もスキーバスのお客もファミリーの外国人だらけ。東洋人の

顔は少なくほとんどが西欧系の方々で、日本人の休暇の取り方との違いを実感させられます。

新千歳から1時間ほどは、自分の車でも走れるような路面状況、途中休憩の道の駅占冠から先は

白く凍てつく北の大地に様子が変わり、そこをバスはばんばん進んで行きます。

 

新プリンスホテル到着後、すぐに連絡しておいた喫茶「くるみ割り」の浦田さんから連絡が入り、

今日は浦田氏もおられ、幸運なことに「くるみ割り」を会場にして、できればお会いしたいと願っていた

木のお人形作家、高木誠さんの個展が開かれているというので、タクシーで富良野の町へ。

 

これも書いておきたいのだけれど、タクシーの運転手さんは女性の野原さん。

なぜかこの先、タクシーを呼ぶ度に野原さんとお会いすることになります。

野原さんのお父さんは馬橇を持っていた方で、馬とともに育った野原さんのお話はひと昔前の

北海道の暮らしを彷彿をさせ、実に面白い。馬に興味があるよっちゃんは大興奮で質問を浴びせます。

 

秋に来た時にはお忙しくでお会いできなかった浦田氏は、富良野の町に「暮らしのステーション」を設立

して町つくりの活動をなさる傍ら、、ラベンダーの専門家でもいらっしゃるので、岩出山に苗を購入するに

あたり大変お世話になりました。奥様のみや子さんには最初に新聞バッグで来た時からお世話になりっぱなしです。

 

そして木のお人形を作る高木さん。

前回初めてお会いしてそのピュアーな人柄に完全に魅せられ、またお会いしたいと切望していましたが、

ここで憧れの妖精のお人形に会えるとは思いもしませんでした。

高木さんの作品は新プリンスホテルのロビーに「森の楽団」木の人形のオーケストラ、として展示され、

ニングルテラスのショップ「森の楽団」では仲間の方の作品が販売されています。

 

妖精のお人形とは、高木さんの心の中から生み出される、木と植物のみで作られた可愛らしかったり、怖い

ようなお顔の妖精人形。精巧な楽器で音楽を奏でていますが、体も眼も髪の毛の全てが植物。

比類のないお人形の姿の写真をUPしたいのだけれど、最後の夜、テンションが上がり過ぎた居酒屋で、

カメラを忘れてきてしまったので載せられないのがホント残念。

 

ほぼ全てに赤丸がついた中で3個残った作品から選んで、1個購入しました。娘へのお土産、家宝にします。

前に伝えはしたけど、さほどピンと来ていなかったらしいよっちゃんは部屋中に並ぶお人形と高木さんに

心から圧倒されたらしく、釘付け状態。本当に来てよかった、見て会えてよかった、の時間でした。

 

夜は浦田さんに紹介されて50年の歴史を持つ、へそ歓楽街の居酒屋「炉ばた」へ。

細い路地には大きな赤提灯が下がり、正しい居酒屋の風情。中に入るとほぼ枡型のようなカウンターの真ん中

には炭火の炉に柄杓で熱燗の酒をくみ出す大きな土瓶がかかり、粋で丹精な顔立ちのご主人が注文を

とってくれます。演歌が聞こえて今にも暖簾を分けて黒板五郎さんが入って来そうな雰囲気。何を食べても

大変に美味しい。

なのですが、なぜか最初にいた日本人のお客さんが退出すると、どんどんどんどん西欧人のおじさんたち

ばかりが増えて、ついには20人ほどのお客の全てが私たち4人を除いて図体の大きな英語を話すおじさんたち

一色となってしまいました。

 

これは一体どういうこと?

なんで外国人がこんな居酒屋に来るのか。ここに住んでいる人たちか。それともスキー旅行の外国人?

ついに好奇心を抑えきれず、よっちゃんの隣りに座る外国人おじさんに「どうしてこの居酒屋を見つけたの?」

と質問開始。

なんと彼ら7、8人おじさんグループは、スエーデンから富良野にスキーに来たとのこと。

普段から日本食レストランで日本食を食べているので箸使いは上手。ほとんどみな50歳くらいで、富良野には

スキーをしに来た、居酒屋は調べて見つけた、スエーデンの自宅から富良野まで25時間かかった、

等々、スエーデンのおじさんたちの休暇の楽しみ方に感心したり、羨んだり。

 

どれもこれも美味しくてたらふく食べ、よっちゃん、みっちゃんは土瓶酒で酔っ払い、冷え込む富良野の第一夜

は楽しく過ぎていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「走る」を観に行く。

朝焼け!やっと晴れる。

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家の中から外を見ると、陽射しで暖かそうなのに、外に出るとマイナスでやっぱり寒い。

昼の暖かさで解けた雪が夜になると凍って、玄関前の木の階段はツルッツル。

 

でも明日からはここの寒さとは質がまったく違う、寒ーい富良野へ向かいます。

今年の1月に富良野の演劇工場で観た倉本聡氏脚本演出の「屋根」。

あれから1年の時間が経ち、同じ時期にまた富良野演劇工場で「走る」という演劇が上演されます。

 

人はなんのために走るのか。

何に向かって走るのか。

今度の倉本劇場「走る」は中村龍史氏との共同演出で、出演者は舞台の上のその人の場所で走りに走る

というこれまでに観たことがない過酷な舞台。と説明されていますが、走りながら人と人との会話が進められ

られる演劇って想像がつきません。

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観るのは楽しみなんだけれど、寒さが怖い。天候が荒れるのも怖い。

 

今年の1月は行きは問題なくて、観劇も皆さんとお会いできたことも大変楽しかったのですが、帰りが悪天候

で新プリンスホテルから直行バスで新千歳空港までは無事行けたものの、その先が動けなくなってまる1日

空港で過ごし、千歳のホテルに一泊。早朝飛行機の乗務員さんたちが乗るバスに乗せてもらって空港に

向かうという体験をしました。天候のことだから半ば諦めてはいるものの、できれば勘弁してほしい。

 

富良野の町中にある浦田さんの喫茶店くるみ割りでは、木のお人形作家、高木氏が作る森の音楽隊の

展示中とのことで見せていただくのが楽しみです。

どうぞ荒れませんように、大雪になりませんように・・・。

土曜日に戻って、その後はロイズ新聞バッグの発送仕事が待ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外からの眼、内からの眼

あんまり寒いので、昨日、今日はほとんど出ないで家ごもっています。

15日、鳴子で東大大学院教授のロバートキャンベル先生の講演があったので聴きに行ってきました。

題して「湯治文化ビジネス創造プロジェクト」。キャンベル先生の講演と外から鳴子に来た方2名と鳴子温泉の

若主人1名のパネルディスカッションの2部構成。

先生の講演の内容は、主題どおりで湯治という鳴子にしかないお湯の文化を活かして大崎全体の生き方を

考える。その中心にあるのは「ゆたかさとは何か」

 

キャンベル先生にお会いするのは久しぶりです。

大震災直後、先生が自ら発案されて、鳴子温泉で二次避難中だった沿岸部の方々に「読もう」という文学講座

を開かれた時に、図々しくも私は文学講座が目的ではなく、始まったばかりの海山の復興に向けたスローガン

のような言葉を翻訳していただきたくて、先生にお目にかかりに行ったのでした。

その時私は先生についての知識が何もなくて、翻訳をお願いした後、先生の講座に参加させていただき、

その時に先生が教材として選ばれた本。テーマは「音」で幸田文、川口松太郎ともう一人(名を忘れた)の作家

の作品にある音を読み解く講座でした。アメリカ人なのにその選ばれた本、そしてその解釈に私は驚愕してしまい、

それから講座に通うことにしたのでした。

 

テレビを見ないのでテレビの中の先生については知らないのですが、ほんとうに心細やかな優しいお人柄で

私たちが足を崩しても1時間でも2時間でも正座を崩されない先生の長い足が印象に残っています。

 

翻訳については先生も驚かれたのでしょう。「あなた厚かましいですねえ!」と仰りながらも講座が終った後、

電車の時間を気にしながら、今見ると赤面するようなスローガン的言葉を翻訳してくださいました。

その後数回の講座の後、病気をされて講座は中断されました。

切羽詰まった状況であったとはいえ、東大大学院の著名な教授でいらっしゃる先生のところに突如現われて

翻訳をお願いし、「あなた厚かましいですねえ!」と言わしめるような人間は後にも先にも私くらいだろう、と

今は穴があったら入りたい心境。本当に厚かましい。でも願いに応えてくださった先生に感謝しています。

 

で、講座の内容。

印象に残った2点。

ひとつは外からの目と内からの目。

アメリカ人の先生は日本に於いても外から来た人で鳴子でも東京という外から来た人。

私も同じ、外から鳴子や岩出山、大崎を見る人ですが、「岩出山の有備館と温泉がある鳴子はとても近い。

すぐ近所に見える」という先生の言葉に共感しました。

 

岩出山と鳴子。鳴子には温泉があるけれど、どちらも四季の彩が美しい静かな小さな町でお隣同士。

車で走っても30分とかからない。だから余所者の目から見ると鳴子も岩出山も同じ地域に見えるのですが、

実際にはこのふたつの町は、ここに住む人たちにとってはとても遠い町らしい。

というのが、ここに15年住んでも、なんでだろう、と謎でした。

湯治文化ビジネスは湯治だけでは成り立ちにくい。そこに周辺に点在する歴史や伝統の文化などなど、様々な

ものが縒り合わされて、大崎の大きな魅力になると思うのだけれど、そこはそこ、という現状。

「とても近い」というキャンベル先生の言葉でなにかが始まるかもしれません。楽しみです。

 

それともうひとつは、

世界に今広がりつつある「排他主義」。

それとは逆の思想が日本のこの地方の小さな町に潜在しているようだ。

大変大きな話ですが、という前置きをしたうえでの先生のお言葉が私の心にスッポリと納まりました。

都会で暮らしている時には持てなかった人を受け入れる余裕が、この土地の人々と暮すようになって持てるように

なっているような。その辺りに答えがあるのではないか・・・。

 

有意義な講座でした。

次の機会を楽しみに待ちます。

 

 

真山談義

雪は降らないけれど、超寒い1日。

夕方ヤマトへ荷物を送りに行った時の気温はマイナス6度。

木も草も凍てついて、路面はツルツル。

 

午後一時、凍えながら予約していた近所の美容室ヒロさんへ。

髪をやってもらっていたら、私の車を見つけたた由美さんが「いるー?」と現われました。

髪が終わった後、ヒロさんが淹れてくれた暖かいレモンティーを飲みながら3人で真山談義。

「何もかもなくなるね。これからどうなる~??」という話。

 

真山というのは私たちが住む集落のことで、私がここに越してきて15年。

集落の人たちに親切にしてもらって楽しく自由に暮らしてきましたが、ここにきて想像もしなかったような

変化がバタバタと起こってきました・。

まずこのところ急激にスピードアップした感がある人口減少。歳をとって亡くなる、赤ちゃんが生まれない、

必然的に世帯数が減るという自然的人口減少。加えて、人が少なくなったことによって、空き屋が増え、

学校が合併され、農協がなくなり、保育園もなくなるらしい、というスカスカ現象。

ここに住む身としては、急に身辺寂しくなり、「これからどうなるの?」という心許ない心境なのです。

 

実はと言えば、この私も昨年あたりからこの真山にこのまま住み続けようか、それとも少し町中へ引っ越そうか、

など、考え迷いしていました。

もっと歳をとったら運転が厳しくなるだろうし、町の小学校に通うことになる孫にとっては通学に便利だし、

電車で古川に行ける。なにより広い敷地の草刈りや木の枝払いから開放される、などなど理由をつけて。

 

長きに亘る転勤生活で家の売り買いの癖がついていることもあり、生まれて初めて同じ場所に15年も住んで

なにやら腰が落ち着かない気持ちもありで、あれやこれやと考えてるうちに、周囲の状況がどんどん変わり、

最初の頃には全戸に人がいた別荘地の住民は今では我が家と上のNさんと外から通ってみえるSさんのみ。

人がいなくなったうえに周りの施設までなくなってくると、まてよ、と引っ越そうかという気持ちに歯止めが

かかってきました。この状況で新しく住みついた私たちまで離れたら、後から人が来なくなるんじゃない?

 

「そうだよ。さびしいよ。」と由美さん。新しいところに行って今から馴染むの大変だよ、と。

若い頃はさんざんそんな生活をして来たけれど、今から先の残り少ない歳月は、介護が必要になれば由美さん、

ケアマネさんは玲子さん、病気になれば穂波の先生、在宅診療も穂波の先生、そしてこの世にお別れする時

には真昌寺の和尚様と配役も決まっているようなもんで、そんなところは後にも先にもないでしょう。

 

「だろう?」

「んだね!」

というところで引越し話は終了。

 

ならば、ここにいるならば寂しくなる場所だからって、寂しくないようにやっていこうよ。

加工場作る! 牛をもっと飼う! 牛が売れたら奢ってもらう。プレハブ小屋建ててカフェをやる(カフェってなんだ?)!

惣菜作る!ハウス周りに花植えてお客さん呼ぶ。黒田さんちの小さい小屋は喫茶室にする。人のうちの持ち物まで

材料にして盛り上がり、真山談義は終了。

 

 

ほんとうに今の周囲の現状は寂しくなるばかりだけれど、でも私は、贅沢にものが溢れ、人が溢れる都会の

喧騒の中で暮らしていたら、決して知ることはなかっただろう地方都市の農村部の消滅都市に至りかねない道筋を

実感として感じることができてほんとうによかった、と思います。

知らなかったら、他人事だった、と思うとそら恐ろしい。

 

なにより都会の美容室では、こんなふうに客待ち用の椅子に座り込んで、お茶っこ談義するなんてことは難しい。

今日私は言うだけではなくて、中古のプレハブ小屋を探して、と由美さんとヒロさんに頼んでしまったので

「見つかったよ~」と近々言われるかもしれません。心の準備をしなくては。

 

暖かいヒロさん美容室から出たら、シバレますう~~!

今夜の寒さが恐ろしい!

それにしてもこんな日の夜の雪明かりの明るいこと。

「蛍の光、窓の雪」と唄われているけれど、ほんと本が読めるくらい明るいですねえ。」

そう黒田さんのお母さんが驚かれていたけれど、電気消し忘れたかと疑うほど雪の夜は明るいのです。

「雪あかり」とはなんとまあ、素晴らしい言葉じゃないですか!

 

 

 

 

 

 

 

 

雪見物

雪、どっさり降りました。

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これ見るとずいぶん積もっているみたいだけれど、私がここに越してきた頃よりも断然少ない。

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もう1月も下旬に入るところだから、これから先降るにしても晴れればすぐに解けるので、警戒心はさほどなし。

それよりも1、2月でこんな気温だったら(高いという意味で)、初春の高温でハウスの中の花たちが、徒長する

んじゃないかと、そっちが心配です。売り物にならなくなるから。

 

窓から外を見ていて、あまりに雪がきれいなので、黒田さんとお母さんを雪見物に誘うことにしました。

ほんとうは黒田さんの仕事がお休みの今日、雪景色をあまり見たことがない熊本からみえたお母さんを、山形

辺りまでお連れしようと思っていたのだけれど、鳴子の向こうの天候が分からないので、鳴子か鬼首のスキー場

まで行き、お昼を食べて鳴子温泉のたまご屋さんでコーヒーとケーキ、というコース。

 

さすがに今日は黒田さんもお母さんも私も、帽子にマフラー、ダウンに手袋という重装備。

道の駅を通り過ぎ、川渡温泉に入った辺りから雪の量がぐんと増え、道路も圧節状態。鳴子の先の山々は白く

煙って何も見えない。それでもお母さんは初めて見るどこもかしこも真っ白という景色に「まあ、きれい、まあ、きれい」

と喜んでくれてます。よかった!

 

そして、今日のメインコース、スキー場のレストハウスへ。

スキー場もレストハウスの入り口も段差がはっきりしないほどの積雪でもこもこ。これならスキー場もオープンし

スキー客も来ているだろう、と思いきや、なんと駐車している車もなく、レストハウスがやってない。

温かみがある定食が美味しくて、夏から秋にかけて何度か来たレストハウス。

雪が降ったのに、スキーも橇すべりもできるのになんでやってない?

 

後でたまご屋のタケシさんに「閉った」と聞いてがっくり。

不景気なことは書きたくないけど、元気がいいニュースは秋に新しくオープンしたホテル吉祥さんの話題くらいで

後は無くなるとか閉るとかばっかり。ほんとにどうにかならないのか、と思います。

20年くらい前、私が山に行ったりスキーをしたりしている頃は、スキー客はいっぱいだったんだけれど・・。

今は雪も少なくなったけど、スキーをする人も少なくなったってこと?

今若い人たちはどんなふうに楽しんでいるんでしょうね。

 

そういえば、先だって東京に行った時、都心オフィス街の夜11時過ぎの居酒屋で、いっぱいのサラリーマン風男女

客のあまりのはしゃぎっぷりに私は驚いてしまったけれど、あれがストレス発散なのかどうなのか。

 

レストハウスでの食事は諦めて、鳴子温泉の高橋亭で「おくずかけ」を食べ、たまご屋さんで抹茶を頂き、久しぶりに

横浜山手教会の司教様にお目にかかり、小雪降る中を無事帰ってきました。

短い時間だったけれど、黒田さんにもお母さんにも喜んでもらえました。私も楽しかった。

 

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これデッキの雪の上の足跡なんだけど、なんだろう。

3個ずつ凹んでいるけど、兎が登ってくるわけないし、何の足跡か、と首を捻ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キムチと寸胴鍋

雪です。

昨日から降り始めて、どんだけ降るかと構えて、ガソリン入れたり部屋ごもりするために買い物に行ったり

したけれども、こんだけ?と思うくらいのたいしたことない雪降り。今の積雪は4センチ。

 

昨日の朝のシロ。

晴れた日の朝日が昇る時刻には必ず台所の窓の前の定位置で日光浴。

ときどきこっちを降り向いて、ゴハン頂戴ニャーンという顔をする。

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暮れから正月にかけて、生産者仲間のクリちゃんが漬けるキムチにはまりました。

普段はあまり食べないキムチ。なんだけれど、ミーティングの時にクリちゃんが作ってくれたキムチはっと汁が

あまりに美味しくてすっかり好きになり、お歳暮代わりに、お世話になっている方々にせっせと送りました。

福岡、東京、神奈川、北海道、滋賀県県、などなと。

「普通のキムチとはちょっと違うんだよ。魚のアミなどは入ってなくて日本の白菜漬けをキムチにしたような

あっさり系。白菜はオモニという種類を使ってる。鍋にするととても美味しいよ!」、とレシピをつけて。

そのうち、もっと食べたい誰かが注文してくるのではないかと期待していたら、やっぱり来た!

 

ビールのつまみでもゴハンと一緒でもほんとに美味しい。鍋にする前になくなってしまったから、10袋でも

20袋でも作ってもらえれば、ということでクリちゃんにお願いして20袋を新たに注文しました。

出来上がってとりに行ったのは一昨日のお昼前。

コーヒー飲んでかない?と誘ってもらえて上がりこんでお茶っこして1時間ほどもしゃべってお暇しました。

 

夜、知り合いからの電話で、クリちゃんの漬物加工場でちょっとした事故があり、加工場使えなくなっちゃった

という知らせ。えーー、私がいる時なんでもなかったのに、その後のこと?

連絡したらクリちゃんは元気でひと安心。でもキムチは加工場なおすまでできないので、あれで終りだって。

あまりものを食べない私が珍しく嵌り込んだキムチなので、がっかり。

 

でもモノ作る仕事をしている私もクリちゃん同様、ちょっとしたはずみで何時どんなアクシデントを起こすか

起こるか分かりません。歳をとっているんだから、人よりもさらに注意し過ぎるくらいに注意をしなきゃ、と深く深く

心に刻んだその翌朝、なんとお鍋の中の餅用の餡子が真っ黒けに焦げていた。

餡子ができあがって、「もういいな」と確かに火を止めた筈だのに。火を止めたのは私じゃなくて自動消火装置?

嘘でしょう。確かに!という記憶さえもあてにならないのかと、ショック。

 

餡子は作りなおせるからいいけれど、使い物にならなくなった鍋はそうもいかず、行きたくない心にムチ打って

餡子用寸胴鍋を買いに古川へ。

何時も行く業務用品のショップに行ったら、なんと、普段は値が高すぎて手が出ない極厚の寸胴鍋がお歳玉

セールで全品半額!。餡子が焦げなかったら来なかったわけで、いいんだか悪いんだか、捨てる神あれば拾う神あり

なんだか、嬉しくなって憧れの半寸胴と寸胴を2個も購入。

 

餡子を煮てみて、底が極厚だと焦げにくいんだ、と初めて知りました。

正月以来、キムチはっととお雑煮が気に入り、食べ続けている孫のために新しい寸胴いっぱいの雑煮を作り、先ほど

隣家に届けました。

外はしんしんと雪。雪明かりの中で練習中の孫のピアノの音が聞こえています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞整理

本日8日は今年初の直売所当番。

当番といっても、この寒い最中、直売所で売る野菜などがあるわけではないので、初新聞整理。

ロイズ新聞バッグ用の新聞をください、と折り手さんに言われていたのだけれど、暮れの忙しさで

渡してあげられないまま歳を越して、もう今日は8日。

もたもたしていると、今月分のロイズ用の新聞バッグができなくなってしまう。

 

今日は絶対二人分、2箱くらいはつくらなきゃ。

そんな私の悲壮な覚悟が伝わったのか、「来たよー」と午後、上條さんが現われました。

3時近くには黒田さんも来てくれたので、おかげでノルマ達成。助かった!

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大震災後、あちらこちらの外資の会社や団体、大学、ホテルなどから送っていただいていた英字新聞が、

近頃ではめっきり少なくなりました。

6年近くも経つうちに、担当者の転任だとか、退職だとか、新聞をとらなくなったなどの理由で、徐々に徐々に

来なくなり、今も送り続けてくださるのは、青山大学のある学部と図書館、国際関係の団体など3、4箇所。

送られてくる量がそれなりにあるので、不自由はしていないけれど、でもこのまま行けば先細って新聞が不足

するだろうという不安はあります。

 

今年はまた改めて、各方面にお願いしてみようかなあ、と思案中。

ただ、この先新聞バッグの注文がまだ続くのか?と考えると答えが出ないので、積極的に動く気持ちになれません。

 

ほんとはね、これだけ災害が多い昨今、日本中の会社や団体、学校などが1年に1度でもお客さんになってくれて

新聞バッグをなにかに使ってくれたら、災害を受けた方々への応援になるんだけれど。とは思います。

とても大事なことは、「支援」というのはお金でもらうよりも仕事の報酬で得たほうが、気持ちが対等でいられるのです。

ただでも「支援」は発生した時から、立場があげる側ともらう側、強者と弱者になっちゃうのだから。そしてこの立場の

違いは年数が経っても変わらない。あげる側は「ありがとう」の言葉に慣れ、受ける側は「ありがとう」を超えられない。

ということを思えば、新聞バッグと作りは、何もなくてもとにかく簡単に始められる仕事なのです。

 

新聞バッグの注文自体は少なくなっても、新聞バッグを作りたいから教えてください、という講習要請は前にも

増して増えています。新聞バッグの文化的定着は果たしつつあるということですか。

「作るのが少ない私でも、数えてみたら1年間で3000枚以上は折っているのだからびっくり!」という上條さんの
言葉を聞いて私もびっくり。

新聞バッグを折る人のほとんどは上條さんよりもうんとたくさん折っているのだから、いったい年間

どのくらいの枚数の新聞バッグを折っているんだか。数えてないので定かでないけれど、それだけ注文を頂いて

いるということです。

 

10000枚の注文を頂いたロイズ新聞バッグも2年近くかけてもうすぐ終わります。

2年間近くも時間をかける新聞バッグ作りという仕事。楽だったか、と問われれば、自分の生業と沿わせながらの

活動は時間に追われて楽ではなかったけれど、この長期に亘る仕事のやり方は、応援、支援の継続は何を

生むか、という大切なことを教えてくれました。

終ったら、私自身は少しゆっくりしたい。

でも災害住宅で折ってくださる方のことを思うと、適度に続いてくれたらと願います。

 

お隣りの食堂から焼いもをもらい、上條さん持参のお菓子を食べて本日の初新聞整理は終了。

お正月から続いた暖かさが終わって、今夜から寒くなるそう。大雪になりませんように・・・。