仕事を手で覚える、体で覚える。

首都圏を離れて10年以上、こんな田舎で暮らしていると、都会で起こっていること、外側からみた出来事としては
わかるんだけど、そこにある精神文化の動きというようなものが解からなくなっている自分に気付きます。

ここの人ってみーんなモノを作るんですよ。男の人も女の人も。

それが野菜であれ、漬物や味噌であれ、お米であれ、その他いろいろ。お金で買うものはあんまりない。
自分で作ってないものだけ。

私がここに来た当座、たまたまこの集落のお母さんがた何人かで味噌づくりがはじまりました。私は
まだ何にも解からない頃なのですが、誘ってもらって、そのクラブに入りました。
みんな1斗作るんです。2斗の人もいる。1斗といってもどのくらいの量か想像がつかないのですが、大きめのダンボール箱を2、3個持っておいでと言われて、そのくらいの量かとミカン箱を持って行きました。

たいした量だった。
お米はみんなの自家製。大豆は作っている人から買う。麹はみんなのお米を町内の麹屋さんに持って行って
麹にしてもらうのですが、可愛らしい紅い子供用の布団をかけて作ったこともあります。ドブロクも作った。

以来お味噌は自家製、地場産製で買ったことがありません。
自分で作るようになったら他所のを買う気になれないです。

食べ物ばかりではなくて、お隣のご主人は土砂崩れで家の前の斜面が大きく崩れた時も、時間をかけて一人で
なおしてしまいました。

うちには娘の息子、私の孫がいます。3歳になります。
「大きくなったら何になる?」と聞くと、今は「タネをまく」と言います。父親が野菜のタネをまくのを手伝うのがよほど
面白いらしい。

よっちゃんやエボラボメンバーのように若い人たちは、パソコンとかアイホンとかフェイスブックとか、私には頭脳
ゲームのようにみえる機器を使いこなします。でもそういう機器を使いこなしながらも、種をまき、野菜を育て、
米を作り、トラクターを動かし、壊れたところは自分で直します。
つまり仕事は手を動かし体を動かし、手で覚え体で覚えます。

彼らと日々接していて思うのは、都会の若者たちはどんなことを手や体で覚えるんだろうということ。
子供の頃から携帯やパソコンメールで人と繋がり、ゲームや機器で頭の中だけ発達したら、手や体で覚えることは
なーんにもないんじゃないか。とそんな不安を感じます。みんなで遊べる場所もないし、自由に使える公民館みたいなものもない。都会での暮らしはないないづくしだもの。ちょっと広めの広場とか駐車場とか、入っただけでもすぐに
怒られるし。

今度の日曜日はよっちゃん農場では東北村の田植え体験をやるそうです。
先の大雨で道が半分なくなっているので、よっちゃん一家はずいぶん参加者の安全に気を遣っての決行に
なると思うのですが、私も時間がとれたら、積み立ての蓬でついた蓬餅を差し入れたいと思ってます。

摘みたて蓬の蓬餅はみんなおいしいーと言います。

美味しいのもいいことだけど、周りにあるものを使ってこんなにおいしくてお腹がいっぱいになる食べ物が作れるよ。
みんなで作って食べたらこんなに楽しいよ。田植え体験参加者たちがそう感じてくれたらいいのですが。

 

仕事を手で覚える、体で覚える。” への2件のコメント

  1. 面白い。動物的直観という言葉では考えたことはなかった。東京で地に足をつけた生活はできない。基本的な暮らしに必要な
    環境をなくしてしまっているもの。ただもっと体や手を使った仕事をしなければ、頭だけ使っていたらアンバランスで
    精神が壊れる。それを心配します。田舎にくるとそれがよーくわかります。人類だけ進歩したって無理がある。

  2. こんばんは。
    先ほどお電話では、ありがとうございました。
    気持ちよく対応していただけて、嬉しかったです。

    大人になるまで身体を動かしてこなかった私ですが、内容にとても共感します。

    昨年、石巻や大槌でのボランティアで、生き生きと活動するたくさんの若者に出会いました。皮肉なことですが、311を機に、多くの若者が復興や暮らしのために、身体を動かして、皮膚感覚やいろいろな感情を感じ始めた気がしますね。

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