小野寺さんの菊

2月もあっという間に月末。

今月の月末は、恒例、20日を過ぎるとロイズ新聞バッグの回収、検品、発送仕事は変わらず。

そのうえで、イスラエルからやってくるノアさんの「新聞バッグにオリンピックを入れちゃおう」企画

プレゼン用の新聞バッグ作り、ともうひとつ、明後日水曜日から、滋賀県大津に新聞バッグ

ワークショップに出向くので、なにやら気持ちが落ち着きません。

またそのうえに、申告という一大事が迫っているのに、ちっとも進まないのでこれも落ち着かずの原因。

 

プレゼン用の新聞バッグは、とりあえずは日本の新聞紙がよいだろうということで、あちらこちらの

知り合いにお願いして、朝日新聞、日経新聞、などを頂き、ある程度用意できました。

オリンピックで新聞バッグをというノアさんの夢は、これから2020年まで3年がかりの壮大なものなので

どこでどう手伝えるか想像がつきませんが、でも夢の実現はまずは妄想から、と著名な写真家が言ってました。

ノアさんの大切な日本での10日間。手抜かりのないように万端の準備で臨んでほしい。

 

そして大津。

大津に行くのは初めてです。

大津の琵琶湖ホールで3回目の「走る」を㈱ウルズの角川社長と一緒に観ます。

大震災後、岩出山の梅農場で、鳴子温泉に二次避難中の南三陸の小野寺さんに出会いました。

小野寺さんのお仕事は菊作り。津波被害に合われたその年、岩出山の畑での菊作りにはまだその気持ちに

なれないとのことで、菊作りのご指導をお願いし、その翌年、南三陸に戻って心機一転して菊作りを再開されました。

が、菊の花が立派に開花したところで、流通が破壊されていることに気付いて愕然。

小野寺さんに協力して様々な方法での菊販売を開始し、その時に遠い滋賀県から「菊を買います」と手を挙げて

くださったのが角川さんでした。

 

その後も、よっちゃん農場のよっちゃんなんばんや、海山の新聞バッグを多方面に紹介してくださったり、毎年

クリスマスシーズンにはプレゼント用の新聞バッグを注文してくださったり、6年近く経つ今も角川社長には多大に

お世話になっています。

 

加えて、厚かましくも私が今年になってお願いしたのが、倉本先生のお芝居「走る」の集客。

私は富良野から頼まれて、角川さんは私から頼まれて、大きな琵琶湖ホールの客席数の半分以上を埋める

ために東西奔走。涙ぐましい努力を強いる結果になってしまったのですが、その甲斐あってチケットは完売。

様々な意味で富良野から宮城、大津まで人の心が支え合っての感動の「走る」観劇となりそうです。

私は「走る」のおかげで、小野寺さんの菊を買ってくださった大勢の社員さんやそのご家族に直接お目にかかって

菊を買って頂いたお礼を申し上げる機会に恵まれました。

 

お芝居を観た翌日は、やはり大震災後に知り合い、たくさんのご協力を頂いた版画家の岡澤加代子さんと

一緒の版画&新聞バッグワークショップを企画して頂きました。

問題は、私の新聞バッグ作りの技が未熟なこと。

でも今度のワークショップは、新聞バッグを上手に作る、というよりも、小野寺さんの菊を「立派な菊だ」と誉めて

くださり出会いを喜んでくださったみなさんと、大震災のこと、災害のこと、人との繋がりのことなどを素直に

お話をしたい、と思っています。

 

大震災から始まって鳴子温泉に繋がり、小野寺さんの菊に繋がり、角川さんに繋がって「走る」に繋がって・・・。

この先、何が起こってどう繋がっていくのか。大津ではまた新たな扉が開くのかもしれません。

 

しかし、明日から始まるロイズバッグの検品。こっちは闘い。早く無事に終わりますように・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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