雨ばっか振って困ります。
そんな雨続きの天候のなか、9月22日から25日の日程で、高知大学の佐藤先生が北海道十勝視察
の帰り道、海山の話を聞きたいと、岩出山に寄ってくださいました。
先生にお会いするのは3度目。大崎の農業の研究調査をする大学、大学院の先生方のチームのお一人
なので、以前調査にみえた時にお会いしました。
今回は海山の話を主に訊きたいということなので、メンバー皆忙しく落ち着いてお話できる場所、時間が
厳しく、途惑われたと思いますが、仕事をしながら話せるようにうちに泊って頂くことにしました。
23日は朝道の駅の出荷が終った後、鳴子のたまごやさんへ。ここでは海山の重要メンバー南相馬から
自主避難中の上條さんが働いています。たまごやのオーナー宮本氏と上條さんと少し話した後は
鳴子のお食事どころ高橋亭で昼ごはん。
高橋亭は、大震災直後、東大大学院のロバート・キャンベル先生が鳴子温泉で始められた「読もう」という
読書講座で初めて上條さんに出会った思い出深い場所。その時は話をすることもなく講座は終りました。
上條さんとの会見が終った後は道の駅へ。私は帰宅して夜の「佐藤先生を迎えて夜ご飯会」の準備。
せっかくの機会なので、10月1日の聞き酒練習会を先日頂いたお酒でやろうかしら、と思ったのだけれど、
90食もの弁当注文を抱えて重圧でテンパッテいるよっちゃんが無理、無理というので中止。
高知大学の地域協働学部という聞き慣れないけど先が楽しみなような学部でこれから教鞭をとられる
佐藤先生を囲んでよっちゃん夫妻、黒田、上條、私の海山メンバーは食べ、大真面目に語って3時間。
良い時間を過ごしました。
翌23日は朝道の駅、次いでほっかぶり市、その後南三陸へ。
私には1ヶ月ぶりの南三陸。佐藤先生にとっては震災後に見て、5年近い時を隔てて見る南三陸。
私の感想。「なんか、家が建ったのかなんだかこの一ヶ月でますますさっぱり道が解らなくなったー!」
佐藤先生の感想。「変わらないですねえ。5年経ってもこんなに変わらないなんてショックです」
変わったといえば何にもなかったところが土の山だらけになっているのだから変わったんだけど、
でも心情的に言えば変わってないんだわ。5年半の時間はどこ行った?という感覚。
これは土盛りの上に作られた新しい道路。
けい子さん宅では心臓の大手術を乗り越えて無事退院されたお父さんが(けい子さんのご主人)が
元気な笑顔を見せてくださって一安心。だったのだけれど、聞けば先日の台風で、北海道から取り寄せて
タネ付けしたホタテも漸く揃えた道具も、ぜーんぶ流された。
「また一からやり直し」とけい子さん。
ほんとうに人生、一歩進んではまた戻りくじけずまた一歩進んだらまた戻る、の繰り返し。
今年はまだ船に乗るのは無理だけど、来年は体調取り戻して前のように船で働くお父さんに戻ってほしい、
せつにそう願います。海があるんだもの。体さえあれば大丈夫。私でさえそう思えるようになりました。
この土地では秋の今時分、栗の実が落ちると拾って栗だんごを作るそう。
小さな栗をだんご粉でくるんで醤油と味醂と砂糖で味付けした栗だんご、素朴で甘くておいしいだんご!
けい子さんちの後は、仮設住宅から出て移転した小野寺むっちゃん宅を初訪問。
一度訪問したいと思い続けていた新しいむっちゃん宅は、前に住んでいた仮設住宅にほど近い道路沿いの
住宅団地の中にありました。
流されてしまった家よりもだいぶ小さいけれど新しい家。仮設住宅の暮らしが長引くに連れてだんだん健康
じゃなくなっていたむっちゃんは、新しい家で落ち着いたのか心身共に元気になってました。
でも私の菊の師匠の小野寺とーさんは、やはり心臓の手術後、菊の栽培は以前より負担の様子。
むっちゃんとは鳴子温泉に避難していた頃の思い出話に花が咲きました。
むっちゃんたち縫製工場におられた方々が避難されていたらどん温泉。ここの女将さんに本当に温かく親切
にして頂いた、とむっちゃんは昨日のことのように話してくれます。
女将さんがくれた布で、みんなで手縫いで作ったエプロンとバッグを持っての記念写真。
あんなに切羽詰った状況だったのに、皆さんの嬉しそうなこの笑顔。
私が福岡で飛び込みで掴んだ縫い物仕事は、この中のどなたかが5年経った今も継続してお仕事を続けられて
いいるそうです。
「友だちも親戚もたくさんの知っている人が亡くなったよ。失ったものは本当に大きかったけれど、
でも得たものも多かったよ」
気負いないむっちゃんの言葉が、深く深く心に染み渡ります。きっとそうなんだ、と・・・。
佐藤先生のおじさんが志津川におられる。でも家は解らない、とのことで、けい子さん宅で尋ねてみたら、
けい子さんもおばあさんも小野寺むっちゃんも、佐藤先生の叔父様のクリニックの患者であることが判明。
津波に洗われて何もかもなくなってしまった志津川で今も内科クリニックを開業なさっているということは、
大変な困難の中で診療を続けて来られたに違いありません。
また新しいご縁を頂きました。
明日は最後の日。梅農場を訪ねるつもりです。