ピンチはチャンス④

世の中にはいろんな暮らし方、職業があります。

公務員とか会社員とか店員さんとか、お給料もらって働く人。

農業、漁業、お店や食堂などの自営の人。工場などで働く専門のお仕事の人たち。

みなさんはどんなお仕事の人が、大災害の時に一番早く動き始めると思いますか?

頭がいいから先生とか、ITに精通したIT関連業務の人とか?

全然そんなことはありません。勿論職業だけで分けるわけにはいきませんが、でも経験でみたところでは

即刻復興に向けて動き始めるのは、日頃から手足で動いていた人たち、現場仕事の方たちだったと

思います。会社で偉い役目をしていたとかの人たちは、現場仕事は不慣れでやりづらいからか遅れがち

でした。

 

何が言いたいかというと、頭脳だけで働いていた人たちは、電気もガスも水も食糧もなくなるような大災害が

起こったら何もできないということです。311の大災害の時、この岩出山では電気も水もガソリンもなくなり

ましたが、農業の人たちは全く動じず、1年間でもそのまま暮らせる状況でした。でももし東京で大災害が

起こったら、日頃から会社で働く仕事が中心の人たちは、何をどう調達してよいのか解らず、2、3日もすれば

食べるにも事欠くようになるだろう、と心配しています。

今日東北まで来てくれて、南三陸で船に乗ったり災害のお話を聞いたり、貴重な体験をされた皆さんには

人が生まれながらにして備わった能力をなくさないでほしい。能力を育てて磨いてほしい。災害が起こっても

自分が生き残るだけではなく、人をも助けられる力のある大人になってほしいと思います。

 

そしてみっつめ。最後のお願いは想像力を養ってほしい、ということです。

人は自分の人生しか生きることはできません。人の人生は生きられないので、人の心は分かりません。

だから自分とは違う人の心や人生が描かれた本や漫画を読んだりドラマや映画を観て、自分以外の人の

心や生き方を知ろうとします。それをしなかったら、自分が生きるひとつの生き方を人の人生だ、と思い

こむような狭い考えに囚われてゆき、人や自分が接しない世界のことがわからなくなります。

 

例えば今ここにいるこれから皆さんに新聞バッグを教える上條さんは、福島の南相馬から原発事故の翌日に

バスに乗って鳴子温泉に避難してきて、今も鳴子温泉に住み、働いています。一緒に来た時には小学生

だった娘さんは高校生になり、高校生だったうえのお兄ちゃんは大学生になり、高校生だった下のお兄ちゃん

も今年大学に入りました。お父さんは今も福島でお仕事をされていて、それまで普通に暮してきた家族一緒の

暮らしや学校や部活や習いごとなどは、原発事故で一瞬に断ち切られてしまいましたが、今は新しい生活で

みんながんばって元気に生きています。

言われなければ知ることもない新聞やテレビで報道される原発や津波の被害者の方々は、もしかすると遠く

にいるのではなく、すぐ傍にいるのかもしれません。

ここ岩出山は福島から遠く、原発の影響を受けていないように見えますが、実は山の山菜やきのこや動物たちは

放射能で汚染されてまだ食べてよい、という許可がおりていません。

想像してもわからない、まして想像する力もなかったら、何が起こっているかもわからない今の自然界の状況です。

自分が住む以外の土地で暮す人々や、自分が知らない広い世界、そしてそこに住む人の暮らしや心を想像する

力を育ててください。

 

東北は農業や漁業が盛んで、広大な耕土に恵まれ、自分でモノを作り出す底力が強い土地柄です。無口で辛抱

強い東北の人たちは、困った人を受け入れる心の余裕がある人が多いように私には感じられます。

長年東京で仕事をし、ディズニーランドの近くで暮してきた私は、東京での何もかもお金で買う、経済に揺さぶられる

生活を知っていますし、15年住んで、自分の手でモノを作り出すのが普通のこの岩出山の暮らしも知っています。

その違いがわかります。

 

どちらも大事でどちらも必要です。どちらも知っておいたほうがいいです。

皆さん、今日の日を忘れずに、東京に戻っても東北を胸の中に置いてください。

そして1年に1度でも海で出会った山で出会った東北の人たちが、今どうしているだろうと想像してみてください。

私たち、私も同じですが都会の人間は家を売ったり引っ越したりどんどん生活を変えていきますが、ここ東北

の人たちはこれからも同じ土地で同じ仕事をしながら復興の道を歩んでいかれると思います。皆さんが大人になって

もその状況はあまり変わらないと思うので、どうか思い出したら会いに来てください。

 

長時間私のお話を聞いて頂いてありがとうございました。これでお話はおしまいです。

ありがとうございました。

 

 

頂いた1時間は長かった。

年寄りの話で分からないことも多かったと思うけれども、みんなの心の中にちょっとでもひっかっかっていてくれたら

いいな、と思って話しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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